「中部読売新聞」


読売新聞が、愛知県など東海3県にて拡販目的で本体とは別建ての格安価格で1975年3月に発刊された新聞です。
発刊当初より業界を騒がし、当時中学生だった当方も、はっきり記憶に残っています。(個人的な意見を言わせて
もらうならば、この件と、江川事件、ラジオ関東の巨人戦独占放送は3点セットで、当方に不信感を抱かせて、今も
続いております。)


1981年1月7日付一面 一部加工してあります。


題字です。 この日は、第2070号です。

 

  
上、1981年1月7日付 市内版題字下には、連絡先はありません。
下、1985年5月6日付 連絡先があります。

 


定価は、月ぎめ1500円、一部売り60円です。 当時は一般的には、月ぎめ2000円ぐらいではなかったかと・・・。

 


テレビ欄です。1980.1.7

1985.5.6

 


1981年3月2日付の東京14版と中部読売4版がありました。
少しレイアウトが違いますが、ほぼ同じですね。 一部加工してあります。


ところで、中部読売新聞が販売されていた時期も、読売新聞(東京本社)は、この地域を対象とした「中京版」を
発行していました。


地域面の題字です。
 

 

 


テレビ欄です。 何か違和感があります。拡大します。

名古屋総局の住所は、中部読売の報道部と同じですね。(電話番号は違います。)

それと、これは名古屋駅で買ったものですが、早版の7版です。高山など遠隔地と共通紙面のようです。

なぜ、この当時、堂々と名古屋で読売新聞を発行して勝負しなかったのか、甚だ疑問です。


テレビ欄の局名部分を拡大しました。

愛知・岐阜・三重が販売地域の中京版ですが、なぜか静岡の局が最初です。ラジオ欄もSBSがトップです。

 

それと、駅売店に中部読売新聞が無くて、この時は買えなかった記憶があります。悪しからず。


さて、その後ですが、地元紙の牙城を崩せず経営不振のため、1988年には、読売本体に吸収され、題字が
単に「読売新聞」になりました。吸収当初は中部本社を名乗り、紙齢も中部読売を引き継いでいましたが社内機構
変更により、2002年7月に中部本社を支社に格下げし、紙齢も東京版と同じになりました。
なお、名古屋地区の読売新聞は、中部読売の時代から、今も朝刊単独の販売です。
中部読売の時は、最終は4版でした。読売になってからは、14版です。


中部本社時代の題字です。 この時点では、中部読売時代からの紙齢を
引き継いでいます。

 


中部支社になってからは、東京本社の紙齢に変わりました。

 


市内版題字です。

 


系列のスポーツ紙である「報知」についても書いておきます。

名古屋地区では、報知新聞社が自ら発行するのではなく、中部読売新聞社から発行されましました。以後、機構変更に
伴い読売中部本社、支社と発行者名が変更になっています。

ここでの注目は、題字の変遷です。
中部読売時代には「報知スポーツ」、中部本社時代には「スポーツ報知(縦書き・黒文字)」、支社時代の現在は東京版と
同じと、節目節目で変化しています。中部読売時代には、報知も、読売本紙と同じように少し異なる別の題字を使って
いたことになります。また、中日スポーツに合わせた安い定価をつけています。


1980年12月26日付一面です。

題字です。紙齢が若いです。2年も経っていないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テレビ欄です。

 


こちらは、1997年4月3日のスポーツ報知です。中部本社時代です。
 

 

 
題字です。         同時期の報知新聞の題字

 


テレビ欄です。

 


2000年4月1日付の報知新聞社版と読売新聞中部本社版の題字を比べてみます。
形式は同じですが、新聞名と発行所を差し替え、紙齢も異なっています。


ふと思うに、別会社であれ何であれ、読売新聞は1975年までは、名古屋に印刷所を持っていなかったのですね。
大都市部で早版しか配れないとは・・・。