木曽ヒノキを有する木曽谷の林業は、中央西線開通(明治43年)によって木材搬出を従来の川狩りから森林鉄道による伐木運材に変わりました。木曽谷の森林鉄道は、大正2年に着工された小川森林鉄道(上松町)が最初です。王滝森林鉄道は、大正6年から12年までの7年間に第1期線として経費21万余円の工費で、小川森林鉄道の鬼淵(おにぶち)停車場より氷ヶ瀬(こおりがせ)に至る25、362mを敷設しました。その後、白川、鯎(うぐい)川、瀬戸川、濁川(にごりかわ)、鈴ヶ沢などの支線を含め、総延長155キロに及ぶ線路が昭和30年にかけて敷設されました。 木材運搬が目的でありましたが、沿線村民の陳情により便乗と日用品の輸送が認められ、特に村中心地から12キロと離れている滝越(たきごし)地区の人々には重要な交通手段であり、村への用事や上松町への買い物に欠かせないものでした。昭和40年代にはいり林道が整備され、伐採現場から直接運搬できるトラック輸送が主流となり、森林鉄道は次々と廃線されました。昭和50年5月30日には、全国の森林鉄道の中でも孤軍奮闘、最後まで生き残った王滝森林鉄道でしたが、半世紀を越える長い歴史の幕を閉じたのでした。 |