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1996年度 芸術・文学部門

Literary and Art Criticism 選評

兵藤 裕己 (ひょうどう ひろみ)

『太平記 <よみ>の可能性』
――歴史という物語

(講談社)

1950年、名古屋市生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。
埼玉大学教養学部助教授、同教授などを経て、現在、成城大学文芸学部教授。
著書『王権と物語』(青弓社)、『語り物序説』(有精堂出版)。

中世から近世初頭にかけて、源氏と平氏が交替して天下を統べるという思想が武家のあいだに深く根づいていた。中世的な権威や慣習の徹底的な打破をめざした織田信長でさえ桓武平氏を自称して、源氏嫡流の室町幕府の足利氏にとって代ることを正当化したし、徳川家康も織豊政権に代って江戸幕府を開くに当って、清和源氏新田流をまず名のった。
 この源平交替の思想を「図式化してとらえた」のが『平家物語』であり、それを宋学でいう名分論にのっとってさらに強化したのが『太平記』であるという視点から、中世の政治史がこの二つの物語に盛られた歴史認識に支配されていたことを論じたのが、兵藤裕己の『太平記<よみ>の可能性』である。
 由来、国文学者や文学史家による戦記物語研究はどこまでが史実で、どこからが虚構か、それを洗いだすことに終始してきたといってもいいのだが、兵藤裕己はそうしたスタティックな研究法から大きく足を踏みだし、歴史によって生みだされた物語が逆に歴史を作っていくというダイナミックな構想のもとに、想像力の限りをつくしてこの本を書いた。戦記物語研究史上、おそらくはじめての試みで、これは事件というに値する。
 著者がことに力を入れた論点は二つ。一つは、源平交替して天下を統べるとはいっても、それ自体は政権の主体とはなり得ず、つねに「朝家の御まもり」、「朝家のかため」として、つまり天皇家を守護する「武臣」の立場での覇権であったことの考察である。
 南北朝時代はいうに及ばず、江戸幕府も「源氏嫡流の武臣として、武士社会全体を代表して天皇に忠孝をつくし」、「その奉公にたいする御恩として、家職としての征夷大将軍に叙任される」という形ではじまっている。したがって、たとえば「水戸光圀に代表される徳川氏の尊王の事績」も、幕藩体制と矛盾するものではありえないことになる。
 もう一つは、楠正成をはじめとする「忠臣」たちの役割についての考察。彼らは源平両家のような筋目立った「武臣」ではない。「名ある武士」でさえなく、「あやしき民」にすぎないが、序列をとびこして天皇に直結し、天皇の「救済者」として活躍することで、源平交替して天下を鎭め、朝家の安泰を図るという『太平記』の歴史認識自体を相対化する役割を担うことになったと、著者は見るのである。
 関連する事項をあれもこれもと盛り込みすぎて、ときにテーマが希薄化するといったきらいはあるものの(たとえば結語に当る最終節)、ひとり『太平記』といわず、物語と歴史との相関関係を論じて、これほど刺戟に満ち、これほど手ごたえのある本にはめったに出あえるものではない。

向井 敏(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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