Carolyn Barry
for National Geographic News
October 22, 2008
オーストラリア北部の辺境地域で先住民族アボリジニの岩壁画が大量に発見された。1万5000年前から50年前のものまで幅広い年代に及ぶ絵画からは、イギリス人の上陸以前に何世紀にもわたって異文化交流があったことがうかがえるという。今回の発見でこの国の歴史が書き換えられることになるかもしれない。
アボリジニ居住区アーネムランドにある岩陰遺跡の岩壁には、彼らの歴史を刻んだ多数の絵画(ロックアート)が残されていた。第二次世界大戦時の軍艦や大洋航路船をはじめ、絶滅した動物たち、近代の発明品(自転車、自動車、飛行機)など、さまざまな壁画が確認されている。
オーストラリアのグリフィス大学で人類学と考古学を研究するポール・タコン教授は、「この地域の人々が経験した物事はすべてなんらかの形で壁に描かれている」と語る。
この地区にはこれまで調査の手が入っておらず、ジュリリ(Djulirri)という主要な遺跡が1970年代に報告されていただけだった。
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アボリジニ居住区アーネムランドにある岩陰遺跡の岩壁には、彼らの歴史を刻んだ多数の絵画(ロックアート)が残されていた。第二次世界大戦時の軍艦や大洋航路船をはじめ、絶滅した動物たち、近代の発明品(自転車、自動車、飛行機)など、さまざまな壁画が確認されている。
オーストラリアのグリフィス大学で人類学と考古学を研究するポール・タコン教授は、「この地域の人々が経験した物事はすべてなんらかの形で壁に描かれている」と語る。
この地区にはこれまで調査の手が入っておらず、ジュリリ(Djulirri)という主要な遺跡が1970年代に報告されていただけだった。
そこで2008年8月、アボリジニの長老ロナルド・ラミラミ氏の協力の下で調査が行われ、同遺跡があらためて確認されることになった。すると同遺跡の付近にも大量の壁画があることが分かり、保存状態が良かったこともあって調査チームも驚きの声を上げたという。この調査に同行した前述のタコン教授も、「ほかには見られない独特の描写があった」と感銘を受けている。教授によると「今回の調査ではオーストラリア最大の壁画遺跡も見つかった」という。
これまでアボリジニは、文化的に孤立していたと考えられてきたが、調査結果はそれに反するものだった。発見された壁画からは、北部の地域社会がインドネシアのスラウェシ島のマカッサル(旧ウジュン・バンダン)から訪れたマカッサンという人々などと接触していた可能性が示唆されるという。
マカッサン様式の家やインドネシア風の帆船などが描かれていることから、マカッサンたちとの交流は幅広いものだったと考えられる。時代的にも古く、イギリス人がオーストラリアに移住し始めた18世紀後半から何百年もさかのぼると推定されている。
「木の上のサルを描いた特に珍しい壁画などは、かつてスラウェシ島を訪れたアボリジニが描いたものかもしれない。故郷へ帰って異国の土産話を皆に伝えたのではないか」とタコン教授は話している。
宣教師の姿や、腰に手を置くヨーロッパ風の仕草をする人物像も残されていた。明らかにヨーロッパ人の特徴を備えた顔の壁画も見つかったことから、原住民たちがヨーロッパ人と密接な関わりを持っていたことも分かった。
だが、同じくグリフィス大学の岩壁画専門家サリー・メイ氏は、「彼らの関係性は友好的なものではなかった可能性がある。壁画にはボクシングのようなシーンや、槍で突いている場面など、暴力が描かれているものが多い」と指摘する。
アボリジニは独自の文字文化を持たず、民族の歴史は口頭伝承で伝えられてきた。そのため、岩壁画は過去の出来事が記されている唯一の記録といえる。アボリジニたちは何世紀にもわたって壁画の上描きを繰り返してきた。中には17層も重ね描きされている箇所もあるという。時代の変化につれて絵のスタイルも変わり、新しい題材が加えられてきた。
現在では、部族の中でも年長者だけが壁画の追記を許されている。熟練したアーティストが描くような高度な作品が生み出されているという。
「アボリジニの長老たちが生きているうちに、民族や文化の記録を取っておくことが重要だ」と、世界考古学会議のクレア・スミス議長も述べている。
この地域では最近になって発掘作業も始まり、さらなる考古学資料の発見が期待されている。
Photograph courtesy Rick Stevens