英文学者として集大成と位置付ける著書を出版した木村さん。「自分にしかできない仕事」と話す=16日、東京・銀座

 古里を離れて60年近く。旧尾上町(現青森県平川市)出身の木村正俊さん(84)=神奈川県座間市=はケルト民族の歴史と文化に関する著書3部作の最終刊「ケルト神話・伝承事典」を今夏、出版した。英文学者として一つの集大成と位置付ける。「外国の文献をただ訳して紹介するだけではない。資料をせっせと集め、現地に足を運び、調査に何十年もかかった。私にしかできない仕事だという自負がある」と胸を張った。

 弘前大学卒業後、青森放送に入社し報道記者となったものの、「事故だ」 「殺しだ」と席を温める暇もなかった。かつてのコマーシャルソングばり「24時間戦えますか」を地で行く生活に「体がもたない。自分がやりたかった仕事ではない」と見切りをつけ、1965(昭和40)年に退社した。

 向かった先は、以前から憧れがあった東京だった。「自分には脱出志向のようなものがあった。『家出のすすめ』を書いた寺山修司にもあおられた」と笑う。

 漠然と「物書きに」との夢はあったが、確かなビジョンを持っていたわけではない。取りあえず早稲田大大学院を受験。本人いわく「運よく合格」し、新たな人生の一歩を歩み出す。

 ライフワークとなったケルト民族に関する研究は、早大の恩師である英文学者尾島庄太郎氏(1899~1980年)の影響が大きい。尾島氏は、ノーベル文学賞を受賞し「20世紀の英語文学において最も重要な詩人の一人」ともいわれるアイルランドの詩人イェーツ研究の第一人者だった。木村さんは、尾島氏を通じてアイルランド民族の祖となるケルト民族の研究に傾倒していく。

 「ケルト人はローマ帝国にとっては辺境の野蛮人。自然や土の中で暮らす『森の民』であり、そこが、青森に巨大な集落を築いた縄文の人々に共通するように思える」と語る。

 ケルト人は紀元前8~7世紀、ウクライナ地方から西進し、アルプス山脈麓のドナウ川上流に住み着く。周囲は森と川と湖。その後イギリスを含めてヨーロッパ全土に移り住んでいく。

 だがケルト人は紀元後、ゲルマン民族の大移動によって、徐々に土地を奪われていく。ブリテン島(イギリス)ではゲルマン民族のアングル人、サクソン人、ジュート人によって中央部からウェールズ、スコットランド、アイルランドなど、農業に不向きなやせた土地である辺境部へ追いやられた。

 「土地を失ったケルト人だが、森と話す、自然と話す、木を信仰するというDNAは失われず、そこに縄文文化との共通点を感じた」。ケルト、アイルランドに引かれる理由は自らの体験もある。「人間が本当に純粋で優しいんです」と表情を崩す。

 「体の衰えを感じる」と話す木村さんだが、既に次作出版の準備を着々と進める。「イングランド中心になりがちなブリテン諸島の歴史について、広い視点をもってまとめている」と意気軒高だ。研究生活を振り返り、木村さんはしみじみと語る。「自分のやりたかった仕事を存分にできて満足です」

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 <きむら・まさとし 1938年、旧尾上町生まれ。黒石高、弘前大文理学部卒業後の61年、青森放送に入社。65年に退社後、早大大学院に入学。その後、鹿児島短大や東京農大、昭和薬科大、東京経済大の講師などを経て75年に神奈川県立外語短大専任講師。82年に教授。2006年、同短大を退職。ケルトに関して多数の著書があるほか、「棟方志功の世界 日本美の原点」(1972年)を出版している>