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中東ウォッチ@川上泰徳

中東ウォッチ

エジプトのクーデターに至る過程:朝日新聞記事再録

川上 泰徳

  今回のエジプトのクーデターに至る過程で、私が、朝日新聞中東アフリカ総局(カイロ)に駐在しつつ、署名で書いた解説記事を時系列で集めたものを再録する。


◆失政・独断、不信招く ムルシ政権1年、国民分裂 エジプト

<2013年7月1日 朝日新聞朝刊>

 ムルシ大統領の就任1年の30日、エジプトは反政権派と大統領支持派に分裂し、政治的な危機を迎えた。カイロの通りにはムルシ大統領の出身母体を批判する「ムスリム同胞団政権は終わりだ」という反政権派のポスターが目立つ。

 今回の大規模デモの4日前にムルシ大統領は「国民の分裂が国の民主主義を危うくし、国全体が混乱とまひ状態になりかねない」と危機感を表明。一方で、「私はいくつかの問題で間違いを犯した」と失政を認めた。

 ガソリンが不足し、ガソリンスタンドの前に長い車の列ができている。停電も日常茶飯事となるなどエネルギー不足は深刻化。外国人観光客は戻っておらず、失業率も依然高い。外国からの投資も減少している。

 政治的な混乱が収まらないことが、観光や外国投資に悪影響を与えている。野党勢力の対話拒否も強硬で、全てが政権の責任とはいえないが、野党勢力との協力関係の構築に失敗していることは否めない。

 1年前の大統領選の決選投票で、ムルシ氏は元軍幹部シャフィーク氏を小差で破った。旧ムバラク体制が復活するという恐れから、「革命継続」を求める左派やリベラル派がムルシ氏支持に回った結果だ。

 ムルシ大統領は就任時の演説で「私はみんなの大統領だ」と宣言した。しかし、その言葉が守られていないと多くの人が感じている。

 要因の一つは人事だ。ムルシ大統領は首相や閣僚、政府高官、知事などにムスリム同胞団幹部やその支持者を多く登用した。野党からは「相談もせず、独断で決める」との批判が強い。

 さらに新憲法制定を巡る不信感だ。昨年11月、イスラム派が多数を占める憲法起草委員会で、左派やリベラル派の意見を抑えて、イスラム色の強い憲法案を起草した。ムルシ大統領もイスラム主義者として憲法案を守る姿勢を強調して世俗派の反発を招いた。

 ムバラク体制の崩壊から2年以上が経過したとはいえ、新生エジプトはいまだ混乱のただ中にある。「みんなの大統領」の初心に立ち返らない限り、収拾のめどは立たない。

 

◆「48時間」にらみデモ拡大 軍声明、両派を刺激 エジプト

<2013年7月2日 朝日新聞夕刊>

 エジプトで2日未明、イスラム系のムルシ大統領の辞任を求める反政権派の大規模デモと、大統領支持のイスラム派のデモが夜を徹して続いている。軍が双方に「48時間以内に合意を目指せ」と求める声明を出し、3日夕(現地時間)までの合意を求めたが、逆に双方の動員合戦をあおる結果となり、大規模な衝突に発展しかねない状況だ。

 軍声明は「国民の要求を実現せよ」とし、合意できない場合は軍が収拾に乗り出すとしている。大統領府は2日未明、フェイスブック上で「大統領は軍声明の検討を終えていないが、国政に混乱を起こしかねない表現がある」と警戒感を示し、「大統領は国民対話を継続する」としている。

 国営中東通信によると、1日夜、ムハンマド・アムル外相が辞表を提出したという。すでに観光相ら閣僚4人が辞任を表明している。理由は明らかになっていない。

 軍声明の後、反政権派が大規模デモを行っているカイロ中心部のタハリール広場では「軍は我々の要求を支持している」として歓声が上がった。一方、カイロ郊外のナセルシティーに集結するイスラム派の大統領支持デモの群衆には「軍政反対」の声が広がった。

 大統領の出身母体のエジプト最大のイスラム政治組織ムスリム同胞団筋によると、団指導部は軍の声明の後、全国の県支部にメンバーや支持者を動員して、大統領支持集会を行うよう指令を出した。

 一方、反政権デモを呼びかけている若者組織「タマルド(反乱)」の幹部は「軍の声明は国民の要求を実現しようとする我々の運動に呼応するもの」と歓迎する声明を出した。

 

