新瀬戸内海論 連鎖の崩壊  
 
HOME > 連載 > 連鎖の崩壊 > 第3部 命のふるさと -3
クジラがいた(下) 「受難の海」変わらず

 クジラの消息が途絶えた二十世紀初め。それは、瀬戸内海が「産業運河」への道を歩み始めた時期とちょうど重なり合う。
 蒸気船が帆船に取って代わり、埋め立てが浅瀬を食いつぶしていった。進藤さんは船舶航行の増大と工業汚水の放出、そして欧米諸国の捕鯨圧力をクジラの回遊が消えた原因に挙げている。
 <瀬戸内海を追われたコククジラは別の系群に加わり、回遊ルートを変えた可能性が強い>。コククジラ繁殖説を唱えた大村さんはそう推測した。乱獲と急激な環境変化。瀬戸内海を逃げ出すクジラの悲鳴が聞こえてきそうだ。
 その後、瀬戸内海に時折姿を見せるクジラは「珍客」でしかなく、「迷入」の一語で片付けられてきた。

100頭の大群
 様相が変わったのは九〇年代初め。瀬戸内海でクジラの目撃がにわかに増え始める。
 「あんな大群を見たのは初めて。びっくりしましたよ」
 広島県倉橋町の沖で百頭ものゴンドウクジラの群泳に出くわした自営業吉山和司さんは(48)は七年前の光景を今も興奮気味に話す。「すごいスピードで船の下を次々に抜けていく。迫力に圧倒されました」。
 大阪湾には九六年から子連れのミンククジラが相次いで出現。志度町沖では漂流死体が揚がった。
 日本鯨類研究所によると、瀬戸内海で漂着または混獲されたクジラ(スナメリを除く)は九〇年以降、二十件を数える。それ以前の三十年間で十一件だから、際立つ変化だ。
 「近年、情報が集まりやすくなった事情を差し引いても、瀬戸内海にやってくるクジラは間違いなく増えています」(石川創調査部研究員)。ナガス、マッコウなど大型鯨類の来遊が目につくのも、ここ数年の特徴という。
 瀬戸内海はクジラのすめる環境を取り戻したのだろうか。

志度町沖で見つかったミンククジラ。大型船との衝突で、あえなく昇天したらしい。白い腹が痛ましい(95年6月)
志度町沖で見つかったミンククジラ。大型船との衝突で、あえなく昇天したらしい。白い腹が痛ましい(95年6月)

大型船と衝突死
 「環境回復と結び付けるのは乱暴。クジラは音に敏感で神経質な生き物。大型船が頻繁に通る瀬戸内海に好んでやってくるとは考えにくい」
 遠洋水産研究所鯨類生態室の木白俊哉主任研究官は「クジラが増えたのは黒潮のいたずら」とみる。
 黒潮が日本列島に近づいた九一年ごろから「瀬戸内海には珍しい現象」(大阪府水産試験場)が起きている。播磨灘では二年前からクロマグロの捕獲報告がにわかに増えた。昨年十月、引田沖でも十二頭が定置網にかかり、漁民を驚かせている。
 「マグロもクジラも黒潮の分流に乗ってエサを追いかけ、瀬戸内海に入り込んだとみるのが自然。クジラの場合、個体そのものの増加が手伝っているかもしれない」と木白研究員。
 商業捕鯨の全面禁止から十七年。絶滅の危機からよみがえり、急速に生息数を回復したクジラにとって、しかし瀬戸内海はもう安心して戻れる海ではない。
 志度町のミンククジラを解剖した徳島県立博物館の佐藤陽一学芸員は「背骨が数カ所折れていて、即死状態。大型船と衝突したのでは」と事故死の可能性を指摘している。

伝説の世界に
 食物連鎖で守られる海の生態ピラミッド。クジラはその頂点に立つ地球最大の動物だ。つい百年前まで、瀬戸内海はその命さえはぐくむ力を持っていた。クジラを瀬戸内海の「生物誌」から消し去ったのは、人の過剰な営みだった。
 詫間町大浜でも捕鯨を知る人はみな鬼籍に入り、浜でクジラが話題になることもない。浦島伝説に彩られる荘内の里で、クジラもまた伝説の仲間入りをしてしまった。
 「こんな箱庭みたいな海でクジラが出産も子育てもしていたなんて、胸が熱くなりますね」。辻さんは「クジラのすめる海を奪ったのが人間なら、同じ人間の手で取り戻すことができるはず」と、波静かな燧灘を見やった。

Copyright (C) 1999 THE SHIKOKU SHIMBUN. All Rights Reserved.
サイト内に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています