有田芳生氏 日本共産党100年への手紙
日本共産党が7月15日で結党100年を迎えることをめぐり、かつて共産党員だったことがある立憲民主党の有田芳生参院議員が、「18歳の私を魅了したあの党の姿と時代のうねりを、もう一度見たい」と語った。 ◇ ◇ ◇ 日本共産党が7月15日で結党100年を迎える。名前を変えず1世紀続いた日本唯一の政党であり、西側諸国最大の共産党でもある。過去に20年間、共産党に籍を置いた人間として、歴史と現在を素描したい。 ◇侵略戦争に反対し続けた輝かしい党 かつて、哲学者の鶴見俊輔さんは、共産党を北斗七星にたとえた。戦前から一貫して侵略戦争に反対し続けた共産党は、自分がどれだけ時流に流されたかを測る「動かぬ座標」だと。確かに、共産党の政党政治内の位置は、戦後もほぼ常に最左派で一貫性がある。 そんな輝かしい党だが、党員は1987年の48万人から27万人、衆院議員は79年の39人から10人、参院議員も98年の23人から13人に減った。党員は高齢化していると聞く。衰退傾向は否めない。私の経験に、理由のヒントがあるかもしれない。 私は、共産党員の両親の下に生まれた。高校生の頃、上田耕一郎さん(後に副委員長)らの論文に感動して、70年に18歳で入党した。当時、機関紙「赤旗」は長大な論文がしばしば載り、政治経済から文学まで全世界を分析し尽くす知的興奮に満ちていた。私の入った立命館大など複数の大学は、(共産党系青年組織)日本民主青年同盟の同盟員が1000人以上。若々しい党だった。 大卒後は、共産党系の新日本出版社の編集者となった。党本部に出入りして、上田副委員長の部屋へもしばしばお邪魔した。国際情勢の見方から大江健三郎作品の面白さ、おいしい紅茶のいれ方までなんでも教えてくれた。「赤旗」編集局長だった吉岡吉典さんに「処分を受けるくらい(型破りな)いい仕事をしろ」と発破をかけられ、雑誌「文化評論」に大竹しのぶさん、淡谷のり子さんら芸能人を出すなど存分に働ける自分が、誇らしかった。 ◇2回の査問の末、除籍処分に 風向きが変わったきっかけは、80年の「文化評論」に載せた上田副委員長と作家の小田実さんの対談だ。事前に宮本顕治委員長(当時)も了解した企画で、掲載号は完売したが、数カ月後、小田さんが公の場で、共産党を、市民運動などを自党に系列化する「既成政党」として批判した。小田さんと共産党の関係が悪化し、私まで党内で批判された。84年、長時間の「査問」(追及)を受けた末に自己批判書を書かされ、社を追われた。 ところが、2005年に小田さんと上田さんは雑誌で再び対談した。対立の総括や和解の経緯説明は一言もない。人生を変えられた者としては、どうしても解せなかった。 新日本出版社退社後、党籍は残したままフリージャーナリストとなり、90年に「日本共産党への手紙」という本を編集した。共産党への批判や提言を加藤周一さんら文化人15人にもらった。事前に上田さんに相談すると、「いい企画だ」とうなずかれた。 この本で党内外の自由かつ建設的な議論の種をまくつもりだったが、以前共産党に攻撃されたことなどを理由に寄稿を断る文化人は多かった。作家の佐多稲子さんは、用件を聞くなり受話器をガチャン。哲学者の久野収さんらも断った。 党の対応は、さらに硬直的だった。「赤旗」が3回連載でこの本を批判した。私は再び査問され除籍処分に。上田さんは「だから(出版を)やめろと言っただろう!」。言葉を失い、「これが、『政治的人間』というものか」とかみしめた。 ◇優秀な若手の追放が党の弱体化に だめ押しは、95年5月だった。麻原彰晃元死刑囚が逮捕された翌朝の「赤旗」に、私を「反共を売り物にする」と敬称抜きの呼び捨てで批判するコラムが載った。久野さんが「共産党は除名した人を反党分子だと攻撃する」と批判していたのを思い出した。 追い出された党員は、私以外にも大勢いる。特に、72年に「新日和見主義」というレッテルを貼られ、「分派活動をした」として査問された人は600人、党から排除された人は100人にのぼるとも聞く。本当に分派を作った人は仕方ないが、「冤罪(えんざい)」も多いようだ。再調査をしたとは聞かない。このとき多くの若く優秀な党員を手放したことが、世代交代を遅らせ、党勢を弱める遠因になったと私はみている。 なお、共産党は査問の存在自体を否定し続けている。 ◇魅力的な、あの党の姿をもう一度 なし崩しで過去をなかったことにするのは、いかがなものか。志位和夫委員長は、野党共闘を従来の「我が道を行く」路線からの「大転換」だという。だが、60~70年代にも旧社会党との統一戦線論争があった。当時を今、どう総括するのか。 選挙協力は今後も重要だが、昨年の衆院選は「政権交代」の声が大きすぎた。与野党伯仲が現実的な目標だったのに、明日にも共産党が政権に参加しそうな幻想を振りまいてしまった。 この約10年間、脱原発運動や反安保法制運動など、国会前に万単位の人が集まるデモがあった。有利な状況が繰り返されたのに、若い党員がかつてのように増えたとは聞かない。60年安保では国会前には30万人が集った。当時は、国会の議席が少なくとも、労働運動や学生運動に強い影響力を誇っていた。今の共産党は、このダイナミズムを失っていないか。理論面でも、近年の「赤旗」は、若者の知的好奇心をかきたてそうな論文がなかなかない。 厳しいことばかり言ったが、国会での共産党議員の質問は、事実調査に基づいた論理がきれいに一貫しており、安心して聞ける。党員は真面目で献身的な人ばかり。選挙応援に行くと、動員力に驚く。 だからこそ、18歳の私を魅了したあの党の姿と時代のうねりを、もう一度見たい。今も私は、上田さんの形見であるモンブランの万年筆を議員会館の机上に置いている。【聞き手・鈴木英生】