◆期限48時間、緊迫 政権派、闘争を示唆 エジプト

<2013年7月3日 朝日新聞朝刊>

 エジプトで続く大規模デモに対し、軍が収拾に乗り出した。ムルシ大統領と反政権派に与えたのは48時間。3日夕(日本時間同日深夜)の時間切れを控え、緊張が走る。

 軍が2日未明に声明を出した後、大統領府は「大統領は軍声明の検討を終えていないが、国政に混乱を起こしかねない表現がある」と慎重な表現で警戒感を示したうえで、「大統領は国民対話の呼びかけを継続する」とした。

 一方、大統領を支えるイスラム組織ムスリム同胞団は同日夜、全組織に「街頭に繰り出せ」と動員を指示、「今後起こることを我慢して、態勢につけ」と警戒を呼びかけた。携帯電話に送られたメッセージは「天国があなたたちを呼んでいる」と結ばれていた。

 同胞団はエジプトに100万人以上のメンバーを抱える巨大組織だ。カイロの本部の最高指導者と指導部の下に、全県に県指導部があり、市町村までピラミッド的な組織を張りめぐらしている。今回の動員指示は、全国各地の末端にまで届いたとみられる。

 同胞団メンバーの間で議論となっているのは「アルジェリア・シナリオ」だ。1991年のアルジェリア総選挙で、イスラム救国戦線(FIS)が勝利した。しかし、軍が選挙を無効とし、FISは非合法化された。その後、イスラム派の武装勢力と軍との間で約10年間、内戦状態に陥った。

 エジプトの同胞団は70年代以降、穏健派として武装闘争を否定してきたが、今回のメンバーを動員する携帯電話メッセージで「ジハード(聖戦)」を示す「天国が呼ぶ」という言葉が使われており、アルジェリアのように軍が民主的な手続きで行われた昨年の大統領選を無効とし、ムルシ大統領を排除する動きに出た場合、武装闘争に出ることもありうることを示唆している。

■軍、実権回復狙いか

 ロイター通信が2日、軍筋の情報として伝えたところでは、政治的合意を求める48時間の期限が3日夕に切れた後に、軍が用意している「ロードマップ(行程表)」案には、反政権勢力からイスラム的と批判が強い新憲法の停止やイスラム派が多数を占める諮問議会(上院)の解散などが検討されているという。

 軍は2011年2月のエジプト革命でムバラク大統領が退陣した後、実権を掌握し、新憲法制定や民主的選挙実施などの監督役を担った。しかし、昨年6月にムルシ大統領が就任後、軍政から民政へ権限が移譲され、軍の政治力は低下した。昨年8月にはムルシ大統領が当時のタンタウィ軍最高評議会議長兼国防相を更迭し、シーシ新国防相を任命し、軍を抑えこむ動きに出た。

 軍は今回の声明で、政治危機収拾のために介入し、政治勢力の合意ができなければ、「ロードマップ」を出すとしている。

 軍としては民主化プロセスを監督するという民政移譲前の状況に戻す形で、実権を回復することを狙うとの見方が強い。その場合、軍が同胞団を排除する道を選べば、政治状況は大きく混乱しかねない。

■旧体制勢力も関与

 反政権派は6月30日夜、カイロ中心部のタハリール広場と大統領府前をそれぞれ20万人規模の大群衆で埋めた。翌日の反ムルシの独立系新聞には「われわれは正当性を得た」と見出しが出た。反政権派は全国で計1千万人を超えたという軍筋の推計もある。

 反政権勢力は左派・リベラルの世俗派とされる。しかし、エジプト革命後の議会選挙や昨年末の新憲法案の国民投票結果を見ても、同胞団やイスラム厳格派で7割を占め、世俗派などに選挙やデモで民衆を大規模動員する組織力はない。

 一方で革命後、同胞団に対抗する大規模動員があったのは、昨年6月のムルシ氏と元軍幹部シャフィーク氏が対決した大統領選だ。ムルシ氏1300万票、シャフィーク氏1200万票と接戦となった。

 ムルシ氏は同胞団の組織票と、旧体制復活を恐れる左派・リベラル派の革命勢力の票を集めた。シャフィーク氏の得票は、革命後に解体された前ムバラク体制の与党・国民民主党が動員をかけたためと言われた。

 今回の同胞団と反政権派の対立では世俗派の若者は反同胞団に動いた。しかし、双方の大規模動員合戦は実質的に1年前の大統領選の再現であり、同胞団と旧体制勢力という対立の構造が基底にある。

