奈良観光の玄関口、近鉄奈良駅(奈良市)すぐの噴水の真ん中に「お坊さん」が立っている。奈良時代の僧、行基の像だ。「待ち合わせの目印」として親しまれているが、この像には全く同じ「クローン」が存在するという。地元の人にもあまり知られていないうわさの真偽を確かめた。
とある平日の昼下がり。その名も「行基広場」は行き交う人でにぎわっていた。行基像は穏やかな表情を浮かべ、足元には仏花が供えられている。同市の主婦(48)は「友達とはいつも『行基さんの前で会おう』と約束しますよ」と話す。
行基は奈良時代、仏教を布教する傍ら、大規模な土木開発や社会福祉事業を進め、東大寺の大仏殿建立に大きく貢献した。像の完成は1970年で、奈良市観光振興課によると「再開発時に当時の市長、故鍵田忠三郎さんが『行基の精神を引き継ぎ、街のシンボルにしたい』と思いを込めた」(担当者)という。
ただ、「クローン」のうわさには「同じものがあるんですか?」と驚きの表情。詳しい資料は残っていないというが、像を制作したのは約400年の歴史を持つ赤膚(あかはだ)焼の窯元「正人(まさんど)窯」(奈良市)だと判明した。
正人窯の大塩正已さん(54)に尋ねたところ、元市長から直々に依頼されたのは祖父の七代目大塩正人さん(故人)。約2年かけて作り上げたといい、「同じ型で作ったものが霊山寺(奈良市)と九品寺(奈良県御所市)にあります」と明かしてくれた。
霊山寺は山門からのメーンの通り沿いに、九品寺は本堂の脇に行基像が安置されていた。両寺とも行基が建立したとされ、像については「確かに近鉄奈良駅と同じ。ゆかりの寺に寄贈されたとは聞いているが、なぜうちなのかは分からない」と首をかしげた。
行基は民衆に寄り添った僧としても知られ、入滅の地とされる喜光寺(奈良市)などゆかりの寺は多い。像も近畿各地に数多くあるが、近鉄奈良駅のものが有名だろう。なぜ同じものが3体作られ、2つの寺に寄贈されたのか。鍵田元市長の秘書を長らく務めた団体役員、大坪好徳さん(80)が、以下のようないきさつを推測してくれた。
当初は「壊れた時のため」とスペアを2体作ってもらった。だが行基に心酔していた元市長は、せっかくの行基像を無駄にしたくないと考え、親交のあったゆかりの寺に寄贈した――。元市長は当時、行基について研究するグループの会長でもあったという。
もっとも、近鉄奈良駅のものは実は3代目。初代、2代目ともに心ない人に壊されたり、雨風に傷んだりする憂き目に遭った。現在のものは市内の彫刻家(故人)によるブロンズ製で、赤膚焼の「オリジナル」と写真で比較すると数珠のかけ方などがわずかに違う。
元市長の“機転”が奏功したのか、オリジナル3体のうち2体が今も古寺で大切にされている。聞けば3体とも東大寺の方向を向いて立っているという。行基自身は東大寺の完成を前に入滅した。時を超えて大仏殿に向かい胸に手をやる行基像は、それぞれの場所から古都のいとなみを見守っているようにも見える。
(大阪社会部 堀部遥)