『サウンド・オブ・ミュージック』製作50周年記念吹替版 インタビュー  演出家 佐藤敏夫/聞き手:とり・みき

──今回『サウンド・オブ・ミュージック』を50周年記念版日本語吹替音声で鑑賞させていただきましたが、大変すばらしい出来だと思いました。

ありがとうございます。

──その『サウンド・オブ・ミュージック』の話に入る前に、まずミュージカルの吹替制作は、かなり普通の吹替とは違っていると思うのですが、その辺りの話からうかがわせていただければと思います。

まず吹替版を作る時に、ミュージカルといえども歌の部分を吹替えるケースは、ほとんどないと思います。やはり相当費用が掛かりますから。もちろんお金だけじゃなくて、スケジュール的にも相当掛かります。今まで私は(歌を含めて)全編を吹替えたことも何本かありますが・・・1982年でしたかね、『アニー』という作品を、初めて全編日本語にしたんです。「日本語版を観たい」という子供たちのおかげでヒットしたようです。

──やはり歌まで日本語に吹替えるとなると、劇場用の日本語版が多いですよね。

多いですね。

── 一方のテレビ放送版では、原音の歌の部分が吹替えられていないことが多いですが、それはそれで、また難しいところがあるのではないでしょうか。

そうですね。歌と台詞は違うものとはいえ、まるで声質が違うと問題ですから。もちろん演技力も必要なわけで、その中で「この役を表現してくれる人は誰なのか」ということになります。ピックアップしたその中で、一番ボイス・マッチした(声の似た)人を選ぶというのが常識ですね。今までもそうやってきました。

──元々の歌のトラックは台詞のトラックに入っているのですか?

ME(Music & Effect 音楽と効果音が入った素材のこと)の中に、ヴォーカル・トラックが別にあります。

──子供の頃ですと、まだ外国の俳優さんにもあまりなじみがないので、テレビでミュージカルの吹替版を観て、歌だけ英語の歌になってしまうと・・・。

違和感がありますよね(笑)。

──子供は違和感が先に立ってしまって、なかなか話に入り込めなかったわけですが、大人の視聴者はむしろ元の俳優や歌手の歌を聴きたいという人も多かったような気がします。実際のところ、「変えるな」という方が多いのか、それとも「歌と台詞のチグハグさを日本語で統一してほしい」という意見の方が多いのか。どちらなんでしょう?

テレビの場合は、視聴者の方がどこまで分かってくれているのかこちらは分からないですね。でも、色んな条件の中で、「これは難しいだろう」と理解してくれていた部分があるんじゃないんでしょうか(笑)。ディズニーさんは昭和30年(1955年)頃からの作品も全て日本語にしていたそうで、話を聞くと、ひとりずつ何分もは録れない状況で、毎日毎日録っていたといいます。30日~40日掛けて1本を作っていたわけです。アメリカでは、今でもそういう形ですね。

僕は昭和49年(1974年)に一度向こうに行って、ミュージカルではなく映画だったんですが、現場を見せてもらっています。確かイタリア映画の英語吹替を行っていて、フィルムの1分半~2分をロールにし、それをずっと流しっぱなしにしているんです。スタジオの中に役者さん、ディレクター、プロデューサー、翻訳者がいるのは当然として、口が合うかどうかだけを見ている人もいます。リップシンクだけを見ている人。この調子でしゃべっていると長いとか短いとか口型が合わないとか、そういったことをチェックするんです。さらに翻訳者もいるのに、その台詞だけをもう一度考える人がいる。6人がスタジオの中に入って、マイク1本だけを立てて、自分の役回りだけを一生懸命にやっている。ディレクターは「そういう話し方だと相手はこう来るはずだから、こうしないさい」と演技指導しているわけですね。僕は朝9時に到着して、その後スタジオの中を色々見せてもらって、11時半か12時頃に戻ってきたら、その1分半~2分のところをまだやっている(笑)。実際に英語(吹替)版を仕上げるのにどれくらい掛かるのかと聞いたら、30~40日、下手したら50日掛かると言うんですね。

