これが輪島塗、
と言える本物を残す、伝える。
塗師屋 大﨑庄右ェ門さん
作り手としての哲学と誇りがある。
江戸末期の創業から、代々“庄右ェ門”を継承し、現在四代目となる大﨑庄右ェ門さんは、輪島塗の塗師屋(ぬしや)さんです。100以上の工程を要する輪島塗では、その工程ごとに専門の職人たちがいます。それらを束ね総合プロデュースするのが塗師屋であり、大﨑さんは中村敦夫さんが演じる紺谷弥太郎というキャラクターが生まれるきっかけとなった人物です。
大﨑さんの家は国の登録有形文化財に指定されており、”住前職後”という、通りに面した前部が住まい、奥が仕事場となっているかけがえのない塗師文化がつまった塗師屋ならではの建物。間口はそれほど広くありませんが、奥行きは90m近くあり、奥には三棟の土蔵、その中央にある土蔵では職人たちによる塗りの作業が行われています。
「現在は自分のところで職人を雇ってものを作るという形態がだんだん少なくなっています。仕事があるときに外の職人に外注するアウトソーシングが増えています。
オーダーメイドが基本の輪島塗では、何よりお客さまとの信頼関係が大切。100を越える工程がありますが、そのどれか1つが欠けても大﨑の漆器にはなり得ません。そういう妥協は一切できない。ですから、ぼくは職人たちのそばで常にコミュニケーションをとって、商品の管理をすることが大切だと思っています」。

そこにあるのは、大﨑さんの塗師屋としての哲学と誇りです。

職人たちには親父が2人いる。
漆職人になるには、劇中に登場する圭太(山﨑賢人)のように親方のところに弟子入りしなければなりません。そして、4年間の基礎トレーニングを積みます。
「4年間で習得した技術ではまだまだ安心して仕事は任せられない。一人前になるにはやはり15年くらいはかかりますが、とりあえず4年間で一区切り。いわゆる年季明けです。
年季が明けると、ほかの塗師屋などに移ることができます。幸いにもぼくのところでは、ほかに移って行った職人はいませんが、生涯、どこで年季明けしたのか、どこの弟子だったのかという看板を背負って仕事をすることになります。ですから、塗師屋で弟子をとるときには、技術面だけでなく人間性もしっかり育てる覚悟がなければなりません。
年季が明けると、ぼくは弟子に大﨑の家紋が入った羽織とはかまを贈ります。たとえ、うちを出てよそに移って仕事をしようが、親方と弟子という関係は死ぬまで変わらないからです。そういう意味では、職人たちには、親父が2人いることになります」。

日本産の漆を数十年寝かせてから使う。
輪島塗は堅牢であることが特長です。輪島塗と聞くと、特別な器、美術工芸品のイメージをもつ人が多いと思いますが、元々“暮らしの道具”として生まれました。珪藻土(けいそうど)を漆に混入して塗ることで、輪島塗の漆器はほかの漆器に比べて、はるかに丈夫になったのです。
「ぼくが先代から仕事を受け継いだころのお客さんの多くは料理屋さんでした。そこでの器は毎日過酷な使われ方をしますが、何十年使ってもびくともしない。それどころか、味わい深くなっていく。たとえ、落として欠けたり傷が付いてもリフォーム(修復)すればまた使い続けることができる。それが、輪島塗です」。
また、大﨑さんのところでは漆に徹底的にこだわっており、現在使われている漆は昭和40年代、50年代に採取されたもの。岩手県北部で真夏に採取された漆を精製したあと、蔵で数十年寝かしたものを使っているそうです。
「これは不思議なことですが、うちで寝かせた漆は、うちの土蔵でしか反応(硬化)しません。いくら温度・湿度が同じでもほかの土蔵では反応しない。本当に不思議というほかありません。
また、漆も人間と同じで性格が違います。乱暴な漆もあれば、おとなしい漆もあるので、その性格を見極めながらブレンドします。
安価な海外産の漆を使って、工程も短縮化して、大量生産しようという動きもあるけど、ぼくは先代から受け継いだやり方を変えるつもりは一切ありません」。

「見えなんでも、
嘘をちゃついたらだめや」。
じっくり寝かせた30・40年前の漆を使い、修業を積んだ職人たちが100以上の工程を重ねて作った輪島塗と、大量生産で作られた漆器。その違いは?
「海外の漆を使い大量生産されたものと、国産の漆を使い多くの工程を施した漆器、その違いはパッと見はわかりません。プロのぼくたちが見ても判断がつかない。
でも、20年、30年使うとその違いは歴然としてきます。まず、ふっくら感が違う。輪島塗の漆はふっくらしてくるけど、たとえば海外の漆などはやせてくる。堅牢さも含めて、それはもう全然違います。
今、正倉院に眠っている漆器が、もし海外の漆で塗られていたらおそらく千年ももっていないでしょうね、ぼくはそう思う」。

弥太郎は圭太に言いました(4/16放送)。「とりあえず上からきれいに塗ってしもても、パッと見はわからん。だまそう思ったらだませるげ。ほやからこそ、だましたらだめねん。見えなんでも、嘘をちゃついたらだめや。ほれが輪島塗や」。
輪島塗の器を手にした人が、そこに今を見るか、20年先、30年先、50年先に思いをはせるかで、その価値は違ってくるのかもしれません。