アルバム15タイトルがオリジナル・リマスター盤でリリースされることを記念した特別コンテンツ。
Winkサウンドを作ったキーマンにリマスター音源を聴いてもらい、さらに当時のお話までうかがってしまおうという企画の第3弾!
今回お迎えするのは、長きにわたってWinkの詞世界を支えた及川眠子さんです。
水橋春夫プロデューサーとの関係もまじえて、当時の話を聞いた。
インタビュー&文:田渕浩久(DU BOOKS)
部分的に突出したもの、それは違和感だったりもそうなんですけど、
そういうものを当て込んでいくっていう詞の作り方をしていました。
――最初に、船山さん、門倉さんとインタビューさせていただいて以降、WinkがNHKの『思い出のメロディー』で再結成、さらにはプロデューサーであり、今回の30周年記念リリースの総監修を務めた水橋春夫さんがお亡くなりになったりと、いろいろありましたが、そもそもの部分からお聞かせください。及川眠子さんと水橋さんの初タッグは「愛が止まらない」だったのでしょうか?
及川 そうです。私は85年からこの仕事を始めたんだけど、ずっとフリーランスだったんですね。それで大地真央のアルバムを1枚やったあと、その出版(権)がフジパシフィック・ミュージックだったこともあって、スタッフの人が私をマネージメントしたいって言ってくれて、フジパシフィックの所属になったんですよ。そこでWinkっていう2人組がいて、3枚目のシングルがドラマの主題歌に決まっていると。それで当初は私じゃない人に頼む予定だったところ、その人が忙しくて、"うちに入ったばかりの及川ってのがいるんですが、なかなかいい詞を書くのでいかがですか?"って言ってくれたらしくて、それで書くことになったんです。なので「愛が止まらない」は私がフジパシフィックに入って最初にやった仕事なんですよ。
――「愛が止まらない」については編曲の船山さんもそこで初参画、しかもそれがブレイク曲になりました。
及川 発注がそんな状態だったんで、Winkの音資料もなければ、本人たちがどんな子なのかもわからずという状態でした。オリジナルのカイリー・ミノーグの「Turn It into Love」のテープを"はい"って渡されただけ。それで書いてるんですよ。
――訳詞なのかどうなのかというのは?
及川 最初に"訳詞ですか?"って聞いたら"違います"ってことだったんで、"じゃあ日本語詞ね"と。Winkのカバー曲に関しては"日本語詞"っていうクレジットになってますよね。だからオリジナルの詞をまったく気にせずに書いてます。"愛が止まらない"っていうタイトルも私が考えたものなんですよ。それでカイリー・ミノーグのオリジナル盤が日本で出る時も邦題は「愛が止まらない」っていうタイトルで出ましたからね。タイトル付け料くれって感じで(笑)。
――作詞と日本語詞では、考え方はかなり変わりますか?
及川 音の取り方なんですよ。洋楽って1番、2番、3番で微妙にメロディが変わってたりするんですけど、それをカバーするとなると、私は原曲と同じメロディに合わせて日本語をあてはめてるというか。
――譜割りやタイの位置、タンタタやタタンタといった部分が日本語の語感のシンクロするように?
及川 そうそう。Winkの歌メロが洋楽っぽく聴こえるのは、そういうことなんですよ。でもそれだと歌えない場合がやっぱりあるので、そういう時は譜面にしてもらって仮歌の人がラララで歌ったものを聴きながら詞を充てていきますね。
――カバー曲はさておき、Winkのオリジナル曲の場合は曲先が多かったでしょう?
及川 ほとんど曲先ですね。
――眠子さんとしては曲先と詞先どちらがお好きなんでしょう?
及川 どっちもできますけど、曲先の方が縛りがあるんでやっぱり書きやすいでしょうね。
――少し話が逸れますが、仮歌の人がラララで歌ったものと、シンセなどでメロディが弾かれているものだと、出てくるものが変わったりしますか?
