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2016.02.28

記憶の手帖・写真で見る古里(6) 仙石線・旧野蒜駅

旧鳴瀬町時代の仙石線野蒜駅。海に近く、奥松島観光の玄関口の役割を担った

被災した駅舎は修繕され、現在は野蒜地域交流センターとコンビニが入る

 景勝奥松島の玄関口として昔から、鉄道利用の観光客を集めた仙石線野蒜駅。1996年に鉄筋コンクリート2階に建て替えられたが、野蒜海岸から1キロにも満たない平地にあったため、東日本大震災の津波で3.7メートルまで水に漬かるなどホームともども大きな被害を受けた。

 モノクロ写真は83年11月に撮った、駅舎建て替え前の風景。建物はこぢんまりとして「NOBIRU」の文字以外に派手な装飾もない。広場を挟んで反対側に、旧鳴瀬町が奥松島観光協会と共に立てた歓送迎の塔が誇らしげだ。

 野蒜駅は28(昭和3)年、当時の宮城電気鉄道が野蒜海水浴場の観光地化を視野に設置した。白砂青松で有名だった神戸市の須磨海水浴場にあやかり、31年から44年まで「東北須磨駅」と称したこともある。シュロの木が、夏ににぎわう駅らしさを漂わせる。書き入れ時期は、野蒜・宮戸エリアを行き来するタクシーが絶えず乗り入れた。

 80年代になって、実現はしなかったが「奥松島駅」への改称案が生まれ、住民アンケートが実施されたことは記憶している人も多いだろう。

 震災で被災し機能を失った駅舎はリフォームされ、2014年、野蒜地域交流センター、コンビニの「ファミリーマート」が入居して再スタート。貴重な商業施設として住民や復興工事関係者に喜ばれている。2階には地域住民が集う多目的スペースも整備された。ホームは市の震災遺構として保存される。


■震災前の写真募集

 東日本大震災前の石巻地方を写した写真を募っています。

 送り先は 〒986‐0827 石巻市千石町4の42 三陸河北新報社編集部。連絡先は0225(96)0321。
メールアドレスishinomaki@sanrikukahoku.jp


※記憶の手帖・写真で見る古里(5) 石巻・橋通りのにぎわい
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2016/02/20160221t13001.htm


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