【甲子園V腕座談会】(2)池田が打てた本当の理由

2015年8月11日11時0分  スポーツ報知
  • 池田時代の思い出を語る水野雄仁氏
  • 1985年夏の甲子園決勝・宇部商戦で完投勝利したPL学園・桑田真澄

 1981年夏の報徳学園・金村義明氏(51)、83年春の池田・水野雄仁氏(49)、83年夏、85年夏のPL学園・桑田真澄氏(47)=いずれもスポーツ報知評論家=の甲子園優勝投手トリオによる豪華座談会の第2回。当時最先端を走っていた池田高校のトレーニングが明かされました。

 水野(以下、水)「(高校時代の練習中は)粉末のポカリスエットを水に溶かして飲んでね。ウェートをやったら6時半で練習が終わり。それから近くの『ウエノ』っていうレストランで食事をするんだけど、そこは直営の牧場を持ってるから、肉は毎日、いくら食べてもいいの。『トレーニングが終わって、30分以内に食え』って言われていた」

 金村(以下、金)「タンパク質やな」

 水「とにかく、ウェートをしたり、走ったりして腹が減ってるし、練習時間は3時間半くらいだから、そんなに疲れてもいない。ちょうどいいから、ガバガバ食うわけ。そうすると、ムッチムチになっていくんだけど、半年ぶりくらいに徳島商とか鳴門の野球部のやつらに会うと、みんなげっそりしてる。『池田に勝たなきゃ』って夜の10時、11時まで練習やってるから。それに、冬場は筋肉をしっかり作るために、週に1回は休みになったの。すごいでしょ?」

 金「最先端やで」

 水「『筋肉に休養を与えて超回復させないといけない』とかいうのを教えられて。『何が超回復だよ』とか言いながら、オレらはもう、遊びに行けるもんだから最高で…」

 金「腹立つなあ! オレらは水飲んだらあかんかったけど、どうしてものどが渇いて、トイレの水を『(ウンコが)へばりついてるからギリギリまで考えて飲むのをやめといた』ってヤツもいた。『ウンコなかったらいってたんかい!』って話やで(笑い)」

 水「甲子園に行った時はポカリスエットの容器を持って。メッシュのユニホームも着ていたなあ。メッシュになったら、半分くらいの重さなの」

 金「池田のイメージとは違うよなあ」

 水「蔦さんは新しいものが大好き。(東海大相模の)原(辰徳)さんの時(74年)から金属バットになったのね。オレが入った時は金属バットになって8年目だったんだけど、蔦さんが『今のままで、バントのままでは野球は勝てん』って言い出して。ある時、試合に負けて帰ってきたら『お前ら、あの(外野の)上を越せ』って言ったの。それからガンガン打つようになって」

 桑田(以下、桑)「それが『やまびこ打線』誕生のきっかけだったんですね。金属バットを冷やしていたなんて話もありましたよね」

 水「二塁を守っていた金山(光男)という、後に現役で徳島大の工学部に行くやつがいるんだけど、そいつが頭が良くてね。『金属だから締めた方が飛ぶ』って言って、樽に氷を入れて、ベンチの裏で冷やしていた」

 金「すごいなあ、徳島は。やっぱり、板東英二が出たとこやな。すごいわ!」

 水「甲子園に出たら、(氷水で冷やすのは)できないから、全員がコールドスプレーを1本ずつ持って、バットの芯のところだけ冷やしてた。デッドボール用じゃないんだよ」

 金「オレらは、キャッチャーなんてファウルカップもしてないねんで。キャッチャーが急所に球を当てて、宿舎で『どうしたんや?』って聞いたら、冷や汗かきながら『当たってん』って。『見してみい』言うたら、ソフトボールみたいになっててん。病院に行って、血を抜くんやで。アイシングなんかもしてなかったし…すごいね。2学年下の徳島が。冷却スプレーなんて見たことなかったで」

 水「PLとか報徳とか、ほかのチームの練習を見たことないから、ウェートとかサーキットトレーニングはみんなやってるものだと思ってた。田舎だから、何の情報もない」

 金「最先端やで。すごいよ。工学部とか出てくるし、トレーニングコーチとか『たんぱく質食べい!』とか。すごいねえ」

 ―桑田さんはPLに入ってみて、どうでしたか。

 桑「練習も長かったし、清原以外にもすごい1年生いっぱいいたんです。僕は『ちょっとPLではベンチに入れないな、3年間』って、それくらい絶望していましたね」

 水「同級生でピッチャーは何人くらいいたの? キヨもピッチャーだったんでしょ?」 

 桑「キヨもピッチャーでした。(1年生)20人のうち10人くらい。半分くらいがピッチャーでしたね」

 金「オレ、近鉄の時、見に行ったことあるもん。桑田の練習」

 桑「えっ?」

 金「PLの近くにゴルフ場とかがあって、たまたまそこに行った時に『お、PLが練習してる』って、車で中に入っていって…」

 水「入っていけるの?」

 金「誰でも入っていけるよ。施設見て『すごいな』って思ったもん。『近鉄よりすごいなあ』って」

 桑「(甲子園球場と同じ)阪神園芸の方が芝生とか土を全部、管理してくれてたんです」 

 水「南海、近鉄より上なんだ?」

 金「上、上! 阪急はその頃、藤井寺の近鉄戦が雨やったら、PLの室内(練習場)を借りていたりしたもんや」

 水「プロが?」

 金「おう。PLを見に行った時、『うわ、桑田、清原や』とか言いながら、『すげえな。近鉄より施設ええやんけ』って思ったもん」

 水「真澄は1年の春から公式戦で投げてたの?」

 桑「いや、投げてないです。練習試合では少しだけ投げましたけど」

 水「じゃあ、何でベンチに入ったの?」

 桑「野手として入ったんです。当時、大阪大会のベンチ入りは17人で、僕は背番号17でした」

 水「練習試合では打ってたんだ?」

 桑「まあ、守備とバッティング、あと、走塁も良かったんで。ピッチャーとしてはまったくダメで、クビ同然だったんです。それで、清水(一夫)先生【注】が来られて、いろいろトレーニングをしていたんです」

