パラリンピック柔道男子 藤本が銅メダル

パラリンピック柔道男子 藤本が銅メダル
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リオデジャネイロパラリンピック、柔道男子66キロ級で藤本聰選手が3位決定戦に勝って、銅メダルを獲得しました。
藤本選手は、2大会ぶり5回目のパラリンピックとなる41歳で、1回戦と準々決勝の2試合を、いずれも一本勝ちして準決勝に進みました。

準決勝ではアゼルバイジャンの選手と対戦しましたが、一本負けして3位決定戦に回りました。

3位決定戦は、リトアニアのオスバルダス・バレイキス選手と対戦し、序盤から得意の背負い投げのほか、寝技や、ともえ投げなど積極的に技を仕掛けました。
一方のバレイキス選手は、序盤から消極的な指摘されて指導を3つ与えられ、両選手ともにポイントを奪えなかったものの、藤本選手が指導の差で勝って銅メダルを獲得しました。

藤本選手は初出場だった1996年のアトランタ大会で金メダルを獲得して以来、出場したすべての大会でメダルを獲得していて、今回が5つ目のメダルです。

「東京大会で金取って引退したい」

藤本選手は「金メダルを取ると、ずっと言い続けていたが、心のどこかにメダルに届かないかもしれないという気持ちもあった。その弱気に打ち勝とうと練習してきたが、この階級で一番年上らしいので、41歳でもこれだけできるということを見せられたと思う」と、達成感にあふれた表情で話していました。
そして、45歳で迎える東京大会に向けても、「自分が現役でいられる間に日本でパラリンピックが開かれるので、そこに出場することを目標に頑張りたい。東京大会で金メダルを取って引退したい」と意欲を示していました。

5つ目のメダル獲得

藤本聰選手は徳島市出身の41歳で、2大会ぶり5回目のパラリンピック出場です。

生まれたときから目に障害があり、5歳で柔道を始めました。
21歳のとき、初出場したアトランタ大会で金メダルを獲得し、その後、シドニー大会、アテネ大会と3連覇を果たしました。
4連覇がかかった北京大会では決勝で敗れて銀メダルとなり、前回のロンドン大会は出場を逃しました。

その悔しさを胸に、柔術を練習に取り入れるなどして、41歳で臨んだリオデジャネイロ大会で見事に復活を果たし、パラリンピックで5つ目のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

勤務先の学校で応援

リオデジャネイロパラリンピック、柔道男子66キロ級で銅メダルを獲得した藤本聰選手が勤務する徳島市の学校では、同僚が声援を送りました。
藤本選手が勤める徳島市の県立徳島視覚支援学校では、早朝から同僚の教職員が校長室に集まり手作りのうちわを持ってテレビの前で応援しました。
3位決定戦はポイントが決まらない展開になりましたが、集まった人たちは、粘り強く攻め続ける藤本選手に「いけ」や「がんばれ」などと声援を送り、メダルの獲得が決まると、大きな拍手が起こっていました。
県立徳島視覚支援学校の上野清文校長は、「本当に感動しました。結果は後からついてくるものなので、まずは本人の頑張りをいちばんうれしく思います」と話してました。
また、同僚の男性は、「緊迫した試合内容でひやひやしたが、勝ってくれると信じて見ていました。メダルの獲得は、学校全体の励みになるし、生徒たちにもよい影響を与えると思います」と話していました。