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日めくりプロ野球08年9月

【9月28日】1948年(昭23) プロ野球を愛し続けた男・坪内道則 初の1000本安打達成

1950年、2リーグ分裂した当時の坪内(右)。選手兼助監督として天知俊一監督(左)を支えた
1950年、2リーグ分裂した当時の坪内(右)。選手兼助監督として天知俊一監督(左)を支えた
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 【急映2−1金星】08年8月末現在、プロ野球で通算1000本安打を達成した選手は、251人。1000試合出場は428人に上る。その第1号選手はなんと同一人物によって達成されたのをご存知だろうか。史上初の1000本安打を達成したのが、この日後楽園球場で行われた、現在ではロッテがその流れをくむ「金星スターズ」と急映(現日本ハム)のダブルヘッダー第2試合だった。終戦から3年、1日3食満足に食べるのもままならない、まだ1リーグ8球団だったころの話である。

 バットを短く持つ、独特のスタイルで金星の1番・坪内道則外野手は初回、急映先発の赤根谷飛雄太郎(あかねや・ひゅうたろう)投手の初球をたたき、中前打を放った。今ならスタンディングオベーション、花束贈呈と試合中にもかかわらずセレモニーが行われるところだが、そんなものは一切なし。その日その日の勝敗に一喜一憂し、通算記録が見向きもされなかった時代だった。

 「そういえば、オレも1000本くらいヒットを打ったかなあ」。48年のシーズンが終わろうとする10月、坪内がふとそんなことを思う、知り合いの公式記録員に「ヒマな時にでも調べておいて」と頼んだ。後日、記録員がニコニコ笑いながら「9月28日の急映戦で打ったのが1000本目ですね。日本の野球界では坪内さんが初めてです」と教えてくれた。

 さらに公式記録員は“オマケ”まで付けてくれた。「9月12日の南海戦(後楽園)で1000試合出場でした。これも初めてです」。図らずも同じと年に1000本に1000試合出場達成していたことが判明。かといって連盟表彰してくれるわけでもなかったが、これが関係者の間で話題になり、通算記録にスポットが当たるきっかけとなった。坪内が1000本安打を放ったのは、出場1013試合目。ほぼ1試合に1安打ペースでヒットを積み重ねた結果だった。

 坪内が第1号になったのにはわけがある。プロ野球=職業野球が産声を上げた1936年(昭11)、立教大を「学費を滞納していたことが心苦しくて」中退した坪内は、先輩の誘いで大東京(現横浜の遠い前身)に入団。球団は大学の年間授業料130円に相当する額を月給でくれた。

 身長1メートル70足らずで技量的にも目立つ選手ではなかったが、デビュー戦となった36年9月18日の阪神戦でエースの若林忠志投手から中前打を放ち、プロ初ヒット。その2年前、立大1年生の坪内が大学初安打を記録したのも当時法政大の主戦投手だった若林からだった。

 坪内の運命を大きく左右したのが23歳の時。37年、試合中に鎖骨を折った坪内は、その1カ月後が徴兵検査だった。本来ならスポーツ選手は気力体力とも充実した“甲種合格”だが、腕が動かないために予備要員となり、前線に行くことを免れた。

 運命の別れ道だった。以後、坪内は一度も兵隊にとられず、44年(昭19)に職業野球連盟が解散するまで、多くの選手が戦地にかり出され、戦死し負傷する中でも最後まで野球をやることができた幸運な選手となった。徴兵検査翌年の38年から44年まで542試合で449安打を放っており、もし戦争へ行っていたら“第1号”選手になったかどうかはかなり疑問である。

 戦後、坪内が疎開先に隠していたボールやバット、グローブが復活したプロ野球の第1戦、45年11月23日の東西対抗に役立ち、自身は「野球で世の中を明るくしたい」と後の金星となる「ゴールドスターズ」を結成。選手会を立ち上げ、選手の権利や待遇改善を訴えた発起人の一人にもなった。

 金星が経営難から大映に身売りすると、坪内は中日に移籍。ここで選手としてだけではなく、監督、コーチ、最後には寮長まで務めた。監督は52年からの2年間、54年中日が天知俊一監督で初の日本一になる下地を作るなど、選手育成には定評があった。寮長になっても野球に対する愛情、特に2軍選手を一人前にしようという情熱はものすごく、70歳を過ぎても若手の特打ちで投手を務めたり、ブルペンで自ら球を受けた。中村武司捕手、彦野利勝外野手は坪内の球を打ち、小松辰夫投手は坪内のミットめがけて投げ、1軍へと巣立っていった。

 坪内の努力と情熱が認められ、92年に野球殿堂入り。「もう縁がないと思っていたが、悲願達成です」と喜んだ。97年9月16日永眠。享年83歳。通算成績は1417試合で1472安打、34本塁打。“三振しない死球王”として有名で、戦後最初のシーズンとなった46年には103試合でわずか6三振。この年から引退までの6年間最多死球選手だった。

  

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