1972年 インドシナ(南ベトナム、北べトナム、カンボジア、ラオス)重要日誌


内容
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南ベトナム
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政府軍,「トアンタン72A」作戦をカンボジア東部のクレタ・スオン地区と南ベトナムのタイニン・ビンロン両省で開始。従来のカンボジア領内の聖域つぶしから後退して,解放勢力の南への浸透防止と国境警備を主眼としたもの。この作戦には第III軍区所属の歩兵師団3個を中心に1万5000人が参加。 政府軍情報によれば,北軍2個連隊3,500人がコンツム省と,サイゴン北方国道13号に浸透中。
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政府軍と同盟軍は1日午後6時まで24時間の新年休戦。解放戦線は3日午前1時まで3日間の新年休戦。
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ニクソン大統領は年頭のテレビ会見で「選挙の時に米軍が残っているかどうかは米軍捕虜の問題1つにかかっている」と言明。
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解放戦線,ダナン米空軍基地にロケット4発を撃ち込む,米機3機破壊。
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ロンカン省メース米軍基地北西15キロをパトロール中の米第11機甲師団第3旅団の部隊は,解放戦線の待ち伏せを受けて激戦,死傷者15人を出した。増援に向かったヘリ4機が撃墜された。
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政府軍統合参謀本部はすでに,レンジャー部隊,ヘリ2航空団,機甲化騎兵2連隊など精鋭を含む1万5000人の特別機動部隊の編成を承認,カンボジア作戦を担当する。政府軍はここ2週間以内にカンボジア内の常駐兵力を引揚げ,ネアクルンなどに設けている恒久基地をカンボジア軍に移管する。
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米B52,非武装地帯南に300トンの爆弾を投下。
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パリ会談,4週間ぶりに再開。
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解放戦線,サイゴン北方40キロのビエンホア省に駐留している米第1騎兵師団の部隊に対し迫撃砲20発を撃ち込む。米兵負傷18人。
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米B52,1波30機が非武装地帯南に1,000トンの爆弾を投下。米B52,プレーク南西70キロを2波で爆撃。
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政府軍歩兵,レンジャー,降下,機甲化騎兵部隊など1万5000人,カンボジアのクレタ,スオン両町から南ベトナムのタイニン,ビンロン両省にかけての一帯で新作戦開始。同地区には3~4,000人の解放勢力がいるとみられている。
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8
南ベトナム政府は,インド政府が7日北ベトナムと大使級外交関係樹立に踏み切ったのに対し非難声明を発表するとともに,ICCのサイゴンにおけるインド代表に任命されたL.N.ライ氏らの入国を拒否した。
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8
政府軍3,000人,3国国境地帯南方,ダクコ西方一帯でカンボジアへの越境作戦開始。
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ゴ・ズー第I軍区司令官はプレークで『チンチュオン』紙と会見し「政府軍第23師団とレンジャー部隊が1カ月以上にわたって3国国境付近のラオス領内で秘密作戦を実施,このほどその第1段階を終了した」と語った。
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米B52は2波でアシャウ溪谷を爆撃。
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政府軍,カンボジア領クレク,チュイドン,アルファ陣地から引揚げ。
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米国防総省当局は,ホールートを南下する補給活動が,B52の連続的爆撃にも拘らず,かなりの高水準に達しており,この補給活動が約6週間以内に来る雨期を控えて強化されようと語った。
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ビエンホア空軍基地で米軍弾薬庫が爆発。
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ニクソン大統領,第7次撤兵計画発表─ニクソン大統領はベトナム駐留米軍兵力を3カ月間に7万人減らして5月1日までに6万9000人とすると発表。1カ月当りの撤兵数は2万3300人。
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13
レアード国防長官は記者会見を行ない,米軍は南ベトナムに11師団を保持しているが戦闘責任を完全に南ベトナムに委譲したこと,現在米軍はベトナム化の第2段階として空軍と兵たんの責任を委譲しつつあること,ベトナム化計画がスタートしたとき250機だったベトナム空軍機は現在1,000機を越え,ほとんどすべての戦闘支援出撃は南ベトナム空軍によって行なわれていることを明らかにした。
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汚職を摘発している政府は,バクリュー省のホアン・ダク・ニン省長ら2人(いずれも陸軍大佐)と第2歩兵師団のグエン・バン・トアン将軍を更迭した。
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ゴ・ズー第II軍区司令官,同区の全軍に対し20日から厳戒体制に入るよう指示。
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17
7~20日,米B52,中部高原,3国国境地帯を爆撃。政府軍は第II軍区本部を守る第22師団主力をラオス国境に,またカンボジアから撤退した空てい部隊など2万5000人を待機させている。
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韓国の劉国防相は「南ベトナムから駐留韓国陸軍2個師団を73年末まで残留させるよう要請された」と言明。
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政府軍歩兵20個大隊,機甲部隊など1万5000人,サイゴン北西,70キロ,ミシェラン・ゴム園一帯で新作戦開始,この地域は従来,米第1騎兵師団が防衛に当っていた。
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21
チュー大統領,上下両院会議に総額3205億ピアストルの72年度予算案を提出,これは先に上院が可決した予算案より185億ピアストル増額されている。増額分の内100億ピアストルは国防省むけ,国防予算は1830億ピアストルとなる。
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米軍発表,中部高原に対する爆撃を停止。
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パリ会談のラム南ベトナム政府代表,一時帰国。
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ニクソン大統領,8項目の新和平提案発表─同時に米国が北ベトナムとの間に過去2年半にわたって行なってきた秘密会談の内容を暴露(8項目提案は資料参照)。
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臨時革命政府は解放放送を通じて全国民に総決起を呼びかける6項目の行動指針を発表。
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26
パリ会談の臨時革命政府代表団はニクソン米大統領の8項目提案を非難する声明を発表。
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第142回パリ会談,ポーター米代表は「協定は原則的解決と,細目についての最終協定との2つにし,原則協定調印と同時に撤兵,捕虜釈放を開始し,最終協定が調印されるまでは撤兵も捕虜釈放も完了しない」と発言。一方スアン・トイ北ベトナム代表は「撤兵の時期が不明である。チュー大統領が1カ月前にやめるのでは事実上チュー政権の選挙と同様である」と言明。
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28
サイゴン北西10キロのクアンチュンの政府軍訓練所近くで政府軍レンジャーが解放勢力と戦闘・解放勢力死者23人。
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28
臨時革命政府は,諮問協議会の参加を得て1月下旬,6日間にわたり拡大閣僚会議を開いた。
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解放勢力は非武装地帯南でこの乾期に入って初めて攻勢に出,ドンハ北北東,北西の海兵隊,機甲部隊の前進陣地に迫撃砲,ロケットを集中した。米軍筋によると北軍数千が非武装地帯と南ラオスから移動を開始している。北部は今乾期に入りかけている。
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レアード国防長官はテレビ会見で南ベトナムへの軍事援助停止問題に関連して北ベトナムへの軍事援助の80~90%がソ連からのものであると指摘し「南ベトナム,北ベトナム双方への援助の制限を交渉の過程で討議すべきだ」と語った。
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臨時革命政府は先頃開かれた拡大会議で採択された全面攻勢を呼びかけるコミュニケを発表。
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南ベトナム訪問中のウエストモランド米陸軍参謀総長はサイゴンの米軍司令部で記者会見し,「乾期攻勢はいくつかの局面が連続して起こるだろうが,ひとつの攻勢は数日ないし長くても1週間以下しか持続しまい」と述べた。
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米軍,政府軍空軍はタイニン市西方25キロで解放勢力400人を発見し攻撃。
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政府軍機動部隊2,000人が装甲車30台の支援を受けてカンボジア領内への越境作戦を開始。
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臨時革命政府,2項目提案─第143回パリ会談でグエン・バン・チェン臨時革命政府代表は声明を発表し,①米軍全面撤兵の期限の明示,②チュー政権の即時辞任の2項目を要求した。 ロジャース国務長官は記者会見で「南の選挙にあたる暫定政府の構成やチュー大統領退陣の期日を選挙実施のどれほど前にするかについては弾力的な態度をとって望む」と述べた。
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ニクソン大統領,バンカー大使と会談。
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4
サイゴンの政府軍および警察は厳重な警戒体制に入った。解放戦線のテト攻勢に備えて,サイゴン市内警備強化のため警官隊が増強されている。
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ラム外相はチュー大統領の即時辞任を求めた解放戦線の提案を拒否すると言明。
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中国政府,3日の臨時革命政府2項目提案を支持する声明を発表。
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上下両院合同会議,72年度予算案承認。
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北ベトナム政府,3日の臨時革命政府の2項目提案を支持する声明を発表。
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パリ会談北ベトナム首席代表スアントイ氏は米国のCBSテレビ番組で次のように語った。「秘密会談の再開は臨時革命政府の2項目提案に米国が答えるかどうかにかかっている。全面撤退期日明示と捕虜釈放案は71年に出された。このとき我々はニクソン大統領が急速に解決を図るよう真に希望していた。すなわち米軍を撤退させ,チューを10月選挙を通じて代えることであった。ニクソン大統領はこれを拒否した。チュー大統領は依然残っており,米国のベトナム化政策を続けている。2項目提案をしたのはこのためである。71年と72年とでは条件が違う」。
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解放戦線,ビンディン省のフーミ,フーカット,タムクアンをはじめ全土で43件の攻勢に出る。
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9
米空母コンステレーションは帰休先の香港からベトナム帰航を命ぜられる。現在トンキン湾にいるコーラルシー,ハンコックと合わせて海軍戦闘機は250機になる。そのほか米本土からB52,ファントムがグァム島に動員されている。
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解放戦線,ホイアン東南東13キロの政府軍陣地に82ミリ砲52発を撃ち込んだ後,奇襲攻撃をかける。政府軍死傷23人,解放戦線死者40人。
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米B52,ダナン西南42キロを6波で爆撃し,540トンの爆弾を投下。
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チュー大統領言明「ロジャーズ米国務長官の(3日の)発言について駐米大使にその真意を調査するよう訓令している。もしもロジャーズ長官の語った通りだとすれば,南ベトナムの主権に対する侵害である」。
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レアード国防長官,記者会見で言明「空軍のベトナム化は9割進んだ。第2段階は予定より早く進んでおり,これが終了すれば,米援助軍を完全に撤収する第3段階に入る。しかし南ベトナム空軍が完ぺきな防衛機能を発揮できるようになるまでは米海軍はベトナム海域にとどまる」。
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サイゴン訪問中の劉韓国国防相は,チュー大統領と会談し,韓国軍の撤退問題を協議。
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ソ連政府はニクソン米大統領の8項目提案を非難し,臨時革命政府の7項目と2項目の提案を支持する声明を発表。
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パリ郊外ベルサイユで「インドシナ人民の平和と独立のための世界集会」開会。
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解放戦線,クイニヨン北50キロフーミの政府軍陣地を攻撃,解放戦線死者100人,政府軍死者13人。
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米B52,コンツム省,トアチエン省ラオス国境などに12波,戦闘爆撃機はクアンチ,コンツム,プレークなどに172波の爆撃。
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米B52,19波で3国国境地帯を爆撃。戦闘爆撃機も162回の出撃。
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バンカー米大使,帰任,チュー大統領と会談。
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米B52,クアンチ省のラオス国境一帯に10波,プレイク北西,コンツム西部の国境地帯に17波の爆撃。戦闘爆撃機もコンツム省を中心に176回の爆撃。
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米,政府軍,解放戦線,テト休戦入り。
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米本土からグァム島にB52急派。
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サイゴンの米軍司令部,4,500人の米兵撤退を発表。
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臨時革命政府外務省は声明を発表し,ソマリア政府が大使級外交関係を樹立することに同意したと述べた。
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パリ会談の米,南ベトナム代表団はベルサイユで開かれたベトナム人民支持世界大会に抗議して17日開催予定の第145回パリ会談をボイコットすると発表。
