不測の事態が映画の興行を妨げる

著名人が起こした事件や不祥事によって「上映中止」或いは「お蔵入り」する映画がある。最近だと、白石和彌監督が阿佐田哲也の小説「麻雀放浪記」を大胆に脚色した、斎藤工主演の『麻雀放浪記2020』(19)が、出演俳優の逮捕で公開中止や延期を検討したと報道されたことが記憶に新しい。作品を配給した東映の多田憲之社長は「作品に罪はない」と判断したことを記者会見の場で語り、昨今の自粛ムードに一石を投じた。2019年に入ってからでは、出演俳優の不祥事という同様の理由で、『台風家族』が公開延期、『善悪の屑』の公開中止が決まっている。また、昨年末に公開された『青の帰り道』(18)の場合は、新たなキャストによる再撮影を経て、作品を完成させたという苦難の経緯がある。

映画が公開中止や延期になるのは、作品関係者による不祥事だけが原因ではない。例えば、宮藤官九郎が監督した『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』(16)の場合は、劇中のバス事故が実際に起こったバス事故を想起させるとして公開を延期。また、東日本大震災時には、津波を想起させるとして公開中だったクリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』(11)の上映を中止。同様の理由で、2011年4月に公開が予定されていた『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(11)や『サンクタム』(11)などが公開延期となり(約半年後に劇場公開)、『のぼうの城』は9月の公開が2012年11月まで見送られる判断がなされた。

さらに、2011年3月26日に公開予定だった『唐山大地震-想い続けた32年-』に至っては、2月22日に発生したニュージランドのカンタベリー地震を受けて「公開を延期しない」方針を打ち出していたものの、3月11日の東日本大震災発生で公開延期を決定。それまで、配給した松竹の作品は公開延期になったことがなかったが(関係者・談)、『唐山大地震』とタイトルを変更して2015年3月14日になってやっと公開されたという経緯があった。予期せぬ事故や災害もまた、映画の上映に対して影響を及ぼすのである。

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配給収入で年間2位となった『REX 恐竜物語』

そして、時代を遡った平成5年。この年にも、映画関係者の不祥事によって公開中の映画が上映中止になってしまったという出来事があった。それが、邦画の年間配給収入で2位となった『REX恐竜物語』(93)である。

【1993年邦画配給収入ベスト10】
1位:『ゴジラVSモスラ』・・・22億2000万円
2位:『REX 恐竜物語』・・・22億円
3位:『水の旅人 侍KIDS』・・・20億3000万円
4位:『ドラえもん のび太とブリキの迷宮/他』・・・16億5000万円
5位:『男はつらいよ 寅次郎の青春/釣りバカ日誌5』・・・14億5000万円
6位:『'93春 東映アニメフェア』・・・13億7000万円
7位:『'93夏 東映アニメフェア』・・・13億1000万円
8位:『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』・・・12億5000万円
9位:『高校教師』・・・11億円
10位:『病は気から 病院へ行こう2/七人のおたく』・・・7億3000万円
(※現在は興行収入として計上されているが、当時は配給収入として算出)

『REX 恐竜物語』のストーリーは、氷に包まれた洞窟で発掘された卵を現代科学の力で孵化させるというもの。科学者の娘が卵から生まれた恐竜を"レックス"と名付け、母親のように育て始めるのだ。平成三年にカレーのCMで「具が大きい」の流行語を生み、一躍国民的人気子役となった安達祐実が、恐竜を育てる娘役を演じている。彼女の映画デビュー作となったこの映画は、当時テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」で人気者だった作家・畑正憲が、雑誌「野性時代」に連載していた小説「恐竜物語~奇蹟のラフティ~」を映画化した作品。映画製作に対する本気度は、20億円と謳われた総製作費はもちろん、豪華なスタッフの面々にも表れている。

例えば、脚本を手掛けたのは、ドラマ「探偵物語」や『野獣死すべし』(80)で松田優作と組んだ丸山昇一。主題歌を担当したのは、平成二年に「浪漫飛行」を大ヒットさせた米米CLUB。そして、NHK特集「大黄河」で脚光を浴びたオカリナ奏者・宗次郎も音楽に参加。さらに、劇中に登場する恐竜のデザインを『E.T.』(82)のカルロ・ランバルディが担当するなど、1993年の夏休み興行における話題作だったのだ。主演の安達祐実は挿入歌も歌い、第17回日本アカデミー賞では新人俳優賞に輝いている。

