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浦部法穂の「憲法雑記帳」

 

第4回 「ニホン」と「ニッポン」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2016年9月5日

 この夏は、リオデジャネイロ・オリンピックでの日本選手の活躍に歓喜した人も多かったのではないかと思う。個人的な感想を許していただければ、私のなかでの一押しは、陸上男子400mリレーの銀メダルである。もしボルトがいなければジャマイカにさえ勝てたかもしれないと思わせる見事な走りであった。そのほかの競技でも、日本選手の活躍には、私も素直に喜べたが、その反面、周囲での「ニッポン」「ニッポン」という声の氾濫・爆発には、一抹の不安を感じないではなかった。この「ニッポン」の氾濫・爆発は、オリンピックに限ったことではなく、近年とくに、テレビなどで日常化しているだけに、なおさらであった。

 「日本」は「ニホン」か「ニッポン」か、という議論は、古くから続いている。語感的に、「ニッポン」は「ニホン」よりも力強さを感じさせる。だから、オリンピックやその他スポーツの国際大会の応援が「ニッポン」になるのは、ある意味自然なことなのかもしれない。「ニホン、チャチャチャ」では何か拍子抜けする、と言われれば、たしかにそんな気がしないでもない。しかし、国の名前として「ニホン」ではなくあえて「ニッポン」というとき、そこには、「日本」は大国だ、強国だ、という意識が込められることが多い。かつて、「大日本帝国」は「大ニッポン帝国」と発音されることが多かった。まさに、アジアの大国、強い国「ニッポン」をあらわしていたのである。しかし、それでも、この時代にあっても「ニホン」という読みが国民のあいだからなくなったわけではなかった。だからこそ、1920年代の終わりから30年代初めにかけ、日本が大陸への侵攻を強めていった時期、「強い日本、正しい日本は、『ニッポン』であるべきだ」として、「日本」の国号を「ニッポン」に統一せよという動きや、さらには「ジャパン排斥運動」つまり対外的にも「ニッポン」とすべきだという運動などが、国家主義者、軍国主義者たちからわき起こったのであった。

 こうした動きをうけて、1934年3月、まさに「満州国建国」のそのときに、日本放送協会(NHK)は、「日本」の読み方について、「放送上、国号としては『ニッポン』を第一の読み方とし、『ニホン』を第二の読み方とする」旨の決定をした。そしてさらに、その直後には、文部省の「臨時国語調査会」が「今後、ニッポンに統一する」旨、決議した。ただし、政府としてこれを採択したわけではなく、「ニッポン」への統一が公式に確定されたということではないが、国号としての「ニッポン」という呼称が、こうした国家主義・軍国主義的な動きに連動して、放送や教育をつうじて広められていったことは、記憶にとどめられるべきである。

 その後、時代は下って戦後、「日本国憲法」制定の際に、やはり「ニホン」か「ニッポン」かの議論が起こったが、当時の金森国務大臣は「ニホン、ニッポン両様の読み方がともに使われることは、通念として認められている」と述べて、どちらかに統一することは避けた。一方、1965年に郵便切手にローマ字で国名を入れることになったとき、郵政省の「NIPPON」案が閣議で了承されたが、政府として国名呼称を統一する決定はなされなかった。そして、2009年に麻生内閣は、民主党議員の「今後、日本の読み方を統一する意向はあるか」との質問主意書に答えて、「『ニッポン』、『ニホン』という読み方についてはいずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」と述べた。

 この間、しかし、NHKは、1951年に、あらためて「正式の国号として使う場合は『ニッポン』、その他の場合は『ニホン』と言ってもよい」旨の決定をし、以後NHKの番組では、忠実にこれが実行されている。NHKの放送を注意深く聴いていると、意識的に「ニッポン」と言い「ニホン」を排除していることに気づかされる。そしてまた、安倍首相も必ず「ニッポン」である。安倍首相だけでなく、自民党筋や「右翼」のほうは、「ニッポン」派が優勢であるように見える。「ニッポンを取り戻す」という標語は、まさに大国「ニッポン」、強い国「ニッポン」を取り戻すという意味合いを含んでいるのであり、安倍首相や自民党筋、「右翼」のほうから聞こえる「ニッポン」という言葉は、こういう国家主義的な色彩を色濃くもっているのである。彼らが「取り戻し」たいのは、往年の「大ニッポン帝国」なのだ、と言っても過言ではない。数年前にテレビ朝日が行った世論調査によれば、国名としての「日本」の読み方は、「ニホン」派が69%、「ニッポン」派は31%で、「日本人」、「日本語」となれば90%以上が「ニホン」と読んでいる。このように、国民のあいだでは「ニホン」派が圧倒的に多いという状況のなかで、NHKは、あえて「ニッポン」を正式の読み方とし、これでもか、これでもかと、「ニッポン」を氾濫させることによって、上記のような「ニッポン・イデオロギー」を拡散する役割を営んでいるのである。

 そして近年、この現象はNHKだけでなく、他の民放や雑誌などにも広がっている。テレビ番組表を見てみると、このところ、全放送局でやたらと「すごいぞ、ニッポン」的な番組が目につく。日本人が自信を失ったことの裏返しかもしれないが、こういう形で、日本はすごいんだ、偉大だ、強いのだ、というような、国家や民族の優越性をことさらに言い立てる思考方法が広まっていくことには、危惧を覚えざるを得ないのである。

 ふと思い返してみると、現・明仁天皇は「ニッポン」とは言わない。いつも「ニホン」である。安倍首相や自民党・右翼の面々は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇が「ニッポン」ではなく「ニホン」と発音していることを、自分たちの「論理」のなかで、はたしてどうとらえているのであろうか。

 さて、つぎはパラリンピックである。「ニッポン」を応援するのはいい。しかし、無邪気すぎる「ニッポン、チャチャチャ」は、「大ニッポン帝国」の復活を夢見る国家主義者や右翼の軍国主義者を利することになるという意味で、罪でもある。それを十分に自覚したうえで、競技を楽しみたいものである。



 

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