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ニクソン大統領,訪中のためワシントンを出発,21日北京到着。
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テト休戦明け,米B52は10波,戦闘爆撃機は,139波で北部の国境地帯を爆撃。
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19~20日,メコンデルタで解放戦線による4件の攻撃があり,政府軍は死者57人,負傷36人の損害を出した。
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解放戦線,コンツム市にロケット砲6発,ビエンホア米空軍基地にロケット6発を撃ち込む。20日朝から21日正午までの解放戦線による砲撃は27カ所,43件にのぼった。
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バンカー大使,チュー大統領と会談。
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解放戦線,デルタのウーミン森近くの政府軍前進陣地を攻撃,政府軍死者5人,負傷者10人,解放戦線死者11人。
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チュー大統領は『ニューヨークタイムス』のザルツバーガー記者との会見で,南ベトナムは東南アジアを中立化するための全東南アジア首脳会談の開催を歓迎すると述べた。同大統領の提案では,首脳会談はサイゴンで開き,北ベトナムの参加も歓迎されるとしている。
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25
政府,米国からサイゴンに着いたグエン・チャン・チ氏の入国を,ビザが不備との理由で拒否。
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第145回パリ会談で北と南ベトナム臨時革命政府代表は冒頭「北爆強化に抗議して第145回会談を中止する。次回は2日とする」旨の声明を読上げ,退場した。米B52は18日から23日まで続けて北ベトナムのビンリン地区を爆撃している。
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南ベトナム政府軍4,000人,デルタのチャウドク省からカンボジア領に入った一帯で作戦開始。
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パリ会談の米国代表団は,北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府が提案していた3月5日の会談は受入れられないと通告。
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政府軍4,000人,チャウドク省防衛のため,カンボジア領に越境作戦。
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1
サイゴンの米軍司令部は4,940人の米軍撤兵を発表。1回当りの規模としては2番目。これで米軍兵力は12万4100人,内米軍地上戦闘部隊は9大隊を残すだけとなった。69年の最高時には112大隊が駐留していた。
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米B52,ダナン南方に2波,アシャウ渓谷に4波,西部高原に4波の爆撃。
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政府軍1万人が3国国境地帯で作戦開始。ケサン,アシャウ,アルオイ一帯の北軍は1万5000人~2万人といわれている。
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チュー大統領は駐日大使など10人の新しい大使の名簿を上院に提出,新駐日大使に予定されているのはド・バン・リ氏で,同氏はジエム政権崩壊後一時駐米大使を勤め,その後引退していた。
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米空軍はこのほどカムラン湾空軍基地からの撤収を開始し,同基地のアルミ敷き滑走路の撤去や病院の閉鎖を行なっている。
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米機,南ベトナム北部に13波の爆撃,これは6日連続で10波以上の爆撃になる。
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ニクソン大統領の特使,マーシャル・グリーン国務次官補サイゴン着,6日チュー大統領に米中会談について説明。
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政府軍,カンボジア領おうむの口ばし地区と釣針地区に越境作戦を開始,先遣部隊のレンジャー3,700人が越境,進攻部隊は今後2万人にのぼる見込み。
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米,南ベトナム政府両代表団,パリ会談延期を通告。
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政府発表,4日付で『ティン・サン』紙(発行部数3万部)を発行停止,没収処分に。理由はゴ・コン・ドク編集長が3カ月前から不法出国したとみられるため。
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空母キティホークがベトナム水域に到着し,戦列に参加。これでベトナム作戦に配置されている空母は計4隻に。
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衣笠統幕議長,サイゴン訪問,エイブラムズ米援助軍司令官,ビエン統幕議長と会談。
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政府軍5,000人がカンボジア領スベイリエンの1号線北側に越境作戦,戦車150台,砲100門が参加,司令官はグエン・バン・ミン将軍,さらに政府軍2万人がタイニン省国境地帯に集結中。
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ファン・ディン・ツ第2軍区司令官解任。
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ユエ南西30キロで政府軍歩兵大隊は,大隊規模の解放軍と戦闘し,68人を戦死させた。また3国国境地帯に派遣された政府軍空てい部隊は,コンツム省の国境にある砲火支援基地付近のジャングルで中隊規模の解放軍と戦闘。 解放勢力は非武装地帯南の政府軍歩兵部隊基地アルアァ3に46発の迫撃砲弾を撃ち込んだ。
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米国防総省発表,同省の国家安全保障局長ノエ・ル・ゲーラー海軍中将がマケーン太平洋統合軍司令官の後任に就任。
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15,16両日,解放戦線は政府軍に対し41回の攻撃をかけた。これは過去5カ月の間で最も激しいもの。
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米軍司令部は5,700人の撤退予定を発表。これで米地上戦闘兵力は7大隊に縮少される。13日現在の米軍兵力は11万4500人。
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16
5週間ぶりにパリ会談再開,米代表は捕虜問題について発言,トイ北ベトナム代表は欠席,ビン臨時革命政府代表はまだ帰任していない。
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米B52,30機以上が南ベトナムの北部・中部を爆撃,750トンの爆弾を投下。
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17日からアシャウ溪谷の解放軍が,ユエを防衛する政府軍の前線基地を攻撃。18日には,ユエ南西30キロの政府軍陣地に迫撃砲弾300発が撃ち込まれ,戦闘が続いた。2日間で政府軍死者7人,負傷者75人,解放軍死者230人。
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グエン・チ・ビン代表,ハノイを離れ,北京,モスクワ経由でパリに向かう。
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国防省で20億ピアストルの公金横領事件が明るみに出され,グエン・バン・ビ国防相が辞表を提出したほか,国防省高官5人が解任された。横領された公金は兵士の給料から積み立てられている共済基金。フオン副大統領を長とする委員会が事件の調査に当る。
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ミト市南方15キロのチュクジアンの民兵司令部,警察署などが解放戦線に攻撃され,市街戦となり,政府側に死者19人,負傷者28人が出た。またタイニン市西方2キロの政府軍陣地にロケット弾30発が撃ち込まれ,政府軍7人が死亡,7人が負傷,30万リットルのガソリンが炎上した。
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第147回パリ会談,ポーター米代表は「捕虜問題について真剣な討議をするというサインが北側から示されるまで会談を開く意志はない」と言明。
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ニクソン大統領発表,パリ会談の中断を指示。
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24
米B52,10波で3国国境地帯のケサン高原とアシャウ溪谷を爆撃。
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グエン・チ・ビン臨時革命政府代表,北京,モスクワ経由でパリに帰任。
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30
解放勢力,北部で攻勢開始─30日午後から31日夕にかけ,解放軍は非武装地帯南の町ジオリン,ドンハをはじめ,政府軍のチャーリー1,2およびマイロクなどの基地に4,000発の砲弾を撃ち込んだ。政府軍死者35人,負傷者100人。 政府軍は600発のロケット弾,曲射砲弾を撃ち込まれたマイロク基地を30日午後放棄,チャーリー2陣地には30日夜から明け方までに1,000発の砲弾が撃ち込まれ,フラー基地,ジオリン西方では激戦があった。また中部高原のコンツム西方5号砲撃支援基地にも300発の砲弾が浴びせられた。
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ポーター・パリ会談米代表,帰米。
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ビン外相,シューマン仏外相と会談。シューマン外相はフランス政府がパリ会談再開に努力する用意のあることを表明した。
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解放勢力は,カムロ北6キロのアルファ4基地に1,200発の122ミリロケット砲,ジオリン南5キロのチャーリー1基地に900発のロケット砲,カムロ北5キロのチャーリー2基地に800発のロケット砲を撃ち込み,政府軍はこれらの基地を放棄。政府軍は解放勢力の猛攻をうけて,非武装地帯沿いのケジオ基地,フラー基地,バホ東方の陣地を放棄。夕方,ジオリン付近で激戦,解放勢力死者170人,政府軍死傷者31人。ジオリン一帯の住民300人は南方へ避難。
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1
31日から1日にかけ解放勢力の攻撃件数は53件(内,砲撃33件)にのぼった。非武装地帯直下の4つの前進基地には3,000発のロケット弾が撃ち込まれた。ドンハ市にも120発のロケット弾が撃ち込まれ,住民1万人はほとんど避難した。 1日までに政府軍は海兵1個師団を増援,切札の空挺旅団も待機命令を受けている。
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1
米B52,非武装地帯南を爆撃,政府軍は非武装地帯沿いの15の拠点のうち10カ所からすでに撤退し,孤立した砲兵陣地2つと,ドンハ,クアンチ両市の基地を確保している。政府軍は非武装地帯南の防衛線を放棄し,約16キロ南へ退ったクアベト川沿いに新たな防衛線を設定しようとしている。解放勢力は3個師団と機械化部隊3個連隊の計5万人といわれる。
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ウェイアンド米軍副司令官,ダナンに急行。現在非武装地帯周辺の米軍は後方支援の砲兵1個大隊を残すだけ。軍事筋によれば,米軍事顧問と大砲の弾着監視員である残留米軍人3~40人をクアンチ省からユエに引揚げる。
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サイゴンの米司令部,米戦闘部隊2,140人の引揚げを発表。
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ドンハ近くで解放勢力の戦車と政府軍戦車部隊が砲撃戦。 解放勢力はこの日も政府軍に対し,2,000発のロケット弾を撃ち込む。 2日夜明け,解放勢力はサイゴン北西120キロ,国道22号上の砲撃基地ペース(ベトナム名ラクロン)に600発のロケット砲撃を加えた後,地上攻撃をかけて奪取。 午後,解放勢力は,政府軍の手に残っていた2つの前線基地キャンプ・キャロルとマイロクを占領。政府軍は非武装地帯南16キロのドンハと更に南へ12.8キロのクアンチ市に撤収。クアンチ市の2万2000人の市民の多くは50キロ南のユエに避難しており,ジオリン,カムロ,ドンハなどから5万人の避難民がクアンチ市に流入している。
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チュー大統領はグエン・バン・ビ国防相から出された休暇願いを受理,キエム首相が国防相を兼務。
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米第7艦隊旗艦オクラホマシチー,空母コンステレーション,駆逐艦1隻が横須賀を出港。米軍司令部は,日本沖の空母コンステレーションおよびマニラのキテイホークに対し,トンキン湾に急行するよう指令。
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チュー大統領,国家安全保障会議を招集,その後,ダナン,ユエに飛ぶ。 トン・タト・ジン上院軍事委員長言明「政府軍は非武装地帯における圧力を和らげるため,北ベトナムのドンホイに侵攻する計画を立てている。これには米軍も承認を与えた」。
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政府軍,1個師団(1,2万人)相当の海兵,レンジャー機甲部隊をクアンチに派遣。 政府軍8,000人,タイニン市から出撃。 夕方,クアンチ市南西10キロの政府軍海兵隊基地に150発の130ミリ砲が撃ち込まれる。 朝,3国国境地帯にある政府軍砲撃基地に対し,解放勢力2個中隊が攻撃をかけ戦闘,解放勢力の死者350人,政府軍の死者20人,負傷者54人。
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サイゴン米軍当局発表「米軍は米兵,米民間人の生命を守るため米空軍,砲撃力を使う用意がある」。
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3日から連日,ニクソン大統領は国家安全保障会議のためのワシントン特別行動部会を招集した。ワシントンは「選択の可能性を未定のまま開いておく」との態度をとっている。マクロスキー国務省スポークスマンは,解放勢力の装備がソ連の軍事装備によるものであることを指摘し,戦車,SAM対空ミサイルなどのソ連製兵器が非武装地帯を越えて進撃してきた事実に注意を喚起した。
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3
サイゴンで発行されている21の日刊紙の内,ベトナム語紙14と英字紙2が発行差止めに。
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20機のB52がクアンチ市南方20キロ付近に500トンの爆弾投下。ユエ市には2万人の避難民,ダナン市にも3,000人の避難民が流入している。
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4
非武装地帯南に対する解放勢力の攻勢は一段落した。政府軍はクアンチ市北方13キロのドンハ市南部ドンハ川の南岸に防御ラインをしいた。ドンハ川の河口のクアベトに海兵隊3,000人が上陸した。ラム司令官はダナンで記者会見し次のように語った。「北側はクアンチ市を陥落することはできない。3~4日にかけ政府軍と米軍は総力をクアンチ市に配備した。今度の北側の攻勢のねらいはクアンチ省とトアチエン省を占領することだったが,政府軍はクアンチ市でこれを阻止した。これまでに北側の戦車50台を破壊した。北側の死者は2,000人,負傷3,000人,政府軍は死者200人,負傷者1,000人だろう」。
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4
解放戦線,ユエ市西32キロのアン砲兵陣地を占拠,ユエ南西25キロのバストーニュ砲兵陣地救援に派遣された政府軍1,200人を包囲。5日激戦。 解放戦線5,000人,サイゴン北方100キロのビンロン省都アンロク市(民兵隊が守備)を攻撃,約50キロ南のライケに駐留している政府軍第5歩兵師団から1個連隊が救援に向かう。アンロク周辺には精鋭のレンジャー部隊3個連隊が配置されていたが,4日同部隊は北部にふりむけられたばかり。
