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いたずらっぽく動いた逆鉾の目=新時代を彩った技と個性-故・井筒親方

2019年09月17日13時33分

1989年初場所、横綱大乃国(右)を外掛けで破る逆鉾=東京・両国国技館

1989年初場所、横綱大乃国(右)を外掛けで破る逆鉾=東京・両国国技館

 1984年初場所7日目。東前頭3枚目の逆鉾が横綱隆の里から金星を挙げた。立ち合いに右を差し、すぐ左も入れてもろ差し。隆の里が腹に乗せて右で小手に振ってくるところを、左の外掛けで倒した。

元逆鉾の井筒親方死去=58歳、井筒3兄弟の次男-大相撲

 思わず両こぶしを握り、力を込めた。当時は、力士の振るまいとしてふさわしくないとされた。殊勲の星を挙げて喜ぶのも、上位力士に失礼だと戒められた時代。支度部屋へ戻った逆鉾は、ガッツポーズをしてしまったきまり悪さと、金星の喜びで緩む口元をタオルで覆っていたが、目は正直にクルクル動いた。いたずらっ子のようだった。
 16日に亡くなった井筒親方は現役時代、北の湖から千代の富士へ、蔵前から両国へ移りゆく歴史の節目にあって、度胸の良い相撲でファンを沸かせた。師匠は父でもある元関脇鶴ケ嶺。下からすっと2本差す父と、右から左と入れる逆鉾の違いはあるが、父譲りのもろ差しと評された。
 微妙な勝負で負けた後、物言いがつかないのが不満で審判をにらんで問題になったことも。いかにも長兄らしい鶴嶺山、闘志満々の三男の寺尾と違って、斜に構え、ムラッ気も多かったが、随所にのぞいたものは、新時代の力士らしいやんちゃぶりだけでなく、反骨心でもあったようにみえた。

土俵上の逆鉾=1985年5月、東京・両国国技館

土俵上の逆鉾=1985年5月、東京・両国国技館

 敬愛する北の湖が、晩年に休場を繰り返し、引き際を批判されていた頃、筆者は支度部屋で逆鉾に声を掛けられた。
 「どうして記者さんたちは往生際が悪いとか書くの。あれだけの横綱なんだよ。引き際ぐらい好きなようにさせてあげなよ」
 唇をとがらせて記者に「物言い」をつける顔を、ついこの間のように思い出す。
 86年秋場所では、新横綱の北尾改め双羽黒を破った。3日目で土がついた双羽黒は、自信をなくしたように肩を落とした。7日目から休場し、翌年末には土俵を去っている。優勝経験なしに横綱になった双羽黒に対する逆鉾の反骨心だったのだろうか。
 昨今の力士のように冗舌ではないが、言葉よりも鮮やかな技と豊かな表情に浮かぶ個性でファンを引き付けた。新時代の力士といわれた人が、今は懐かしく思える。(時事通信社・若林哲治)。

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