佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 124

Column

まだ無名だった吉田拓郎(よしだたくろう)が突然、大きなスクリーンに映し出された瞬間の記憶

まだ無名だった吉田拓郎(よしだたくろう)が突然、大きなスクリーンに映し出された瞬間の記憶

ぼくが吉田拓郎の歌う姿を目にして“ひとめ惚れ”したのは、今からおよそ50年前のことだ。
それは本人が出て唄っていた、映画のワンシーンを観たからであった。

1970年の暮に公開された日活の映画『女子学園 ヤバい卒業』では、まずオープニングからファースト・アルバムのタイトル曲「青春の詩」がBGM風に流れていた。
世間的にはまったく無名の頃だったので、「何が始まるんだ?」と思ったが、それっきり何もわからないまま、大人たちや学校に逆らう女子中学生の物語が始まってしまった。

当時は映画が構造的な不況に陥っていて、特に日活撮影所は以前からたびたび倒産が噂されていた。
しかし予算が削られていく悪条件のなかでも、若手の映画監督たちが“ニューアクション”と呼ばれるアナーキーでスタイリッシュな傑作をつくって、ごく一部の映画ファンには注目されていた。

そのなかにデビュー作となった『斬り込み』で評判になり、2作目の『反逆のメロディー』では主演した原田芳雄とともに絶賛された新人、澤田幸弘監督がいた。

だからぼくは澤田監督の名前で映画館に足を運んだのだが、観始めてすぐにまるっきり期待はずれの作品だとわかった。

あまりにも嘘っぽくてつまらないストーリーで、しかも後半になっても面白くなる気配が感じられないので、途中だけれど「もう出ようかな」と思って腰を浮かしかけた。

ところがその瞬間に、なんとも唐突な感じでギターを弾きながら唄っている吉田拓郎が、スクリーンに映し出されたのである。

その曲は若者の日常風景を話し言葉でつづった「青春の詩」で、オープニングのBGMはここにつながっていたのだ。

喫茶店に彼女とふたりで入って
コーヒーを注文すること
ああ それが青春

映画館に彼女とふたりで入って
彼女の手をにぎることああ
それが青春

繁華街で前を行くいかした女の娘を
ひっかけること
ああ それが青春

大学生か、もう少し若い世代のありふれた日常風景を、吉田拓郎はふつうの話し言葉で淡々とつづっていく。
この歌詞が20番まで続いていくのだから、好きな歌を好きなように唄えることの自由さが伝わってきた。

当時の音楽シーンにあっても、これは貴重な作品になった。

そして最後の最後は、こんなにもストレートな歌詞で締めくくられている。

さて青春とはいったいなんだろう
その答えは人それぞれでちがうだろう
ただひとつこれだけは言えるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人よりたくさんの時間を持っている
大人があと30年生きるなら
僕たちはあと50年生きるだろう
この貴重なひとときを僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひとときを僕たちは
青春と呼んでいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
皆さん青春を…

今このひとときも 僕の青春

そもそも吉田拓郎の名前はポスターにも、タイトルバックにも見当たらなかった。
それなのに彼が唄っている姿は30秒か40秒、物語との脈絡をまったく無視して、しっかりとスクリーンに映し出されたのだ。

予想もしていないことにびっくりさせられたが、ぼくはとても得をした気持ちになって腰を落ち着けた。
そのあとも映画の展開とは関係なく、吉田拓郎が唄っている姿を何度も思い出しながら、ぼくはずっとよろこびを感じていた。

インディーズのエレックレコードからその年の10月に発売された吉田拓郎のデビューアルバムは、近所に住んでいた同郷の友人が直ちに購入していたので、一日に2回も3回も一緒に聴いていた。

1曲目の「青春の詩」はご挨拶状みたいな役割だったが、音楽はブルース・ロックだった。
3曲目の「やせっぽちのブルース」と、4曲目の「野良犬のブルース」は渋くてカッコいいと思った。

バンドの演奏はマックスが中心で、当時にしては腕が達者というか、こなれている雰囲気が心地よかった。

アルバムを聴き進んでいくとボサノバがあり、歌謡曲もありで、吉田拓郎がフォークだというのは、ほんの一面だけだということがわかった。

そして決定打は11曲目の「今日までそして明日から」だった。

これはおそらく詞も曲も、ずっと日本の音楽史に残る傑作だと確信した。

しかも最後の曲がこれぞフォークロックという大作、6分47秒にも及ぶ「イメージの詩」だったのだから、ほんとうに満足できるアルバムであった。

その後もアルバムを聴くたびに、人間としての器が大きい人だと感じることがあった。

それはおそらく澤田監督が撮ってくれた映像の印象が強くて、いつまでもぼくの頭のなかに“大きい人”のイメージが残っていたからだった。

それが歌の持つ力、歌手の勢い、時代の流れであったのだろう。

なお余談になるが、この映画『女子学園 ヤバい卒業』には、“演歌の星”のキャッチフレーズで時代の寵児になっていた藤 圭子が、新曲「女は恋に生きてゆく」をコンサートホールで歌うシーンが出てくる。
しかしそれは映画の本編とは関係がないタイアップアップ企画で、しかも本人がその歌に気乗りしていないことが、映像を見ていても明らかに伝わってきた。

藤圭子という歌手は一切のごまかしがない、ほんとうに正直でピュアな人だったのである。

だから爆発的なブームで頂点を極めた10代の天才歌手が、つまらない新曲を宣伝するために唄っている姿は、ぼくには芸能界の残酷物語にしか見えなかった。

コマーシャリズムに支配されている芸能界では、昔から何度となく繰り返されてきた、ありふれた悲劇でしかなくて、それはそれでなんとも切ないものだった。

それに比べると「青春の詩」を唄う吉田拓郎の映像からは、ほんの短い時間であっても、みずみずしい生命力が伝わってきたのである。

そんな二人の表現者の真実を映像にして、いかにも通俗的な低予算映画の中に、しっかり記録して残そうとした澤田監督の執念には、今でも脱帽したくなる。

アルバム『よしだたくろう 青春の詩(うた)』

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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