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チャフィー米海軍長官辞任。
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パリ会談の北ベトナム,臨時革命政府代表団は声明を発表し,米,南ベトナム側に中断中のパリ会談を6日に再開するよう要求した。
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マンスフィールド米上院院内総務言明「北の攻勢に大規模な北爆でこたえることは,米軍機がまた撃墜され,米軍捕虜の数がさらにふえることを意味する。最善の解決策は米軍の完全撤退,パリ会談の再開および拡大にある。」
4
4
ニクソン大統領は,B52をアメリカからインドシナに増派するよう命令。これにより東南アに派遣されるB52は合計100機以上となる。
4
4
チュー大統領はラジオ,テレビを通じて次のように演説「北ベトナムは29日以来,ドンハを侵攻するために5師団,5万4000人の兵力を送り込み,3国国境でもコンツムを攻撃するために新たに1個師団を増派した。北ベトナムの目標はクアンチ,トアチエン両省を占領し,臨時革命政府の支配地域とするためである。現在は南ベトナムの生存にとって決定的な局面であり,この戦闘が南ベトナムの運命を決めるだろう」。
4
5
解放戦線のクアンチ・トアチエン戦線司令部はアピールを発表し,非武装地帯南側での1週間にわたる戦闘で,政府軍1,000人以上を捕虜にし,14基地を制圧または放棄させたと述べ,政府軍兵士の投降を求めた。
4
5
4~5日,米B52は6波で,戦闘爆撃機は217回,クアンチ省を爆撃。 5日までに政府軍は第3師団,海兵,レンジャーなど計2万人がクアンチ省を増援。第3師団の兵力は解放勢力の第1波攻撃で半減している。
4
5
政府軍,クアンチ市北東20キロのクアベト川河口の海軍基地と同市南西10キロのアン火砲支援陣地を放棄。
4
5
解放勢力,ユエ南西20キロの政府軍火砲支援陣地バストーニュを攻撃。政府軍損害50人,解放勢力死者179人。
4
5
米第1空輸機動師団所属の2個中隊がサイゴン近くから北部に急派された。
4
5
サイゴン北120キロ,ロクニン付近で戦闘。政府軍死者9人。
4
6
国道13号を進む解放軍1個大隊はサイゴンから60キロの地点に迫った。5日越境した別の2個連隊を支援。
4
6
解放放送はロクニンを制圧したと発表。
4
6
米軍,限定的北爆を再開したと発表。
4
7
ロクニンの政府軍陥落─政府軍はアンロクから第5師団を急派したが,解放戦線に進撃をはばまれた。解放戦線は更にアンロクに向かっている。アンロクは政府軍2個連隊が防衛に当っている。 ロクニン北東24キロにある郡庁所在地ドドクが陥落し,政府軍数百人は10日ヘリで撤退した。
4
7
解放戦線,デルタのビンビン省,バスエン省,ビンロン省,チュオンチエン省,アンスエン省などで攻勢をかける。8日未明ミトも砲撃さる。政府軍はデルタから1個師団を非武装地帯南部に投入している。8日カント市にあるカイラン橋を爆破してサイゴンへ通じる交通がしゃ断された。
4
7
レアード米国防長官は記者会見で次のように述べた。「われわれの自制に対しては侵略が行なわれた。敵はわれわれに対しあえて同盟国を見捨てることをいどんできたが,われわれは決してそうしない。」「5月1日までに6万9000人に減らす撤兵計画は果たし,或いはそれ以上の撤兵を行なう。」
4
7
米民主党のケネディ上院議員は上院本会議で次のように演説した。「チュー大統領の政治的生命を守ることに数千人のベトナム人の生命を犠牲にする価値があるかどうかが現在最大の問題だ。その価値はないと私は考えている。」
4
8
政府軍第3歩兵師団の部隊,クアベト海軍基地を奪回。
4
8
解放戦線,サイゴン西北88キロのヌイバデン米軍無線中継基地に180発の迫撃砲弾を撃ち込む。
4
8
米軍は戦闘爆撃機3個中隊50機以上を南ベトナムに移駐させた。また南爆用のデキシーステーションが数年ぶりに復活,巡洋艦2隻を増派した。爆撃機のうち2個中隊36機は岩国からダナンに増派されたもの。また,岩国の米海兵隊250人も7日,ダナンに上陸。
4
8
チュー大統領は国家安全保障会議を召集。
4
8
(ワシントン)ジーダラー米大統領報道官は記者会見で次のように語った。「米国が供給する支援は空軍,火力の分野だけに限られるものではない。但し核兵器の使用が追加的な支援活動に含まれていることはない。」「米国は交渉に十分な意欲をもっており,ニクソン大統領は来週,ポーター米代表と協議する。」
4
9
クアンチ市北2キロで激戦,解放勢力死者1,000人,政府軍は増強された海兵,レンジャー,第3師団などが参加し,死者9人,負傷者20人。
4
9
ユエ西南20キロでも激戦,解放勢力死者40人,政府軍死者40人。
4
9
解放戦線2個大隊2,000人,アンロクを攻撃,その他カムラン米軍基地も奇襲。
4
9
米砲兵部隊など4部隊290人が撤兵計画からはずされた。
4
10
アンロク防衛のため政府軍はデルタから第21師団をライケとアンロクの中間にあるチョンタンに増強,チョンタンには解放戦線3個師団がいる。政府軍は第5第21師団とビエンホアからきた第18師団の1個連隊が駐留,7日の攻撃でロクニンから撤退した第5師団の2個連隊はロクニンの南5キロに防衛線をひいた。
4
10
レアード米国防長官は残留米軍を守るため,今週末までにベトナム地域に対して米軍の海,空軍力の増強が行なわれることを明らかにし,「これは米軍の撤退計画を予定通り進めようとしている決意の反映である」と語った。
4
10
(パリ)ビン臨時革命政府外相は米国民にメッセージをよせ,米国民に対し南北ベトナムにおける爆撃の即時中止を要求するよう呼びかけるとともに,ニクソン大統領がベトナムで核兵器を使用すると脅かしていると非難し,更に種々の政治的傾向をもつ南ベトナム人民が選挙を通じて和解政府を樹立するのを認めるべきだと述べた。
4
11
解放戦線最高司令部は将兵に対し,全戦線にわたって攻撃に出ることを命令し,「敵のベトナム化および平定計画を粉砕するため人民戦争を拡大せよ」と述べた。
4
11
午前6時までの24時間に,米,政府軍機は490波の出撃,B52も南領内に19波の攻撃。政府軍増援隊1万人はアンロクを救うため,国道13号を北進,アンロクから20キロの地点に到達。アンロク市内は政府軍8,000人が確保している。
4
11
ダナン駐留の米第196軽歩兵旅団の一部,ユエ南部のフバイ空軍基地に移駐。
4
11
米空母サラトガは米フロリダ州のメイポート基地を出航し,ベトナムへ向かった(艦載機50機)。
4
11
(ワシントン)ムーラー米統幕議長は下院軍事委聴聞会で証言し,「戦況が悪化した場合は,ハイフォンを含めた北爆の拡大などいくつかの手段が考えられるが,米地上軍の再投入は全く考慮外である」と述べた。
4
12
ハノイ放送発表,ジオリン,カムロを解放。
4
12
解放戦線,コンツム北西25キロの政府軍空てい部隊の前進基地を攻撃。
4
12
政府軍増援隊,解放勢力のアンロク包囲線を突破して同市守備隊と合流。
4
12
ビエンホア米軍基地に82ミリ迫撃砲弾14発が撃ち込まれる。
4
12
米B52,19波出撃,戦闘爆撃機297波の出撃。
4
12
(パリ)北ベトナム,臨時革命政府,正式に米,南ベトナム側に13日にパリ会談を再開するよう通告。 フランス政府は声明を発表し,各当時者にパリ会談がすみやかに再開されるよう要望。
4
13
解放戦線,ダナン米軍基地に18発のロケット弾を撃ち込む。
4
13
解放戦線,アンロクを総攻撃。
4
13
米海軍巡洋艦ニューポート・ニューズ,駆逐艦マリニックス,ミサイルフリゲート艦ビドル,ノーフォーク港を出港,ベトナムに向かう。
4
14
政府軍発表,アンロクから解放軍を撃退。
4
14
解放戦線は,午前6時までの24時間に全土で107件の攻勢,中小都市への小規模攻撃が目立っている。夜,タンソニャト空軍基地を攻撃。
4
15
解放戦線,包囲中のユエ南西16キロの戦略拠点バストーニュに200発の砲撃。
4
15
解放放送は「解放軍が午後1時アンロクを占拠し,アンロク南30キロのチョンタンへの攻撃に移っている」と報道。政府軍は空でい部隊をアンロクに増援,解放戦線はまたサイゴン北西10キロのクアントラン政府軍訓練施設を砲撃。
4
15
解放放送は卜議長の人民に対するアピールを放送し,政府軍兵士,官吏,家族などに対し,解放戦線の側に立つよう呼びかけた。
4
16
解放戦線,クイニヨン北90キロの政府軍基地を攻撃,政府軍死傷者41人,解放戦線死者86人。
4
16
解放戦線と臨時革命政府はアピールを発表し,「いかなる爆撃,艦砲射撃も,ニクソン大統領のベトナム化政策の破局を救うことは出来ない」と述べた。米機は16日ハノイ,ハイフォン一帯を爆撃している。
4
16
(北京)周恩来首相はチャン・ビン中国駐在臨時革命政府臨時代理大使と会見した際,次のように述べた。「戦争エスカレーションはかつても失敗したし,今度もまた失敗するだろう」,「中国の支援は一貫してやむことなく継続されるだろう。」
4
16
ソ連タス通信は声明を発表し,米国の北爆拡大を非難するとともに,交渉こそがインドシナ問題解決への唯一の道であると述べた。
4
18
ヘーグ准将,チュー大統領と会見,同将は16日サイゴン到着,北部戦線を視察しラム司令官と協議した。
4
18
米軍筋によると,ニクソン大統領は暫定的に北緯20度線以北の北爆一時停止と北ベトナム南部回廊地帯の北爆減少をすでに命令したといわれる。レアード国防長官はこの日上院外交委に出席し,「北が侵略を続ける限り,北のすべての地域が攻撃の対象となる。ハイフォン港封鎖の可能性も除外されない」と言明。
4
19
19日午前6時までの24時間に,解放戦線は全土で103件の攻撃。未明,サイゴン北方37キロのベンカトを攻撃,ベンカトの北3キロにあるライケの補給基地にも迫撃砲弾19発を撃ち込む。政府軍によれば,アンロクを攻撃した解放軍戦車隊は,サイゴン北56キロを南下中といわれる。またビンディン省北部ボンソン西寄りの郡都ホアイアン北3.2キロのオレンジ基地(国道1号から4キロ)は15日から解放戦線の攻撃を受けていたが,19日朝政府軍はホアイアンを放棄した。同基地はこれまで政府軍第27師団の1大隊が守備していたが,同師団が中部高原の増援にまわされたため,地方軍が代わって守っていた。プレークとビンディンを結ぶ国道はすでに寸断されている。 また解放戦線はアンロクに対する攻撃を再開し,市内に1,600発のロケット弾を撃ち込んだ。
4
20
19~20日,全土での戦闘は102件を数えた。解放勢力の攻勢はコンツム周辺とその東側の海岸地帯で強まっている。その他解放戦線はアンロク南東4キロにある政府軍陣地を攻撃,同陣地を守っていた空てい部隊1個大隊の100人以上を死傷させた。
4
21
政府軍空てい部隊,コンツム市北西28キロの砲撃基地デルタを放棄,南方500メートルの別の陣地に撤退。
4
21
解放戦線,アンロクの政府軍に1,000発の砲弾を浴びせる。またサイゴン北西65キロ,ビンズオン省ダウチエンへも攻勢を強める。
4
21
デルタのアンスエン省トイビン町近郊の政府軍基地が40発の砲撃をうける。またチュオンチエン省キエンロンの町役場も砲撃さる。
4
22
ニューヨークをはじめとする全米10都市でベトナム戦拡大に抗議するデモ。
4
23
解放軍地上部隊がアンロクに突入,政府軍は解放勢力のサイゴン締めつけに対し,ユエ近郊から数千のレンジャー部隊,中部3国国境地帯から一部の降下部隊を引揚げ,サイゴン周辺に増強している。 23日正午までの24時間に米B52は24波,米戦闘爆撃機は同日午前6時までの24時間に430回の支援爆撃を行なった。
4
24
中部高原タンカン基地の政府軍第22歩兵師団本部はプレークの第2軍管区本部との連絡を断った。タンカンに対しては解放軍戦車隊が攻撃をかけている。
4
25
ダクト市陥落,政府軍はコンツムから15キロの新防衛線まで後退。 解放放送はコンツム総攻撃を命令した。政府軍は1個師団がコンツム防衛に当っているほか,バンメトートの第22師団をコンツム一帯に投入し始めている。
4
25
米ホワイトハウスは「キッシンジャー補佐官が4月20日から24日の間モスクワにいてブレジネフ書記長,グロムイコ外相と懇談した」と発表した。 またこの発表の直後,「米国がパリ会談を今週再開する用意がある」と発表。
4
26
ニクソン大統領,第8次撤兵発表─ニクソン米大統領は全国向けテレビ放送で演説し「①南ベトナムからの撤兵続行,②再開パリ会談では北による侵略停止および米軍捕虜釈放を話し合う,③北が南への攻勢をやめない限り北爆を続行する」との方針を明らかにした。第8次撤兵については5月1日以降2カ月間に2万の米軍を引揚げると発表した。在ベトナム米軍は5月1日現在で6万9000人になる予定で新方針によれば7月1日までに4万9000人になる。
4
26
パリ会談の北ベトナム代表団は声明を発表し,「27日の公式会談に出席する,同時に我々は米国側のいう“北ベトナムの侵略”“パリ会談開催に関する1968年の了解事項違反”などの主張は断固退ける」と述べた。
4
26
南ベトナム政府外務省は朝声明を発表し,「米国政府と合意のうえ,4月27日にパリ会談を再開したいとの共産側の提案を受入れることにした」と述べた。
4
27
第148回パリ会談再開,ポーター米代表は26日のニクソン発表を読み上げ「北ベトナム軍の南からの撤退を提案する。あなた方が現在の攻勢と捕虜問題などの実質交渉を拒否するなら会談を開いても効果はない」と述べた。 臨時革命政府のビン代表は3月末にパリに帰任して以来はじめてのパリ会談出席で,昨年9月から登場したポーター代表とは初の顔合せだった。
4
28
解放軍,ドンハ南10キロ,クアンチ市を猛攻,クアンチに残っている住民はユエに向けて避難をはじめた。 解放軍の猛攻で政府軍はユエ南西20キロのバストーニュ基地を放棄。
4
29
ビンディン省郡都ホアイニヨン(ボンソンの北)が解放軍3個大隊の攻撃をうけて陥落。ホアイニヨンはホアイアンの北東10キロにある。
4
30
米第7艦隊空母ミッドウェーが北ベトナム沖のヤンキーステーションに到着。これで米空母は5隻になった。
4
30
クアンチ南方10キロの政府軍陣地陥落。 クアンチ市は1,500発,同市南2キロのラバン村に2,000発の130ミリ砲が撃ち込まれる。 クアンチ市は完全に包囲されている。クアンチ市は政府軍第3歩兵師団,海兵,レンジャー各部隊(計1万人)が守備している。
4
30
1日午前6時までの24時間に米B52は25波,戦闘爆撃機は720回の南爆,またデルタのチュオンチェン省を初めて爆撃,南爆はクアンチ市周辺が最も激しく237波にのぼった。
4
30
レ・ドク・ト顧問は27日ハノイから北京に到着,29日北京を発ち,モスクワ経由で30日パリ入り。
5
1
政府軍第3師団はクアンチ北4キロのアイツ基地を放棄し,クアンチ市内へ退却した後,クアンチ市をも放棄,クアンチの住民はユエに避難している。ユエには15万の避難民があふれている。
5
1
ビンディン省郡都タムクアンが陥落。
5
2
コンツム市北側に残っていた政府軍唯一の基地リマが陥落。
5
2
チュー大統領,バンカー米大使,エイブラムズ米軍司令官と会談。
5
2
6日付の『フランス・スワール』紙は,キッシンジャー米大統領補佐官が2日,パリで北ベトナム代表団のレ・ドク・ト顧問と秘密折衝し,チュー政権の交代までは米側が譲ったが,革命政府の提案する和解政府樹立には応じなかった。
5
3
解放放送は政府職員に対し,「全面打倒のときがきた」と警告。
5
3
チュー大統領は,後方の秩序を保つため,騒ぎを引起こす者をその場で射殺する権限を民間と軍の当局者に与えると発表。
5
3
チュー大統領はクアンチ陥落にともなう懲罰人事を発表,第1軍管区司令官ホアン・スアン・ラム中将を解任し,後任に第4軍管区司令官ゴ・クアン・チュオンをすえ,クアンチ防衛の責任を負っていたホ・バン・ジアイ第3師団長を解任。
5
3
レアード米国防長官は,シリト国防次官補を長とし5人の将官によって構成される特別視察団を編成しサイゴンに向かうよう命じた。同視察団は,政府軍がどの程度兵器の更新を必要としているかをさぐる。
5
4
解放放送は,クアンチ市に臨時革命人民委員会が成立したと発表。
5
4
パリ会談米代表はパリ会談を再び無期限中断すると発表。 米国防総省は東南ア地域へさらに軍用機を増派すると発表。
5
5
チュー大統領,Barry Shillito米国防次官補(補給担当)と会見,エイブラムズ司令官,バンカー大使も同席。
5
5
解放戦線,フォクトイ省ドクタンに82ミリ迫撃砲を撃ち込んだのち,2個大隊の規模で民兵の警戒所を襲撃,政府軍に死傷34の損害,またロンアン省ベンルク南方3キロのロンディン橋,破壊さる。
5
5
米国防省のフリードハイム報道官は南ベトナムからの撤退米軍を守るため,同地の米戦闘部隊を増加させることもあり得ると述べた。
5
7
解放戦線,コンツム市の政府軍3防衛基地を攻撃。ゴ・ズー司令官によれば,コンツムには民間人がまだ5分の1(5,000人)残っている。
5
8
ニクソン大統領,北ベトナム全港湾の機雷封鎖を発表(資料参照)。 米国は国連安保理に対し,次のように通告「サイゴン時間9日午前9時から北ベトナムの港湾への入口に機雷を敷設する。これらの機雷はサイゴン時間の11日午後6時から作動する」。 機雷が敷設されたのはハイフォン,ホンゲイ,カンフア,ビン,クアンケ,ドンホイ,タンホアの7港である。
5
8
レ・ドク・ト顧問,シューマン仏外相と会談。
5
9
解放戦線,コンツム西方24キロにある政府軍レンジャー部隊のレカン基地を攻略,解放戦線,コンツム西北60キロのベンヘト基地に突撃。11日,政府軍がこれを撃退。
5
9
チュー大統領はラジオ,テレビで国民に呼びかけ,「わが国は危険状態にある」と述べ,議会に対し「最大限の支援を要請する」と述べた。
5
9
パリ会談の北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府両代表団は,ニクソン米大統領の軍事エスカレーションに抗議する声明を発表。
5
9
キッシンジャー米大統領補佐官は,記者会見で前日ニクソン大統領が発表したベトナム強硬措置の背景説明を行なった。
5
10
チュー大統領,非常事態宣言─チュー大統領はラジオ,テレビを通じ,南ベトナム全域に非常事態を宣言するとともに,11日から全土に戒厳令をしくと発表。11日発表された戒厳令措置の内容は,①全土にわたり外出禁止時間を午後10時から午前5時までとすること,②防衛のために必要とされれば各軍司令官は食料,燃料,車両,牛馬,運転手などあらゆる物資専門家を徴発できる,③徴兵年齢をこれまでの18~38歳から17~41歳とする,④徴兵から除外される条件を制限する,⑤全大学を閉鎖し,学生に軍への参加を求める,⑥全銀行を政府管理下におく。
