【根本陸夫伝】
「清原には余計なことを言うな」とコーチに厳命した男
2014.07.01
- 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki photo by Nikkan sports
根本陸夫の死によって気づかされたこと
根本の教えは、「人を見て、勉強しないといけない」というものだった。つまり、勉強を重ねてさえいれば、足元をすくわれることはない、と。
ところが1989年5月、まさかの出来事が起きた。2年前から二軍コーチに戻っていた土井が、麻雀賭博事件を起こして解雇されたのだ。この責任を取る形で球団代表の坂井保之が解任され、根本は管理部長からスカウト専任部長に格下げとなった。
それでも土井はその後、96年から一軍打撃コーチとして西武に復帰。99年に退団するも、04年から07年までヘッドコーチ、11年から2年間はヘッド兼打撃コーチを務めた。
「現役引退後、4回も西武のユニフォームを着させてもらえたのは、根本さんが(堤義明)オーナーに何度も頼んでくれたからなんです。だから、『お前は堤さんにちゃんとしてもらったんだから、お返しするのは西武だぞ。チームが困った時、お前が行くことが仕事だよ』と。その言葉がいちばん印象に残っていますね。ありがたいことです」
土井が最初に西武に復帰した96年、根本はすでにダイエー(現ソフトバンク)の球団専務になっていた。決して、自らの権限で呼び戻したわけではない。堤オーナーをはじめ、球団上層部が土井の指導力を評価する根本の意向を理解していた証と言える。
「根本さんには、本当に人生の勉強をいろいろさせてもらいました。だから、70歳にして初めて言いますけど、根本さんがスカウト時代に見ていたやんちゃ坊主の頃に比べたら、少しは大人になったんじゃないかと。ただ、そう考えられるようになったのは、根本さんが亡くなられた頃です。生きておられるうちは、まだオヤジがいるからなんでも相談に行ったらええわと思っていたんです。でも、もう相談にいけない。それから『自分で考えなきゃいけない』となったわけです」
初めてヘッドコーチになった時、土井は「自分の引き出し」をひとつずつ開けてみた。引き出しには根本の言葉がたくさん詰まっていた。
「大人になれ」「もっと勉強しろ」「社会勉強だ」「野球馬鹿になるな」など……。
そうした言葉をまとめていくと、あらためて根本の教えが理解できるようになった。反対に、いつでもオヤジに聞きにいけばいいと思っているうちは、引き出しを開けようともせず、成長できなかったと悟った。
根本が亡くなって15年経った今も、根本の“遺伝子”が球界に生きている理由の一端が垣間見える。