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各界で活躍する著名人が自らの学校時代を語ります。

高校の授業と対局の両立…清水市代さん

女流棋士

  • 清水市代さん(松田賢一撮影)
    清水市代さん(松田賢一撮影)

 小学校1年の頃、父が自宅で将棋教室を始めました。

 でも、私はじっと座っているのが苦手で将棋を好きになれず、外で遊び回っていました。ところが、小6の時、腕をけがしてしまって外で遊べなくなり、その際、父から将棋の手ほどきを受けました。わざと勝たせてくれて、ほめてくれました。将棋が好きになるように上手に導いてくれたのです。

 徐々に腕を上げ、中学3年の時、女流アマ名人戦で優勝しました。その後、高柳敏夫八段(当時)に入門。師匠は「将棋に学歴は無用」が持論で、私の高校進学に反対でした。でも、私は学校の勉強も大好きだったんです。特に小学生の頃から算数が得意で、将来は数学の教師になりたいという思いもありました。数学はどんな難しい問題でも自分の力で解いて、一つの解答を導き出せる点が魅力でした。当時は女流棋士というだけでは食べていけるか分からなかったという事情もあります。師匠を何とか説き伏せ、地元の東京都立清瀬高校に進学しました。

 2年生の時の担任だった先生は、将棋のことも詳しくて、担当も私の好きな数学だったので、親近感がありました。対局で出席できない日もあり、現代国語の単位が足りなくなったのですが、担任の先生が国語の先生にかけあってくれて、特別に補習をやってもらいました。

 同級生も応援してくれました。3人の親友が私のために欠席した日の授業のノートを作ってくれました。当時はコピーがあまり普及していなかったので、わざわざ手書きで写してくれたのです。時々、「ファイト」という言葉と共にイラストも添えられていて、対局で負けた時もこのノートを見ると、すごく救いになりました。先生と親友3人とは今でも交流があります。(聞き手・飯田達人)

プロフィル
しみず・いちよ
 1969年、東京都生まれ。高校2年の時にプロデビュー。通算タイトル獲得は43期で歴代1位。女流六段。NHK杯テレビ将棋トーナメントで司会を務めている。

 (2015年4月9日付読売新聞朝刊掲載)

2015年04月13日 08時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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