 

◆第三極の軍 介入通告、影響力回復狙う

<2013年7月4日 朝日新聞朝刊>

 ムルシ大統領の辞任を求める反政権派と、大統領支持のイスラム派が対立する中、第三極として軍が政治に介入するのは、現代のエジプトで果たしてきた役割と密接に絡んでいる。

 軍は1952年にナセル中佐が率いた自由将校団による王制打倒革命以来、政治を主導してきた。ナセルは大統領となり、スエズ運河国有化宣言などで「アラブの英雄」となった。後継のサダト、ムバラク両大統領も軍出身である。

 エジプト人の中にはいまだに軍への信頼は強い。2011年のエジプト革命で民衆がムバラク体制に反乱を起こした時に軍は中立を保った。「軍と民衆は一つ」の標語も生まれた。

 軍にも自分たちが国の柱だという自負はある。ムバラク体制崩壊後、軍は全権を掌握、暫定統治を続けた。

 今回の軍の介入は、1年前のムルシ大統領への民政移行で失った影響力を回復する機会ではある。

 しかし、エジプトの軍は1979年のイスラエルとの平和条約締結以来、毎年10億ドル以上の軍事援助を受けている米国の意向を無視して動くわけにはいかない。

 ムルシ大統領を強引に辞任させれば、エジプト革命後の民主主義に反する「クーデター」の非難があがることは避けられず、米国や国際社会の批判も受けかねない。

 米国は1年前の民政移行以来、ムルシ政権やムスリム同胞団との協力・協調関係を探ってきた。エジプトやチュニジアで親米強権政権が倒れた後の「アラブの春」への対応でもある。今回、仮に軍が実権を握っても、経済や政治の混乱が簡単に回復する見通しはない。軍と同胞団の全面対決で、エジプトの治安が破綻(はたん)すれば、米国の中東政策の柱がさらに揺らぐことになる。

 

◆エジプト・クーデター 民意の大権、軍が奪う

<2013年7月4日 朝日新聞夕刊>

 《解説》今回のエジプトの政変は、同国で初めて民主的な選挙で選ばれた初の文民大統領を、軍が実力で排除した。最高憲法裁判所長官を暫定大統領と決めるなど、「文民統治」を演出しているが、民意という正当性は破棄され、軍の一存で全てが決まる政治の始まりである。2011年2月のエジプト革命で始まった民主化の歩みは大きく後退した。

 すでにムルシ大統領や出身組織のムスリム同胞団の幹部が次々と当局に拘束されている。さらにムルシ氏支持派デモのテレビの実況中継が警察に禁止されるなど、言論への権力の介入も始まった。軍支配のもとで、市民生活や言論を取り締まる強権体制への逆戻りが始まっている。

拡大シーシ国防相によるムルシ大統領を排除した暫定大統領・政府の発表の後、タハリール広場の反モルシデモと、ナスルシティーのモルシ支持デモを画面を分割して写していたアルジャジーラテレビでは、ナスルシティーの画像が突然消えた。警察に切られたという。言論統制の復活か。

 ムルシ氏は昨年8月、革命後全権を握ってきた軍最高評議会議長と参謀総長を大統領令で更迭した。国民は選挙を通じ、民意に支えられた大統領の権限の強大さに目を見張った。

 今回、軍はムルシ大統領から民意の大権をはぎ取った。契機となったのは、ムルシ氏批判の大規模な反対デモだ。人々はガソリンの不足、失業率の上昇、物価上昇、治安の悪化など同胞団政権の失政への不満を口々に語った。しかし、政治や経済での政府の失政を批判することと、軍が乗り出して民主体制を崩すことにはかなりの距離がある。

 新聞もテレビも大統領や政府を自由に批判することができた。タハリール広場でムルシ氏の退陣を求める大規模なデモをしても、ムバラク前政権時代のように治安部隊と衝突する心配はなかった。

 今回、タハリール広場を埋めた群衆は、軍がムルシ氏を排除したことを打ち上げ花火で喜んだ。しかし、エジプト革命では「政権崩壊」を叫ぶデモ隊がタハリール広場にたどり着くために800人を超える若者が治安部隊の銃撃で命を失った。その犠牲を払ってやっと手に入れた民主主義の意味が、よく理解されていなかったのかもしれない。

