「転生」信じた英国人…オンム・セティ(1904〜1981)エジプト・アビドス
エジプト南部アビドスは、眠ったような遺跡の街だ。4月の休日、2時間ほどの間に古代の王セティ1世(在位紀元前1290〜79年)の神殿を訪れたのは、欧州の観光客3組だけ。陽光に浮かぶ壁画の前を神殿内に巣くったスズメが「チ、チ、チ」とさえずって飛び交う。「王家の谷」がある南東100キロ・メートルの観光地ルクソールと違う、ゆったりした時が流れる。
1952〜81年、この街に魅せられ、晩年の大半を神殿内で過ごした風変わりな英国人女性がいた。息子を、神殿に祭られた王と同じセティと名付け、「オンム・セティ(セティの母)」と呼ばれた。自分のことは、3000年前に神殿に仕えた
「彼女は、日中のほとんどを神殿内で過ごしたが、昼下がりに近くのカフェに出てきて、紅茶を飲んでいた。子供だった私たちが近づくと『あっちに行って』と追っ払われた」。オンム・セティの質素な家の近所に住んでいたアミール・カリームさん(55)は、地元では当初、彼女は変人扱いされていたと言う。
だが、1970年頃から、古代エジプトに関する深い知識と独自の解釈で世界の考古学者から敬愛される存在に。米学者デビッド・オコナー氏は、近著「アビドス」に「陽気で知的な女性だった。自分が古代エジプト人の生まれ変わりと純然と信じていた」と述懐した。彼女は時に、「前世の記憶」をたどって未発掘の遺跡の存在を言い当てた。超自然現象というより、日々、古代エジプト研究に没頭したことによる優れた洞察だったのかもしれない。
再生信仰が廃れ 忘れられた「神」
彼女の信仰の中核にあったのが、「再生」「来世」といった概念だ。セティ神殿にまつられた7神のうち主神にあたる古代エジプトの神オシリスは、弟に殺害され、切り刻まれた体はエジプト中にばらまかれる。嘆き悲しんだ妹にして妻の女神イシスは、魔法で遺体を接合し、天空の神となるホルスをはらむ。エジプトでは中王国時代(紀元前2000年前後)以降、王だけでなく庶民も死後は神となって復活すると信じる「宗教の民主化」が広がり、多くの人々が聖地アビドスを巡礼に訪れた。
だが、再生信仰は紀元後になって廃れる。在エジプトの考古学者、矢羽多万奈美さんは「キリスト教の一派コプト教がエジプトに入ってきてオシリス信仰者が減り、アビドス巡礼も途絶えた」と言う。イスラム化された今日のエジプトでは、学校でアビドスについて教えることすらなくなった。
エジプトは今、2年前の民主化政変後の混乱にあえぎ、国家再生の道筋を描けずにいる。「再生の神」を忘れたアビドスの現状は、エジプトの苦難を象徴するかに見えた。(文と写真 貞広貴志)
オンム・セティ |
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本名ドロシー・イーディー。ロンドン郊外にいた3歳の時、階段から落ちて以降、自分を古代エジプトの巫女の生まれ変わりと信じるようになる。夢枕に王セティ1世が立ち、様々な会話も交わした、という。33年、エジプトに渡りカイロ近郊で生活、エジプト考古学省初の女性職員となった。52年、アビドスに移り、死去まで30年間近くを信仰と研究に充てた。(「転生者オンム・セティと古代エジプトの謎」=学習研究社刊より) |
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