 【注】市神港と報徳学園の監督として、甲子園に春夏通算8度出場。社会人・神戸製鋼の監督も務め、77年に都市対抗を制した。83年からPL学園の臨時コーチを務め、外野の練習をしていた桑田氏の投手としての才能を見抜き、マンツーマン指導で育成した。

 金「清水さん言うたら、報徳の伝説のOBやで。『黒鬼』言うてな。あの人、日焼けで真っ黒けやろ? あと、沢井(則男)さん言うのが『赤鬼』。沢井さんは顔が赤いんや」

(一同爆笑)

 桑「後で聞いた話ですが、大阪大会の4回戦(対吹田)で、清水先生が『桑田を先発させてくれ』って中村(順司)監督に頼んだんです。そうしたら、先輩は当然、文句を言いますよね。『何言ってるんですか』って」

 水「そりゃあ、投げたことないんだもんな」

 桑「そうそう。それで『こいつがダメだったら、オレは野球界から足を洗う』って清水先生が言ったんです」

 水「それで抑えたの?」

 桑「はい。2安打で完封したんです」

 水「相手が弱かったの?」

 桑「いや、弱くないです。PLはギリギリで勝っていたので、もう投げるピッチャーがいなかったんです。それで『先発・桑田』って言われて。それまでは弁当運びとか、試合ではバットボーイ、ブルペンキャッチャーとかをしてたんです。いきなり『先発だ』って言われたんで『えっ?』って思ったんですけど」

 金「そりゃ、そうやな」

 桑「でも、キャッチャーの森上(弘之)さんという方が『桑田、オレは応援するから頑張ってくれ」って。5回ぐらいまで抑えたら、(主将の)朝山(憲重)さんとか、みんなが『桑田、頑張れ』って言ってくれました」

 水「スコアは?」

 桑「6―0ですね」

 金「ということは、投げて行きながら、(チーム内の立場が)変わっていった…っていう話やな」

 水「オレ、甲子園でPLを見ていたけど、3年生とか大したことなかったよね? よく甲子園に来られたよな」

 桑「その後はずっと投げました」

 水「決勝まで?」

 桑「全部、リリーフだったんですけど、先発した先輩が打たれたら、すぐに『桑田、行け』となるので、5回とか7回とかのロングリリーフでしたね。決勝(対桜宮)は9回途中から投げましたけど」

 【金村すごいぞメモ】
 ◆エースで4番全戦完投 81年夏の甲子園、報徳学園のエース&4番として全試合に完投して優勝。エースで、かつ全試合4番を務めた夏の優勝投手は17人いるが、このうち全試合完投は8人。夏の大会では、この時の金村が最後だ。この大会、6試合22打数12安打(2本塁打)4打点、打率5割4分5厘をマークしたが、春夏の優勝投手で打率5割超えは9人(春2、夏7人)。金村の.545は歴代3位(1位は72年春の仲根正広=日大桜丘=7割1分4厘、2位は39年夏の嶋清一=海草中=5割5分)。夏に限ると嶋に次ぐ2位の数字となる。

 【水野すごいぞメモ】
 ◆出場全16試合で安打 池田のエースとして優勝した83年春は2失点も自責0。防御率0.00のセンバツV腕は、全試合完封で優勝した38年の野口二郎(中京商)、40年大島信雄(岐阜商)、52年田所善次郎(静岡商)と水野くらいしか見当たらない。水野は出場した甲子園3大会、16試合すべてに安打をマーク。これは箕島・嶋田宗彦(78年春夏、79年春夏)と2人だけだ。最上級生で迎えた83年は春夏合わせて22安打(春10、春12安打)。年間最多安打は10年の興南・我如古(がねこ)盛次の25安打(春13、夏12安打)で、水野の22安打は歴代4位タイとなる。

 【桑田すごいぞメモ】
 ◆唯一の1年生優勝投手 桑田は春夏合わせて5度、甲子園に出場し、通算20勝3敗。1948年の新制高校以降では最多(戦前では中京商・吉田正男が31~33年に22勝3敗をマークしている)。

 1年生(83年)の夏から5季連続で甲子園に出場し、その全ての大会でマウンドに上がった。これは早実・荒木大輔、明徳義塾・鶴川将吾と3人だけ。また83年夏の優勝は、選手権唯一の1年生V投手という勲章が付いている。

 打撃でも甲子園で通算6本塁打を放っており、PL学園・清原和博(13本)に次ぎ、上宮・元木大介と並ぶ歴代2位。3年連続本塁打は清原、大阪桐蔭・中田翔と3人だけ。

  • 楽天SocialNewsに投稿!
高校野球