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【雨宮塔子】夫の個性受け継いだ息子 オカシく実況中継

2010.08.10


雨宮塔子【拡大】

 TBSのアナウンサー時代は、「チューボーですよ!」や「どうぶつ奇想天外!」などバラエティー番組の担当が多く、同局の元祖アイドルアナとして人気を集めた。ところが28歳で退社し、単身フランスに。その4年後にパリで結婚。現在は7歳の女の子と5歳の男の子の育児に追われる日々だ。

 局アナ時代よりスリムになって女っぷりもぐんと上がった。やはりパリの水は違うのかと思ったら、「いやいや、息子ダイエット」と笑う。

 「息子はちょっと変わっているというか、面白くないことがあると横断歩道で大の字になって寝たりするんです。言っても聞かないから、『じゃあ、そこにいなさい』って言うと、近所のおばあちゃんに注意されちゃう。幼稚園では歌ったり踊ったりが大好きなくせに、集団でのお遊戯は『僕はやりたくない』。何でも主張があるんですね。日本ではこうはいかないでしょうから、フランスで育って彼は本当によかった」

 その個性、母と父のどちらに似たのか。

 夫は「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」のオーナーシェフ、青木定治氏(42)。パリで修業後、帰国して店を持つ日本人パティシエが多いなか、青木氏は最初から日本に戻る気はなかった。パリに店を構え、本場で認められ、すでにパリ在住21年目。「老人になったら分からないけど、日本に住む感覚がない人」だという。

 なれそめは女性誌「Oggi」に連載していたパリの生活をつづるコラムの取材。料理は何度もテーマにしていたが、「どうしてお菓子の話がないのか」と編集者に指摘された。「どうしようかなあ」と思っていたところに、たまたま紹介されたのが青木氏だった。

 「お菓子への情熱はすごいんですけど、こちらが望んでいるのとまったく違う答えが返ってくる。とりあえず『ふんふん』と聞いてその日は帰りましたが、全然文章にできない。それでもう一度聞かせてほしいと電話すると、『電話じゃ…、もう1回来てくださいよ』と。『面倒くさいなあ』と思いながら行きました」

  そんなことから交際が始まったのだという。いま改めて最初の出会いについて聞くと、「本当に勉強していて彼のお菓子について知っている人にはポンと答えるけど、そういう人じゃないとイヤになっちゃうみたいで。まあ、その気持ちはよくわかるし、私も取材態度は全然ダメでしたしね」

 まさかパリで結婚するとは思っていなかったが、出会いから数カ月で結婚していた。

 「よく電撃だと言われるけど、(付き合いは)濃かったんですよね。彼はオーナーシェフで私はフリーだから、1日のうちでこの時間だけでもと(決めて)毎日会っていた。新作のお菓子ができたからと夜に届けてくれたこともありました」

 世田谷区と同じくらいの面積しかない小さなパリ。青木氏は自転車をかっ飛ばして会いにきたという。

 「善意の押し売りとか大嫌いなんですけど、そうじゃなかった。駆け引きとかゼロの人ですから、本当に食べてほしくてきたのが分かりました。私はほわほわしたムースがダメなんですけど、彼のお菓子はムース系が少ないのもよかった」

 どうやら、長男は父の性格を受け継いだようだ。

  現在、パリに3店舗、東京にも店を構える夫が深夜12時前に帰宅することはまずない。ふだんは「母子家庭状態」で、子供たちが寝付いてからが仕事の時間。そうした日常の中で書き上げたエッセー『パリごはんdeux』(幻冬舎)には、家族や友人と囲む日々の食卓などが、食日記として綴られている。

 かつて、「チューボーですよ!」は、堺正章を相手に天然ボケで楽しそうに調理し、おいしそうに食べる様子が番組の見どころだった。ごはんがある風景を楽しく、おいしく“実況”する才能は書くほうでも存分に生かされている。

ペン・前田麻見 カメラ・中鉢久美子

■雨宮塔子(あめみや・とうこ) 1970年12月28日生まれ、39歳。東京都出身。93年、成城大学卒業後、TBS入社。99年3月、同社を退社。パリでフランス語、西洋美術史を学んだ。現在はフリーキャスター、エッセイストとして活躍。著書に『金曜日のパリ』『それからのパリ』などがある。

 人気絶頂の女子アナの突然の退社は衝撃的だったが、実際は会社に申し出てから退社まで2年かけたという。社内ではそんな彼女を応援する「雨宮をフランスに送る会」もあったとか。「30歳を目前に自分に素直になったというかな。『チューボー』も『どうぶつ』も番組の立ち上げから関われたんです。スタッフの試行錯誤や、チーム一丸でものを作る楽しさを体験できたのは本当に財産だと思っています」

 

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