2010年2月号
特集  - 実用化への志と喜び-語り継ぐ昭和の産学連携
アモルファス合金 官の支援「委託開発」で大企業と連携
顔写真

増本 健 Profile
(ますもと・つよし)

財団法人 電気磁気材料研究所
理事長



かかわった産学連携・事業化

過去に産学連携から生まれた「アモルファス合金」の事業化について、その結果を図1 および表1~3 にまとめて示す。

産学連携成功のカギは?

昭和40 年代は、大学では「産学協同(産学連携)」の言葉は禁句であり、大学教官が産業界との連携を考える環境ではなかった。一方、産業界も、大学の研究にはあまり興味を示さず、「大学の研究は役に立たない。学生の育成機関である」という認識が高かった。そのため、当時の企業は、大学に少額の委託研究費を出して有能な学生を確保することに専念していた。従って、昭和46 年「アモルファス合金の研究」を学会等で発表しても、企業からの共同研究の申し込みは皆無の状況であった。

図1

図1 産学連携によるアモルファス合金の開発
     の流れ



表1 実用化されたアモルファス合金の応用
     分野

表1


表2 日本企業が開発したアモルファス合金素
     材の推定製造額

表2

昭和50 年代に入って、アモルファス合金の研究成果を一般新聞と共同通信に発表することを積極的に行った。その結果、大学の研究成果が国内外に広く報道されるようになり、国内企業からの大学訪問が急増し、また外国企業(米国、西ドイツ等)からの問い合わせが相次いだ。

そして、昭和52 年、元科学技術庁所管の新技術開発事業団(現・科学技術振興機構= JST)から調査を受け、「委託開発事業」に申請することを依頼され、同年から企業4 社(株式会社日立製作所、日立金属株式会社、松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)、ソニー株式会社)と5 年間(昭和52~56 年)の実用化事業を行い、続いて昭和55 年から新日本製鐵株式会社との委託開発事業(6 年間)が実施された(表3)。これらの委託事業を契機として、東北大学の研究室にさまざまな業種の企業から研究生が派遣された(36社、80 名)。そして、昭和55 年に、これらの参加企業グループを中心として「アモルファス技術開発推進会」が新技術開発事業団内に設置された(参加企業29 社)。

以上の経過から見るように、逆風の環境の中で産学連携が成功したのは、ひとえに新技術開発事業団の積極的な支援によるものであったと言える(図1)。

成功に至るまでの危機、障害をどう乗り越えたか
産学共同への批判など大学内でのご苦労は?

アモルファス合金の開発研究において、成功に至る過程で起こった危機と障害が2 つある。1 つは大学における産学協同研究への強い反発による障害であり、もう1 つは日米間の特許係争による国際的危機であった(図1)。

アモルファス合金の開発研究を開始した時期の昭和45年は、昭和43年前後に起こった大学紛争の後遺症のために、大学教官の特許出願に対しての支援制度が全く無く、また、当時は大学教官による発明の権利はすべて国有でなければならなかった。さらに、国有特許の出願経費が無かったために、個人経費で国有特許を出願する方法しかなかった。このような状況であったため、初期の研究成果は学術論文として国内外に公表することにした。

表3  新技術開発事業団の委託開発事業に採
     択された「アモルファス合金」開発課題

表3

写真

昭和53年に開発した世界初の「単ロール装置」を
     説明する写真(筆者59才)
     東北大学金属材料研究所増本研究室にて平成4
     年10月撮影)

このため、初期の研究成果はすべて世界に広く一般公開されることになった。このことが、後になって日米特許紛争が起こる原因になった。この日米特許紛争は、米企業が申請した昭和47 年12 月の「組成特許」と昭和51 年7 月の「製法特許」に関してであった。これらの米国特許を日本企業が貿易で侵害したとして、昭和58 年に米企業が米国際貿易委員会(ITC)に提訴したのである。訴えられたのは、日本企業4 社と欧州企業2 社(技術指導した企業)であり、最終審判が下るまで約3 年を費やした。審判結果は、日本側の全面勝訴となったが、その理由は初期に一般に広く公開したことによる先発明が認められた結果であった。

ところが今度は、その米企業が「アモルファス合金」を日米貿易摩擦の1 つとして取り上げて大統領に直訴し、スーパー301 条による日米政府協議の課題として俎上(そじょう)に載せてきた。その結果は、全面的な日本側の譲歩となり、国内でのアモルファス合金の製品化が困難になり、日欧企業の大半がこの分野から撤退する憂き目を見たのである。