及川 変わるというよりラララの方が早く書けます。特に作曲家が歌ってたりすると思いが歌に込もるし、それにいいメロディって言葉を引き寄せるから、そういう楽さはあると思いますね。キーボードだとそれが物質的に聴こえてしまうから。
――息継ぎや言葉を切るべき部分も見えるというか。
及川 そうですね。広谷順子さんの仮歌で、息継ぎの箇所はある種のポイントになってた部分はあると思います。
――眠子さんは水橋さんを"ヒット作詞家にしてくれた恩人"と語っています。「愛が止まらない」以降、まさに快進撃の裏で怒涛の制作量をこなしていたと思うのですが。
及川 もう当時はめちゃめちゃでね、水橋さんにアドバイスをもらったりした記憶はほとんどないですね。年間でシングルを4枚、アルバムを2枚ペースで作ってましたから。ちょうどその頃って、早坂好恵をプロデュースも含めてやったり、CoCoでレギュラーで書いてたりもしましたけど、Winkは3ヵ月お休み、みたいなことが一切なくてずーっと途切れない(笑)。ある時は夜中に水橋さんから電話がかかってきて、出たら「いた!」って言うんです。「どうしたの?」って聞くと、「明日13時から歌入れなんだけど、詞の発注するの忘れてた。今からアシスタントに持って行かせるからゴメン書いて」って。
――めちゃめちゃですね(笑)。
及川 それでしょうがないから書いて、朝方にスタジオにファックスしてからちょっと寝て、それで13時にスタジオに行くんです。歌入れに合わせて直しができるように。
――書いた詞を直したいってなる場合はどういう時なんでしょう?
及川 "あれ、ちょっと違うかな"って思うと、水橋さんも同じところで引っかかってたりするんですよね。ある時、歌詞を書いていって、仮歌の人がいざ歌い始めると"あれ?"ってなったことがあるんですけど、水橋さんも"あれ?"ってなってるんです。それで思わず私が"ごめん"って言ったら、"うん、珍しいね"って。それで"明日もスタジオ押さえといて"ってことになって、私は明日までに書き直す。だから"違う"っていうのが感覚的にわかるっていうのはあるんだと思います。でもこの時は、書き直した詞でまた仮歌を入れるんだけど、やっぱり"あれ?"ってなっちゃって。その時に水橋さんがポロっと"仮歌の人がWinkと合わないんだ......"って言ったんです。当時Winkの仮歌はほとんど広谷順子さんだったんですが、彼女は"Winkの歌い方"に合わせて歌ってくれる。だから仮歌の段階で調整ができるんです。仮歌って大事なんだなぁと実感しました。
――まさに見ているものが一緒だったってことですね。
及川 Winkの作詞でひとつ言えるのは、メロディを歌詞に馴染ませていく中で、部分的に突出したもの、それは違和感だったりもそうなんですけど、そういうものを当て込んでいくっていう作り方をしていました。翔子と早智子がふたりで歌うと、混じる言葉なのか浮き上がる言葉なのか、そういう計算は私の中でやっていますね。
――門倉さんがおっしゃってたんですが、水橋さんが"フラフラ"とか"ユラユラ"っていう言葉がお好きだったとか?
及川 それは私のクセでもあるんですけど、水橋さんも"フラフラ"とか"くるくる"とか"キラキラ"とか、人にものを説明する時にそういう表現をよくするんですよ。「淋しい熱帯魚」の時は"くるくるさせて"って言われましたからね。"くるくるかいっ!"と思いながら"わかりました"っていうやりとりを。それはあとになってフジパシフィックのディレクターさんに"なんであれでわかるの?"って言われたんで、よく覚えてます。水橋さんは周りに"及川眠子は1を聞いて10を書いてくる"って言ってたらしいんですね。そう思ってもらえてたってことは、感覚的なものが似てたんでしょうね。
Winkっていうプロジェクトの中心に水橋さんがいて、水橋さんひとりが天才。
それを取り囲む人はみんな天才じゃなくて優秀な職人だった。
――本来の意味での詞の書き直しはあまりなかったということですね。
及川 そうですね。詞の内容についてはあんまり言われたことはないと思います。"ツンドラ"とか"夏がいいんじゃない?"とかくらい。むしろあまりに何も言われないから、水橋さんは詞のことがわかんない人なんだとずっと思ってました。でもあとあと、水橋春夫グループをお手伝いするようになって、彼が詞についてすごく理解が深いってことを知って。そう思うと、信頼してくれてたんだなぁって。
――なるほど。話に出た「淋しい熱帯魚」と同時期に制作された「永遠のレディードール」が、今回のリマスター盤リリースの第3弾に含まれる10thアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)に収録されています。そもそもこの曲は17枚目のシングルとして世に出たわけですが。
及川 「淋しい熱帯魚」とどちらをシングルにするかで「淋しい熱帯魚」が選ばれて、いわばお蔵入りしていた曲ですね。これ、さっきの"くるくる"が歌詞に出てくるでしょ。だから同じタイミングで発注されたものなんですよ。「淋しい熱帯魚」になった理由は、レコード大賞を狙いたいっていうのもあっただろうし(※)、「淋しい熱帯魚」の方がはるかにタイトルがいいので。でもWinkのふたりは「永遠のレディードール」がすごく気に入っててね。この曲はメロディも歌詞も大人っぽいから、ふたりが大人になったこのタイミングまで置いてたんじゃないですかね。
――眠子さんはその10thアルバム収録の「幻が叫んでる」を最後にいったんWinkを離れ、結果的にラスト・アルバムになった14th『Flyin' High』で復帰されています。この時はどのような流れだったのでしょうか?
