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第42回衆議院議員総選挙

◆政治家の本棚――71 運命の高坂正堯『国際政治』との出会い 1/2 

前原誠司氏
インタビュー:早野透(朝日新聞編集委員)

―――民主党の幹事長代理の仕事,若い世代の一番手という感じですが。

前原:
中間管理職,雑用係です。こういう立場に就くと厳しい目がありますので,それを怖がっているわけではありませんけれども,とにかく黒衣役,調整役に徹しようと。

―――そうか,それはいわば竹下登さんの働き方に近いな。

前原:そこまで偉くないですけど。

―――そういう意味ではなくて,働く心構えとしてね。

前原:
この世界は,「おれは聞いている」とか「聞いていない」という差が大変なんです。徹底的に根回しをして物事がこじれないように。

―――専門の公共事業問題や安全保障政策のことは。

前原:この国会でも十回くらい質問にたちました。やはり政策のことを考えているのが一番楽しい。

―――お生まれは。

前原:京都生まれの京都育ちです。

―――やはり何か雰囲気をお持ちというべきかな。


前原:根っからの京都の人というのは三代百年住んでいないとなかなか認めてくれないんです。私のおやじもおふくろも島根県の境港という漁村なんですよ。昔の人から言うと,まだ「入り人(いりびと)」という範疇に入ります。

―――へえー,面白いなあ。

前原:
五月の地元の神社のお祭りで神輿を担いだんです。その神輿に関わった年次で徹底的な上下関係ができている。年下の人でも先に入っていれば「おい前原くん,これやってくれ」「はい,わかりました」と。地元の料理屋さんでも「安土桃山から代々」などという話です。

―――ご両親はどんなお仕事を。

前原:おやじが立命館で法律の勉強して,京都家庭裁判所に就職して最後は簡易裁判所の裁判官に。おふくろとは見合いで地元から連れてきたと。

―――小学校は?

前原:京都一のマンモス校,校庭は芋洗うみたい。私が四年ぐらいのとき,その修学院小学校の分校ができました。

―――本は読みましたか。


前原:岡崎という動物園や美術館があるところに京都市立図書館があって,そこに通うのが楽しみだった。楽しみは二つ,本を読むこととバスに乗れること。「バスの方が楽しみだったんでしょ」と母には言われるんですけども。
 小学五,六年に通った塾では,月に一度,読書感想文を書かせた。ぜんぜん苦にならなかった。時々,「葵書房」という町の本屋さんが「こういう本が出ました」と家に来た。好きなものは親が買ってくれた。親には感謝しています。

―――心に残っているのは。


前原:『ああ!五郎』という犬の物語に感動したんですよ。それから朝鮮人迫害のことを書いた『ヤン』,非常に覚えていますね。『セロ弾きのゴーシュ』,松谷みよ子さんの『龍の子太郎』。あとは『機関車やえもん』とかですね。

―――ごきょうだいは?

前原:姉がいて,京都教育大の付属中・高でずうっと一緒なんですよ。姉は文系が得意で,私は数学,物理が好き。中一から高三まで六年間,数学専門の塾に通ったんです。受験数学は教えない。数学の本質から教えてくれるわけです。
 いまでも交流ある甲斐先生の宿題の問題を解くのが大好きだった。僕は中二のときにおやじを亡くして,あんまり裕福でもないし家にエアコンなんかもちろんない。夏休みになると,パンツ一丁,ランニング一丁,タオルを巻いて窓開けて数学の問題を解く。七,八時間,ぜんぜん苦にならないんです。あせもができましたよ,ここ(腕の裏側)に。

―――数学の本質っていうと。

前原:公式を覚えるんじゃない,「なぜこの公式が出てくるか」というところから考える。公式を忘れてもぜんぜん怖くない。本質はどうだったか,というところから自分でもう一度組み立てたら公式が出てくるわけです。

―――しかし,塾教育も一概にけなせないな。


前原:やはり小さい塾じゃないと。

―――松下村塾ですね。部活は?

前原:
中学はバスケット,高校は野球部で高三の夏まで。大会は初戦敗退でしたけど(笑)。

―――じゃあ,小説とかは。

前原:
理系に頭が偏っていましたけど,何か変な探求心があったのかな,むずかしい本を読みたがる部分が出てきたんですね。カミュに凝ったり,高三から一浪の頃は,カント,ニーチェ,マルクス,わけがわからないのに読む。スタイルから入っていったんですね,そういうものを読んでいる自分がカッコいい。

―――それ,大事ですよね(笑)。

前原:カミュの『異邦人』は十回ぐらい読みましたか。あの「太陽がまぶしかったから人を殺した」という不条理への憧れ。そして『ペスト』を読んだ。自分で自分をほめたいと思うのは,ニーチェで唯一読破できた『ツァラトゥストラはかく語りき』。不思議なトーンで書かれる物語調が好きで。数学の“あせも”じゃありませんが,凝り性なので。

―――気鋭の政治家も不条理にわだかまっていたときもあるわけね。


前原:
いまでもやはり「不条理」という言葉は嫌いじゃないですよ。

―――やはり青春の悩みかしら。

前原:
というか,あの頃は何か思想にはまりたいんですね。ただ,それに実力がついてなくて。『資本論』も一巻でギブアップ。カントの『純粋理性批判』は途中で投げ出しました。「恒久平和論」は批判的に読みましたが。

―――へえ。


前原:
大学受験で,はたと困った。行きたい学部がなかった。数学好きだから数学科に行こうなんて思ったことはないんですね。おやじが法律家で,家には法律の本があって,なんとなしに京大の法学部を受けた。共通一次は千点満点で京大法学部のボーダーと言われる点数が八百八十点,僕は七百七十点。おふくろから「一年間なら浪人許す」と言われて一浪したわけですね。そのとき予備校の近くの本屋で立ち読みして出合った本が高坂正堯先生の『国際政治』(中公新書)だったんです。