女優の八千草薫さん死去 88歳

女優の八千草薫さん死去 88歳
映画やテレビでかれんでひたむきな日本女性の役などを演じ、幅広い世代に親しまれた女優の八千草薫さんが、今月24日、東京都内の病院で膵臓がんのため亡くなりました。88歳でした。
八千草さんは大阪府の出身で、宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入り、昭和26年に本格的に映画デビューしました。

映画「宮本武蔵」や「蝶々夫人」、舞台の「二十四の瞳」などでかれんでひたむきな日本女性の役を演じて人気を集め、一時代を築きました。

昭和52年には、民放のドラマ「岸辺のアルバム」で秘密を抱える主婦を演じて役の幅を広げたほか、昭和54年から翌年にかけてNHKで放送されたドラマ「阿修羅のごとく」では四人姉妹の次女役を演じて、歯にきぬ着せぬ姉妹のやり取りなどが話題になりました。

また、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」では、豊臣秀吉の正室、ねねの役を演じました。

その後も温和な母親や上品なおばあちゃんの役など多くの映画やドラマに出演し、平成9年には紫綬褒章、平成15年には旭日小綬章を受章しています。

80歳をすぎても民放のドラマ「やすらぎの郷」に出演するなど活躍を続けてきましたが、去年1月にすい臓がんの手術を受けたあとことしに入って肝臓がんが見つかり、治療に専念していました。

所属事務所によりますと、八千草さんは今月24日午前7時45分、東京都内の病院ですい臓がんのため88歳で亡くなったということです。

八千草さんの希望で葬儀は近親者がすでに済ませ、お別れの会などの予定はないということです。

八千草さん 闘病への思い語る

八千草薫さんはことし出版したフォトエッセーに、がんで闘病中の思いや仕事に対する決意などをつづっていました。

このフォトエッセーは、八千草さんがことし出版した「まあまあふうふう。」です。

この中ではおととし1月にすい臓がんと診断され手術を受けたことや、ことし1月にがんが肝臓に転移していることが分かって、民放のテレビドラマを降板したことなどについて触れています。

八千草さんは、役者の中には「舞台で死ぬのが本望だ」という人がいるものの、自身は「誰かに迷惑をかけるようになったら女優はやめよう」と心に決めていたとつづっています。

そのうえで、闘病を続け体調に自信が持てるようになれば、「ちょっとだけ背伸びをして」、できる範囲で俳優業に復帰していきたいとしていました。

また、夫で映画監督の谷口千吉さんが日頃口にしていたという「馬馬虎虎(まあまあふうふう)」という中国のことばを取り上げ、本来は「いいかげんな」などの意味ですが、八千草さんは、考えすぎずに力を抜いてやっていこうというニュアンスでよく使っていると紹介していました。

そして、エッセーの最後には「その日その日、一日一日、瞬間瞬間を大事に過ごしたいな、と思うんです」と記し、自分が納得するまで「今」から逃げないという強い思いを語って締めくくっていました。

役所広司さん「身も心も美しい人」

八千草薫さんが亡くなったことについて、映画で共演するなど親交があった俳優の役所広司さんは、「八千草さんは、身も心も本当に美しい人でした。私が監督を務めた作品にも出演してもらいました。次の映画にも出てもらおうと思い、脚本を渡していました。本当に残念です」と話していました。

常盤貴子さん「女優道を生きた」

八千草薫さんが亡くなったことについて、ドラマなどで共演した常盤貴子さんは「八千草さんは共演するたびに、『これが最後の作品になるかも』とか、『最後までやりきれるかしら』と話していたのを思い出しましたが、いつもしっかりとやりきって、最後まで女優道を生きたと感じています。柔らかい雰囲気ですが、芯が強く、責任感のある人でした」と話していました。

上條恒彦さん「元気だったのでショック」

八千草さんと民放のドラマ「やすらぎの郷」で共演した俳優の上條恒彦さんは、「お加減が悪くてスタジオを休んでいらっしゃることは知っていましたが、お元気な方でしたから、それ以上のことはあまり心配していなかったのでショックでした」と話しました。