5
10
第2軍管区司令官ゴ・ズー少将は解任され,機甲部隊司令官のグエン・バン・トアン少将が後任に就任。
5
10
上院,チュー大統領提出の大使人事のうち6人を承認,3人を拒否,ド・バン・リ元駐米大使の駐日大使任命,ドアン・バ・カン駐日代理大使の駐ニュージーランド大使転出承認。
5
10
クイニヨンに着いた避難民の話によると,解放戦線はビンディン省で,サイゴン政府の官吏を処刑したあと,人口20万人の同地域を支配する地方行政機構を設立した。
5
10
(パリ)ビン臨時革命政府代表は,『ニューヨークタイムズ』のシーモア・ハーシュ記者とのインタビューで「ニクソン米大統領の北ベトナム封鎖演説の中で行なわれた和平提案は,1月25日の8項目提案よりもさらに高圧的だ」として拒否する意向を表明した。
5
10
パリ会談のスアン・トイ北ベトナム首席代表が帰国。
5
11
解放戦線,アンロクに対する地上攻撃を再開。またユエ北西25キロの郡庁所在地ホンジンの政府軍陣地を攻撃,米B52はアンロクに22波で爆撃を加え,2,000トンの高性能爆弾を投下,またサイゴン西40キロの地点で政府軍と解放勢力1個大隊が戦闘。
5
11
ソ連政府,米国の北ベトナム港湾封鎖について声明を発表,中国政府も声明を発表,コスイギン首相,帰国途中のスアン・トイ代表と会談。
5
11
ヒース英首相は,駐中国大使に直ちに中国政府当局と接触するよう訓令を発したことを明らかにした。
5
12
ユエ西方10キロのバーミンガム基地近くで激戦,また解放戦線はサイゴンから42キロのチャンバンの一部を占拠したが,政府軍に撃退された。
5
13
政府軍海兵隊2個大隊1,000人が,米第7艦隊空母から米海兵隊のヘリでカンチ市南西10キロの郡都ハイラン南へ空輸された。空輸には米海兵隊100人も参加。これと同時にハイランの南10キロのミチヤンから別の1個大隊の政府軍海兵隊500人が渡河作戦を開始,空輸された海兵隊は8時間にわたる戦闘の後ミチャン川まで撤退,この作戦で政府軍58人が死傷,解放勢力の死者は248人。
5
13
ベトナム沿岸沖で作戦中の米第7艦隊に6隻目の空母「オキナワ」が加わった。
5
14
下院,チュー大統領に非常大権(外国との条約の締結,宣戦布告,和平交渉の決定を除く法律について議会を通さずに公布できる)を6カ月の期限付きで与える法案を賛成82,反対69,棄権1,欠席17で可決。
5
14
解放戦線,コンツム市から2キロの政府軍陣地に戦車で迫る,解放軍死者173人,米軍は初めて対戦車誘導ミサイル“TOW”を積載したヘリを投入。
5
15
国防省は兵役義務(17~43歳)がありながら戦闘義務を免除されていた39~43歳までの男子ならびに17歳の青年に対し,6月1日から7月15日までの間に3段階にわけて,徴兵事務所に出頭するよう命令した。
5
16
B52の援護のもとに政府軍2個師団はアンロクで反撃作戦を開始。
5
16
パリ会談の北ベトナム,臨時革命政府両代表団は,パリ会談を18日に再開するよう提案するとともに,機雷封鎖,北爆の即時停止を要求した。米代表団はこれを拒否した。ポーター米代表はワシントンに帰国した。
5
17
コンツム空軍基地にロケット40発が撃ち込まれる。プレーク基地で弾薬庫が爆発,解放軍はプレークとキニヨンを結ぶ国道19号の橋を砲撃し,同国道は不通になった。
5
17
アグニュー副大統領はバンコックからサイゴン入りし,チュー大統領と会談。
5
17
8大学がチュー大統領の命令で閉鎖され,学生5万人の大部分が民兵を志願。
5
18
政府軍2個大隊はユエ西方の砲撃基地,ヘレン基地とロング基地を奪回した。
5
22
ユエ北方で解放軍と政府軍海兵隊が激戦。
5
22
ニクソン大統領,モスクワ着。
5
23
解放戦線,サイゴン南東80キロ,フォクトイ省の郡都ダトドを制圧。
5
23
北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府のパリ会談代表団は,パリ会談を25日に再開するよう米,南ベトナム側に要求,これに対し米国務省スポークスマンはこの要求を拒否すると言明。
5
24
チュー大統領は「非常権限法案」の審議を米ソ首脳会談が終了する29日以降にするよう求めた。同法案は議会の権限のうち戦争宣言,条約批准の2つを除くすべての権限を大統領に与えよというもので,すでに下院を通過し,上院で審議中。
5
24
政府軍海兵隊2,000人,米軍支援のもとにヘリ,上陸用舟艇でクアンチ市北東のクアベト南方地域に上陸作戦を開始したが,7時間で終了し,後方基地に撤収。政府軍はダナン市南方40キロ,ケソン溪谷にあるアンスアン,ゴダ両前線基地を放棄。
5
24
米国防総省ジェームズ次官補は,ベトナム戦用のB52戦略爆撃機を更に増派すると発表。米軍は現在グアムとタイに計140機のB52を集結させている。
5
25
解放軍2個大隊200人は,コンツム市に突入。
5
26
アンロク救援に向かった政府軍は依然同市南方3キロでクギづけになっている。26日負傷兵救出に向かった輸送車23台は待ち伏せ攻撃を受け,半数が破壊され,救援部隊は死傷者200人を出した。
5
28
政府軍,コンツム市内の戦闘で,学校などを奪回,解放軍死者168人,政府軍死傷者92人。
5
30
パリ会談の臨時革命政府代表団は,6月1日パリ会談を再開するよう米,南ベトナムに要求。米国は11,18,25日の会談をボイコットしている。臨時革命政府スポークスマンは31日,米国がこの要求を拒絶したと発表。
6
1
政府軍降下部隊1,000人,騎兵一個連隊,数百人の海兵隊はユエ北西の解放軍拠点で新作戦。
6
2
米B52,30機,クアンチ市の西,南,南東地域に爆弾900トンを投下。
6
2
上院はチュー大統領の要求する「非常権限法案」を審議し,27:21で否決。
6
6
政府軍は12日ぶりにコンツム市を制圧していた解放勢力を撃退。
6
7
パリ会談の臨時革命政府代表団は6日,パリ会談を8日に開くよう求めたが,米代表団スポークスマンは7日これを拒否した。
6
8
解放戦線,ビンディン省フォンダンを制圧。
6
10
下院,チュー大統領に非常権限を与える法案の差戻し審議を行なったが,賛成は80票で成立に必要な議員総数の3分の2(106票)を確保できず,同法案は廃案となった。
6
11
11~12日にかけての解放勢力の攻勢は98件を記録。攻勢のほとんどはタイニン省,ハウギア省,メコンデルタ一帯。
6
12
解放勢力,キエンツォン省郡庁ツエンビンを攻撃。
6
12
パリ会談のポーター米首席代表,パリに帰任。
6
14
1週間にわたりモーリタニアを訪問していたビン代表はパリに帰任。
6
16
南ベトナム政府軍第7師団司令官Ng.Khoa Nan少将はスベイリエン州Kg.Roでヘリで作戦指揮中墜落死。 最後の実戦部隊である米第196歩兵旅団3個大隊のうち1個大隊がダナン基地から撤収開始。
6
18
レ・ドク・ト顧問,北京で周首相と会談,午後ハノイ帰国。
6
19
チュー大統領は国軍記念日に当り,「北ベトナム軍に奪われた南ベトナム領土奪回のために今日から3カ月間の新しい軍事作戦を指令する」と発表。
6
19
政府軍はプレークとコンツムを結ぶ国道14号を再び開通させ,コンツムは2カ月におよぶ孤立状態から解放された。
6
19
キッシンジャー米大統領補佐官,北京着,23日帰国。
6
20
クッシュマン米海兵隊司令官は,ダナンの米海兵隊飛行中隊が20日からタイの新米軍基地ナムフォンから作戦行動を始めたことを明らかにした。
6
20
エイブラムズ米援助軍司令官は7月1日に引退するはずのウェストモーランド将軍の後任として陸軍参謀総長に任命された。
6
22
解放戦線,ユエの政府軍防衛線ミチヤン南西方を戦車で攻撃。23日もミチヤンの政府軍に130ミリ砲130発を撃ち込む。24日にはユエ南西20キロのキング基地を迫撃砲攻撃,ミチヤン一帯を戦車で攻撃。一方22~23日にかけ,米軍はB52・100機,戦闘爆撃機137機を動員し,南ベトナム北部を爆撃し,3,000トンの爆弾を投下,24日にはB52・115機を動員してユエ周辺その他に3,000トンの爆弾を投下。
6
24
(ワシントン)ロジャーズ米国務長官は記者会見で「はっきりした証拠はないが,北ベトナムはその攻勢の結果に失望しているものと思う」「外交界から得た種々の兆候から見て,我々は相手側が交渉解決に関心を持っているとの若干の希望をいだいている」と述べた。
6
24
(ワシントン)キッシンジャー米大統領補佐官(23日中国訪問から帰国)は記者会見で「米国の基本的立場は,戦争の解決は北ベトナムと米国との直接交渉によらねばならない」「今回の訪中の主目的は2日の上海コミュニケに盛られた米中国関係の改善を話し合うことにあった」と述べた。
6
26
解放戦線はユエ北西フォンディェン地域の政府軍陣地に1,300発の砲撃を加え,北方のミチヤンに地上攻撃を加えた。
6
26
サイゴンの米援助軍司令部はタンソンニャト空軍基地にある第7空軍司令部の一部任務を吸収,今後インドシナの爆撃計画は援助軍司令部で調整することになった。また同基地内の第7艦隊分遣隊も米援助軍司令部内に移動し,艦隊調整部に昇格した。
6
26
ダナンの米戦闘爆撃機7個中隊,タイに移駐。これで南ベトナム駐留の空軍兵力はビエンホア基地にいるF4・2個中隊,A37軽爆撃機1個中隊だけ。
6
27
33の南ベトナムの平和主義者団体は,解放勢力の攻勢が開始されて以来10週間で政府が1,500人をプーロコンドル島の犯罪人収容所に追放したと政府を非難する書簡を報道機関に配布。この書簡はまた政府がユエ,サイゴンの両都市で100人の学生を逮捕したと言っている。
6
27
ニクソン米大統領の特使コナリー氏はサイゴンに到着,チュー大統領にニクソン大統領の親書を手渡し,同大統領の訪中・ソの結果について説明。
6
27
(ワシントン)米民主党政策綱領委は,7月10日からの全国党大会に提出する綱領草案を作成,ベトナム戦争について「10月1日までにインドシナ地域の米軍全員を撤退すべきである」と述べた。
6
28
チュー大統領,非常大権法を公布─上院は27日フエン上院議長らが帰宅した後ファン・ヌー・フイエン第2副議長が議長となって,非常大権法案を27:0で可決,28日チュー大統領が署名,公布。
6
28
政府軍空てい,海兵両師団の1万人はクアンチ奪回を目ざしてユエ北西30キロ,ミチヤンの防衛線から北進を開始。
6
28
米,第9次撤兵発表─(ワシントン)ジーダラー米大統領報道官は,南ベトナム駐留の米軍を7月1日現在4万9000人の線から1万人減らし,9月初めまでに3万9000人にすることを発表。
6
28
ニクソン米大統領は陸軍参謀総長に指名されたエイブラムズ陸軍大将の後任の米南ベトナム援助軍司令官にウエイアンド副司令官を昇格させると発表,またボート空軍大将を第7空軍司令官兼任のまま副司令官として指名し,29日から第7空軍司令部を援助軍司令部に統合する。
6
29
政府軍海兵隊2個大隊1,000人はクアンチ市東,北東に降下作戦。
6
29
27日の上院本会議の際,行方不明になったボ・バン・チュエン第一副議長,チャン・ズイ・ドン議員は記者会見で「これは反政府系議員の審議参加を妨害しようとしたチュー政権の陰謀である」と攻撃。
6
29
ニクソン米大統領は記者会見を行ない,次のように述べた。「パリ会談を9月13日に再開する。交渉が進展すれば私の任期の来年1月20日よりはるか以前に戦争を終結させることができる。会談再開については,いずれの側も何の条件もつけなかった。相手側の望むものを我々が持っている時に限り,我々は相手側から何かを手に入れることができる。爆撃,封鎖などで圧力をかけ続けることが捕虜釈放への刺激を与える唯一の方策である。」「ベトナムにおける米政府の目的は,①共産主義者が支配する政府を北ベトナムが南ベトナムに押しつけるのを阻止すること,②南ベトナムに残留する米兵を保護すること,③北に抑留されている米兵の釈放を実現すること。」
6
30
チュー大統領,ユエ視察,ゴ・バン・チュオン第1軍管区司令官,ファン・バン・フ第1師団司令官,レ・グエン・カーン第1軍管区作戦担当副司令官らと協議。
6
30
パリ会談の北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府代表団声明発表,臨時革命政府声明は次のように述べている。「われわれは7項目提案と,特に2項目明確化提案に示された正しく理にかなった臨時革命政府の立場を再度確認する。これこそ米を不正義で人民の支持を受けていない道義に反する侵略戦争から,名誉ある出口を可能にする正しい現実的な基礎である。米政府はパリ会談にこの和平提案に対する真剣な態度と前向きの回答を持って復帰しなければならない。」
7
2
解放戦線,ユエ市にロケット,迫撃砲30発を撃ち込む。
7
4
クアンチ市南方5キロにヘリで空輸された政府軍空てい2個大隊は同市中心部から2キロ南のマイリン地区に進出。
7
6
スアントイ北ベトナム代表はパリに向けハノイを出発。6日北京に到着,9日モスクワ到着,10日パリに帰任。
7
7
政府軍空てい部隊2個大隊1,500人は,クアンチ市中心部に突入をこころみたが失敗,政府軍はクアンチ奪回作戦に最精鋭の空てい,海兵,民兵など2万人を投入している。8日明らかにされたところによると空てい部隊3個中隊がクアンチ南の郊外で解放勢力軍に包囲された。
7
7
チュー大統領,アンロクを訪問して「アンロクは完全に確保され,クアンチも奪回した,北ベトナム軍の攻撃は完全かつ決定的な失敗であることが証明された」と語った。
7
8
チュー大統領は先に戒厳令に基づいて実施を始めた兵役義務年齢の拡大を撤回した。
7
8
(サンクレメンテ)キッシンジャー補佐官は記者会見で次のように語った。「北ベトナムがベトナム戦争終結のために真剣に交渉する用意を整えていると信じるにたる理由がある」「行詰まり打開のため過去数週間にわたって活発な外交活動が続けられた。真剣な交渉と双方の立場の体系的な検討をするため機はすでに熟している。」「米国側としては,①政治,軍事問題の全面解決か,②軍事問題だけを片づけ,政治問題の解決はベトナム人同士にまかせるかどちらでもよい。」
7
9
チュー大統領は非常大権法に基づき,徴兵令の修正と,3本立てだったピアストルの交換レートを1ドル=425ピアストルに一本化する措置をとった。
7
9
第3軍区米軍事顧問団副司令官のリチャード・トールマン准将,アンロク付近で戦死。
7
10
クアンチ市内に攻め込んでいた政府軍は解放勢力側の砲撃を受けたため,同市郊外のマイリンに1個大隊の空てい部隊を残して撤退。
7
12
解放戦線は13日午前10時までの24時間に全土で109件の攻勢,これは6月13日以来の規模。
7
12
解放放送は,先に設立が発表された「クアンチ市人民革命委」のメンバーを公表,議長はレ・サン氏。
7
12
解放戦線,アンロクの戦闘で捕虜になった政府軍兵士700人を釈放。
7
12
(サンクレメンテ)ニクソン米大統領,ドブルイニン駐米ソ連大使と会見。
7
13
第150回パリ会談,5月4日に中断して以来2カ月ぶり,ポーター米代表は冒頭演説で5月8日のニクソン演説は交渉解決の基礎になる提案だと主張,ビン代表は「ニクソンのいう停戦はチュー政権と米軍介入を続けることをねらったものにすぎない」と述べ,革命政府の7項目提案による連合政府樹立こそ解決の唯一の道だと繰返した。
7
14
(マイアミビーチ)マクガバン米民主党大統領候補は指名受諾演説を行ない,「大統領就任の日に爆撃をやめ,90日以内に米軍をインドシナから撤退させる」と述べた。
7
15
チュー大統領は戒厳令下の措置として住所変更の自由の制限,争議,デモ,有害文書の保持の禁止など,16項目にわたり「基本的人権」を大幅に制約する布令を公布。
7
15
レ・ドク・ト顧問,パリに帰任。
7
19
(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官,レ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表と会談。
7
21
政府軍1万人はビンディン省ボンソンで失地回復作戦,解放勢力は4月29日ここを占拠,南西部のホアイアン,北部のタムクアンと共にビンディン省北部一帯を占拠している。21日ボンソン奪回,24日タムクアンを奪回。
7
21
ビン代表はキューバ革命記念祝典に出席するためモスクワ経由ハバナに向かった。31日,パリに帰任。
7
22
政府軍,米海兵隊ヘリでクアンチ市北北東10キロの地点に空輸さる。
7
25
政府軍は空てい部隊でクアンチ市の中心部にある城跡に入ったと発表,その後も戦闘は続き,政府軍は27日激戦の後,これを放棄して撤退。
7
25
政府軍レンジャー,第7師団,地方軍など3万2000人,おうむの口ばし地区で掃討作戦開始。
7
26
ユエ西南19キロの政府軍のバストーニュ基地は解放戦線の手に。
7
27
ニクソン米大統領,記者会見で次のように言明「解決が宙に浮いている唯一の問題は南ベトナムに共産政府を認めよという敵の要求であり,南ベトナム国民の流血を伴うこのような政権を認めることは不道義のきわみである」。
8
1
チュー大統領はサイゴンの防衛大学で次のように演説,「北ベトナム,解放戦線は米国の大統領選挙前に新たな攻勢を見せるだろう」「停戦はインドシナ全域にわたること,国際監視と保障が行なわれることの3つの条件が満たされるべきだ」。
8
1
解放勢力,クアンチ市南西1キロ,北北西3キロの政府軍海兵隊を攻撃。
8
1
キッシンジャー米大統領補佐官,パリでレ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表と秘密会談。
8
2
米上院本会議は,米軍捕虜の釈放を唯一の条件にインドシナから向こう4カ月以内に米軍を全面撤退させるとの決議を国防調達法案の修正の形で可決。
8
3
解放戦線,ダナン米空軍基地に122ミリロケット砲38発を撃ち込む。米兵1人死亡,20人負傷。
8
4
大統領府は非常大権法に基づく布令第6号として報道・出版に関する大統領布告を発表。これによると,日刊紙,雑誌の経営者は,①新聞綱領に違反した場合の保障金として国庫に最高2000万ピアストルを納める,②編集幹部はじめ記者など一般従業員全員の身元を当局に届け出る,③紙上で特定の人物を中傷し,それが軍法廷で新聞綱領違反として追及された場合,はっきりした証拠を明らかにしなければならない。しかし正副大統領,友好国の大使に対する中傷については証拠義務を認めない(サイゴンの日刊紙の数は現在35紙)。
8
5
チュー大統領は民間防衛隊設立4周年に当り次のように演説。「共産側は軍事勝利,部分停戦,人民の総蜂起という3つの目的に失敗した。しかし敵は人民の中にかくれており,民間防衛隊はこれを発見し,ベトコンの下部構造を破壊せねばならぬ,幹部だけでなく,共産側への協力者を摘発せねばならぬ。」(民間防衛隊の数は300万人,内,半数が武装)。
