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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の松浜漁港(第1種 新潟市管理)
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松浜漁港(第1種 新潟市管理)

2010年11月22日
松浜漁港
松浜漁港 平成17年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  161 キロバイト)

漁村の歴史

【松浜】
 正保国絵図や元禄13年(1700)の岩船蒲原郡絵図には「島見浜知内松ヶ崎無役」とあり、当時集落は現阿賀野川河口左岸の下山(したやま)の辺りにあったという。享保15年(1730)当時阿賀野川は下山の南、津島屋(つしまや)村の北で大きく蛇行して信濃川と合流していたが、加治(かじ)川・阿賀野川の悪水吐き目的のため、新発田藩が幕府の許可を得て当地に分水路を開削した。しかし翌年春の雪解けによる増水で分水路は決壊、信濃川の水が逆流するほどだったといい、この後主集落は東岸に移転したという。
 当地は河口に位置することで、通船(つうせん)川・新井郷(にいごう)川などを結ぶ河川交通の要衝となった。享保末頃の御所納之外在々より納井覚書には家数45・馬6とあり、馬継所であった。
 漁場は「東岸は新崎村地内字諏訪榎より海原迄、西岸は一日市村・本所村地境より海原迄」であった。
 戊辰戦争では薩摩藩総差引として西郷隆盛が当村に一ヶ月ほど在陣している。
 真宗大谷派松栄山浄音(じょうおん)寺、稲荷神社がある。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)
追記:阿賀野川河口右岸にある池には正式な名称はなく「浜松の池」「浜松の沼」「ひょうたん池」等と呼ばれる。昭和48年(1973)頃池の原型ができ平成5(1993)年頃現況に近い形となった比較的新しい池である。このため水が利用されることもなく護岸工事による損傷も免れ、排水も流れ込まず、結果としてオオモノサシトンボを始め昆虫類や植物の希少種が残る貴重な池となった。