そんな大ヒット話題作にケチが付いたのは、出版界の大物による衝撃の事件だった。1993年8月29日、当時角川書店の社長だった角川春樹が逮捕されたのだ。彼は『REX 恐竜物語』の製作者であり、また監督でもあり、共同で脚本を手掛けたひとりでもあった。衝撃的だったのは、その罪状。コカインの密輸による麻薬および向精神薬取締法違反と関税法違反、加えて、業務上横領に対しても罪を問われたのだ。角川春樹は「俺は更生しない、反省もしない」と容疑を否認し続け、2000年に懲役4年の実刑が確定。大ヒット公開中だった『REX 恐竜物語』は、上映が急遽打ち切りとなったのだった。

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"日米恐竜対決"とマスコミが煽った

実は、1993年の興行を制したのは、もうひとつの<恐竜映画>だった。それが、洋画の年間配給収入で83億円を記録したスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』(93)。世界興行収入では、約10億ドルを稼ぎ出し、『E.T.』を抜いて世界興行収入歴代一位に躍り出た(つまりスピルバーグは、自身の作品で自身の作品が持つ記録を塗り替えた)。驚くべきことは、『REX 恐竜物語』の公開が1993年7月3日、一方『ジュラシック・パーク』の日本公開は7月17日。ほぼ同時期に公開されていたのだ。このことを当時のマスコミは"日米恐竜対決"と煽ったほどだった。

現在の感覚だと、製作費に大きな開きのあるハリウッド大作に対して、わざわざ同じモチーフの日本映画の公開時期を合わせるなど、ビジネス的には自殺行為だと見なされても仕方がない。しかし、興行成績だけを見れば、観客の囲いこみとしては"当たり"だったのだ。大ヒットした映画にも関わらず、上映の中止で実質の上映期間は2ヶ月。1位の『ゴジラVSモスラ』(92)とは、配給収入の上では2000万円の差しかない。角川春樹の逮捕劇がなければ、作品の上映は続き、年間興行成績の1位になっていた可能性もある。事実、松竹が配給した作品としては当時の新記録を打ち立てているのだ。公開後の作品自体に対する評価は芳しいものではなかったが、そういう意味でも『REX 恐竜物語』は、より成功した作品になるはずだった。

さらに時代を遡って1977年。東宝は『惑星大戦争』(77)を、1978年には東映が『宇宙からのメッセージ』(78)というSF大作映画を製作。どちらも、1977年にアメリカで公開され世界的な大ヒットを記録していた『スター・ウォーズ』(77)の人気にあやかった作品だった。『スター・ウォーズ』の日本公開が1978年の夏に決定すると、日本の映画会社はすぐさま反応。77年の夏に企画された『惑星大戦争』はその年の12月に公開、78年の2月に製作発表した『宇宙からのメッセージ』は4月に公開されるという、今では考えられないようなスピードで映画を完成させている。2作品とも日本国内の興行成績や作品的な評価が芳しくなかったものの、現在でも海外でDVDが発売されているほどカルト的な人気を得ている。

当時、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(77)を記録的な大ヒットに導き、"アニメブーム"を生むことになった東映の社長・岡田茂は「『スター・ウォーズ』が公開される前に、行き掛けの駄賃で稼ぐぞ!」と『宇宙からのメッセージ』を製作したと言われている。この、映画興行に対する嗅覚と商魂のたくましさは、過去のものになってしまった、という感がある。そして、映画を楽しむ観客の好みもまた、時代とともに変化したことを、『REX 恐竜物語』のヒットを振り返ることで悟るのだ。

(映画評論家・松崎健夫)

出典:
・ 「キネマ旬報ベスト・テン85回全史1924−2011」(キネマ旬報社)
・ 「キネマ旬報 1994年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・ 「キネマ旬報 2012年2月下旬号決算特別号」(キネマ旬報社)
・ 「角川映画 1976-1986 日本を変えた10年」中川右介(KADOKAWA)
・ 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」角川春樹・清水節(角川春樹事務所)
・ 「スター・ウォーズ学」清水節・柴尾英令(新潮新書)
・ 「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」春日太一(文藝春秋)
・ 一般社団法人日本映画製作者連盟http://www.eiren.org/toukei/1993.html
・ IT mediaビジネスONLINE https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1903/20/news074.html
・ 映画.comhttps://eiga.com/news/20141201/3/
・ 日本アカデミー賞https://www.japan-academy-prize.jp/index.php
・ Box Office Mojohttps://www.boxofficemojo.com/movies/?id=jurassicpark.htm