8
6
チュー大統領,ビ国防相解任命令書に署名,国防相はキエム首相が兼任。
8
6
解放勢力,クアンチ市から1キロの政府軍陣地を12時間以上にわたって砲撃(700発)。
8
8
解放戦線はプレーク市西方で攻勢開始,9日プレーク西方28キロの政府軍前進陣地が陥落。プレーク西方22キロ,タンアン地区のタンジアオ地区を制圧,同地域を守っていた政府軍はプレーク市へ引揚げ。解放戦線はまた,サイゴン東方27キロ国道15号沿いのロンタン付近の政府軍民兵を攻撃,政府軍兵士100人が死傷。
8
10
米下院,米軍捕虜釈放と米軍撤退のための部分的停戦を条件として10月1日までに全米軍をインドシナから撤退させるとの決議案を228対178で否決。
8
10
(ジョージタウン)非同盟諸国外相会議,南ベトナム臨時革命政府の同会議への参加を承認。
8
11
チュー大統領,北爆停止に反対と発言。
8
11
解放戦線,サイゴン北方50キロのライケ基地を急襲,同基地には政府軍第5師団,第18師団の前進司令部があり,アンロク作戦の後方基地になっている。
8
11
米軍司令部は,ダナンの最後の地上戦闘部隊第21師団第3大隊の撤退を発表,これで南ベトナムに駐留している米軍は,軍事顧問団,補給兵たん部隊など支援部隊を残すだけとなった。
8
12
米B52,正午までの24時間に北ベトナムに対して13波,南ベトナム領内に対して30波の出撃。
8
13
解放戦線,サイゴン北東30キロ米軍ロンビン基地に侵入,弾薬庫を爆破。
8
14
政府軍は歩兵,レンジャー部隊計3,000人を投入してライケ基地の防衛作戦を開始。
8
14
(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官,レ・ドク・ト氏と会談。
8
16
解放戦線,クアンチ市周辺の政府軍に1,800発の砲撃を加える。
8
16
キッシンジャー米大統領補佐官,サイゴン到着,バンカー大使と協議。17日午前,バンカー大使,ウェイアンド司令官,ボート米第7空軍司令官と協議,午後チュー大統領と会談。会談には南ベトナム側からグエン・フ・ドク大統領外交問題顧問,ホアン・ドク・ニヤ大統領新聞秘書が出席。米側はバンカー大使とウインストン・ロード補佐官が出席,18日もチュー大統領とキッシンジャー氏会談。
8
16
パリから帰国の途中モスクワに立寄ったレ・ドク・ト顧問は,キリレンコ政治局員,カツシエフ書記と会談,18日北京で周恩来首相,張春橋中央政治局員と会見。
8
17
解放戦線,サイゴン南西45キロ,国道4号線の要所ベンチャンの政府軍前衛基地を攻撃。
8
19
24時間に解放戦線は全土で91件の攻撃,この回数は7月26日以来の最高,政府軍は解放戦線の攻勢の前に,ダナン南方40キロ,ケソンならびにローズ基地を放棄,この戦闘で政府軍(第2師団)は戦死22,負傷130の損害。19~20日,解放戦線は,クアンチに対し2,000発の砲撃を加える。解放戦線は更にダナン南45キロ,ケソンを占拠。
8
19
解放戦線,国道13号,国道1号・国道4号を切断。
8
19
コンツム省知事Nguyen van Thin大佐,解任さる。
8
21
南ベトナム新聞協会は,政府に対し新聞法の完全撤回を求める決議を採択。
8
22
国銀,ピアストルの対米ドル・レートを1ドル=430ピアストルから1ドル=435ピアストルに切下げ,同時に米援助物資に適用される特別レートも1ドル=295ピアストルから1ドル=300ピアストルに切下げ。
8
22
外務省は,23日に北ベトナム傷病捕虜600人を釈放すると発表。
8
23
解放戦線,ダナン市に17発のロケット,迫撃砲を撃ち込む。
8
23
ニクソン米大統領は,共和党大会での大統領候補指名受諾演説で次のように語った。「われわれが絶対にやらないことが3つある。①米軍捕虜を見捨てない,②敵側と妥協して1700万人の南ベトナム国民に共産政権を押しつけない,③米国の名誉を傷つけることはしない。」
8
24
チュー大統領はフアン・ホア・ヒエプ第2歩兵師団長を更迭,チャン・バン・ニャト・ビンロン省長を後任に任命。更迭の理由は先週ケソンの地方司令部を放棄したため。
8
24
政府軍レンジャー部隊,ダナン南40キロ,ケソンを奪回。
8
26
解放戦線,クアンチ市周辺に1,700発の砲撃を加える,同市周辺の戦闘で解放戦線は127人が死亡,政府軍死傷者は34人。
8
26
チュー大統領は公職者の収賄一掃をねらった“収賄処罰法”を非常大権に基づいて布告。
8
26
南ベトナム新聞協会は29日付で同協会を解散することを決めた。反政府系紙を中心とした13紙は,22,23日ストに突入。
8
29
ニクソン大統領,第10次撤兵発表─ニクソン大統領は「南ベトナム駐留米軍を9月1日以降さらに1万2000人減らし,12月1日までに2万7000人にする」と発表。
8
31
解放戦線,ビエンホア基地とその周辺部に50発の107ミリ砲を撃ち込む。
9
1
解放戦線,ビンディン省の郡都タムクアンの軍本部に600発の砲撃を加える。政府軍死者24人,負傷者23人,タムクアンは1カ月前に政府軍が奪回したばかり。
9
3
チュー大統領は,新聞発行者に対し,2000万ピアストルの預託金の支払期限を3日から15日まで延期。
9
4
解放戦線,3日からプレーク市西35キロのレミン基地を攻撃,4日,政府軍は同基地を放棄。
9
4
バンカー米大使,ホノルルから帰任(ホノルルでニクソン大統領と会談),6,7日チュー大統領と会談。
9
5
解放戦線,プレーク南西20キロの政府軍基地バウカンを攻撃,またコンツム市北西9キロの政府軍砲兵支援基地に250発の砲撃を加えた後,突撃,政府軍死傷者39人,解放戦線死者19人。
9
7
解放戦線,ダナン南65キロのティエンフォクを戦車で攻撃,政府軍の守備兵(正規軍,地方軍各1個大隊)は同町を放棄。解放戦線はまた,サイゴン南西80キロ,カイベ北東6キロにある政府軍第9師団前進司令部を攻撃,政府軍死者22人,負傷者76人。
9
7
韓国政府は,南ベトナム駐留韓国軍(3万8000人)を12月から来年6月にかけて完全に撤収する方針を明らかにした。
9
9
チュー大統領,バンカー米大使と3回目の会談,13日更に4回目の会談。
9
10
政府軍海兵隊,クアンチ城に集中攻撃を再開。ビエンホア空軍基地では,爆発事件が起き,70機の軍用機が飛行不能になった。
9
10
キッシンジャー米大統領補佐官,ミュンヘンから空路モスクワ入り。
9
11
レ・ドク・ト顧問・パリに帰任。
9
11
臨時革命政府新提案─ハノイ放送は「ベトナム戦争を終らせ,平和を打ちたてるための重要声明」と題する臨時革命政府声明を発表(資料参照)。
9
11
臨時革命政府の新提案について,サイゴンの米大使館は「新味見られず」との声明を発表,一方ジーダラー米大統領報道官は「新声明を検討中」と言明。
9
12
外務省,臨時革命政府の新声明について「共産側の提案した民族和解政府は,南ベトナム支配の野望をかくすための連合政府樹立の別の形態にすぎない」として拒否。
9
19
解放戦線,クアンガイ省郡都バトを陥落さす,またバトの北東25キロの郡都ミドウクでも激戦。
9
20
クアンチの前線を視察中のチュー大統領はAFP記者に次のように語った。「共産側は米人捕虜の釈放と引きかえに部分的停戦を実現しようと求めている。これには北爆や北ベトナム港湾封鎖の停止も含んでいるだろう。私は米国がこれに同意するとは考えたくない。」「われわれは2つまたは3つの構成要素からなるあらゆる形の連立に反対する。」
9
22
解放戦線,クアンガイ省南部の郡都ドクホ周辺にある政府軍陣地数カ所を攻撃。
9
23
解放戦線,クアンチン省郡都チエンフォック周辺の政府軍陣地を戦車,130ミリ砲で攻撃,その他クアンガイ省の郡都ダクフォの政府軍陣地に300発,その南西の郡都バト周辺の政府軍レンジャー部隊基地に800発の砲撃を加える。
9
25
チュー大統領はブイ・バン・ヌー国警副長官とブイ・カク・ズン検事長を汚職容疑で解任,警察に身柄を拘置。
9
25
(ワシントン)対外援助支出権限法案を審議中の米上院本会議は,チュー大統領が合法的な反対派を弾圧していることを非難した修正案を可決。
9
26
(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官とレ・ドク・ト北ベトナム特別顧問が秘密会談(18回目。前回は15日),27日も会談続行。
9
27
(ロサンゼルス)ニクソン米大統領は共和党の選挙夕食会で演説し「同盟国を裏切ることなくベトナム戦争を終らせる」「南ベトナムは間もなく米国の支援なしに,完全に自国を防衛できるようになろう」と述べた。
9
29
チュー大統領はサイゴンの医科大学で演説し「停戦は新たな戦争につながるようなものであってはならず,共産側に利用されないような方式が検討されねばならぬ。停戦は国際監視下のインドシナ全域の一括停戦でなければならぬ」と述べた。
9
30
姫鵬飛中国外相は,ビン臨時革命政府外相に書簡を送り,9月11日の臨時革命政府提案を支持する旨表明した。ビン外相は15日の書簡で,姫外相に同提案を送付している。
10
1
ニクソン米大統領の特使ヘイグ少将,サイゴン着。2日,バンカー米大使と共にチュー大統領と会談。同少将は滞在を1日延期して4日にチュー大統領と2度目の会談。
10
2
チュー大統領は72年度第2期上下両院開会式にあてたメッセージの中で次のように述べた。「東南アジアの永続的平和を共同で保障するため,南北ベトナムを含む同地域10カ国の会議をサイゴンで開くよう提案する」(参加国は南北ベトナム,カンボジア,ラオス,タイ,マレーシア,シンガポール,インドネシア,フィリピン,台湾)。
10
2
解放勢力は,2日午前6時までの24時間に全土で100件の攻撃をかけた。
10
2
南ベトナムに駐留している米空軍最後の戦闘部隊は先週末,最後の出撃を終えた。
10
3
サイゴン東25キロ,サイゴン川東岸で政府軍と解放勢力が戦闘,政府軍死者1人,負傷6人。
10
3
(ハノイ放送)ビン臨時革命政府外相はこのほど,第87回国連総会のトレプチンスキー議長と非同盟諸国ブロックの調整者ムデンダ・ザンビア外相にメッセージを送り,ニクソン米政権の戦争エスカレーションについて国際世論に知らせるため影響力を行使するよう要請した。
10
4
サイゴンの全学生は,解放勢力による首都攻撃に備えるため,7日に学校へ集まるよう命令を受けた。
10
4
国営放送は「平和回復と内政問題の解決へ」と題する解説の中で,解放戦線を「向う側」と呼んだチュー大統領の2日の議会あてのメッセージを引用「同大統領は彼らを同じ家族の一員とみなし,同胞愛と国民的和解の精神で真剣に政府と話し合うよう呼びかけている」と述べた。
10
5
チュー大統領,軍首脳部と協議。
10
5
米B52・20機は正午までの24時間にサイゴン北45キロ,ライケ周辺,ミト周辺などを爆撃。
10
5
(ワシントン)ニクソン米大統領は記者会見で次のように述べた。「米国にとり正当な解決策とは,武力による南ベトナムへの共産政権押付け阻止と,米軍捕虜釈放とを念頭においたものである」「第1に米大統領選がいかなる形にせよ交渉に影響を及ぼすことはない。第2に和平交渉は,プライベートなチャンネルを通じてきわめて包括的に行なわれている」「交渉はきわめて微妙な段階にある」。
10
6
政府軍発表:サイゴン北40キロ,ビンズオン省ベンカット周辺で激戦,国道13号の交通が途絶,6日朝までの解放勢力の攻撃件数は100件を記録,内砲撃が76件,一方米B52も正午までの24時間にサイゴン北方56キロ北西40キロにかけて10波の爆撃。政府軍はまた,1カ月ぶりにダナン南のクアンチン省ティエンフォクを奪回。
10
6
上院議長選挙でグエン・バン・フエン前議長当選,対立候補チャン・チュオン・ズン元国防相を2回目の投票で30対25で破る。下院議長にはグエン・バ・カン現議長が当選。
10
7
解放戦線,ミト市周辺のヘリポートと政府軍連隊司令部を攻撃,政府軍側に30人の死傷を与えた。解放戦線は7~8日サイゴン北20~25キロ,ビンズオン省フクオン近く国道13号沿いの6つの村を攻撃,政府軍増援隊と戦闘,13号線切断6~7日にかけて解放戦線は105件の攻撃。
10
8
チュー大統領はクメールの秋祭に当りカンボジア系ベトナム人にメッセージを送り,臨時革命政府の連合政府構想について「軍事的敗北をごまかし私を追出そうとする共産側の計略だ。南ベトナム軍は最後の勝利まで戦う」と述べた。
10
8
サイゴン北14キロ,ライチュー付近で戦闘。
10
8
キッシンジャー,レ・ドク・ト会談─ホワイトハウスは,キッシンジャー補佐官がヘイグ少将をともなってパリへ飛び,レ・ドク・ト顧問と会議中と発表(第19回)。
10
9
グエン・チャン・チ,グエン・タイ(前パリ会談南ベトナム政府代表団),ゴ・コン・ドク,ファム・テ・チュク氏はパリで共同声明を発表し次の4項目を要求。①解放戦線,北ベトナム,米国の3者は,サイゴン政権にも解放戦線にも属さない民衆の声をパリ会談に反映させること,②チュー政権は反政府のかどで投獄されている人々を釈放すること,③米国はチュー政権支援を停止すること,④チュー政権は権力を放棄すること。
10
9
政府軍,ヘリ輸送によりサイゴン北20キロで作戦,8,000人の解放勢力掃討のため。
10
9
パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談続行。
10
9
青木特使(外務政務次官),プノンペン到着。
10
9
米上院は先にホワイトハウスが決定したヘイグ氏の陸軍少将から大将への2階級特進と陸軍参謀次長への昇任を承認。
10
10
青木特使,サイゴン到着。
10
10
バンカー大使,チュー大統領と会談。
10
10
パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談。3日目キッシンジャー補佐官はシューマン仏外相とも会談。
10
11
パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談,4日目,2度目の延長。
10
12
解放軍・3国国境地帯のベンヘト基地に1,000発の砲撃,政府軍は同基地を放棄。
10
12
キッシンジャー補佐官,3度目のパリ滞在延長の後,帰米。
10
13
レ・ドク・ト顧問,パリを離れ帰国へ。
10
14
チュー大統領,国家最高会議を召集。
10
14
南ベトナム政府,パリ会談代表ファン・ダン・ラムとチャン・キム・フォン駐米大使を帰国さす。ラム代表は15日帰国。
10
15
ロジャーズ長官,「ニクソン大統領は南ベトナムを共産主義者が乗取らないことを確かめようとしている」と言明。
10
16
チュー大統領,国家安保会議招集。
10
16
ニクソン大統領,捕虜兵士家族大会での演説で,名誉ある平和達成のための条件として,①南ベトナム国民に共産政府を押し付けることには同意しない,②米軍捕虜,行方不明者を見捨てない,③同盟国を裏切らない,の3つをあげた。
10
17
解放戦線,ミト周辺を攻撃。
10
17
パリでキッシンジャー,スアン・トイ会談,サリバン米国務次官補代理も出席。
10
18
エイブラムス米陸軍参謀総長,サイゴン着。
10
18
キッシンジャー補佐官,サイゴン着。ハビブ駐韓大使,サイゴン着。
10
19
キッシンジャー・チュー会談,出席者は米側からバンカー大使,エイブラムス陸軍参謀総長,サリバン国務次官補,南ベトナム側からフォン副大統領,キエム首相,ラム外相,ドク補佐官,ニヤ秘書官,ラム・パリ会談代表。
10
19
南ベトナム情報省声明「チュー大統領は米代表のサイゴン到着以来,南ベトナムの上・下院,最高裁と接触を続け,三派連合政権提案やその他民主的手続きによって南ベトナム国民の承認を受けていないいかなる政治解決にも応じないというかたい立場を再確認した」。
10
20
サイゴンでキッシンジャー・チュー会談,第3回。
10
21
政府はサイゴンの各家庭に,三派連合政府反対の標識を配布し始めた。
10
21
解放軍突撃隊1個中隊,サイゴン北方25キロ国道13号線上のブンカウ村に進入,政府軍と交戦。
10
21
北京の外交筋によると,北京駐在の北ベトナム外交官は,北ベトナム政府がすでにパリ会談の米代表に対し2,3日中に合意が得られなければ在ベトナム米軍は不愉快な軍事的驚きに直面するだろうと警告した。
10
22
キッシンジャー補佐官,チュー大統領と会談の後プノンペン訪問,夕方サイゴンへ戻り,再度チュー大統領と会談(5度目)。
10
22
ニクソン大統領はラジオ演説で「われわれは長く困難だったベトナムへの軍事介入の終りに近づいている」と述べた。
10
22
タイ国政評議会のタノム議長は「米国と北ベトナムとチュー政権との間にある種の合意が達成された。ベトナム停戦が非常に近い将来実現しよう」と語った。
10
23
キッシンジャー・チュー会談(6度目)。キッシンジャー補佐官帰国。
10
23
チュー大統領,4軍区司令官および44の省長と協議。
10
23
米大使館は声明を発表し「われわれは進展をみた。米国と南ベトナムとの会談はなお続行される」と述べた。
10
23
チュー大統領は停戦時のための緊急計画立案を命じた。その内容は共産主義者の活動や陰謀を阻止粉砕することにある。
10
23
政府は声明を発表し,共産主義者の活動,およびその協力者に対する刑罰が極めて重いことについて国民の注意を喚起。
10
24
チュー大統領,停戦は近いが三派連合政府は認めぬと演説。
10
25
解放勢力,ダナン空軍基地に数十発のロケット砲を撃ち込む。同基地内のナパーム弾集積所と燃料タンクが炎上。
10
25
パリ会談の臨時革命政府代表団スポークスマンは記者会見で,国際監視委にフランスが参加することには反対しないが,日本の参加は拒否することになろうと語った。
10
26
26日朝までの24時間に解放勢力の攻撃件数は113件。第3軍区で38件,第4軍区で46件。
10
26
北ベトナム政府,和平協定案を公表。(資料参照)
10
26
キッシンジャー補佐官,「協定作成上のあいまいさをはっきりさせるためにもう1回の会談が必要」と言明。
10
27
夜解放戦線はサイゴン周辺の部落12カ所を一斉攻撃。
10
28
臨時革命政府は声明を発表し「同政府はパリ秘密会談で北ベトナムと米国との間で合意された和平協定のすべての条項を厳密に尊重し実行する」と述べた。また31日に停戦協定が調印される場合,停戦を順守するよう下部に命令した。
10
28
解放戦線は29日未明までの時間の間に全土で138件の攻勢をかけた。サイゴンから25キロのビンディン省都フークオンで国道13号を切断,ハウギア省クチ南東5キロでは国道1号を切断,サイゴンから20キロの部落17を制圧,フォクトイ省とタイニン省でも7つの村落を制圧,政府軍はこの内5つを奪回。
