時代を映したポップスの匠たち  vol. 8

Column

はっぴいえんどの名曲「風をあつめて」はスタジオの廊下で生まれた

はっぴいえんどの名曲「風をあつめて」はスタジオの廊下で生まれた

はっぴいえんどの曲の中で最も多くの人にカヴァーされているのは「風をあつめて」だ。矢野顕子や太田裕美ら70年代から活躍している人たちだけでなく、21世紀に入ってからもMy Little Lover、Leyona、DEEN、山口一郎(サカナクション)などに幅広くレコーディングされている。Mr. Children、持田香織、高野寛をはじめ、コンサートや音楽番組でうたった人も多い。くるりの「春風」のように「風をあつめて」を意識して作られたとおぼしき曲もある。

「風をあつめて」のオリジナルは、1971年発表のセカンド・アルバム『風街ろまん』に入っている。作詞は松本隆、作曲とヴォーカルは細野晴臣。アコースティック・ギターのイントロ、ベース、ドラム、オルガンなどの簡潔な演奏にあわせて細野晴臣が低音の声でうたっている落ち着いた曲だ。


はっぴいえんど

『風街ろまん』 
<エレック/URC復刻プロジェクト2009>


デビュー・アルバム『はっぴいえんど』では歌に苦労していた彼だが、その後、ジェイムス・テイラーやトム・ラッシュの音楽を参考に、小坂忠のアルバム『ありがとう』を手伝っているとき、低音の声質を生かす曲作りやうたい方を発見。それをはっぴいえんどに応用したのが「風をあつめて」だった。とはいえ最後まで作曲に苦労し、みんなを待たせてスタジオの廊下で曲を仕上げたというから、火事場の底力だ。時間をかけて凝りすぎなかったのが、かえって自然なよさにつながったのかもしれない。

風は大気の現象だが、古代人にとっては神様だった。中国では龍や神凰が起こすものだった。日本ではいつしか風神は風袋を持つ半裸の鬼のような姿で親しまれるようになった。近現代では、風は「ふう」という読みで、雰囲気や流行、似たものをさすときになども使われる。

日本の伝統的な詩歌では、風は他の言葉と結びついて季節を表わしてきた。作者が気持ちを託す対象でもあった。たとえば太宰府に左遷された菅原道真の「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」は春の名歌中の名歌だ

1960年代にはボブ・ディランが「風に吹かれて」で、問や答が行き交う媒体として風を使い、イアン&シルヴィアは「風は激しく」で世界の7つの海に吹く4種の風の存在を教えてくれた。しかし風街や風をあつめるという言い方は、はっぴいえんど以前にはなかった。

東北旅行のとき宮沢賢治に愛をこめて「抱きしめたい」を作ったと『はっぴいえんどBOX』の解説で松本隆は語っている。これは勝手な推測だが、風をあつめて空を翔けたいという歌詞には、宮沢賢治の『風の又三郎』のように、人と自然の交感を夢見る気持ちがこめられていたのかもしれない。

「風をあつめて」には、70年代初頭の東京の風景や、工事や開発で失われた昔の光景が、三つの角度から幻想的に描かれている。インタビューなどから推測すると、その光景には、浜松町あたりの細い路地、渋谷と水天宮を結んでいた都電、月島や佃島から見える東京のビル群、渋谷の喫茶店のガラス窓越しに見える舗道などがミックスされているようだ。松本隆は前述のBOXで、JR渋谷駅南口JTB脇の喫茶店マックスロードのトイレにあった安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行つた」という有名な詩の落書きからもヒントを得たと語っている。

この歌には「靄(もや)」越しに路面電車が見えるという言葉が出てくる。俳句では「冬の靄」「寒靄」など、冬の句に使われることが多い「靄」だが、ここでも冬なのだろうか。季節を特定する必要はないかもしれないが、『風街ろまん』は季節感満載のアルバムなのでつい気にかかる。

ちなみにアルバム冒頭の「抱きしめたい」の機関車が走るのは、雪の積もった大地だ。次の「空いろのくれよん」には「風邪をひいている」「透き通った冬」という言葉が出てくる。「風をあつめて」に続く4曲目「暗闇坂むささび変化」には「蝉時雨」という言葉があるので夏。「はいからはくち」の「女郎花」「蜜柑色」という言葉は、比喩や色彩名なので、季節に直接の関係はない。「はいから・びゅーちふる」はタイトル・フレーズだけの短い歌。アナログ盤ではここまでがA面。

B面に移って「夏なんです」はタイトル通りの歌。「花いちもんめ」は「陽炎」「花ばたけ」という言葉からすると春。「あしたてんきになあれ」の季節は特定できない。「颱風」は夏にも来るが、23号とされているので秋のかなり遅い時期だろう。「春らんまん」の春は女性の名前。この歌の「沈丁花」「はるさめ」「花梔子(はなくちなし)」「巴旦杏(はたんきょう)」などは、季節のアイテムという以上に何かを形容するために使われ、最後の4番では冬から一気に夏が来る。そしてアルバムは、あいうえお……ではじまる言葉遊びの歌「愛餓を」で幕を閉じる。

当時のロック・バンドは、おしなべてアメリカやイギリスのロックの強い影響下にあった。はっぴいえんども、バッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープやプロコル・ハルムやザ・バンドからの影響を公言していた。最先端の海外文化に「追いつく」ことがよしとされた当時、輸入音楽のロックを取り入れるなら、外来語は横文字のままかカタカナ表記が一般的なのに、彼らはあえて「はっぴいえんど」と名乗り、「風街ろまん」「空いろのくれよん」といったひらかな表記にこだわった。古い漢字や季節感のある言葉の多用も、輸入文化を消化変換する装置だった。

ところで前述のBOXで細野晴臣は、「風をあつめて」は、1番の「起きぬけの」の「ぬ」の音程を誤って下げてうたったテイクが発表されたと語っている。2番と3番は下がらないし、近年の彼は下げないでうたっているが、日本語のイントネーションと洋楽風のメロディの齟齬を物語る興味深いエピソードなので、最後に付け加えておく。

文 / 北中正和

vol.7
vol.8
vol.9