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荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編
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荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編
その3 “異端”でありつづける勇気の巻 (5)
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荒俣ところで、週刊誌時代になって、「麗しのサブリナ」をまんが化した『すてきなコーラ』、「ジェニーの肖像」をまんが化した『セシリア』などのロマコメを執筆された経緯はわかりましたが、ここでまた衝撃作が誕生します。これまでの少女まんがにはなかった本格的な近代史ドラマをお描きになりますね。とくにロシアの近代を扱った作品を。
水野はい。1964年から「週刊マーガレット」に『白いトロイカ』という歴史ものを描きました。ロシア革命を背景にした作品で、じつはこれもかなり抵抗があったんですよ。異端者の本領発揮です(笑)。
荒俣貴族の娘が田舎の農夫のところに預けられちゃう話ですよね。
水野王制に刃向って処刑された貴族の娘が田舎にかくまわれて…。つまり、歌手の血を持った娘が田舎で育てられて、やっぱり歌手になりたくてペテルブルクに出ていくという話だったわけです。コサック(※15)も出てくるし、貴族も出てくるし、戦もあればというふうなんですが、これが本格的な……本格的とまで言うのは非常に恥ずかしいんですが、一応初めてのちゃんとした歴史ものだったんです。
荒俣どんなきっかけで『白いトロイカ』をお描きになろうとされたんですか。
水野それをいつも不思議がられるんですよ、当時はロシアの資料がほとんどなかったし…。
荒俣あの頃でしたら、資料はないでしょうね、ほとんど。
水野ただ、まだ学生さんたちがロシア文学をちゃんと読んでいた時代で、歌声喫茶(※16)なんかもありましたよね。
荒俣ええ。
水野ロシア映画祭がときどき催されていまして、オペラとかバレエとかのさわり集とか名作映画が上映されていたんです。何週間かそういう映画祭というのがあったんですね。それがあると、連日足繁(あししげ)く通っていたんです。
荒俣昔は文化に貪欲でしたね、若い人が、そういうのを。
水野そういうものしか資料がなかったのです。ビジュアルな本はないんですね。コスチュームとか特殊でしょ。
荒俣そうですね。
水野ああいうものを調べるすべがなかったんですよ。でも、ロシアのものって、なぜか好きだったんですね。アメリカンではなくて、どこかエキゾチックな東欧的な雰囲気があるじゃないですか。あの気配が好きだったので。
荒俣ロマノフ王朝(※17)の香りですか、不思議な、独特の……。
水野雪の積もった白樺とか、ロマンチックじゃないですか。
荒俣そうですね。そこに血がしたたっている感じがありますね。
水野ラスプーチン(1871〜1916 ※18)ですか。
荒俣ええ。
水野とにかくありとあらゆるものが混在していて、しかもすごいパワーですよね、ロシアのパワーって、何度も革命を繰り返して。
荒俣そうですね。アレクサンドル二世(1818〜1881 ※19)なんか、数えきれないほど暗殺未遂事件に巻き込まれていますよね。
水野でも、どっかロマンチックなんですよ。貴族と農奴とコサックとが入り乱れている世界じゃないですか。貴族の世界は絢爛(けんらん)豪華。「戦争と平和」(※20)の映画を観てくださいよ、すばらしいですよね。
荒俣たしかに。「戦争と平和」もそうですが、社会の対立が恋愛の三角関係とみごとにパラレルに進行する。きわめておもしろい時代です。
水野そういうギャップがすごくおもしろかったし、その雰囲気も好きだった。やっぱりロシアのものを描きたいと思って連載に持ち込んだんです。そうしたら、「ロシア? 帝政時代の話? だめ!」と言われました。
荒俣驚天動地でしょうからね、当時の編集さんから見れば。血なまぐさい近代史なんか!という感じでしょ。
水野だからね、必死に説明しましたよ。血みどろの話じゃなくて、歌姫になりたい女の子の、いわゆるサクセスストーリーだよと。それがそういう時代のロシアで展開される物語だと。絶対におどろおどろしい話じゃなくて、ロマンチックに持っていくからと。でも、ロシアの知識なんて編集さんは持っていなかったから、理解不能だったみたい。
荒俣そうですか。
水野本当に絢爛豪華なコスチュームが渦巻いていたので、とにかくぜひやりたいと。その前のロマンチック・コメディー物が一応成果を上げていたので、なんとか許可してくれたんだと思うんですけど、なんでそんな話がいいんだ、ふつうのロマンチックでいけばいいのに、と文句を言いながらも、しぶしぶ納得してくれた感じですね。
荒俣実績を積んでやっと、というわけですか。
水野と思います。かなり大変でしたよ、説き伏せるのは。
荒俣そうでしょうね。でも、実績にプラスしてこだわりをぶつけないと、なかなか載せてくれない作品だったわけですね。
水野はい、編集さんのほうも、読者に受ける作品のノウハウができ始めたころなんです。学園ものも出始めていましたし、そういうものの方がわかりやすくて人気があったわけですね、ロマコメとか。でも、そういう軽いものばっかり描いていると飽きてきます。ちゃんとした本格的なドラマも描きたいので、今度はそれをやらせてくれと言ったんです。
荒俣当時すでに大巨匠だった水野先生をもってしても、困難でしたか(笑)。
水野無理(笑)。だけど、粘りに粘って、とうとう少女ものの初めての歴史劇みたいなものが実現したわけです。だから、この後に続いた人たちは楽だったと思いますね。『ベルサイユのばら』あたりは随分すんなりといったのではないでしょうか。
荒俣そうですか。そういう歴史的事情を思い描きながら、若い読者にも『白いトロイカ』を読ませてみたい。
水野あの段階で本格的な歴史まんがをスタートさせてもらったというのは、とても大きかったです。ほかの雑誌は、「少女フレンド」(※21)あたりでもまだ昔の感覚を引きずっていましたからね。
※15ロシア帝国によって編成された半農武装集団のこと。
※16 店内の客が一緒に歌をうたうことを目的とした飲食店で、1955年ころに隆盛した。発祥に諸説あるが、ロシアから帰国したシベリア抑留兵たちが、とある食堂でロシア民謡や労働歌をみんなで歌ったことが起源であるといわれる。歌に連帯をもとめた労働運動、学生運動の場として活用された。
※17 1613年のミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフの即位から始まり、1917年にニコライ2世がロシア革命で廃位されるまで続いた王朝。
※18 グレゴリー・ラスプーチン。道端の加持祈祷(かじきとう)師から身を起こし、やがて皇帝夫婦に取り入るまで出世した謎多き男。謎の経歴、風貌から「怪僧」とよばれる。フィクションではよく悪役として登場する。
※19 ロマノフ朝第12代皇帝。農奴の解放を行ったが、常に革命派から狙われていた。
※20 トルストイの原作をソ連のセルゲイ・ボンダルチュク監督によって映画化。3年にわたって製作された映画で全4部作。
※21 1962年に講談社により創刊された少女まんが誌。

豪華絢爛な王朝文化を描く『白いトロイカ
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荒俣宏(あらまた・ひろし)
●1947年生まれ。博物学、幻想文学研究家、小説家、路上観察学会会員、妖怪評論家等として活躍。ジャンルを問わず、多数の著書があるが、制作に10年かけた大作『世界大博物図鑑』、『ファンタスティック12』や小説『帝都物語』が特に有名。その知識は洋の東西を問わず、妖怪からITまで縦横無尽に博覧強記ぶりを発揮する。かつて少女漫画家を目指していた時期もあり、まんがに対しても深遠な知識をもつ。まんがに関する著作として『漫画と人生』(集英社文庫)がある。