昭和49年の段階でそれですから。アニメーションではなく、普通の映画の吹替でした。そういう状態で彼らは作っているのだから、当然向こうは歌もそういう方法でしょう。エンターテイナーは向こうの方が多いですし、ボイス・マッチも日本の比ではありませんから。そういう意味では、日本の吹替はテレビ用から始まりましたから、アメリカやフランスの吹替と比べると、「字幕よりはいいだろう」という程度のものでした。最初は台詞もかなりギクシャクしたり、長さも合わなかったり。僕は昭和37年からこの仕事をやっていますが、40年頃までは吹替の台詞の分量も多かったので、何が優先かというと“滑舌”なんです。しかもフィルムが回り始めてから終わるまでNGは出せません(笑)。みんな必死でやってましたね。条件的に劣悪な日本の場合は、向こうと比べものにはならないです。その頃に僕がドラマ「サンセット77」(米ABC放送の探偵ドラマ。日本では、1960年から幾度かの中断を経て68年まで放送。吹替えには黒沢良、園井啓介、高山栄、島宇志夫らが参加)をTBSからお仕事をいただいて、残っていた約110本……120話目頃から関わらせてもらったんですが、彼らはすでに120本くらいやってましたから。ベテラン揃いで(笑)。1回フィルムを観てテストをやって、「じゃ本番行こうか!」という感じでした。

──演技以外にも職人的な技や慣れが必要ですね。

そうですね。それからしばらくはそういう状況のままでやっていて、だんだん翻訳する側の人が慣れてきたんです。額田やえ子さんや木原たけしさんですとか。「演技に基づいて台詞を考えてあげなきゃいけないね」ということだったんでしょうね。相当こなれた日本語になってきて、役者も演技が出来るようになってきたというか(笑)。昭和30年を少し過ぎたくらいからTBSは日本語版を作り始めていたわけですから、やはり10年くらい掛かっているんじゃないですかね。日本語版としてどうだと言えるようになるまでには。

──そのうち長尺ものの時代になり、ミュージカル映画も吹替になるわけですが、歌の部分は原音、台詞の部分は日本語の吹替という形になると、繋ぎやテンポなどで難しかったりはしませんでしたか?

色んなミュージカルの中でも、本作もそうなのですが、台詞の途中から歌い始めるというのが一番難しいですね。ミュージカル映画だとしても、一通りの芝居が完結した後から歌うケースと、台詞の途中から歌い始めるのがあるんです。昭和40年半ばくらいからMEトラックというのをもらえるようになったんですが、それ以前はMEをもらえませんでした。

「名犬リンチンチン」というシリーズ(少年とシェパードの活躍を描くウエスタン。日本では1956年から60年に掛けて日本テレビにて放送)があって、あれは犬が鳴くんですけれども、MEが無かったので台詞が終わったら(原音の)犬の鳴き声だけボリューム上げて、そこだけ使うという高度なテクニックを使って・・・これも神業ですよね(笑)。ミキサーも大変だったと思うんですが。「スパイ大作戦」(『ミッション:インポッシブル』シリーズの原作となったスパイ・ドラマ。日本では1967年よりフジテレビ系列で放送)の頃になるとMEをもらえていましたが、それまでは音楽はレコードから選曲していました。その頃にはもう、アメリカでは著作権の問題があったとは思うんですが、日本では昨日封切られた映画の音楽を、(テレビで放送する)古い映画に使ったりしていました。

テレビ朝日がまだNETと呼ばれていた時代に「土曜洋画劇場」を始めて、あの頃はまだ公開されたばかりの映画はテレビに出せなくて、3~5年経たないとダメだったので、古い映画を追っかけ追っかけで放送していたんですよ。初めの頃はおそらくMEは全部は無かったと思います。当時の新しい映画に関して「やっぱりMEが無いとね」という話になったのは、アメリカで著作権のことがかなり言われ始めていたからだと思います(※映画の音楽は、その映画での使用に限って権利がクリアされているので、他の映画に無断で使うと著作権の問題が発生する)。聞いた話ですが、とあるテレビ番組で音楽を使ったところ、当時で数百万円の著作権違反の罰金を取られたことがあったというんです。そんなこともあって、我々も「とにかくMEが無いとできないよ」となりました。

ですから、「MEってこんなにありがたいものなんだ」と、MEをもらえるようになって万々歳でした。それまでは台詞を録るのも大変ですが、「ダビングをどうしようか」というのも心配事としてありましたから。「スタートレック(宇宙大作戦)」が昭和44年(1969年)ですが、そのあたりだと、もうMEは来ていましたね。

──あの頃は、色々な映画で同じ曲が、耳なじみのある曲が使われていましたよね。CMの前辺りで盛り上げるブリッジだったりですとか。

ええ、色んな映画で出て来たと思うんです(笑)。あれも全部レコードからの選曲だったという、そういうことなんです。

──SE(Sound Effect 映像に合わせて付け加える効果音のこと)も日本側で作られていたのですか?

