畠山鎮三段(当時)「優しさなんて捨てたい。僕は普通の男じゃないから」

将棋世界1994年5月号、畠山鎮五段(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば……」より。

 夜遅く帰る時は、コンビニで買い物をすることが多い。さほど買いたい物がある訳でもないのに、つい立ち寄ってしまう。そして僕にとって、一つの思い出のある場所でもある。

   

 もう時効と思うので書くが、今から6年前、高校卒業直後、当時三段だった僕は、奨励会の規則を破って、業界最大手のコンビニで働き出した。

 「棋士になるのが目標なのに、けしからん」か、「辞めた後の、仕事の保障のない奨励会員が働くのは仕方ない」と考えるか、どちらの意見もあるが、僕の場合は好奇心だった。

 朝6時半に店に行き、色々な荷物を出し、7時に開店、目のまわるような忙しさで、2時頃まで働くのが、僕の仕事時間だった。朝は大抵、二人で仕事をするのだが、当店は24時間営業ではないのと、レジがバーコードではなく、手打ちなので、他の店より何倍も忙しかった。

 店長はK。27歳。僕はこいつが大嫌いだった。19までバイドをしたことのない僕を、世間知らず扱いし、あらゆる仕事に文句をつけ、二言目には、「働いた経験のない奴は心配だ」と僕がいても、いなくても、他の人に言ってた。

 こいつのせいで、僕は話し相手もいず、ただ黙って仕事をする日が続いた。

 すぐに辞めたかったが、それも負け犬みたいでしゃくだった。僕と一緒に仕事をするのは、一つ上の女子大生のUとNだったが、僕はちゃらけた女子大生は苦手だった。店は全然面白くなかった。

   

 6月に入ると、一つ下のMが入ってきた。彼女は高校を中退してすぐで、ちょっと不良っぽく、感情的で、煙草を吸う娘だった。彼女の扱いにとまどう人もいたけれども、不思議に僕等は気が合った。

 彼女の機嫌が悪い時は、僕が面白いと思う話をする。感性が合うのか、彼女は僕の話によく笑い、すぐ機嫌が良くなり、色々な話をせがむ。魔法を使ったみたいだと感心してくれた人もいた。僕はMちゃんと一緒に仕事をすることが多くなった。そして、店長も変わった。

 新しく来た店長、Mさんは31歳、妻子持ち、本部に逆らって独自のやり方を貫く切れ者だった。M店長は、僕とMちゃんの好きなようにやらせてくれた。

 何回か、僕とMちゃんで、「店長、これは売れません」とか、「これは売れる」と言った商品が、予測通りになったせいか、新商品をくれたり、古い単行本を僕等の判断で、処分させてくれたり、仕事を任されるとますます楽しくなるものである。

 7月に、新入社員の研修でIさんが入ってきて、仕事が楽になった。Iさんは23歳、スポーツマンで、爽やかな好青年で、僕もこんな男になりたいと強く思った。

 最初の頃、話もしなかった女子大生のUさんやNさんとも、大分話をするようになった。特に、軽薄と思ってたUさんと話すのが多かった。それは彼女が、将棋界のことを聞きたがったからである。

 Uさんが三国志を好きだというのも意外だった。彼女は並に、諸葛孔明が好きだった。僕が曹操の、自分の非情さに動じない生き方が好きだと言うと、彼女はとても驚いた。彼女は、僕の優しさを長所だと日頃言っていたからだ。「優しさなんて捨てたい。僕は普通の男じゃないから」 「でもそんな風にならないでね」 彼女は弟を諭すように言った。この事で、後に僕は、彼女を傷つけてしまうのだが。

 三段リーグを8勝10敗という、ひどい成績で終え、新たなリーグが始まった10月、僕は完全に将棋の自信を失ってた。

 将棋から逃げる様に店に行き、仕事は全部、気分転換になり楽しかった。だから、他のバイトと違って、率先して仕事をした。皮肉にもそれが、店長や本部の人に気に入られ、社員にならないかと言われた。大卒と同じ扱いだと言う。

 事情を説明すると、もし、25歳で奨励会を辞めることになれば、連絡をと名刺をくれた。名刺を破る勇気のない自分が情けなかった。将棋に負けた日はいつも、その名刺を眺めていた。

 12月、店に行くと、とても美人で、おとなしい20代前半の女性がいた。夫婦で、コンビニの店長をするので、研修に来たと言う(こんな美人の嫁さんと店を開くのか)。生まれて初めて、僕はサラリーマンに強く憧れた。

 この頃、大学の一芸入試を高校の恩師に強く勧められた。どんどん将棋から離される気がし、とても怖かった。

 「今月で店を辞めます。将棋一本にして、皆さんと会うこともないでしょう」。ついに僕は言った。皆、止めたが、Mちゃんは冷たく、「あ、そう」と言っただけだった。最期の日、店に行くと、タイムカードの裏に手紙が貼ってあった。

 Mちゃんからだった。長い文の中で、「店を辞めるというのは、冗談ですよね」と書いてあるのが、心にささった。

 数日後、店に泥棒が入り、「内部の人間の犯行です」の声で、僕は店に戻った。20歳まで働くという約束で。

 僕が四段になったのは、店を辞めてから2ヵ月後だった。

 コンビニで買い物をする度に、そんなことをふと、思い出してしまう。

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とても心に残る印象的なエッセイだ。

1990年代のドラマにするとすれば、

Mちゃん…工藤静香

K店長…佐野史郎

M店長…佐藤浩市

Iさん…竹野内豊

女子大生のUさん…観月ありさ

女子大生のNさん…木村佳乃

美人人妻…黒木瞳

のようなキャスティングになりそうな雰囲気。

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畠山鎮七段は1969年6月3日生まれ。

高校卒業直前の1988年3月に三段昇段を決め、4月からが一期目の三段リーグ。

三段リーグに入ると同時にコンビニで働き始めたことになる。

将棋順位戦データベースによると、

1期目(1988年度前期)は、

4月が2連敗の出だしだったものの、そこから5勝1敗。

嫌な店長のもと、話し相手もなく黙って仕事をする日が続いていた頃。

その後、8月上旬までは五分の成績で、8月下旬から9月にかけて4連敗。(通算8勝10敗で14位)

Mちゃん、M店長、Iさんが入ってきて、女子大生コンビとも親しくなって、仕事がどんどん楽しくなっていった頃。

2期目(1988年度後期)は、

10月から11月上旬にかけて6連勝の出だし。社員にならないかと誘われた頃。

11月下旬が2連敗、12月が1勝1敗。もらった名刺を眺めたのはこの頃と思われる。

1月からは6勝2敗(通算13勝5敗で3位)。店を辞めて、また戻った頃。

3期目(1989年度前期)は、

5戦目まで1勝4敗、その後は11勝2敗で四段昇段を決める(通算12勝6敗で1位)

コンビニでの仕事のモチベーションと三段リーグの成績の因果関係は導き出すことができないが、店を辞める直前あたりから猛烈に勝っている印象がある。

この頃の有形・無形の経験が、畠山鎮七段の人間的な魅力に厚みを加えていることは確かだと思う。

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それにしても、

Uさんとその後、何があったのか、

内部の人間の犯行とは、誰が関わっていたのか、

など、かなり気になる……

   

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