あのタイタニックの事故で亡くなった乗客の大半は、裕福な上流階級の客ではなく、3等客室の乗客だった。3等なら現在の価値で10万円ほどを支払えば大西洋を横断できるため人気があったのだが、その客室には豪華客船という言葉から連想されるようなきらびやかさはなく、ほかの客室のあるエリアとは鍵のかかった扉で隔てられていた。
その3等客室の客の中に、イギリス人男性によって命を救われたアメリカ人女性がいた。助けた男性はタイタニックの航海士で「知られざる英雄」として、事故当時は話題になったが、それが誰なのかは分からないまま100年以上が過ぎた。
ところが2014年になって、その男性の正体が明らかに。アメリカ人女性の子孫は、男性の子孫に初めて会いに行く。NHKーBSプレミアム「アナザーストーリーズ」のカメラはその旅に同行した。
「奥様、私には救命具は必要ありません」
明治40年、1907年に建造が始まったタイタニックは、日本では元号が明治から大正に改まった1912年に処女航海に出た。日付は4月10日。北大西洋に氷山群が増えるこの時期になったのは工期が伸びたためだ。しかもこの年は過去50年で最も多くの氷塊群が観測されていた。
ミニー・クーツは2人の息子とともに、夫のいるニューヨークへ移住するためタイタニックの初めての乗客のひとりとなった。与えられたのは、船尾付近にある3等客室。
4月14日の夜も、その部屋で眠りにつくところだった。船内が騒がしくなったことに気がついた彼女は、部屋に救命具を探すと2つだけが見つかったので、それを子どもたちに着せて部屋を出た。しかし、逃げる先が分からない。3等船室を利用するのは移民が多く、その中には伝染病患者も少なくない。当時のアメリカの移民法は、3等客室の乗客をほかから隔離するよう定めていた。
ミニーの目に止まったのが若い航海士だった。ミニーはその航海士に、自分の分の救命具がないと訴え出る。すると航海士はミニーを救命具のある場所まで案内した。そこは、船首付近にある航海士の部屋だった。航海士は「奥様、私には救命具は必要ありません」と自分用の救命具を手渡した。
航海士は海のプロ。救命具を身につけずに氷の海に投げ出されたらひとたまりもないことは十分に知っていたはずだ。
続けて、こう言った。
「船が沈没しても、私のことを思い出してくださいね」
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