今のMEはほとんど足す必要がないほど立派なものが来ますけれど、当時のものは台詞が入っている部分に来ると、突然効果音が無くなっちゃうんです(笑)。それは撮影時の同時録音を使っているからなんですが、その頃から映画は大体アフレコをやっていたはずで、アフレコをするということは、海外でもその段階でSEを付けているはずなんですよね。MEの中に加えてくるはずなんですが、台詞が入るとSEが無くなっちゃう(笑)。どうやらMEを作る会社が下請けで別にあって、そこの手抜きが原因だったみたいですが・・・一番酷かったのは音楽も途中でスポンと無くなっちゃって、しばらくすると違う音楽が入ってきちゃうという・・・。アメリカが作ったとはいえ、下請け会社が作っている、そういう酷いのも経験してきました(笑)。

──向こうの映画の効果音は、ほとんど後付けですよね。

そうですね。向こうもきちんと後付けしたものを下請けに渡して、完璧なものを作っているんでしょう。当時は何ヵ国も吹替はやっていなかったと思うんですよね。それが今や「ER緊急救命室」(第15シーズンまで続いた、スティーブン・スピルバーグ製作総指揮の大ヒット・ドラマ。日本では1996年から2011年にかけてNHKで放送された)も世界各国で放送されていますから。その収益もあるでしょうし、完璧なものを作って渡すということになったんでしょうね。

──今は逆に、権利元の映画会社のチェックの方が厳しくなっていて。

そうですね。向こうの方もかなり気を付けて立派なMEを作ってます。公開する国の数が増えたからだと思いますね。

──それでは、『サウンド・オブ・ミュージック』の話に移らせていただきますが、まずは作品についての公開当時の印象を教えていただけますか。

当時公開直後に観たのか、しばらくしてからだったのかあまり記憶がないんですが、実話だと当時から聞いていました。もちろんかなり創作もあったかとは思うのですが、当時は「本当にこの通りだったのかな」と思いながら観ていたのを覚えています。最後のコンサートの後のシーンで「あの後上手くみんなで逃げられるのかな」と、冷や冷やしながら観て・・・ラスト・シーンなんて、劇場でね、みんなで泣きながら拍手した覚えがあるんです。とにかく感激して涙がいっぱいでしたよ。

──映画では山を越えてスイスに逃げることになっているんですが、現実には、オーストリアのザルツブルクから山越えしてもドイツにしか出られないらしいですね(笑)。

あそこは作り話ということですね(笑)。

──山越えのシーンで終わりますから、それが余計に感動的ですよね。

実に見事な映画で、やはりマリアに憧れるというか、若い頃はジュリー・アンドリュースが凄いと思ったことを覚えています。その割にはトラップ大佐(クリストファー・プラマー)のことは全然覚えていないです(笑)。

──最初のテレビ版(1976年に「日曜洋画劇場」で放送)では歌は原音でしたが、ジュリー・アンドリュースは武藤礼子さんでした。

ええ。武藤さんは、ジュリー・アンドリュースの吹替をかなり多くやっていましたね。彼女も上手い女優さんでしたから雰囲気はかなりよくやっていたし、それに声質そのものもそんなに変わらなかった気がします。ただ台詞と歌が日本語と英語とではっきり分かれていましたけど、そういうものとして、みんなも観てくれていたと思うんです。

──製作40周年記念版(2006年発売)では歌も吹替えられて新たに収録されたわけですが、この時にはオーディションも行なったのでしょうか?

結構やりましたね。

──どうしても、歌を重視すると演技力がもの足りない、演技を重視すると歌唱力が足りないということもありますよね。

ここまで来ると歌優先ですね。歌が歌えないとやっぱり・・・。アメリカでもよくありますが、歌と台詞を全然違う人がやってる場合もありますから。

──『サウンド・オブ・ミュージック』製作40周年記念吹替版では、メインのお三方以外の方も、声の仕事をなさっていて、かつ歌も歌えるという方々ですよね。

はい、そうです。歌える人を選んでいました。伊集加代さん(修道院長役)だけ、僕が吹替版の演出をした『アニー』の時にご一緒したので、このフィルムを観て「ああ、これはこの人しかいないな」と思ってキャスティングしました。