そして、「本当に僕が子どもの頃から八千草さんは大スターで、映画にも出ていたから、ご一緒できることは夢のような感じでした。いつもニコニコしてことばを差し挟むでもなく、話を聞いているだけなのに場が和むという雰囲気をずっとお持ちでした」と振り返っていました。

ドラマや舞台の共演者は

大河ドラマ「独眼竜政宗」で共演した渡辺謙さんは、「八千草さん、穏やかな、それでいて奥に強い芯があるあの笑顔が見られなくなるのは悲しいです。引きながら際立つ、けうな先輩でした。ゆっくりお休みしてくださいね」とコメントしています。

民放のドラマ「やすらぎの刻道」で八千草さんの代役を務めた風吹ジュンさんは「つらいです。これまでのいろいろな八千草さんを思い出します。存在は大きく、八千草さんが意識から離れることはありません。ご冥福を心からお祈りします」とコメントしています。

また、宝塚歌劇団の後輩で、舞台でも共演した浜木綿子さんは、「本当に美しい方で芯には強いものをお持ちでした。また一人、また一人と上級生がいらっしゃらなくなって寂しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます」などとコメントしています。

倉本聰さん「精神の美しさが出た女優」

ドラマ「やすらぎの郷」などを手がけ、八千草さんと親交が深かった脚本家の倉本聰さんは、「こうした知らせがいつ来るかいつ来るかという心理状態で、3日に1度は電話で様子をうかがっていたし、ああ来たかという感じ。それが苦しくなかったということがいちばん僕には大事でした」と心境を語りました。

倉本さんは今月中旬に病院を訪れ、八千草さんとことばを交わしたということで、「『頑張ればもっとできたんじゃないか』ということをずいぶんおっしゃいましたね。仕事をもっとやりたかったという感じが彼女の中に強くありました」と八千草さんとのやり取りを明かしました。

そして、「ただ美しいという女優さんはたくさんいらっしゃると思うけれど、精神の美しさが顔にそのまま出ている方は珍しいと思います。人間の美しさ、清らかさがそのまま顔に出たのが八千草さんだと僕は思いますね」と惜しんでいました。

山田洋次監督「憧れの人であり続けた」

八千草さんは、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにもマドンナとして出演しました。

シリーズ最新作の上映で舞台あいさつに立った山田監督は、「僕たちの世代の日本人にとって、八千草さんは若いときからの憧れの人であり続けました。聞いたばかりでとても驚いているが、新しい作品にも、47年前のとても美しい八千草さんがクローズアップされているのでぜひお別れを言ってほしい」と話していました。

倍賞千恵子さん「とても優しい方でした」

八千草さんと共演した倍賞千恵子さんは、「映画の中で、渥美さんに八千草さんと私が額が広くてラッキョウみたいで似ているねと言われるシーンがあり、思い出しました。私も先ほど亡くなったことを聞き、残念に思いますが、とても優しい方でした」と話していました。

石坂浩二さん「一緒に芝居ができて幸せ」

八千草さんが亡くなったことについて、テレビドラマ「やすらぎの郷」などで共演した俳優の石坂浩二さんは、「ことしの夏前ごろに撮影でお会いしたときは元気な様子で、亡くなられたと聞いてとても驚きました。こういう日が来てしまうのだととても残念です」と、話していました。

また、生前の八千草さんについて「芝居をしていると、奥ゆかしい表現のなかにもどこか光るものをお持ちで、台本にまっすぐ向かっていらっしゃる姿勢がすばらしかった。わたしが大学生のころから憧れの方で、ご一緒に芝居ができて幸せでした。もう一度、ぜひご一緒したかったと伝えたいです」と何度もことばを詰まらせながら話していました。

宝塚歌劇団コメント

八千草薫さんが亡くなったことについて、宝塚歌劇団の小川友次理事長は「宝塚歌劇の娘役を体現したような上品さと可憐(かれん)さをあわせ持った稀有(けう)なスターであり、2014年の宝塚歌劇100周年の際には、宝塚大劇場の舞台で、楽しいおことばの数々を頂戴いたしました。故人のご功績を偲(しの)び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と文書でコメントしました。