「昭和歌謡」という言葉はいくつかの相を持っている。一つは文字通り、昭和時代の大衆歌謡。もう一つは戦後日本を元気づけた演歌歌謡曲。そして、1970~80年代のテレビやカラオケ文化を背景に、アイドル、バンド、演歌などが入り乱れ百花繚乱(りょうらん)の時代を迎えたポップス歌謡。西城秀樹さんは、このJポップの原形ともいえる、ポップス歌謡を形作った先駆者だった。
そもそも、西城さんは父からジャズを、兄からロックを学んだ洋楽少年。体に染み付いていたのは、バンド演奏に行った山口・岩国基地で経験した先進のヒット音楽。デビューしても、洋楽の格好良さを自分のスタイルにどんどん取り入れた。振りを付ける▽コール&レスポンス(曲間の掛け合い)を入れる▽振り回せるマイクスタンドを導入する▽英米ロックのシャウトとバラードを日本語の歌唱に取り入れる▽音楽に合う強烈で美的な衣装を着る--。どれもが、それまでの昭和歌謡に存在しなかった、斬新な男性歌手のスタイルだった。
阿久悠、三木たかしを代表とする歌謡界のヒットメーカーたちもそんな「ヒデキ」のために、最先端の曲を書いた。
2003年の脳梗塞(こうそく)発症以降、厳しいリハビリの日々を送っていたが、それはいつまでも、“美的で先進”を追い続けていたからに相違ない。【川崎浩】