NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

楽員インタビュー

茂木大輔

茂木大輔

オーボエ

もぎ・だいすけ

東京都出身。1981年にミュンヘン国立音楽大学大学院へ留学し、修了後に同大学講師を務める。その後、バイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団など一流の楽団で客演首席奏者として演奏経験を積む。帰国後の1991年4月1日より、N響首席オーボエ奏者に就任。ソリストとしても多数のCDをリリース、ジャズの山下洋輔らと長年にわたり活動するなど、クラシックのジャンルにとらわれない幅広い活動を展開。その他、作曲、企画、執筆、メディアへの出演と、その活動は多岐にわたる。オーボエをギュンター・パッシン、丸山盛三の各氏に師事。

 

音楽をわかりやすく伝えるのがライフワーク

華恵

クラシックとの最初の出会いは?

 

茂木

ピアノをやらされていましたし、中学校で吹奏楽部に入って、いろいろな楽器に囲まれて、オーケストラ音楽が面白いと思いましたね。その吹奏楽部の先生が素晴らしい先生で、部員達の関心を引き出してくれました。この間ちょうど思い出したのですが、生まれて初めて行った外国のオーケストラはロリン・マゼールの指揮したクリーヴランド管弦楽団で、その切符は顧問の先生がくださったのでした。《ツァラトゥストラはこう語った》を聴いたのを覚えています。

 

華恵

マゼールさんは昨年N響と初共演でしたね。

 

茂木

15歳の時に感動した指揮者と今、演奏していると思うと陶然としました。あの時のスター指揮者だった人が今もって超一流で、目の前で棒振っているなんて、と感慨深かった。

 

華恵

オーボエという楽器はどうして選ばれたのですか?

 

茂木

オーボエで音大に行こうというまでの熱意を持てたのは宮本文昭さんの存在が大きかったですね。でも最初はオーボエ科ではなく作曲科に行きたいと思っていたんです。従兄弟が作曲家で、当時前衛音楽をやっていたものだから、恰好いいなとものすごく憧れて。もうオーケストラはいいから前衛音楽をやりたいと思って。高校生の後半ぐらいの時期からミニマル・ミュージックだとか武満徹さんの「今日の音楽」というシリーズに行ったり、レコードも現代音楽ばかり聴いていました。今にして思えばレコードのジャケットのデザインだったり、中に付いてる訳の分からない文章とかに惹かれたのでしょうね。高橋悠治さんや近藤譲さんを真似して文章を書いたり。複雑そうな、拍子が1小節ごとに違ったり、いっぱい楽器が使われてるようなスコアを買って来ては眺めていました。リゲティの《ロンターノ》だとかストラヴィンスキー《春の祭典》だとかね。

 

華恵

でも結局はオーボエ科に入られたんですね。

 

茂木

その作曲家の従兄弟に相談したら、「大ちゃん、作曲科に行っても習うことは禁則だけだ。やってはいけないことを習うだけだよ」と言われ、「オーボエでヘンデルのソナタを吹いて、通奏低音とあなたの間にある空間的な感覚を楽器を通じて体感しておくことの方が、作曲家として遙かに有効だ」という非常に素晴らしいことを言われたので感心して、オーボエ科に行ったんです。

 

華恵

オーボエ科には満足されたのですか。

 

茂木

オーボエはそれはそれで面白かったです。でも 打楽器の部屋に入り浸ってましたね。テリー・ライリーだとか、打楽器が一番前衛音楽に近かったから。さらにジャズにはまって「ピットイン」には行くけど学校には行かない時期もありました。

 

 

ツーショット写真

 

華恵

プロで演奏家でやっていこうと思ったのは?

 

茂木

それはね、オーケストラに入ってからなんですよ。大学4年生であるオーケストラに入りまして、それからすぐにドイツへ行ったんです。バンベルク交響楽団に縁があって、1番オーボエの仕事をエキストラでするようになりました。その時、これが一生の仕事として一番やりたいことだなとわかりました。それまでは迷っていました。作曲もいいし、フリー・ジャズと言うかインプロヴィゼーションとかアヴァンギャルドなものも、自分の中からどうしても捨てられない気持ちがあって。オーケストラも面白いとは思っていたけど、まさかこんなに面白いとは、と思ったんです。特に当時常任指揮者だったホルスト・シュタインには、一流指揮者っていうのは何てすごい人なんだろう!とすっかり感じ入って。日本でN響を振るシュタインをテレビで知っていましたし、実際に一緒に演奏してみて、彼が生々しく全てを作り上げて、しかも応えるミュージシャンのレベルのすごさに圧倒されましたね。こういう人達に混じって、シュトラウスとかブラームスとかベートーヴェンとかブルックナーとかそういうものを毎日演奏するというのは、なんて幸せなんだろうと思いました。

 

華恵

それでオーケストラを追究することになるんですね。

 

茂木

バンベルクのかたわら、もう一つすごく重要な体験がありました。ヘルムート・リリングのシュトゥットガルト・バッハ・コレギウムに入っていたことです。リリングの一番の業績はレクチャー・コンサートにあったと思います。夏期の国際バッハ・アカデミーで、毎日リリングが30分ぐらいカンタータを解説するのが大変な人気で、ドイツ人でも教会音楽というのは、説明してもらわないと本質が理解できないのだと知りました。説明されない限り一生理解できない芸術がこの世にはたくさん存在していることもわかりました。教会音楽に限らず、クラシック音楽、特にオーケストラというのは演奏に必要な状況、条件、情報、経験、そういうものが膨大な量で層になっているから、解説付きの演奏会をしていくことは重要で、ドイツから持って帰ってきた私の一つの任務だと思っています。

 

写真撮影 ― 藤本史昭

2012年11月取材 ※記事の内容およびプロフィールは取材当時のものです。

 

N響ライブラリー

華恵

聞き手

華恵

はなえ

1991年アメリカ生まれ。6歳から日本に住む。2003年、12歳で『小学生日記』を刊行し、エッセイストとしてデビュー。NHK BSプレミアム「世界遺産~一万年の叙事詩~」でのナビゲーター、連載エッセイなど、幅広く活躍中。現在、東京藝術大学音楽学部楽理科に在学中。