及川 実際は水橋さんが偉くなっちゃってて、現場の仕切りは別の若い人になってたんだけど、私への連絡は水橋さんからでした。"もっかいやってくんない?"っていう感じで。その中の「恋の受難にようこそ」は及川・尾関・船山っていう「淋しい熱帯魚」チームで、その時に"もう一度、熱帯魚っぽいのを"っていう話をされたんだけど、もう違うでしょと。時代が変わってたし、焼き直しを今やっても売れないなっていうのがあったんで。ブランクとしては2年くらい空いたのかな、それでカバー曲も含めて4曲書いてるんですけど、私の中ではどこかしっくりいかなかったんです。呼び戻してもらったけど、もう気が済んじゃってるんですよね、こういう時って。
――眠子さんは「ニュー・ムーンに逢いましょう」で一度集大成的なものを書いて、その後は情念を掘り下げるような方向性にシフトしていったとおっしゃっていますが、この部分、詳しく教えていただけますか?
及川 要はいかに飽きさせないかなんですよ。「淋しい熱帯魚」のあと、「One Night In Heaven」の作詞は松本隆さんなんですね。そこでその時は"なんで松本さんなの?"っていう意見があったのと、私も"あれ? 私じゃないの?"って思ったんだけど、松本さんが書いてくれたことで、ブレイク後のWinkをまず最初に集大成してくれたんです。キラキラした感じっていうのかな、"都会(まち)はシャンデリア"は私には書けないですよ。だから私は「One Night In Heaven」があることで、以降Winkの世界観を壊していくことができた。「ニュー・ムーンに逢いましょう」はその、壊しながらふくらませてた時期のひとつの区切りで、そのあとは心の方をもっと掘り下げていくようになるんです。
――それにはなにか理由があったんですか?
及川 ずっと同じことやっててもつまんないと私が思ったからでしょうね。そうやって手を変え品を変え......楽曲もそうでしたよね。
――そうですね。いろんな要素を取り込みながらシングルごとにカラーが変わっていた印象です。
及川 でもね、「追憶のヒロイン」くらいからは私はもう引いた方がいいかなとは思うようになってました。「降ろさせて」って周囲に言ってたのはそのあたり。
――作詞家のかたって、最初にそのタイミングに気づくというか、そういう引き際に敏感な印象があります。
及川 一流の人ほどそうだと思いますよ。二流は書き続けます(笑)。これ以上やっても自分がみっともないって思うし、同じアーティストで新しいものを求めて裏切り続けるのはやっぱり限界があるんです。それでも周りから"あと少しあと少し"って言われながら書いてた私は一流じゃないですね(笑)。
――Winkが売れている中で、当然最初よりもWinkのおふたりのキャラというかアイデンティティーが世に浸透していきましたよね。そういったふたりのキャラが眠子さんのペンを走らせた部分はあったのでしょうか?
及川 Winkの制作って分業制で、当時はスタジオで門倉さんに会っても「こんちわ~」くらいで、五十嵐薫子(振付師。現・香瑠鼓)さんにしても、源香代子(スタイリスト)さんにしても、みんなそれぞれが忙しいし、自分のやるべきことに取り組んでたから、触発されるのはそういう体制みたいなところからだったと思います。そのね、門倉さんにしても、薫子さんにしても、源さんにしても、みんな共通しているのは聞く耳を持つ人、とにかく話を聞く人なんですよ。Winkっていうプロジェクトの中心に水橋さんがいて、水橋さんひとりが天才で、それを取り囲む人はみんな天才じゃなくて優秀な職人。だからその職人さんたちが水橋さんのやりたいことを聞いてあげて、それで作り上げたものを表現するのがWinkだったの。そういうプロジェクトだったから、Winkというものにみんな思いが強いんですよ。
――眠子さんは、流行り廃りに敏感であれ、ともおっしゃっていますが、80年代末から90年代前半というのはどういう時代だったと思われますか?
