荒俣 | ところで、週刊誌時代になって、「麗しのサブリナ」をまんが化した『すてきなコーラ』、「ジェニーの肖像」をまんが化した『セシリア』などのロマコメを執筆された経緯はわかりましたが、ここでまた衝撃作が誕生します。これまでの少女まんがにはなかった本格的な近代史ドラマをお描きになりますね。とくにロシアの近代を扱った作品を。 |
水野 | はい。1964年から「週刊マーガレット」に『白いトロイカ』という歴史ものを描きました。ロシア革命を背景にした作品で、じつはこれもかなり抵抗があったんですよ。異端者の本領発揮です(笑)。 |
荒俣 | 貴族の娘が田舎の農夫のところに預けられちゃう話ですよね。 |
水野 | 王制に刃向って処刑された貴族の娘が田舎にかくまわれて…。つまり、歌手の血を持った娘が田舎で育てられて、やっぱり歌手になりたくてペテルブルクに出ていくという話だったわけです。コサック(※15)も出てくるし、貴族も出てくるし、戦もあればというふうなんですが、これが本格的な……本格的とまで言うのは非常に恥ずかしいんですが、一応初めてのちゃんとした歴史ものだったんです。 |
荒俣 | どんなきっかけで『白いトロイカ』をお描きになろうとされたんですか。 |
水野 | それをいつも不思議がられるんですよ、当時はロシアの資料がほとんどなかったし…。 |
荒俣 | あの頃でしたら、資料はないでしょうね、ほとんど。 |
水野 | ただ、まだ学生さんたちがロシア文学をちゃんと読んでいた時代で、歌声喫茶(※16)なんかもありましたよね。 |
荒俣 | ええ。 |
水野 | ロシア映画祭がときどき催されていまして、オペラとかバレエとかのさわり集とか名作映画が上映されていたんです。何週間かそういう映画祭というのがあったんですね。それがあると、連日足繁(あししげ)く通っていたんです。 |
荒俣 | 昔は文化に貪欲でしたね、若い人が、そういうのを。 |
水野 | そういうものしか資料がなかったのです。ビジュアルな本はないんですね。コスチュームとか特殊でしょ。 |
荒俣 | そうですね。 |
水野 | ああいうものを調べるすべがなかったんですよ。でも、ロシアのものって、なぜか好きだったんですね。アメリカンではなくて、どこかエキゾチックな東欧的な雰囲気があるじゃないですか。あの気配が好きだったので。 |
荒俣 | ロマノフ王朝(※17)の香りですか、不思議な、独特の……。 |
水野 | 雪の積もった白樺とか、ロマンチックじゃないですか。 |
荒俣 | そうですね。そこに血がしたたっている感じがありますね。 |
水野 | ラスプーチン(1871〜1916 ※18)ですか。 |
荒俣 | ええ。 |
水野 | とにかくありとあらゆるものが混在していて、しかもすごいパワーですよね、ロシアのパワーって、何度も革命を繰り返して。 |
荒俣 | そうですね。アレクサンドル二世(1818〜1881 ※19)なんか、数えきれないほど暗殺未遂事件に巻き込まれていますよね。 |
水野 | でも、どっかロマンチックなんですよ。貴族と農奴とコサックとが入り乱れている世界じゃないですか。貴族の世界は絢爛(けんらん)豪華。「戦争と平和」(※20)の映画を観てくださいよ、すばらしいですよね。 |
荒俣 | たしかに。「戦争と平和」もそうですが、社会の対立が恋愛の三角関係とみごとにパラレルに進行する。きわめておもしろい時代です。 |
水野 | そういうギャップがすごくおもしろかったし、その雰囲気も好きだった。やっぱりロシアのものを描きたいと思って連載に持ち込んだんです。そうしたら、「ロシア? 帝政時代の話? だめ!」と言われました。 |
荒俣 | 驚天動地でしょうからね、当時の編集さんから見れば。血なまぐさい近代史なんか!という感じでしょ。 |
水野 | だからね、必死に説明しましたよ。血みどろの話じゃなくて、歌姫になりたい女の子の、いわゆるサクセスストーリーだよと。それがそういう時代のロシアで展開される物語だと。絶対におどろおどろしい話じゃなくて、ロマンチックに持っていくからと。でも、ロシアの知識なんて編集さんは持っていなかったから、理解不能だったみたい。 |
荒俣 | そうですか。 |
水野 | 本当に絢爛豪華なコスチュームが渦巻いていたので、とにかくぜひやりたいと。その前のロマンチック・コメディー物が一応成果を上げていたので、なんとか許可してくれたんだと思うんですけど、なんでそんな話がいいんだ、ふつうのロマンチックでいけばいいのに、と文句を言いながらも、しぶしぶ納得してくれた感じですね。 |
荒俣 | 実績を積んでやっと、というわけですか。 |
水野 | と思います。かなり大変でしたよ、説き伏せるのは。 |
荒俣 | そうでしょうね。でも、実績にプラスしてこだわりをぶつけないと、なかなか載せてくれない作品だったわけですね。 |
水野 | はい、編集さんのほうも、読者に受ける作品のノウハウができ始めたころなんです。学園ものも出始めていましたし、そういうものの方がわかりやすくて人気があったわけですね、ロマコメとか。でも、そういう軽いものばっかり描いていると飽きてきます。ちゃんとした本格的なドラマも描きたいので、今度はそれをやらせてくれと言ったんです。 |
荒俣 | 当時すでに大巨匠だった水野先生をもってしても、困難でしたか(笑)。 |
水野 | 無理(笑)。だけど、粘りに粘って、とうとう少女ものの初めての歴史劇みたいなものが実現したわけです。だから、この後に続いた人たちは楽だったと思いますね。『ベルサイユのばら』あたりは随分すんなりといったのではないでしょうか。 |
荒俣 | そうですか。そういう歴史的事情を思い描きながら、若い読者にも『白いトロイカ』を読ませてみたい。 |
水野 | あの段階で本格的な歴史まんがをスタートさせてもらったというのは、とても大きかったです。ほかの雑誌は、「少女フレンド」(※21)あたりでもまだ昔の感覚を引きずっていましたからね。 |