──伊集さんの歌声はコーラスグループで昔からよく聴いていましたが、あまり前面では歌われない方ですよね。

CMソングは随分多いですよ。

──—はい、大滝詠一さんの曲のバックコーラスや、日本テレビの深夜番組「11PM」のテーマのスキャットですとか。ですので逆に、演技の方にびっくりしました。修道院長さんの感じも合ってましたから。

あと子供たちは全部オーディションです。何人くらい来てくれたかな。役が多いですから100人くらい見たかな。もっと多かったかもしれません。

──子供の声というのは難しいところもあると思うんです。昔は女優さんが吹替えることも多かったわけですが、アニメはともかく外画だとちょっと不自然だったりしましたし。

ここまで来ると、子供たちの役も実年齢に近い子たちでやらないと雰囲気が出ないですよね。『アニー』の時も大変でしたから。あの時も6人くらい子供役がいて、それも大々的にオーディションしましたね。

──子供らしさって、あまり演技が上手すぎると無くなってしまうじゃないですか。むしろ、多少たどたどしくても自然な感じのほうが合っているのかなと思ったりもするんですが。

そうですね、子供の役を大人がやる時に僕がいつも言うのは「7、8歳の子供を吹替えるのなら、彼らは7,8年しか生きていなくて、その分しか知識がないのだから」ということなんです。30歳の女性が吹替えるなら、20年以上余分に生きてて、色んなことを知ってしまっているわけで「もういっぺん7、8歳に戻れ」ということです。一番分かりやすいのが、7、8歳の男の子が平気で「やいやい、ブス!」って言うでしょ。大人が「ブス!」って言うと、相手をどれだけ傷つけるかを考えてしまうので、躊躇しながら言ったりするんですが、子供は当然のように「ブーーーース!」と言ってしまう。それが子供であり、「相手がどれだけ傷つくかよりも、自分がブスという言葉を覚えたので使いたい」という気持ちで子供はしゃべってるんですよ、と説明します。子供らしさとは、7、8年しか生きていないことだというのを自分でしっかり確認することだと思うんです。ただね、最近の子役を見ていると「本当に7、8歳かい?」と思うこともありますけれど(笑)。一番下のグレーテルの「さようなら、ごきげんよう」という歌なんて、とっても可愛いなと思うんですよね。上手とか下手じゃなくて、要するに雰囲気が出せればと思ってやったんです。

──そして今回の製作50周年記念吹替版では、メインキャスト3人の配役を変えての吹替となるわけですが、このお三方の選出には関わられたのですか?

リーズルの日笠陽子さんだけは、僕のほうからも「彼女はどうか」と、候補として提案しました。主役の2人に関しては携わってないんです。平原綾香さんは歌では存じ上げていたんですが、「歌が上手い子だな」と思っていて。ちょうど探していた頃に、テレビで観ていたんですよ。「もしかしたら、この子に白羽の矢が立つんじゃないだろうな」と思ってたんですよ(笑)。「でもなぁ、芝居なんてできないだろうなぁ・・・」と思ってた矢先に「決まりました」と言われて少し心配になっちゃったんですね。アフレコのスケジュールを確認してもらって、僕は4日くれと、下手をすると予備で5日目も欲しいと、台詞と歌とで収録期間の間に余裕があったので、とりあえず台詞の方の予備日だけ押さえてくださいと言ったんです。そして台詞録りの初日に、一番最初のシーンが一番大事なので「やってみましょうか」と始めたら、まあ見事で。「ああ、これは大丈夫だわ」と、第一声を聴いてホッとしましたよ(笑)。ご本人もだいぶ練習したみたいですね。ホントに何度も何度も練習したみたいです。この分だと大体このくらいで終わるなと目処も立ったので、「今日はここまでにしましょう」と。掛かった時間は2日でした。

──頭から順番に録られていったんでしょうか?

頭からです。頭を聴いて大丈夫だと思ったので、時間的に映画と同じような形で押していこうと考えました。時間軸も含めて、最初から行ったほうがいいなと思ったんです。初めは平原さんがどういう人なのかも分かりませんでしたし。修道女たちがマリアのことを「自由奔放でどういう人か訳分からない」と言っているから、それを見せなきゃいけない。「そこはそういう雰囲気でやってくださいね」と説明しながら進めていきました。

──演技力だけではなく、口を合わせる技術的な問題もあったと思います。

かなり覚えてきたみたいです。何回も何回もやって。いやぁ、ビックリしましたよ(笑)。あまり無理させないで順番に録って、2日で録れました。2日目は、お昼過ぎから始めて夕方6時くらいまでやって、一番最後に「ハイ、OKです。どうもありがとう」と終わった瞬間に、もう涙流して抱きついてきてくれましたよ、彼女は(笑)。感極まったんでしょうね。スタッフ全員に自ら握手しに行ってね。