■行程表の要旨

 シーシ軍最高評議会議長が発表したロードマップ(行程表)の要旨は次の通り。

・憲法の一時停止
・大統領選の早期実施。新大統領選出までの移行期は最高憲法裁判所長官が国事を行う
・最高憲法裁長官は移行期に憲法に関する宣言を出す権限を持つ
・暫定内閣の設置
・すべての勢力が参加する憲法改正委員会の設置と憲法の再検討
・憲法裁判所は早期に下院選の選挙法案をつくり、選挙の実施準備を始める

 

◆民政失敗、軍介入招く エジプト政変

<2013年7月5日 朝日新聞朝刊>

■閉鎖体質、民意の分裂生む

 カイロのタハリール広場で「イスクト、イスクト(倒せ、倒せ)」の声があがると、エジプトは革命の時を迎える。2011年2月は「ムバラク独裁」だったが、今回はムルシ大統領が属するイスラム組織「ムスリム同胞団」に向けられた。民主的に選ばれた政権はなぜ、1年間でついえてしまったのか。

 ムルシ氏は「私は正統性を持つ大統領だ」と繰り返し述べた。その正統性とは、選挙の勝利である。200万人のメンバーと貧困救済などで広げた数百万人の支持者を、投票箱までバスで動員した結果だ。

 同胞団は中央の指導部の指令が支部まで届く上意下達の組織だ。長い間、弾圧を受けたことで、秘密組織的な体質も根強い。メンバーが集まるモスクがあり、スポーツ大会や文化行事など一般民衆からは閉鎖的な印象が強い。

 ムルシ氏は、順調な経済成長を続けるトルコのイスラム系与党の公正発展党にならおうとした。強力な指導力の下で社会問題を解決し、経済を改善させて、国民に利益を与えれば、支持は広がるという戦略だ。

 頼りになる同胞団メンバーを政府の幹部や知事などの要職に登用。経済政策にあたる若手幹部は完璧な英語を話し、国際感覚もある。欧米の外交関係者の評判も悪くない。しかし、野党や一般国民の目には同胞団員の優遇だと映る。

 イスラム勢力に詳しいアハラム戦略研究所のラシュワン所長はムルシ政権について「急ぎすぎている」と指摘した。成果を早く出そうとして、野党や世俗派と協力関係をつくらないで自分たちだけで進めた。

 昨年8月に当時の軍最高評議会議長を大統領令で解任した。「エルドアン(トルコ首相)が10年かけたことを、1カ月でやった」と言われた。イスラム色の強い憲法案を強引に起草したことにも、世俗派が反発した。

 ムルシ氏は正統性を盾に4年間の任期で成果を出せる、と考えたのだろう。しかし、タハリール広場の民意は、同胞団政権を自分たちとは断絶した政府と見て「倒せ」と叫んだ。

 ムルシ政権は、エルドアン政権になれなかった。6月にトルコで世俗派の批判が噴き出した。しかし、軍は全く動かなかった。ムルシ政権は民意の分裂を引き起こし、軍につけ込まれた。それが最大の失政といえるだろう。

 

◆中東イスラム組織に痛手 エジプト、同胞団政権を排除

<2013年7月6日 朝日新聞朝刊>

 エジプトでイスラム政治組織ムスリム同胞団が支えるムルシ政権が排除された。同胞団はシリア反体制派の中核を占めてきたほか、パレスチナ情勢に大きな影響力を持つ。エジプトの政変は、中東情勢に大きな波紋を広げそうだ。

■シリア 反体制派活動に制約

 シリアのアサド大統領は4日、政府系サウラ紙のインタビューで「エジプトで起こったことは政治的イスラムの崩壊だ。宗教を政治目的に使うものは、最後は倒れる」と語った。

 「政治的イスラム」とは、シリア内戦でアサド政権に敵対するシリア・ムスリム同胞団やイスラム厳格派の「サラフィ主義者」を指す。ムスリム同胞団は、シリア反体制派で中心的な役割を果たしてきた。

 エジプトのムスリム同胞団が強い影響力を持つエジプト医師組合は、昨年秋からシリア反体制派が支配するシリア北部のアレッポ近郊にエジプト人医師を送って野戦病院を開設。地域住民や自由シリア軍の戦士を受け入れていた。ムルシ政権下では、カイロに同胞団系のシリア反体制組織の事務所も開設されていた。