10
28
グエン・フ・ドク外務担当大統領補佐官,チャン・キム・フォン駐米大使,ファン・ダン・ラム駐仏代表の3人は,アジア・太平洋地域11カ国に停戦問題に関する政府の立場を伝える特使として出発,ラム特使は30日訪日。
10
29
為替評議会,ピアストルの対米ドル・レートを1ドル=445ピアストルに切下げ。
10
30
中国政府声明,10月26日の北ベトナム政府声明を支持。
10
31
アンカン寺は全国の代表を集めて開いた情勢検討会で採決した宣言を発表,宣言は当事者が相互譲歩によって早期停戦を行なうこと,同寺はサイゴン政府,臨時革命政府のどちらにも立たないことを明らかにしている。
11
1
チュー大統領はラジオ演説で「公平な平和と保障された停戦」を実現するため基本原則として「北側」に次の点を要求した。 ①北ベトナムは南ベトナムから全兵力を撤収する。 ②侵略と浸透を禁じた54年ジュネーブ協定を守る。 ③南ベトナムに見せかけの連立政権を樹立するとの提案を捨てる。 ④解放戦線とサイゴン政権に政治解決をまかせる。
11
1
(サンジェゴ)アグニュー副大統領言明「南ベトナムに共産政権ができても米国はこれを妨害するつもりはない」。
11
2
解放戦線,2日朝までの24時間に142件の攻勢。2日~3日にかけアンロク北東5キロ地点で解放勢力1個大隊と政府軍第18師団が戦闘。政府軍死者4人,負傷者28人。
11
3
解放戦線,ドクコの政府軍レンジャー部隊基地を10時間以上の戦闘のうえ奪取。
11
5
サイゴンでカトリック教徒らがチュー大統領支持デモ,2万5000人が参加。
11
7
米大統領選,ニクソン氏再選さる。
11
8
11月初めから本格化していた停戦に備えての米から南ベトナムへの武器緊急輸送は8日完了した模様,引渡された航空機は戦闘機,C130輸送機,ヘリなど500機にのぼる。
11
10
ヘイグ補佐官代理,サイゴン到着。チュー大統領と会談,バンカー大使も出席。
11
10
(パリ)スアン・トイ代表はAFP記者との会見で,レ・ドク・ト顧問がパリに戻るだろうと述べ,更に捕虜釈放問題について,米国の見解を入れ捕虜を2つのカテゴリーに分け,外国人捕虜は2カ月以内に釈放,南ベトナム民間人については南ベトナムの2つの当事者間で取決めた条件に基づいて3カ月以内に釈放されると述べた。また3派から成る全国評議会が「管理機構administrative Structureであるというキッシンジャー補佐官の説明は正しく,その任務は臨時革命政府とサイゴン政府に協定の条項を実施させること,選挙の諸規則をつくり選挙を施行することである,過渡期の間は臨時革命政府とサイゴン政府の2つの政権が存続すると述べた。
11
10
インドネシアのマリク外相は,インドネシア政府が,カナダ,ハンガリー,ポーランドと共に停戦国際監視委に参加することに同意していることを明らかにした。
11
11
チュー大統領,国家安全保障会議招集。
11
11
チュー大統領,ヘイグ特使と2日目の会談。チュー大統領はヘイグ特使に親書を託した。
11
11
解放戦線,中部海岸のボンソンに300発,北部クアンチに1,000発,サイゴン南東150キロのチュオンチェン省都ビタンに数発の砲撃。
11
12
ヘイグ特使サイゴン出発,プノンペン経由で韓国訪問。
11
12
解放戦線,2回にわたりビエンホア基地を砲撃,弾薬庫1カ所爆破さる。
11
13
ラム外相,「協定による現状停戦は監視が不可能である,北ベトナム軍は同盟国軍と同時に帰国せねばならぬ,評議会の機能は選挙の組織に限定さるべきだ」と言明。
11
14
ラム外相,「南ベトナムにいる北ベトナム軍が部分的に撤退し,残りの兵力は特定地域に集結したのち漸次撤退するという方式には賛成する」と言明。
11
14
ニヤ報道担当秘書官,パリへ向かう,フォン駐米大使とラム駐仏代表団長も任地へ。
11
15
チュー大統領,バンカー大使と会談。『チンソン』紙は次回のパリ秘密会談に南ベトナムも参加することになろうと報じた。 パリ会談の臨時革命政府代表団スポークスマン,南ベトナム政府のパリ秘密会談参加を拒否。
11
15
米国務省は停戦監視委にカナダ,インドネシア,ハンガリー,ポーランドが参加を受諾と発表。
11
18
解放戦線,クアンチ市北8キロに展開した政府軍に2,800発の砲撃。
11
19
キッシンジャー補佐官パリ到着。
11
20
パリ秘密会談再開─米側からキッシンジャー補佐官,ヘイグ副補佐官,サリバン国務副次官補ら,北ベトナム側からレ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表,グエン・コ・タク外務次官ら出席。31日2日目の秘密会談の後,キッシンジャー補佐官はブリュッセルに向かい,22日スハルト大統領と会談。22日3日目の秘密会談。24日4日目の秘密会談。キ補佐官は23日の会談後,この日パリ入りしたグエン・フー・ドク南ベトナム大統領顧問と会談。24日5日目の秘密会談。25日6日目の秘密会談。
11
22
カオダイ教幹部グエン・バン・タン将軍暗殺さる。
11
25
パリの北ベトナム代表団,米大統領報道官発表,パリ秘密会談12月4日まで中断。
11
25
25日付の『ル・モンド』紙は,10日北ベトナム兵士による解放戦線に対する反乱事件があったと報じた。
11
26
政府軍海兵隊,クアンチ市北10キロの解放勢力が占拠している地域に進撃。解放勢力はクアンチ市周辺の海兵隊陣地に1,370発の砲撃,またサイゴン北西34キロの政府軍大隊陣地を砲撃。27日午前6時までの24時間に解放勢力はクアンチ北部の政府軍海兵隊陣地と降下部隊陣地に3,400発の砲撃。 クアベト河口に向かった政府軍海兵隊1個大隊700人は,途中で解放軍の反撃にあい,27日未明までに戦車3台を失い,戦死15人,負傷68人の損害をうけた。
11
27
サイゴン放送は北ベトナムに対し米国を通さずに直接南ベトナムと和平交渉をするよう呼びかけた。
11
29
(ワシントン)ニクソン大統領,グエン・フー・ドク外交顧問と会談。
12
1
(ワシントン)キッシンジャー補佐官,グエン・フー・ドク外交顧問と4度目の会談。
12
1
中部海岸で政府軍輸送機墜落,平定化計画最高責任者チャン・バン・フォン少将死亡。
12
1
解放勢力,クアンチ市周辺の政府軍陣地に650発の砲撃。
12
2
コンツム南西15キロの政府軍レンジャー部隊陣地が解放勢力の猛攻で陥落。
12
3
キッシンジャー補佐官,パリ到着,ヘイグ副補佐官,サリバン国務次官補代理同行。4日レ・ドク・ト顧問との会談再開,5日休会,6日続開。
12
4
グエン・フー・ドク補佐官,帰国。
12
5
フランス領事館に手投げ弾が投げこまれる。
12
5
第4軍管区住民決起の日と銘うったサイゴン政府支持デモがデルタ各地で行なわれた。参加者の大半は小,中学生,高校生。
12
6
タンソンニャト空港,53発の122ミリ・ロケット砲による砲撃を受ける。死者9人,負傷者54人。
12
7
第169回パリ会談。
12
7
パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト秘密会談。
12
8
キッシンジャー,レ・ドク・ト秘密会談。キ補佐官はこの会談の前ポンピドー大統領と会談。9日も秘密会談続開,10日は専門家レベルの会談のみ,ヘイグ補佐官は10日一時帰米,11日キッシンジャー,レ・ドク・ト会談再開。
12
10
大平外相は,11日から3日間開かれる東南アジア開発閣僚会議出席のためサイゴン到着。
12
11
バーナード豪副首相,3週間以内に豪軍を南から引き揚げると言明。18日撤退完了。 ニュージーランド首相もクリスマスまでに陸軍訓練隊を引き揚げると言明。
12
12
チュー大統領は上下両院合同会談で演説し,「クリスマス前から1月にかけ暫定停戦,捕虜釈放,南ベトナム政府と解放戦線の話し合い,非武装地帯確立,北ベトナム軍の完全撤退,サイゴン政府,解放戦線のいずれを支持するかについての国民投票を行ない,その結果にもとづき新大統領を選出,新大統領が解放戦線を含む国家評議会にはかって新政権を樹立」との提案を行なった。
12
12
パリで米・北ベトナム専門家会談,米側からサリバン国務次官補代理,ポーター代表,北側からグエン・コ・タク外務次官,スアン・トイ代表が出席。 このあとキッシンジャー補佐官,レ・ドク・ト顧問を加えて会談。 13日もキッシンジャー,レ・ドク・ト会談。13日の会談の後,キッシンジャー補佐官帰国。ト顧問も15日帰,15日以降,ポーター,トイ両代表による専門家レベル心会談続開。
12
14
サイゴン東方10キロのビエンホア省タントイハ弾薬庫爆発。
12
15
ジアディン省の米国石油会社の貯蔵所に82ミリ砲13発が撃ち込まれ,ドラムカン30本分の石油類が破壊さる。
12
16
米B52,プレーク市西方を12波の爆撃。政府軍,プレーク西方ドクコ近くで解放勢力と戦闘。
12
16
臨時革命政府声明「非武装地帯復活は,南北分断を固定化しようとする米国の陰謀にもとづくもの。協定が調印されればこれを完全に尊重,実施し,サイゴン政権と協議に入る」。
12
16
(ワシントン)キッシンジャー補佐官,秘密交渉の経過公表。
12
16
クアンチ南西13キロのアンヌ基地近くで,政府軍と解放軍が戦闘。
12
18
レアード国防長官発表,北爆制限(20度以北)を17日解除。
12
18
(ワシントン)ジーグラー報道官は,ニクソン大統領が全面北爆再開を命令したと発表し「敵の新しい兵力増強に対処し,共産側の攻勢がおきるのを防ぐため」「米国は和平交渉が新しい共産攻勢をかくすために使われるのを許さない」と述べた。
12
18
パリでの米・北ベトナム技術会談の後,トイ代表は,技術会談が無期延期されると発表したが,20日サリバン,スアン・トイによる会談が開かれた。しかし30日の会議でトイ代表は北爆強化を非難しただけで,議題の討議を拒否した。
12
19
ヘイグ副補佐官,サイゴン訪問,チュー大統領と会談の後,プノンペン訪問,20日ビエンチャン訪問,21日帰米,22日ニクソン大統領に報告。
12
20
ビン代表,帰国のためモスクワへ向けパリを出発。27日北京訪問。
12
21
171回パリ会談開催,北ベトナム,臨時革命政府両代表は,北爆を非難し,米側がチュー支持をやめて10月協定に直ちに調印するよう要求して退場。
12
21
解放戦線はクリスマスと新年に24時間の停戦を行なうと発表。23日南ベトナム政府もクリスマス24時間停戦を発表。
12
24
(バチカン)ローマ法王はクリスマス停戦を正式休戦に延長するよう訴えた。
12
27
オーストラリアのバーナード国防相は,同国政府が対南ベトナム軍事援助を全面的に打ち切ることを決定したと発表。
12
28
バンカー大使,ウエイアンド司令官,チュー大統領と会談。
12
29
(北京)ビン臨時革命政府外相,毛主席と会見。
12
30
ホワイトハウスは,ニクソン大統領が20度線以北の北爆停止を命令,さらにキッシンジャー補佐官による北側とのパリ秘密交渉が1月8日再開されると発表。
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北ベトナム
1
1
トン・デュク・タン大統領,新年のメッセージで抵抗戦争を完勝まで継続強化するよう呼びかけ。
1
2
グエン・チャン対外貿易次官,ハバナでキューバの援助協定調印。
1
2
モスクワでソ連の1972年度軍事援助補充協定に調印。
1
2
労働党フランス共産党代表団との共同コミュニケに調印。
1
3
農業生産合作社と国営農場の責任者の経験交流大会。
1
5
北ベトナム通信はパリで,1971年の南における戦果をつぎのように発表した。 敵兵25万名をせん滅,米軍および衛星国軍2万人を含む。地上で破壊もしくは空中で撃墜した飛行機1,800機,武器1万5000を捕獲。
1
5
タンホア省の軍民は1964年8月5日から今日まで,同省上空で米軍機284機を撃墜した。生産面では,1ヘクタール当り籾5トンに達した合作社数は,1966年に9社,1967年に114社,1968年に138社,1969年に152社,1970年に229社。籾5トンに達した県数は1968年に1県,1971年に5県であった。
1
5
米軍機バン・カライを爆撃。
1
7
インドと大使級の外交関係を樹立。
1
7
ハモウス副首相以下のチェコ政府経済代表団来訪。
1
8
省,市,県などの地方党委員会代表全国大会は畜産発展3カ年計画(1971~1973年)を承認。それによれば各地方に平均1,000頭以上を持つ養豚センターを建設する。現在ナムハの合作社は平均140頭の豚を所有し,同省の集団保有の豚数は11万5000頭に達している。
1
10
ニンビン省のい草栽培面積は1971年の300ヘクタールから現在では1,000ヘクタールに拡張した。今後2年間で2,000ヘクタールにする予定。
1
12
機械と金属部門の1972年の目標,71年より54.6%増。
1
14
ハノイでチェコ政府経済代表団と1972年度経済・軍事援助協定およびバーター取引き協定に調印。
1
16
ロンビエン工場,病院,療養所,託児所向けに大型のG800-25型洗濯機を製造中。
1
18
『人民軍』紙への論文でソン・ハオ人民軍総政治部長「政治意識のある人間がいなければ,革命軍はありえないが,近代装備と技術的知識がなければ効果的な軍隊もありえない」と言明。
1
19
米空母エンタプライズ,インド洋からトンキン湾に戻り,ホー・ルート爆撃に参加。
1
20
化学部門の1972年の目標,71年の69%増。
1
21
クラシコ副首相以下のポーランド政府経済代表団来訪。
1
21
外交部,タイのラオス,カンボジアへの介入増大を非難し,これに警告する声明発表。
1
22
中国の72年軍装備,経済物資補足供与議定書に北京で調印。
1
24
バクタイ省国営農場の茶の1971年収穫量は70年より200トン増加。
1
26
キッシンジャー補佐官,北ベトナム復興に25億ドルを提示。
1
27
ハノイでポーランド政府代表団と1972年の軍事援助,経済・科学・技術協力協定に調印。
1
29
『ニャンザン』,米の8項目提案を米の古い陰謀のむし返しと非難。
1
31
パリ会談代表団9項目案のテキストを発表。
1
31
ブログリ議員以下のフランス国会外交委員会代表団訪問。
2
1
『ニャンザン』,祖国戦線大会時のチュオン・チン報告を公表。
2
1
米軍機,1月30日と2月1日,北部の対空陣地を爆撃。
2
1
ボー・トク・ドン(Vo thuc Dong)駐ソ新大使,コスイギン首相と会見。
2
2
フォック首相以下のハンガリー党政府代表団来訪。
2
3
労働党創立42周年記念,党員数100万以上。
2
5
国営農場部門の1971年の生産総量は前年に比して5%増加。
2
10
日本外務省の三宅課長,井上事務官,ハノイに来訪。
2
11
インドシナ人民支援のベルサイユ大会,ホアン・クオク・ベト平和委副委員長出席。
2
11
ホアン・アン農業中央委員会委員長,1972年の農業生産を1971年より23.5%増加するよう指示。
2
12
シアヌーク殿下,ハノイに来訪。
2
12
閣僚会議は科学幹部と技術幹部の配置と運用を改善する決議を発表。
2
15
日本の全購連,ベトナムの合作社と農業技術の交流を拡大することに合意。
2
16
米軍機,非武装地帯の北レーツイ地区,ビン・リン地区を爆撃。
2
17
ハノイの外文出版社『ニクソンの罪悪の数々』を発表。
2
18
労働党書記局基本建設の仕事を強化すべしと指令。
2
24
『ニャンザン』社説,ニクソン外交を非難。
2
25
フルツェワ文化相以下のソ連文化省代表団とグジェンコ海洋船舶相以下のソ連海洋船舶代表団来訪。
2
25
堤防保護に関する法令公布。
2
25
日本の超党派の衆参両院議員18人は「ベトナム問題議員懇話会」を発足させることを決定。
2
28
首相府,洪水制圧の準備を指令。
3
1
経済計画大学の卒業生1961年の創設以来2,000人に達す。
3
1
ノルウェーの初代大使着任。
3
3
『ニャンザン』,米中共同声明を論評。
3
5
シアヌーク,トン・ドク・タン共同声明。
3
10
ソ連の郵政相代表団,ハノイに来訪。
3
13
ラドレスク副首相以下のルーマニア政府経済代表団来訪。
3
15
商業合作社数5,500に達す。
3
16
ソ連との通信協力協定。
3
20
第4期第2回国会。
3
20
デンマークの初代大使着任。
3
20
中越鉄道責任者代表,昆明で国境鉄道協力協定に調印。
3
20
経済代表団訪日。
3
25
バチッキー防空軍総司令官以下のソ連代表団来訪。
3
26
国会第4期第2回総会,政府の軍事・経済・外交報告を聴取し,1972年度の国家計画を承認。
4
1
人民軍,非武装地帯を越えて大攻勢。
4
2
労働党中央委書記局は党の中・高級幹部のための研修学校(修業期間3年で卒業者はグエン・アイ・クオク党中央学校の卒業者と同等の資格を持つ)を開設。 現在同校には400人が在席している。
4
2
米国政府筋の推定によると,1971年のベトナムに対する共産圏諸国の援助つぎのとおり。ソ連:軍事援助1億ドル(1970年7000万ドル),経済援助3億1500万ドル(1970年3億6000万ドル)。中国:軍事援助7500万ドル(1970年8500万ドル),経済援助1億ドル,(1970年6000万ドル)。その他社会主義諸国:軍事・経済援助1億1500万ドル(1970年2億0500万ドル)。
4
4
養豚の発展,1971年に国営養豚は11%,集団養豚は14.7%増加した。省別ではナムハ省61.2%,タイビン省111.2%増加した。
4
6
米国,北爆再開。
4
6
ベトナム人民軍総司令部,全軍に警戒体制にはいってあらゆる事態に備えるよう命令。
4
6
ベトナム外務省,抗議声明。
4
7
ベトナムの駐パリ代表部,フランス政府に対して,影響力を行使してアメリカの北爆を停止するよう要請。
4
8
米海軍艦艇,ファンビン省沿岸を砲撃。
4
10
首相府,米帝の軍事行動に備えるよう全国民に指示。
4
10
中国外交部,米軍の砲爆撃を非難する声明を発表。
4
10
労働党中央委員会総会第20回会議開催。
4
11
米の大規模北爆に抗議して政府声明。
4
12
ホアビン省のマニオク栽培面積は1970年の5,500ヘクタールから1971年には8,900ヘクタールに拡大したが,1972年には1万ヘクタールに拡大する計画である。ヘクタールあたりの生産量も6トンであったが,1972年には6.5トンから7.5トンにする予定。
4
14
訪日中の経済技術視察団は日本外務省の南東アジア課の三宅課長と会談。
4
15
ガス・ホール書記長以下の米国共産党代表団ハノイを訪問。
4
16
ソ連外務省,ハイフォン港停泊中の貨物船2隻が米機の攻撃を受けたことについて駐ソ米大使に抗議。
4
16
党と政府,全国軍民に対し,米侵略者一掃のため不屈の抵抗戦争を堅持するよう呼びかけ。
4
16
米機,ハノイを爆撃。
4
17
楊杰交通部長以下の中国交通代表団来訪。
