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【社会】

64年の中国核実験対応 核潜在力に原発を

 佐藤栄作首相のブレーンで、沖縄返還交渉の密使を務めた国際政治学者の若泉敬氏(故人)が、一九六四(昭和三十九)年に中国が核実験に成功した直後、その対応策として核兵器に転用可能な原子力技術を高めるべきだとする報告書をまとめていたことが分かった。首相直属の内閣調査室(内調、現・内閣情報調査室)に提出され、佐藤政権下で核保有をめぐる水面下の政策論議につながった。

 若泉氏は報告書で、日本が非核政策を維持しながら、核武装の潜在能力を持つべきだと主張。核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という佐藤首相が唱えた六七年の「非核三原則」にも影響を与えた可能性が高い。

 報告書は当時、内調の調査主幹を務めていた志垣民郎さん(90)=東京都世田谷区=が保管していた。

 本紙が入手したその報告書は「中共の核実験と日本の安全保障」のタイトル。内調への提出は、中国(中共)の核実験から二カ月後の六四年十二月二日付。

 冷戦下、中国が核保有国入りしたことは日本の安全保障の新たな脅威とされたが、報告書はその影響は防衛面よりも「心理的、政治的なものである」と指摘。「わが国はあくまでも自ら核武装はしないという国是を貫くべきだ」とした。

 ただ「何時(いつ)でもやれるのだという潜在的な能力」を持つ必要があるとし「原子力の平和利用に大いに力をそそぐと共に、他方では日本が国産のロケットによって日本の人工衛星を打ち上げる計画を優先的に検討するよう提案したい」とし、原発建設や宇宙開発に取り組むよう提言していた。

 佐藤政権下の核保有論議では、内調のまとめた二部構成の「日本の核政策に関する基礎的研究」(一九六八、七〇年)や外務省の「わが国の外交政策大綱」(六九年)が極秘報告書として作成されていたことが分かっている。

 いずれも憲法九条や日米安全保障条約との関係から、日本の核保有に否定的だが「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在能力)を常に保持する」(外交政策大綱)などと指摘していた。

 若泉報告は、これら報告書より数年も早く、志垣さんは「大いに影響を受けた」と話している。

 

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