大井町の鯉

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再生時間:14分23秒

※番組中の応募や告知、日程等は2010年のもので既に終了しています

1300年の歴史を持つ大井神社の社殿
1300年の歴史を持つ大井神社の社殿

亀岡市大井町。この地域では、鯉に関する独特の文化や風習が残っています。それは5月5日の端午の節句に、鯉のぼりを決して揚げないというユニークな風習。この日大井町の住人は、鯉を触っても、食べてもいけないとされています。なぜ鯉のぼりを揚げないのか、そしてなぜ鯉を大切にし、祀っているのか。710年(和銅3年)、元明天皇の勅命により創建されたと伝えられるJR並河駅の近くの大井神社で、鯉のぼりの由来や、鯉と金太郎の意外な関係について、貴重なお話を伺いました。

5月5日に鯉のぼりを揚げない大井町

大井町町民のみなさんに聞く(聞き手:上山貢平)

――大井町では鯉のぼりを揚げない風習があると聞きましたが。

町民A(女性):揚げないです。全く揚げない。代々言い継がれてきたというか。神様が乗ってきはったんですよね、鯉に。それで、鯉を飼っちゃあいけないし、食べてもいけないしって言うんで。
町民B(女性):鯉は食べたらあかんねん。お鯉さん、ゆうてな、神さんの使いやから。ほんで絶対5月5日か、鯉のぼり揚げたらあかんのや。その家が廃(すた)るいうんか。よそから来はってな、鯉を揚げはってん。そしたらそこの家が、もうあかんようになってしもうたんや。

亀岡盆地は、赤い大きな湖だった!?

河合 厳(パーソナリティー)

亀岡盆地は昔、「丹の国」と呼ばれていました。その由来は、丹の湖といわれる大きな湖があったからです。この「丹」という漢字は丹波の丹の字で、訓読みで「あかい」と読み、その湖はとても赤かったと言われています。この湖は、月読命(つくよみのみこと)によって丹の湖の水が抜かれ、今のような亀岡盆地ができたと言われています。大井神社にある池に湧く水は、その当時の水の色と同じと言われています。昔は鯉が釣れると、大井神社のこの池にわざわざ逃がすような人もいたそうです。

大井町で鯉のぼりを揚げない理由

大井神社の宮司 稲本高志さん

大井神社の宮司、稲本高志さん
大井神社の宮司、稲本高志さん

神様がこの保津川を上がって来られるのに、鯉が功績があったということで、鯉をあがめたてまつっているということです。決して神の使いではないんです。ここ(大井神社)の神様が京都の松尾大社から、当初は亀で大井川を上がって来られて、八畳岩の急な流れのところで立ち往生してしまわれた。そのときに、大きな鯉が来て神様を助けてここまで来たということで、その功績を讃えている、と。(鯉を)大切にするということは、触らない、もちろん食べないということになっておりますので、鯉のぼりも触らない。鯉の絵ですらも触らないということになっています。

鯉に乗る神様が描かれた水墨画
鯉に乗る神様が描かれた水墨画

これは定かじゃないかもわかりませんけれども、足柄山に沼があって、そこに大きな鯉がいた。それがいたずら者で、近づく動物を引っ張り込んだり、人間が近づいたら水をかけたりと、困っていた。で、金太郎さんが「私が退治してあげましょう」と。五月人形で、鯉をがっと抱え込んだ金太郎さんの像があって、その場面だと思うんですけれども、その鯉をつかまえて思いっきり後ろへ投げたところ、木に引っかかってひらひらした、と。それが鯉のぼりの始めであって、男の子が生まれたら大きな鯉のぼりを上に揚げることで、大きな鯉を高く放り上げられるほどの力を持っているんだと誇示するためのもの、という説がある。そうなってくると、見せしめですよね。ここの氏子さんたちは、そんなことはできない、と。私も先人からそう聞きました。だから鯉のぼりにも触らない。ただ、新しくここへお住まいになった方へ、私どもから鯉のぼりを揚げないでくださいと言ったことはございません。この地域はそういう地域やとご理解いただいているかどうか、とにかくそれに従っていただいています。

出演

  • 稲本高志さん(大井神社宮司)
  • 大井町町民のみなさん
  • パーソナリティ:河合厳
  • レポーター:上山貢平

制作スタッフ

  • ディレクター:上山貢平
  • 映像、音声収録:上山貢平、柿谷昌伸
  • ミキサー:柿谷昌伸