 だが、既にエジプトでは公安警察による同胞団への締め付けが始まった。シリア反体制派幹部はエジプトの政変について「何も声明はない」としているが、エジプトでのシリア反体制派の動きは今後、厳しく制約されることになりそうだ。

■パレスチナ ハマス、後ろ盾失う

 一方、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスもムスリム同胞団系組織だ。ムルシ氏も大統領就任直後の昨年7月、ハマス政府のハニヤ首相やメシャール政治局長と相次いで会談し、支援する姿勢を示していた。

 昨年11月にイスラエルによる空爆が始まった際には、エジプトが主導してアラブ連盟外相会議を開催。エジプトのカンディール首相やアラブ諸国の外相が次々とガザに入り、イスラエルを牽制(けんせい)した。

 ガザからの情報では、エジプト側が5日、「シナイ半島の治安悪化のため」として、ガザ南部とエジプトをつなぐラファ検問所の封鎖を通告してきたという。

 ムルシ政権の崩壊によって、ハマスは後ろ盾を失ったことになる。対イスラエルや、ヨルダン川西岸地域を支配するアッバス議長が率いるファタハとの関係でも、立場が弱まることは避けられない。

 

◆ムルシ派「我々に正当性」 「平和的抵抗」を宣言 軍、手出せず エジプト

<2013年7月7日 朝日新聞朝刊>

 「正当性はわれわれにある」――かけ声が、大群衆から響く。カイロ郊外のナスルシティーを埋めたムルシ前大統領支持派のデモだ。支持母体のイスラム組織「ムスリム同胞団」は「平和的抵抗」を宣言。軍が実力排除に乗り出せば、大規模な流血となりかねず、手が出せない状況だ。

拡大カイロ郊外ナスルシティーで続くムルシ前大統領支持派デモに「シャヒード(殉教者)」と書かれた白装束の集団が現れた=5日、川上泰徳撮影

 ナスルシティーのデモは6月28日から始まり、6日で9日目。数千人が泊まり込みを続けている。現場の上下8車線の道路は通行止めになっている。

 5日夕には軍のクーデター後に拘束されたとされていた同胞団の最高指導者ムハンマド・バディウ団長が演壇に上がり、歓声が上がった。「われわれは選挙で選ばれたムルシ大統領を守る。われわれの革命はこれまで平和的だったし、平和的でありつづける。われわれの平和的手段は戦車や実弾よりも強い」と演説した。

 時折、軍の武装ヘリコプターが低空飛行で大規模デモの上を通過すると、群衆は拳を突き上げて、「軍よ、去れ」「軍政、無効」というかけ声があがった。

 「イエス・正当性、ノー・暴力」と胸にアラビア語で書いたTシャツを着た農業、アブドルラザクさん(49)は、ナイルデルタの町カフルエルシャクから参加、28日以来、テントに寝泊まりしている。「ムルシ(前大統領)が戻るまでとどまる。われわれには正当性があるから暴力を使う必要はない」と訴えた。

 群衆の中を10人ほどの真っ白な布をまとった集団が通り過ぎる。頭も白布をかぶり、目と口だけだす。布には「シャヒード(殉教者)」と書かれている。「われわれは軍が強硬策に出てくればいつでも死ぬ覚悟だ」と、白装束の一人が語った。

 イスラム過激派は「ジハード(聖戦)」を掲げて、武器をとるが、暴力を否定する穏健派・同胞団の「殉教」戦術は、大規模な平和的デモを続けて、逆に軍や警察の武力介入を引き出そうとするものだ。

 軍が同胞団のデモに武力を行使すれば、おびただしい流血を引き起こし、国内外の非難にさらされる。一方で議会選挙で全国で1千万以上の支持者を動員した同胞団がデモを続ければ、国はまひ状態となる。軍のジレンマは、反政権派の民意だけを受けて政治に介入し、ムルシ前大統領の背後にいる「もう一つの民意」を圧殺したことに起因する。

 

川上 泰徳(かわかみ・やすのり)

朝日新聞中東アフリカ総局長。長崎県生まれ。旧大阪外語大アラビア語科卒。中東アフリカ総局員(カイロ)、エルサレム支局長を経て、2002年~06年、中東アフリカ総局長。編集委員、論説委員、機動特派員などをを経て、2013年6月より現職。著書に『イラク零年』 (2005年、朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命』(2011年、岩波書店)、『イスラムを生きる人びと』(2012年、岩波書店)。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞。

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