2月といえば、節分。もともとは邪気を祓って無事に春を迎えるための行事で、京都の多くの寺社でも鬼が出てきて豆まきが行われます。
しかし、今回訪れた須賀神社の節分は、鬼ではなく懸想文(けそうぶみ)売りと呼ばれる、怪しげな二人組が登場するのです!
「懸想文」とは現代でいうラブレターのこと。それがなぜ節分に、この神社で授与されるようになったのか、それには深いわけが・・・。
今回は「懸想文売り」が登場する須賀神社について、紹介します。
■縁結びのご利益で知られる須賀神社 須賀神社は貞観11(869)年、今の平安神宮付近に創建されました。しかし度重なる戦火を避けて、吉田山に移され590年間鎮座したのち、大正13(1924)年に現在の地に社殿が建てられました。ご祭神は日本神話に登場する夫婦神、須佐之男神(スサノオノミコト)と櫛稲田比賣神(クシナダヒメノミコト)です。須佐之男神は暴れ神としても有名ですが、ヤマタノオロチのいけにえにされそうになった櫛稲田比賣神を救って結婚し、円満に暮らしたといわれています。この夫婦円満な神がまつられていることから、縁結び・家内安全にご利益のある神社として人々に知られたそうです。 普段は落ち着いた雰囲気の須賀神社が、縁結びのご利益を求める参拝客で活気づくお祭りが、毎年2月2・3日に行われる節分祭です。 ■「懸想文(けそうぶみ)売り」が登場する須賀神社の節分祭 節分の日は、須賀神社でももちろん豆まきが行われます。しかし参拝者のお目当てはそれだけではありません。ここの節分会の見ものは、二人組の「懸想文売り」がこの時だけ姿を現すことです。懸想文売りは烏帽子(えぼし)をかぶって水干(すいかん:昔の衣装)を身にまとい、覆面で顔を隠し目元だけを出しているという、なんとも怪しげな格好。彼らは文(ふみ)をつけた梅の枝を右手に持ち、左手には懸想文を持って、境内を歩きます。この文にどんなことが書かれているのか伺うと、「この文は縁談や商売繁盛の願いを叶えてくれるお守りです。人に知られないように鏡台やタンスの引き出しの中に入れてください。すると着物が増え、容姿が美しくなり、良縁にも恵まれますよ」と告げてくれるのです。 ■「懸想文」のはじまり そもそも懸想文とは、公家など限られた人しか文字が書けなかった時代に自分の恋心を代わりに書いてもらっていた文、つまりラブレターの代筆文をいいます。懸想文の風習は平安時代から始まり、江戸時代になると盛んに行われ、いつしかラブレターの代筆業を行う「懸想文売り」が登場したといわれています。懸想文売りがなぜ覆面で顔を隠しているのかというと、実はこの商売をしていたのが、貴族だったからです。町の人々に代筆業のアルバイトをしていることがばれないように顔を隠していたのだとか。 この風習は明治になると一旦廃れてしまいましたが、第二次世界大戦後、夫婦神がまつられている須賀神社で節分祭の2日間だけ、再び懸想文売りが現れるようになりました。この2日間は、懸想文を買いに大勢の女性が神社にやってきます。わが子に良縁をと、母親が懸想文を求めて訪れることもあるのだとか。 ■日本で唯一の交通安全の神様~交通神社(こうつうじんじゃ)~ 須賀神社は縁結びだけにご利益があるのではありません。 神社の中に、日本で唯一交通安全の神様がまつられている社もあるのです。もともとは須佐之男神・櫛稲田比賣神と一緒におまつりされていましたが、昭和39(1964)年に、同じ境内に社を分けて、「交通神社」として創建されました。ご祭神に八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)・八衢比賣神(ヤチマタヒメノカミ)の夫婦神、そして道案内の神様、久那斗之神(クナトノカミ)がまつられています。この神様たちが道行く安全を見守ってくれることから、交通安全の社として評判になり、安全祈願に交通神社にも多くの参拝者が訪れます。 縁結び、そして交通安全のご利益を授かることのできる須賀神社。 恋を成就させたい方には必見の懸想文売りは節分祭の時にしか授与されていませんが(赤い縁結びのお守りは年中授与)、節分祭の時に、あなたも懸想文売りから文を買い求めてみてはいかがですか。 |