4
17
ハノイ疎開実施。
4
18
祖国戦線中央委臨時拡大会議。
4
19
ソ連のカツシエフ共産党中央委書記局員非公式に来訪。
4
20
外交部,外交官や外国人居住者にとくに必要でない職員と婦女子の国外への引揚げを勧告。
4
22
『ニャンザン』論文,ニクソンの訪ソを論評。
4
24
バン・ジャン少将以下の政府と軍の代表団,北朝鮮の人民革命軍建軍記念日祝典に出席。
4
26
ニクソン米大統領,北爆継続を命令。
4
28
レ・ドク・ト政治局員パリへ帰仏の途中,北京で中国の周恩来首相と会談。
4
29
外交部,ニクソン演説に反ばくする声明を発表。
4
29
『ニャンザン』紙,ジュネーブ協定第6条により,17度線は国境ではないと主張。
5
1
メーデーに,抗米救国戦争の勝利を決議。
5
2
パリでレ・ドク・ト政治局員とキッシンジャー補佐官が秘密会談。
5
3
リ・バン貿易次官,北京着。
5
5
ハノイの新聞,戦闘状態に突入と宣言。
5
5
レ・タン・ギ副首相,首相代理として,戦時下の治安と市場統制など経済統制に関する法令を公布。
5
6
労働党中央委員会と政府は疎開児童の生活と健康を守るよう指示。
5
8
ニクソン米大統領,北爆の強化と港湾の封鎖を発表。
5
9
ソ連のグレチコ国防相,ドイツ占領27周年に際してベトナム人民への支援を確認。
5
9
中国の船舶紅旗152号と160号の2隻,米軍機の攻撃で大損害。
5
10
ハノイ,ハイフォン,ハイフン,エンバン4都市の軍民,米軍機16機を撃墜,現在までの撃墜機数3,558機。
5
10
米の爆撃強化と機雷封鎖に抗議してベトナム政府声明。
5
11
ソ連,政府声明でベトナムへの支持を確認。
5
11
中国政府声明,ベトナム支持を確認。
5
13
スアン・トイ代表,モスクワ,北京で両国首相と会談して帰国。
5
20
祖国戦線中央委総会第2期第2回大会開催。
5
23
米国防省スポークスマン,工業設備も爆撃すると言明。
5
24
ホアン・バン・ホアン政治局員,モンゴール共和国国会議長の葬儀に参加。
5
26
水利省,4月14日から5月24日までに580個の爆弾が各河川の堤防に投下されたと発表。
5
27
爆撃のため,年末試験は疎開地で実施。
5
28
在ベトナム華僑総会大会抗米戦争遂行を誓約。
6
1
チリと大使級の外交関係を樹立。
6
3
ニンビン省の農機具工場疎開。
6
7
『ニャンザン』紙は「どんな情勢になろうとも農業生産を守り抜こう」と題する社説で,水利施設や堤防の破壊と戦うよう呼びかけ。
6
8
ハタイ省ダムフォン合作社は4日間で米田55ヘクタール春季全米田の25%の収穫を完了した。
6
9
ナムハ省とハイフン省は1971~1972年の冬春季作物の収穫を70~80%完了。
6
10
米軍機,ホンゲイ市を破壊,400人の民間人が死傷。
6
13
ゲアン省エンタン県の冬春季の米作面積は前年の冬春季より6%増え,収穫はヘクタール当り700キロ増加して平均3.5トンに達した。
6
14
ベトバク自治区の少数民族大会で,党中央委員会と政府の呼びかけに応えて,8万の青年が入隊志願を申請。
6
15
グエン・フー・ゴ駐ノルウェー大使,国王に信任状を呈出。
6
15
ソ連のポドゴルヌイ最高会議幹部会議長,非公式にハノイに来訪。
6
16
ハノイでヂミトロフ生誕90周年記念式典。
6
16
水利省は,4月10日から6月10日までの2カ月間に米機は重要堤防を68回爆撃し,堤防32カ所と水利施設31カ所を破壊したと発表した。
6
20
米機ナムディンを爆撃。
6
20
スウェーデンのクリストフォーオーベ駐ハノイ大使,信任状を提出。
6
25
国家統計院の第1期集計によると,ハイフン,ハバク,ハタイ,ビンフー4省内の500の合作社は春季の義務食糧の供出を完了,うち30の合作社は年間の義務食糧の供出を完了した。
6
25
外務省,タイが米のインドシナ侵略の基地として使われているのを非難。
6
26
ケニアのシソコ外相,ナムディン国立第3技術学校再建基金に1000万ポンド贈与。
6
27
ハノイの防空部隊,米軍機5機を撃墜,1964年8月5日以来の撃墜機数3,700機。
6
28
北京で中国と1972年度経済軍事援助補充援助協定に調印。
6
29
ゲアン省の春季米作面積は昨年より2,000ヘクタール,収穫量は16%増加した。省内合作社の70%が1ヘクタール当り2ないし2.1トンを収穫した。
6
30
米国防省によると中越間に石油パイプラインが完成。
7
6
ハノイ郊外の合作社は今年冬春季にヘクタール当り3.3トンから45トンの籾を,また野菜は14.8トンを収穫した。野菜のうち,キャベツ35トン,カブ15.5トン,いんげん類11トンであった。
7
6
米機タンホア省のバイツォンの水利ダムを爆撃。
7
7
保健省,30の保健施設が爆撃を受けたと発表。
7
7
スアントイ,パリ代表は北京で中国の周首相と会見。
7
7
ハバク省の今冬春季の米作面積は前期と比べると3.6%,生産量は11%増加した。
7
7
ハイフン省,食糧義務を100%完了。
7
12
レ・ドク・ト顧問,パリへ帰任の途中,北京で周首相と会談。
7
12
労働党中央委書記局,全国の党・政府機関に傷病兵,戦死者の遺族,兵士の家族に対して援助と保護を与えるよう指示。
7
13
政府,秋季農作に努力するよう指示。
7
14
トン・ドク・タン大統領,ジュネーブ協定調印18周年を前にして全人民と軍隊にアピール。
7
14
ハノイで日本共産党創立50周年記念祝賀会。
7
15
レ・ドク・ト政治局員,パリに帰任。
7
16
7月10日までに全国で6つの省と都市,41の県および3,250の合作社が義務食糧の供出,借穀の返済を完遂し余剰米を国家へ売却した。
7
17
戦時労働義務令公布。
7
19
レ・ドク・ト政治局員とキッシンジャー補佐官秘密会談。
7
19
ハノイの米国の「戦争犯罪調査委員会」は「米軍機が北ベトナムに投下した爆弾の数は4月以来8万3000に達し,うち1万4000が今月前半にB52により投下された」と発表。 105ミリ,155ミリの砲弾は4万4000発が沿岸地方に打ち込まれた。
7
19
モンゴールと文化協力協定に調印。
7
22
ソ連のX.ルキアセンコ海軍次官,ハノイに来訪。
7
23
米国防総省筋によれば北・中国に新パイプライン。
7
24
ワルトハイム国連総長,「もし堤防爆撃が本当だとすると大災害となり,何千人という人が死ぬことになる。これは避けねばならない」と語る。
7
24
米機,ハノイを夜間爆撃。
7
25
米軍機,ハチン省のラ河のダムを破壊。
7
26
ソンラ省,7月15日までに秋季米の植付けを75%完了。
7
26
米国務省スポークスマン,堤防爆撃は故意にやっているのではないと強調。
7
26
米軍機,タイビン省のチャリ河のダムを大型爆弾で破壊。
7
27
ソ連のグロムイコ外相,ボー・トク・ドン駐ソ大使にソ連がベトナム人民の立場を支持することを約束。
7
29
クアンミ水利部次官によると,過去4カ月間に米軍機の堤防爆撃回数は173回。
7
29
全欧州共産党会議,ベトナム人民支援を決議。
7
31
カイロでアラブ連合共和国と郵便協定に調印。
7
31
グエン・フー・ゴ駐デンマーク大使,信任状を提出。
7
31
ハノイで中国人民解放軍建軍45周年記念式典,ボー・グエン・ザップ国防相出席。
8
5
米国防筋によると,中越間に2本目の石油パイプラインが建設中。
8
5
スウェーデンのクラッケンバーグ外務次官を団長とする経済代表団来訪。
8
5
ベトナム人民軍の砲兵,高射部隊,空軍,海軍および民兵部隊は1964年8月5日から1972年8月2日現在までに,米軍機F105,F4,A7,A6,B52,無人偵察機など各種の米機3,797機を撃墜した。そのうちB52,16機が含まれている。また捕虜となったパイロットは409人である。
8
8
戦時経済体制の強化。
8
10
グエン・ベット外交部アジア局の局長代理はインドネシアの代理大使にASEAN会議のベトナム問題解決案は適当でないと抗議した。
8
12
国の秋季米植付け面積は80%完了。
8
16
ハノイに来訪して北爆を目撃したクラーク元司法長官,米上院で証言。
8
18
レ・ドク・ト政治局員,パリからの帰途北京で中国の周首相と会談。
8
22
米軍機,ベトナム領海で中国船紅旗151号を攻撃,船長以下5人の中国船員が死亡。
8
22
ラオス愛国戦線中央委員会代表団ハノイに来訪。
8
25
ソ連と1973年度文化,科学協力協定に調印。
8
27
8月20日現在北ベトナム全域で秋季稲植え面積95%に達した。
8
28
全世界で米の堤防破壊に抗議。
8
29
ハイフォン港に中国船入港。
8
30
サイゴンの米軍当局によると3月30日から今月までの5カ月間に北爆で84機が撃墜されパイロット74名が行方不明になった。
8
30
首相府は戦時情勢に対応するため,中学と大学に学習と同時に戦闘と生産にも服務するよう指示した。
8
30
チュニジアのマットスムデ外相,ドン首相と会談。
8
30
大型機によるハノイ向けソ連の空輸急増。
8
31
今春季の農業生産は国家計画より全体で6%高かった。ハテン省は114.6%,ハイフン省110%,ハバク省は126.5%,ゲアン省は115.2%,ナムハ省は103.6%,クアンビン省は136.8%,ハテン省は103%,タンホア省は101.1%,ソンラ省は110%,ツウンクアン省は107%,タイビン省は102.5%,ビンフー省は105%,ビンリン特別区は100%であった。
9
1
ドン首相8月革命と建国27周年を記念する集会で演説。 ・北ベトナムは米空軍による破壊戦争と港湾封鎖を打破り,さらにこれを完全に打破る決意を堅めている。「ベトナム化」戦略に致命的な打撃を与え,完全な勝利の日まで,さらに大きな勝利をかちとる決意を堅めて前進しよう。 ・われわれは社会主義兄弟諸国の人民に対し,プロレタリア国際主義の旗を高く掲げ,インドシナの戦場で,現在,くりひろげられている米帝国主義に反対する戦いに対する自らの国際的義務を果たすよう要求する権利を持っている。
9
1
赤道ケニア共和国と大使級の外交関係を樹立。
9
1
統一カメルーン共和国と大使級の外交関係を樹立。
9
1
政府と人民軍,米人捕虜3人の釈放を決定。
9
5
訪日中のハノイ総合大学のグイ・ニュー・コンツム学長は越智日本学術会議会長を訪問,学術交流で合意。
9
7
米情報当局によるとバン・チェン・ズン人民軍参謀長とチャン・コク・ホアン公安部長が労働党政治局員に昇格。
9
8
レ・ドク・ト政治局員,スアン・トイ無任所相は北京で中国の周首相と会談。
9
11
トン・ドク・タン大統領,森林保護令に署名。
9
12
都市から農村と山岳部へ児童600万が疎開。
9
13
米国防総省と中央情報局の最近の報告書は激しい北爆にもかかわらず北から南への兵力および武器の供給は減少しておらず,解放軍は今後2年間にわたって南での戦闘を現在の規模で続行する力を持っていると述べた。
9
14
ザンビアと大使級の外交関係を樹立。
9
15
海運交通大学の卒業生,今年は324人。
9
17
首相府一般教育課程で英,露,中,仏の外国語教育を強化するよう指示。
9
19
農業水利施設管理指導委員会設置。議長にホアン・アン副首相が就任。
9
20
ハノイで,キューバの1973年度無償援助協定と物資交換協定に調印。
9
22
ブルガリアと1972~73年度文化協力協定に調印。
9
22
米国の平和委員会代表と釈放された捕虜の家族は捕虜帰国の4条件をニクソン大統領に要請。4条件は,①釈放捕虜は家族とともに民間機で米国に向かう,②彼等が望むならば,30日間の休暇を与える,③彼等が選択する民間あるいは軍の病院で完全な健康診断を受けさせる,④インドシナにおける米国の戦争に彼等は今後いっさいのかかわりをもたない。
9
28
ハノイの農業第一大学技師課程の本年度卒業生は881人。内訳は栽培科302人,畜産科52人,獣医科158人,農業経済科198人,農業機械科47人,農業電力科24人である。また卒業生のうち,女子275人,少数民族出身60人,南ベトナム出身79人。
10
1
国慶節にあたり中国首脳へ祝電。ハノイでの祝賀会には,チュオン・チン国会常務委員長,ファム・バン・ドン首相,ボー・グエン・ザプ副首相兼国防相,グエン・ズイ・チン副首相兼外相,レ・タン・ギ副首相が出席。
10
2
米下院,北ベトナムへの入国を制限する法案を否決。
10
2
英国の『デイリー・ミラー』は「今月キッシンジャーとの重要会談あり」と報道。
10
2
駐ハノイ,デンマーク大使到着。
10
3
全国の37都市の行政委員会主席は連名で全世界の都市の首長に対し,ニクソン政権の残虐な行為を非難するようアピールを発表。
10
5
タイビン省で「全党および全人民は冬季生産競争」運動のための全省大会開催。
10
5
6日付けの英紙『タイムズ』,ベトナム戦争終結に関し,米国と北ベトナムが大筋の合意に達したと報道。
10
6
ポーランドと1972~73年文化協力協定。
10
7
政府は人民の貯金を奨励するため預金金利をつぎのように改定,10月1日から実施。 5年以上の節約預金については年利を旧来の2%から5.2%へ,普通預金の月利は0.25%から0.32%へ,6カ月以上の定期預金の月利0.30%から0.32%へ,1年以上の定期預金の月利を0.35%。
10
8
キッシンジャー補佐官とレ・ドク・ト顧問会談,ヘイグ少将も同席。
10
11
秘密会談4日連続。
10
11
米機,ハノイのフランス代表部を爆撃,スシニ代表重体(19日パリで死亡)。
10
12
『シカゴ・デイリー・ニュース』は,ハノイの仏総代表部を破壊した11日の米軍機のハノイ中心部爆撃は,米統合参謀本部からの極秘命令によるものだったと報じた。
10
13
ディン・チ・カン中央委員候補兼母子保護委員会議長を団長とする代表団訪日。
10
13
ト顧問ハノイへ出発。
10
14
ドン首相,ラクチュール記者との会見で米国は軍事問題と政治問題の不可分を承認し,南に選挙前に三派連合政府を作ることを認めたと語った。
10
14
クアン・ドイ・『ニャンザン』紙「この主人にしてこの従僕あり」と題する論評で「米は和平望まず」と非難した。
10
14
中国の魏震東広州海運局局長を団長とする海運代表団,ハノイに来訪。
10
17
ビンフー省の軍民,米軍のF111型1機を撃墜,これで北上空で撃墜された米機は4,000機に達した。
10
17
駐パリ,ボー・バン・ソン総代表シューマン外相と会見。
10
18
キッシンジャー補佐官パリでスアン・トイ代表と会談,その後サイゴンへ,サリバン国務次官も同行。
10
21
カムファイ・ブファー駐ベトナムのラオス愛国戦線代表部団長,グエン・ルウン・バン副大統領に信任状を提出。
10
23
ドン首相,『ニューズ・ウイーク』誌で3段階の和平案を説明。
10
26
政府声明で9項目の合意内容発表(資料参照)。
10
27
タス通信によるとコスイギン首相,ベトナム民主共和国と南ベトナム臨時革命政府の両大使との会見で,早期調印の希望を表明。
10
27
シアヌーク殿下ハノイに来訪,28日共同声明発表。
10
27
レアード米国防長官,20度線以北のベトナム爆撃を全面的に停止したことを確認。
10
28
日本の会社大洋漁業にトンキン湾漁場開発に協力を要請。
10
30
中国,米に9項目協定の調印を要求する政府声明を発表。
11
2
日本の正和海運,ベトナム対外貿易運輸公司との間に和平後に定期航路を開設すると発表。
11
3
米政府当局者,過去数週間に最低2個連隊の北正規軍が南ベトナム北部から引き揚げたとみられると語った。
11
3
対外貿易運輸公司,日本の友好海運会社に,「11月中に両国間の航路が正常にもどるので集荷をいそぐように」と電報。
11
3
フランスの経済紙『レゼコー』は「北ベトナム政府がフランスに植林など各分野にわたる技術協力を要請」と報道。
11
4
ニクソン政権,75億ドルにのぼるインドシナ戦後経済復興援助5カ年計画を検討中,このうち北ベトナムへ25億ドルの援助を見込む。
11
4
スアン・トイ代表発言。 ・われわれは,再会談に難題をつけているわけではない。 ・実質的問題について再交渉するのなら,こちらもベトナム人民間抑留者問題の再検討を求めるかもしれない。停戦後,60日以内にすべての軍人と外国民間人捕虜の釈放を要求する合意項目から,ベトナム人民間抑留者を除外したのは,北ベトナムの譲歩である。
11
5
サイゴンの米国筋によると,米軍は北に対する政治ビラ散布や宣伝放送を中止。
11
6
党,国会と政府の首脳は10月革命55周年を記念してソ連指導部へ祝電。
11
6
ワシントンのAFP北軍の残留認め,3地域に再編成で妥協成立と報道。
11
7
サイゴンの米軍筋,北米,カンボジア国境に根拠地を再構築中と語る。
11
7
スイスの全権大使,ハノイ着任。
11
7
グエン・ズイ・チン外相,日本の鎌倉市長正木千冬氏らと会見。
11
8
北軍11万人の引揚げで密約説流る。
11
8
パキスタンと大使級の外交関係を樹立。
11
9
ハノイ消息筋,米捕虜の送還は海路の予定。
11
9
米国防総省,機雷除去のため米掃海部隊の北部集結を認める。
11
9
ニクソン大統領,記者会見で,「我々は北ベトナムに対しても経済ベースの若干の援助を行なうだろう,我々の関心はいま戦争を終わらせるための協定を実現することだけでなく,この問題で将来とも影響力を確保することにも寄せられている」と語った。
11
10
スアン・トイ代表はAFPとの会見で,3派評議会は政府ではなく管理機構であると,キッシンジャー補佐官の見解を支持。
11
11
『ニャンザン』紙,「反グエン・バン・チュー戦線が拡大している」と題する社説を発表。
11
13
ザンビア共和国の初代全権大使着任。
11
14
駐米ソ連大使突然帰国。
11
14
ト顧問,北京で周恩来首相,李先念副首相と会談。
11
14
日本の全農,中央合作総社との間に和平協定調印後,2人の研修生を受けいれることに同意。
11
16
ト顧問,モスクワでスースロフ政治局員,カツシエフ書記,グロムイコ外相と会談。
11
17
ト顧問パリ到着。
11
17
ホワイトハウス,キッシンジャー補佐官は北ベトナムとの会談を20日から開始すると発表。
11
20
パリ秘密会談。
11
22
秋季米作面積の70%で収穫を完了。
11
22
17度~20度線地域に対して北爆激化,B52,15波出動。
11
22
B52,1機を撃墜。
11
23
タイビン省ドンフン県では今秋季に平均1ヘクタール当り3.5トンの籾を収穫。
11
24
大学および中等専門学校の講師などの団体,社会主義労働組合を結成。
11
25
ハイフン省の米作,年間で1ヘクタール当り5トンの目標を達成,内訳,春季,2.76トン,秋季2.4トン。
11
25
B52,14波の北爆。
11
26
タンホア省の今秋季米作ヘクタール当り2.6トンで年間5トンを達成。
11
26
バングラデシュとの間に大使級の外交関係を樹立。
11