──ジュリー・アンドリュースの姿と平原さんの声に、あまり違和感が無かったですよね。

そうですね。当時(撮影時)ジュリー・アンドリュースは28歳かな。平原さんはもうちょっと上ですかね。でも、西洋人と日本人の年齢のイメージから言うと、ちょうどいいくらいですね。最初はまだ少女の感性が抜けていない、自由奔放な女性という印象で、そこから段々自然と大人の女性へと目覚めるわけですが、大佐が好きになって「最後は女だよ」と。「それまでは自分の思い通りにやってください」と話していました。その辺りも含めて、よくやってくれたと思います。

──トラップ大佐役の石丸幹二さんはいかがでしたか?

石丸さんは、劇団四季を辞められた時から「(洋画の)吹替をやってみたくて、やってみたくて」とおっしゃっていたんです(笑)。四季の彼の先輩たちが皆やっているんですよね。彼は在籍中にやったことがなかったので、出てからやってみたいと話していたようです。ずっとお芝居を含めてミュージカルもやっておられるから、僕が言うまでもなく、どういう風に役を設定していけばいいかもご存知でした。細かいところは指示を出しましたが、ほとんど彼の発想で演じてもらいました。

────芸大出身でミュージカル経験があって、かつ四季というテレビの黎明期から吹替をやっていた劇団そだちですから、適任ですね。

もうベテランですよね。

──トラップ大佐といえば、どうしても井上孝雄さんや若山弦蔵さんが担当されていた以前の吹替版の印象が強くて、もう少し落ち着いた感じのイメージが勝手に付いていたんですね。ですから、最初台詞から入られた時は「ん?」と思ったんですが、歌になって「なるほどいい感じだな」と思いました。日笠さんのキャスティングには少し関わられたとのことですが、元々アニメの方でも人気声優ですし、最近は歌手宣言もされてますね。

10年くらい前でしょうか、彼女と仕事したことがあったんです。僕はあまりアニメーションはやらないのですが、彼女は活躍の場がアニメの方に移ったようで、「(外画の)吹替はどうかな・・・」と正直なところ思っていました。でもご本人は「やってみたかったんです! やりたかったんです!」とかなり話されていたので、「とにかく画面に合うようにやってね」と話をして進めてもらいました。

──「アニメとは違うよ」といった演出の注意などはされたんですか?

ひとつは“若さ”みたいなのが・・・アニメをずっとやっていると、何と言うか、自然な声ではないんですよね。ですから、「普通にやって、普通にやって」というのが口癖でした。「自分がどう思っているかという“気持ち”だけでやってくれればいいから」と話しました。キャラクターはそんなに苦労しないで作れたようです。歌は、僕はちょっと分かりませんけど、仕上がりとしては良いと思います。

──市之瀬洋一さんが歌を演出される場合には、佐藤さんもご一緒に?

はい、「ここの画面はこうだから、もうちょっとこうやったほうがいい」と言ったこともあります。彼もディズニー作品でかなり歌を手がけていらっしゃるようなので、フィルムに合わせて(声優に)歌わせることはけっこう多くて、「ダビングがこうだから、こう歌おう」みたいな話はよくしていました。

──アニメ作品ではありますが、ディズニーの『アナと雪の女王』があれだけヒットしたことで、今後ミュージカルの劇場版も吹替が増えそうな気がするのですが。

いやぁ・・・でもやっぱり色んな意味で大変ですよ。

──労力も予算も、かなり大変ですよね。

まあ、やれと言われれば「うん、やるか!」となるでしょうけど、それだけ予算を組んでくれるかどうかってところですよね。

──翻訳はテレビ版と同じ森みささんとクレジットされていますが、最初のテレビ版の脚本と同じものですか。それともアレンジされたのでしょうか。

ほとんど同じです。テレビ版の時に森みささんが翻訳されたものを、40周年版でも使いましたし、今回もそれをベースにしてやりました。ほんの少しだけ今の言葉使いに変えたりはしていますが。

──結局、トータルで収録には何日掛かっているのでしょうか?