この厳しい環境の中で、株式会社東芝等の国内数社は米企業と組んで製品化を行った。一方、ITC 提訴で最後まで米企業と戦い、勝訴した日立金属だけは独自に製品化事業を継続したのである。そして、平成期に入って、係争した相手米企業のアモルファス製造部門を買収して、現在は世界の生産量の約60~70%を占めることになった。

残念なことであったが、初期に産学協同を支援した新技術開発事業団は、政府の指示により、日米紛争に対して無干渉の立場を取らざるを得なかった。このため、個人として全面的に協力し、初期の実験資料の提供やITC 裁判での証言などの支援を行った。

以上のように、アモルファス合金の実用化は、紆余(うよ)曲折を経て、最終的に日本の企業が世界市場で圧倒的なシェアを握るようになったが、それに約30 年を要したことは非常に残念であった。もし当時、現在のような手厚い産学連携制度があれば、このような苦労はしなくて良かったと強く感じている。

「学」から見て産学連携はプラスになったか

アモルファス合金の開発研究の推進において不運を経験したことから、その後の研究では積極的に企業からの研究生を研究室に採用して、研究成果を特許として共同出願する方針にした。この方法により研究成果は多数の特許にすることができたが、この特許出願によって外国企業の国内への出願を排除する防御効果を果たしたと言える。また、企業研究者と同室することにより、大学院生への実学の考えを付与することができた。

先生の分野で今後10 年で可能性のある技術テーマは?

大学退官後、現在行っている材料研究分野のキーワードは、「省資源化」と「高機能化」である。地球上の有限で貴重な資源をいかに有効に利用して材料開発を行うかを考えた。元素が持つ固有の特徴を最大限に利用した高機能性材料を探求し、それを最小形状の機能素子・デバイスとして製品化することである。このために、三次元薄膜形成技術を駆使して、最高機能の最小素子・デバイスを作製し、使用する元素資源を節約する研究分野が将来重要であると考えている。すなわち「小さな機能材料から高度な機能素子・デバイスを創造する!」をキャッチフレーズとして材料研究を推進している。

大学・研究機関の「知」を活用して産業を活性化するためにどんな支援が必要か

最も重要なことは、産業化を目指す研究テーマを慎重に評価することである。大学における大部分の研究は、産業化段階における大きな障害を乗り越えるにはあまりにも無力であり、産業化の厳しさを熟考していない。大学・研究機関が提案するテーマをベンチャー企業として支援する以前に、提案する開発事業内容の十分な精査と厳密な評価が必要である。また、現在の大学・研究機関から起業したベンチャー企業の厳重な選定と適切な指導を行い、きめ細かな支援体制を確立して、不成功の確率を大幅に減少させることが必要である。

日本は次の時代も技術・ものづくりで生きていくことができるか。何について頑張るべきか

現在は大変難しい状況にあると思う。その理由は次のようなことである。

[1]   子供の科学教育があまりにも知識に偏り過ぎていること
[2]   大学での研究が、基本原理・原則を追求する根本的技術より既知技 術の改良・改善を追求する傾向が強いこと
[3]   使用する実験装置・設備を自ら工夫して作製する傾向が少なくなったこと
[4]   無為な評価基準のために、研究レベルが低下していること
[5]   若い研究者の自主的に自由に考える時間が大幅に減少していること
[6]   著名な既成研究者に大型研究費が集中し、未来を担う可能性のある若手研究者を育てる方策が無いこと

現在の幼稚園から大学までの教育において、将来の技術・ものづくりに貢献できる人材の育成が可能であるかについて大きな疑問を感じている。最近批判されている「ゆとり教育」が本当に悪いことかを考え直す必要を強く感じている。子供から成人までの知識重点教育によって、自らの手を汚して着実に実験することを嫌がり、全自動化した実験装置に頼った安易な実験研究をすることが主流となり、独創性と創造性に欠ける大学生が多くなっていることを感じる。

また、国立大学法人化により、近視眼的な業績成果を追求し、無意味な評価基準による研究者の評価と、大学間の激しいランキング競争に陥っているのが現状である。このために、有能で若い研究者の自主性と独創性を大きく阻害しているのではないか。今大事なことは、金(研究費)よりも自ら考える時間、すなわち「ゆとり」を若い研究者に与え、独自の研究を進めることを容易にすることが重要であると考えている。既成の研究者の優遇よりも、将来性ある若い研究者の育成に重点を移すことが求められている。