及川 当時は強い女性が台頭してきた時代だったんですよね。渡辺美里とかアン・ルイス、中村あゆみ、プリプリとか、そういった人たちが売れている時代。だからWinkには逆をやらせたんです。"待ってる"とか"我慢してる"っていうような、すごくネガティヴな感じにね。だって強い女ばっかりじゃないし、強い女が好きな男ばっかりじゃないでしょ。Winkふたりのルックスも男のサドっ気を誘う感じだから、徹底的にそっちに行かせたんですよ。だから3枚目が「淋しい熱帯魚」じゃなく「咲き誇れ愛しさよ」だったらきっと売れてないですよ。
私はふたりが元気でまた歌ってくれたってだけで嬉しかった。
当時みたいに声も出ないし、元気に踊ったりもできないだろうけど、それでいいのよ。
――作詞家デビューから3年でWinkと出会って、それからはかなり忙しくなったと思うのですが、今思い返すとどういう心境なのでしょう?
及川 忙しかったけど、忙しくて息もできないっていう感じではなかったですよ。むしろ歳を取るとやることが増えるでしょ。病院行ったりとか、身体のどこが痛いとか(笑)、あとは私たちの世代だと親の介護とかね、そういういろんな用事が増えるから、そう考えると当時と忙しさは今も変わらない。今のはほとんど雑用なんだけどね(笑)。
――Winkの時代って、レコード盤からCDへ、あと歌謡曲からJ-POPへの移り変わりの時期をまたいでいるわけですけど、作り手側としてはそういったものをどういう風に見ていたのでしょう?
及川 作詞という意味でいうと変わらないのかな。むしろね、Winkのちょっと前の時期になると思うんだけど、個人でファックスやワープロを持てるようになる頃なのね。それによって便利になった時代っていう印象はあります。ただ、今の時代はmp3をメールでポンと送って終わり。ここまできちゃうと、もう人と会わないで詞が書けちゃうでしょ。でもそれって実は遠回りしてることが多いのね。現場に行かないとわからないことっていっぱいあるんです。現場に行くと一発で解決するようなことは今でも多いし、相手に会えば何を求めているかが感じ取れるから、そういう意味では人同士のつながりがちょっと希薄になっちゃったなって思います。
――ちなみになのですが、詞を書かれる時、眠子さんは横書きと縦書きどちらのイメージで書かれているんですか?
及川 横書きです。私たちの時代は英語を使うからね。
――なるほど、サビ頭に英語がくる時代と本に書かれていましたね。
及川 そうなの。だから縦書きだとうまくいかない。昔ながらの作詞家は原稿用紙っていうこともあるんでしょうけど。私は横書きに慣れちゃってるので、手書きの時も横書き。しかも私は"かな入力"です。
――えっ!
及川 だから私がパソコンで文字を入力してるとすごくびっくりされます。
――きっと意味があるんですよね。
及川 私の頭の中で言葉が"ひらがな"で出てくるから。例えば"あなたは私が嫌いなの?"っていう詞が出てきた時に、"あ・な・た・は~"って入力したいんです。"A・N・A・T・A・H・A~"だとちょっと意味が変わってくるというか。これは私のパソコンを触ったことがある人しか知りません(笑)。
――なるほど(笑)。ありがとうございました。では最後に、今後のWinkの展開に期待することは何かありますか?
及川 ツイッターでも書いたんだけど、いろんなことを言う人もいるだろうけど、私はふたりが元気でまた歌ってくれたってだけで嬉しかった。当時みたいに声も出ないし、元気に踊ったりもできないだろうけど、それでいいのよ。ほんとそれだけ。
(※)カバー曲の場合、レコード大賞候補曲から外されるため。
[総評]
Winkの後期は、それまでのサウンドイメージから脱却するための変革と変貌の時期とも言える。フォークロック、リヴァプールサウンド、そしてハイパーユーロ。紆余曲折の中で終焉を迎えてしまったその歴史を、今回、及川眠子さんの証言とともに振り返ることができた。この時期のWink作品を聴いていないという人も多いかもしれないが、今回のオリジナル・リマスターを機にぜひ聴いてみてはいかがだろう。
及川眠子(おいかわ・ねこ)プロフィール
1960年生まれ、和歌山県出身。和田加奈子「パッシング・スルー」で作詞家デビュー。Winkでは「愛が止まらない」、「淋しい熱帯魚」をはじめ多くの楽曲で作詞・日本語詞を担当。他には、やしきたかじん「東京」、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌「残酷な天使のテーゼ」、「魂のフルラン」、CoCo「はんぶん不思議」などヒット曲多数。今年7月には書籍『ネコの手も貸したい 及川眠子流作詞術』(リットーミュージック)を上梓している。