論文紹介:序列と免疫反応(似非科学への落とし穴)

(写真:ロイター/アフロ)

最初に断るが、この記事は科学者を目指す若い人たちに向けて書いている。

多くの免疫学者がその解明のために日夜努力している極めて複雑な免疫システムを、「免疫力」という一言で片付けて、あとは生活上の習慣やストレスと関連付けてわかりやすく(?)解説する本が、書店では平積みされている。

さらにこの「免疫力」という言葉を使って様々な商品を宣伝することが横行している。テレビや新聞広告を見ると、大手企業ですら「免疫力を高める・・・」という宣伝を根拠もなしに臆面もなく使っている。

このような宣伝に「免疫システムは複雑すぎるため、何を言っても問題にならない」という考えが透けて見える。

例えば今話題の抗PD-1抗体はガンの免疫力を高めると同時に、自己免疫という副作用も高めてしまう。自己免疫やアレルギーは厄介な免疫反応だが、病原体やガンに対する免疫反応は私たちを守ってくれる。このように、常に2面性を持つ免疫システムを「免疫力」という一言で語ってしまう著者や、企業に強い違和感を抱くのは私だけだろうか?

このような風潮の背景にある構造がよく分かる論文がデューク大学から、こともあろうに11月25日号のScienceに発表された。タイトルは「Social status alters immune regulation and response to infection in macaques (アカゲザルの社会的地位は感染症に対する免疫調節と反応を変化させる)」だ。

すでにお分かりのように、この論文に対して私は極めて批判的だ。

この論文は我々人間社会で社会的地位と健康が相関しているという社会問題の認識から始めている。「社会的地位に応じて健康が増進する」理由の解明が目的かと思うと、思わず引き込まれる。

しかし次の瞬間、この問題の生物学的側面を研究するにはアカゲザルの序列と免疫系が適していると、ほとんど論理にもならない論理で研究が正当化されている。しかし、人間の社会的地位ほど複雑なものはない。例えば清貧に甘んじ生を楽しむ達観できる人間はいても、同じように達観するサルはいないだろう。

この論理の飛躍には目をつぶって、研究を見てみよう。

このグループの所属は進化人類学で、サルの序列についての実験はさすがにプロだと感心する。45匹の猿を9グループに分け、それぞれのグループで序列ができた後、それぞれ1位同士、2位同士とグループをシャッフルして、さらに新しい序列が生まれるのをトータル2年もかけて確認している。

では、こうして生まれた序列と、免疫力(?)は相関するのか?確かに、ランクが上がるとT細胞や、NK細胞の数は上がるようだ。なら、ワクチンに対する反応や、アレルギーなど「いわゆる免疫反応」を調べるのかと思いきや、CD4、CD8、CD3、CD20、CD26などの表面抗原を組み合わせて細胞を分別し、各ポピュレーションが発現している遺伝子を調べ、その遺伝子の中からサルの序列と相関の強い遺伝子に注目してその後の研究を行っている。

例えば序列と相関する遺伝子の数がNK細胞で最も多いので、NK細胞は序列の指標になるという具合だ。しかし、最初から統計学的に相関のある遺伝子のみ抜き出した時点で、その後の解析に大きなバイアスをかけている。

さらに、サルの感染に対する免疫反応を調べると称して、試験管内でバクテリアの成分LPSによるTLR4刺激反応を調べている。しかしここでも、細胞の反応自体ではなく、細胞が発現している遺伝子を調べ、序列と相関する遺伝子を選んで調べている。

この結果から、序列が低いとMyd88シグナル、序列が高くなるとTRIF シグナルを使うと結論しているが(分子の名前は気にせずに読み飛ばしてほしい。要するに異なる刺激伝達系がLPSにより活性化される)、実際のデータから見ても強引すぎる。おそらく、統計処理での小さな差を上手く使いすぎて、データを見たときの直感と離れても気にしないのだろう。

サルの序列を免疫反応と相関させるアイデアは全く悪くない。野生社会ほど、健康は序列の第一条件だ。

しかし、免疫反応を調べるなら、まず実際の抗体産生やT細胞反応の測定から始めるべきだろう。リンパ球ポピュレーションを純化し(ここで各ポピュレーションの絶対数のデータは消える)、そこに遺伝子発現という複雑性をさらに導入することで、データをわざわざ理解しにくくして、後は数理でなんとか結論を出すなど、スマートな人間が考えそうだが、私には受け入れられない。

実際、免疫学の基礎ができていない。著者らは、CD4T細胞にはヘルパーも、抑制T細胞もあることを知らないのだろうか。

ただ、この研究はデータ量が増えれば増えるほど、科学者にも無意識のうちに似非科学を受け入れてしまう危険を警告している。特にこの論文のように、社会序列と免疫のように共に複雑なものを組み合わせる研究は、結論を単純化したがる傾向がある。

結局我が国の「免疫力」という言葉にも潜む論理の飛躍も同じことだ。

ビッグデータ時代「複雑なものをさらに複雑にして、最後に単純な結論に落とし込めばどんな結論でも可能」という落とし穴が科学者を待ち受けている。この論理を打ち砕ける理論武装を若い人たちが身につけることを期待する。