3人に関してだけですが、石丸さんの台詞が2日、歌が2日で、合計4日間。平原さんが台詞2日、歌が3日で、合計5日。日笠さんは台詞1日、歌が1日…合計で11日間ですね。

──通常の吹替版制作では考えられない期間ですよね。

もちろん(本編の)長さも関係していますけどね。40周年版の時は、その3人を外しても、台詞で2日、大人の歌で2日、子供たちで3日かな。延べで7日間程掛かってます。ですから、合計すると3週間弱ですかね。

──今回の50周年版は、劇場でも上映されることになっています。

若い子たちがこの作品をどれくらい観ているのか・・・10年前にもこうして40周年版を出しているわけですけれど、劇場で掛かって遜色ない立派な映画です。観てもらえれば、若い子にもしっかりと受け止めてもらえると思います。画質もそうとう綺麗になっていますから。

──あまり画質が良くなると、口パクが昔よりもはっきり分かっちゃいますよね(笑)。

ははは(笑)。そりゃもう、スクリーンで大映しで出てきたら大変ですからね。『アニー』の時もリップシンクで相当苦労をして、歌詞のワンフレーズや一行を考えるだけでひと晩掛かったりしていましたから。

──台詞ならまだブレス位置を合わせたりできますけど、歌となると・・・。

歌はね、やはり元の歌詞がア段の音で出ているところは、日本語もア段で当ててあげないと。そこにイ段やウ段の言葉を持ってきても、歌詞として立派でも画面としてダメなんですよ。

──歌詞については、「ド・レ・ミの歌」はペギー葉山さん。あれも日本語用に変えてあるわけで、直訳ではないですよね。

ペギーさんに(歌詞の使用を)「NO」と言われたらどうしようかと思っていたんですが、40周年の時も「まずペギーさんに了解をもらってください」と言って(笑)。もし「NO」と言われたら「こちらで違う「ド・レ・ミの歌」を作らなきゃならない」と話していたんです。

──そうなると、観客の側も「この歌は違う!」と思っちゃいますよね。

違うと言われたら違うんですが(笑)。でも、「やはりペギーさんのあの歌詞でしょう」という話になっちゃいますから。

──すんなりOKだったんですか?

ええ。

──「ER緊急救命室」のシーズン1で、ローズマリー・クルーニー(ジョージ・クルーニーの伯母)がゲスト出演するエピソードがありますが、吹替をペギーさんが担当されていて、歌手役だから歌手が吹替なんだな、上手い配役だなと思ったことを覚えています。

あれも本当は歌は原音で流そうかという話だったんですが、ペギーさんがやってくれると言うんで、じゃ歌ってもらおうということになったんです。あれは良かったですね。

──それでは最後に、『サウンド・オブ・ミュージック』製作50周年記念版が発売されるに当たって、演出家の立場からご覧になる皆さんにメッセージをお願いできたらと思います。

40周年の日本語版は10年前に最善を尽くして皆さんにお届けしました。そして50周年、10年経って最新技術を駆使して画面は一段と綺麗になりました。それに相応しい日本語版を届けるために、実力派を厳選して集め、全力で制作に取り組みました。若くて自由奔放なマリアが悪戯な7人の子供達を相手に悪戦苦闘し、厳格な父親として威厳を放つ大佐と懸命に向き合う姿を、ひとつひとつ見事に演じてくれた平原綾香さん。石丸幹二さんも人間味溢れる大佐を、平原さんと息を合わせてこれまでと違った新しい『サウンド・オブ・ミュージック』を創り上げてくれました。そして可憐なリーズルを、まさしく可憐に演じてくれた日笠陽子さん。これこそ50周年に相応しい日本語版になったと自負しています。子供たちと楽しく歌う「ド・レ・ミの歌」、大佐がマリアに愛を告白するシーンや最後のトラップ一家が演奏会で歌う場面は、何度観ても胸が熱くなります。素晴らしい歌がたくさん入っている『サウンド・オブ・ミュージック』。皆さんも一緒に歌ってみてはいかがですか。

(2014年2月23日/於:20世紀フォックス ホームエンターテインメント/文:村上ひさし/協力:フィールドワークス)

佐藤敏夫(さとう としお)

音響演出家。日本大学芸術学部卒。株式会社東北新社の外画演出部を経て、現在はフリーとして活躍。主な演出作品に、。映画・海外ドラマでは『スターウォーズ エピソード1』『ジュラシック・パーク』『2001年宇宙の旅』『ER緊急救命室』『事件記者コルチャック』『スタートレック』。アニメでは『フランダースの犬』『宇宙戦艦ヤマト2』など。

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