26
北京で中国とレ・タン・ギ副首相を団長とする経済代表団1973年度の経済軍事物資無償援助協定と軍事装備物資無償供与議定書に調印。
11
26
チョウ・バン・ビエン駐インド大使,ギリ大統領に信任状を提出。
11
27
ボバン・スン駐仏総代表,シューマン外相と会談。
11
27
グエン・コ・タク外務次官帰国。
11
27
『ニャンザン』,「米国はどのような道を選ぶのか」評論員論文。
11
27
チリのマリア・マルエンダ代理大使,着任。
11
29
労働党中央委員会,タイ共産党,創立30周年にあたり同党中央委員会に祝電。
11
30
政府,傷病退役軍人の社会復帰のための一連の措置を発表。
11
30
ツウエンクアン省の今秋季米作はヘタタール当り2.3トンで年間では4.2トンに達した。
11
30
インドのシリア・グップ大使着任。
12
1
オーストリアと大使級の外交関係を樹立。
12
2
コスイギン首相,レ・タン・ギ副首相と会見。
12
3
『ニャンザン』,「責任は誰にあるのか」と題する社説を発表。
12
3
電波ニュース,北の自由市場で米の価格1キロ1.5ドン(150円)から1ドンへ,豚の上肉1キロ5ドンから4ドンに下った。
12
5
ハノイの外大英語科71-72年度卒業生は5日緊急の理由により大学へ戻るよう命令された。
12
5
ハノイに警戒体制公布。
12
8
日越貿易会,停戦後に北へ経済使節団派遣を検討。
12
9
レ・タン・ギ副首相,ソ連の1973年度経済と軍事無償援助協定,長期借款協定,物資交換協定,両国間の経済・科学・技術協力協定に調印。
12
10
フランス共産党第20回大会出席のためレ・タン・ギ代表団,パリ到着。
12
10
B52,90波もの北爆。
12
12
B52,ドンホイ周辺に13波の爆撃。
12
14
ホク・タプ「われわれが現在進めている和平交渉は,南ベトナムを将来政治的に制圧するための一時的策略である」という論文を掲載。
12
14
グエン・タン・レ・スポークスマンは記者会見で,「和平協定はパリ会談に参加している4者の調印が必要である」と言明。 10月27日の記者会見では米のロジャース長官と北のグエン・ズイ・チン外相でいいと言明。
12
15
ハノイ放送は「パリ交渉が長引いているのは,米国が軍事援助を全面停止することを拒否し,南ベトナムにおける新植民地主義的支配の維持をねらっているためである」と非難した。
12
15
B52,16波の北爆。
12
16
ト顧問,モスクワでキリレンコ政治局員,カツシエフ書記と会見。
12
16
チョオン・チン政治局員・国会議長を団長とする党,国会・政府代表団,ソ連共和国創立50周年式典に出席のためソ連へ出発。
12
17
米機,ハイフォンを爆撃。
12
17
ニヤンザン社説,米の調印引き延ばしを非難。
12
17
チュオン・チン中央政治局員,ホアン・バン・ホアン中央政治局員らは周恩来首相,張春橋政治局員と会見。
12
17
ト顧問,周恩来首相と会見,18日ハノイへ出発。
12
18
米20度線以北の北爆を再開─ハイフォン港に機雷設置。
12
18
レアード国防長官は20度線以北の北爆制限を解除すると発表。
12
18
ト顧問,ハノイ着。
12
19
マダガスカル共和国と外交関係を樹立。
12
19
外務省声明,完全勝利まで抗米救国闘争を強化し闘うと述べた。
12
19
トイ代表,キ補佐官は12月13日に,126カ所の修正要求を持ちだしたと語る。
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19
空母エンタープライズ・トンキン湾へ。
12
19
デンマークの首相,米国に抗議。
12
20
北代表団,専門家会談を延期。
12
20
中国外務省勝利まで支援すると声明。
12
20
スウェーデンのクリステル・ウイクマン外相,米の爆撃を盲目的かつ残酷と非難。
12
20
B52,100機と戦闘爆撃機500機以上がハノイ・ハイフォン地区を爆撃。
12
20
パリの専門家会談再開。サリバン国務次官補代理とトイ代表が出席。
12
20
駐ハノイ仏総代表にクロード・シャイエ(Claude Chayet)氏。
12
21
米機延べ数百機でハノイ・ハイフォン地区を集中爆撃。
12
21
公式会談で北および臨時革命政府代表団,米を非難し退場,28日再開を提案。
12
21
ハノイ放送北爆再開後,B52,15機,その他34機を撃墜と発表。
12
21
政府声明─「ベトナム人民とベトナム民主共和国政府は,ソ連,中国,その他の社会主義兄弟諸国の政府と人民,平和を愛し正義を主張する各国の人民と政府,およびアメリカ人民が,時をうつさずニクソン政府の罪悪的魔手をとりおさえ,かれらにベトナム侵略戦争をやめさせ,1972年10月20日にベトナム民主共和国と合意ずみの協定に即時調印することを要求するよう,心から呼びかける」。
12
21
ブレジネフ共産党書記長,ソ連はこの侵略行動を激しく非難すると演説。
12
22
米機ハノイを5日連続猛爆。
12
23
北代表団,専門家会談でも抗議して退場。
12
23
ニュージーランド首相,米に抗議の手紙。
12
24
ハノイ放送によるとベトナムの軍民はB52,18機とFⅢ5機を含む米軍用機53機を撃墜,米艦8隻を炎上させた。
12
26
ハノイ市当局,人口100万のうち40万人が疎開したと発表。
12
26
米機,ハノイ,ハイフォン地区を爆撃,ベトナム人民軍,B52,8機を撃墜。
12
27
北代表団,米軍機の爆撃が続くかぎり,専門家会談には応じられないと通告。
12
27
中国とベトナム,1973年度物資相互供給・支払い協定に調印。
12
29
北京で北ベトナム人民・抗米救国闘争支持大会(1万人集会)。
12
29
米,パルメ首相の北爆非難に対してスウェーデン大使の受入れを拒否。
12
29
チュオン・チン政治局員,モスクワでスースロフ政治局員,ウスチノフ書記と会談。
12
29
ハノイ上空でB52,1機を撃墜,18日以来B52,34機を撃墜,その他を加えて総数79機を撃墜。
12
30
チュオン・チン政治局員モスクワを出発,帰国の途へ。
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30
ホワイトハウス,パリ秘密会談1月8日に再開と発表。また20度線以北の北爆停止も発表。
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30
北代表団,秘密会談及び技術会談に同意。
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31
チュニジアと外交関係樹立。
-
-
カンボジア
1
1
政府軍1万人が昨年11月6日以来プノムペン西方および北西郊外15~25キロで続けてきた掃討作戦が終了,政府軍の死者157人,負傷者545人,解放勢力側の死者は1,253人。
1
7
米軍事援助品105ミリ砲36門がプノムペン空港に到着,政府軍が保有する同タイプの砲は150門になる。カンボジアに対するアメリカの軍事援助で武器・弾薬の形で配布された額は71~72年度2億ドルにのぼる。
1
9
(北京発新華社)カンボジア民主婦人協会議長のキュー・ポナリー夫人は最近アピールを発表して次のように述べた。「プノムペンかいらい政権が一時支配している地区で生活している婦人は,米帝とその手先に反対する闘争を断固として繰り広げ,一層多くの婦人が解放区に来て抗米救国闘争に参加せねばならぬ,解放区の婦人は大いに増産につとめ,節約にはげみ抗米救国闘争を堅持せねばならぬ。」
1
11
クレクに進攻していた政府軍は,南ベトナム政府軍が突然撤退したため同基地を放棄した。
1
12
国道7号クレクの南ベトナム政府軍はこのほど南ベトナム領内に撤収,このためクレクを守備していたカンボジア政府軍第22旅団も南ベトナム領内に撤退。
1
13
米,カンボジア政府,72年度PL480農産物援助協定に調印,同協定により米国は1409万ドル相当を供与。物品は綿布,綿糸,タバコ,野菜油,小麦粉。71年度のPL480援助は920万ドル。
1
13
米機,プノムペン東110キロ,クレクを爆撃。
1
14
為替支持基金会議開催─プノムペン駐在のIMF代表も出席,米,日,豪,ニュージーランド,タイ,マレーシアの6カ国が拠出する意向を表明。
1
14
カンボジア西部に配置されていたチャーリー基地の南ベトナム政府軍歩兵部隊4,000人は南ベトナム領内に撤収。南部で作戦していた南ベトナム政府軍も13日,作戦を終了しAngtassomの仮司令部に引揚げ。
1
15
フリサラ元外相,プノムペンを脱出してフランスへ。
1
19
カンボジア,タイ両国代表はバンコックで国境安全保障協定に調印。これにより国境の安全と漁業に関する合同委員会が設置される。この協定は,国境地帯に両国の連合部隊と共同の警察パトロール隊を置き,両国の軍隊,警察が共産軍を追跡して相手国領内に立入ることを許可しあうことにしている。
1
21
(北京)団結政府情報省声明,タイとの国境安全保障協定調印を非難。
1
23
マンスフィールド米上院議員は,「パリ会談が失敗に終ったのは,ラオス,カンボジアを除外したからだ」と述べ,両国を加えた全インドシナ和平会談開催を提案し,両国の代表として「カンボジアからはシアヌーク元国家元首,ラオスからはバッタナ国王が適当だ」と述べた。
1
24
オーストラリアで対ゲリラ戦法の訓練を受けるため,カンボジア政府軍の第1陣70人がキャンベラ到着。
1
27
夜,プレクトノット・ダムに80発の迫撃砲弾が撃ち込まれる。被害なし。
1
28
ウエストモランド米陸軍参謀総長はサイゴンからプノムペン入り,ロンノル首相,シリクマタク首相代行らと会談,7時間の滞在の後,ウドンへ。
1
29
シエムリエプ・アンコール地区で,Sar Hor少将指揮下に“Angkor Chey”作戦開始。
1
30
駐インド・カンボジア大使館当局者は,カンボジアがバングラ・デシュを承認したと発表。
2
1
ロン・ボレット情報相は,政府はこれまでに北ベトナムとの和平会談を求めていかなる直接的,間接的接触も持ったことはないと述べた。
2
5
(北京)団結政府声明,ニクソン8項目提案のカンボジアに関する部分を拒否。
2
7
(北京)民族統一戦線集会,イエンサリ特使出席。決議はニクソンの8項目提案を拒否し,和平交渉の陰謀を非難。
2
7
(新華社電・AKI)シアヌーク殿下の息子ノロドム・レアク・ビボン殿下,1月末解放区入り。
2
7
(パリ)王位最高委事務局長プン・ペン・チエン夫妻は統一戦線参加を声明。
2
10
政府,アンコール・ワット,アンコール・トム遺跡での戦闘を行なう権利を留保する旨警告。
2
11
政府軍,アンコール・ワット寺院の包囲作戦(“アンコール・チェイ”)開始,歩兵6,000人以上4個旅団が4方面から作戦を展開。
2
11
(北京)中国のカンボジナ(団結政府)に対する72年度経済援助ならびに軍事物資供与に関する協定,北京で調印。
2
12
シアヌーク統一戦線議長夫妻は北ベトナムのトン・ドク・タン大統領の招待で同国を非公式訪問するため北京からハノイに到着。
2
14
カンダル州,コンポン・スプー州でNou Tho准将指揮下に“Trapeang Thnot-Tuol Leap”作戦開始,28日終了。解放勢力死者2人,政府軍負傷者19人。
2
14
ニュージーランド政府は,カンボジア軍を訓練するため18人の軍事訓練団を同国に派遣すると発表,訓練団は南ベトナムのカムラン近くの場所で米軍と協力して訓練に当る。
2
15
アンコール・ワット遺跡付近での政府軍と解放軍の衝突はここ2日間激化,解放軍は4,000人,政府軍は最近増強されて5,000人。双方とも大砲で武装されているが,衝突は自動火器に限定されている。
2
15
(北京)団結政府首相ペン・ヌート,アンコール遺跡を守るよう僧侶・人民に呼びかけ。
2
18
政府軍,48時間の激戦の後,アンコール・ワットの西部地区のネアムルプ寺院,アンコール・トムのバイヨン寺院を奪回。
2
21
政府は2月21日から,アメリカ援助による輸入(CIP)を促進するため,銀行が輸入供託金を期限4カ月,年利5%で供与すること,為替レートは前月の平均優先レートを採用することを決めた。但し石油製品,紙,ミルク,肥料は例外。
2
21
シエムリエプ市北東地区で,“Angkor Chey”作戦中の政府軍は解放勢力と終日白兵戦を演じ,死者11,負傷者30人の損害を受けた。
2
22
AKIによれば,最近ノロドム・フリサラ殿下が解放区入り。
2
25
シアヌーク議長,トン・ドク・タン北ベトナム大統領,ファム・バン・ドン首相らと会談,ベトナム通信は,双方が米帝とかいらい政権に対する両国人民の共同の戦いについて意見の一致をみたと報道。
2
27
カンボジア政府軍と南ベトナム政府軍は共同で,スベイリエン市東,北,タケオ州Angtassom等での作戦開始。
3
1
為替支持基金設置会発効。
3
1
コンポントム市南の政府軍陣地を攻撃した解放勢力に対する反撃作戦で,2月20日~3月1日の間に政府軍死者26人,負傷者90人,解放勢力死者400人。
3
1
アンコール・ワット近く,シエムリエプ西方20キロ,32キロの政府軍2陣地,解放勢力に攻撃さる。政府軍死者17人,負傷者20人。
3
3
国銀,リエルの対米ドル・レートを3.8%切下げ,1ドル買い134.46リエル,売り135.00リエルに設定。5日更に切下げて1ドル買い149.40リエル,売り150.00リエルに設定。
3
3
軍事法廷は戦闘中捕えられた北ベトナム軍捕虜3人に死刑の判決を下した。この判決は戦争捕虜の処遇に関する1949年のジュネーブ条約を無視したもの。
3
5
2月29日開始された政府軍数個大隊によるシエムリエプ,アンコール地区での“Angkor Chey”作戦で,これまでに政府軍死者77人,負傷者251人,解放勢力死者105人。
3
5
シアヌーク議長とトン・ドク・タン北ベトナム大統領の共同声明発表。
3
5
シアヌーク議長,ハノイを発ち上海へ。9日の上海発AFP電によれば,3,4日の両日,ハノイで周・シアヌーク会談,周・ドン会談が行なわれた。
3
7
マーシャル・グリーン米国務次官補,プノムペン訪問,シリク・マタタ首相代行,コン・ヴィック外相と会談し,ニクソン訪中について説明。このあと空港での記者会見で「我々はクメール人の自衛の努力を今後も支持する」「同時に我々は交渉による解決を追及している」と言明。
3
9
(上海)シアヌーク殿下は「周首相が同殿下と北ベトナム首脳に対し完全勝利の日まで中国が全面的支援を与えることを確約した」と言明。
3
10
ロンノル氏,国家元首に就任,同氏は放送を通じ,制憲議会の閉鎖を発表,制憲議会は11日に新憲法草案の採決を行なう予定だった。
3
10
南ベトナム政府軍4万はトアンタン72B作戦のためカンボジア国境に集結し,9日から2万5000人の兵力による作戦が開始された。10~11日,6,000人がおうむの口ばし地区から西へ進入,10日1号線沿いで大隊規模の戦闘があり解放勢力40人が戦死,政府軍も10人が死傷,11日タケオで戦闘,12日Kg.Trach付近で4時間の戦闘,解放勢力死者11人,政府軍死者2人,負傷者16人。釣針地区への越境部隊の先頭はクレクに到達し,周辺に砲火支援陣地4カ所を再建した。
3
11
制憲議会解散令。
3
11
情報相は「シリク・マタク氏の首相就任はまだ発表されていない」と言明。
3
12
内閣総辞職,但し15日まで機能。
3
12
大統領制に関する政令公布,それによれば元首は以後大統領の称号をとり,大統領は内閣と治安会議をもつ。
3
12
政府軍レンジャー部隊,スベイリエン州で戦闘,政府軍死傷18人,解放勢力死者12人。
3
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ロンノル国家元首,大統領に就任─3軍総司令官と首相も兼任。14日大統領就任式。式典は突然に行なわれたので各国大使は参列できなかった。
3
16
シリク・マタク前首相代行は,ラジオを通じ国民にメッセージを出し「政界から引退する」と発表,同氏は声明の中で「国民の中に私を批判するものがあり,政治的混乱を招いている。このため私は混乱を回避するためロン・ノル大統領に対し政界から引退することを伝えた」と述べた。学生,一部の仏僧,国会議員,ロンノン中佐らは同氏の副大統領ないしは第1国務相就任に反対していた。 ロンノル大統領はシンバル駐日大使に組閣を要請していたが,16日同氏は組閣の意志のないことを伝えた。
3
16
プノムペン空港に隣接する空軍基地内の弾薬庫が爆発,弾薬庫内にはナパーム弾をはじめ弾薬数10トンが貯蔵されていた。
3
16
(平壌)北朝鮮がカンボジア王国民族団結政府に軍事援助を与えることに関する両国政府間の協定,調印。
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20
政府,新内閣の閣僚名簿を発表─焦点となっていた副大統領は未定。首相に就任したソン・ゴク・タン氏は記者会見で「米国はインドシナから撤退の方針を決めたが,北ベトナムはいぜんわが国に踏みとどまって侵略を続けている。戦争の終結は赤クメールではなく,北ベトナムの出方にかかっている」と発言。 21日発令された新内閣の陣容は次の通り。 Lon Noc元帥:大統領兼閣僚会議議長 Son Ngoc Thanh:首相兼外相 Yem Sambaur:法務担当相 Mau Say:大統領府担当相 Sak Sutsakhan:国防担当相 Phlek Chhat:計画・外国援助・開発担当相 Thappana Nginn:内務・治安・祭祀・在郷軍人・観光担当相 Long Boret:情報相 Chau Xeng Ua:労働・社会活動相 Chhann Sokhum:工業・鉱業・海洋漁業相 Hou Hong:保健・福祉相* Kang Keng:商業相 Un Tramuch:総動員問題相 Sor Song:農業・農林開発相 Khy Taing Lim:住宅・公共事業・通信・運輸相 Ith Thuy:財政相 Thach Chia:教育・文化相 Oung Hiem:プノムペン市庁担当相 *Hou Hong氏は発表直後就任を拒否しYem Sambaur氏が兼任。
3
21
解放軍,プノムペン攻撃─解放軍,プノムペンに200発の122ミリロケット弾,迫撃砲弾を撃ち込む。死者110人,負傷者280人,木造家屋272戸が焼失。またプノムペン空港にもロケット弾30発が撃ち込まれ,滑走路に被害があった。同じ頃,Stung Meancheyの国営放送局には決死隊がB-40で攻撃を加えた。
3
25
解放軍司令部設置─統一戦線と団結政府は北京でコミュニケを発表し,民族解放人民武装勢力最高軍事司令部と,プノムペン市委員会の構成を明らかにした。民族解放人民武装勢力最高軍事司令部の構成は次の通り。議長キュー・サムファン総司令官,副議長サロト・ソル軍作戦部長,同ノン・チェア軍政治部長,同ソ・ワナ軍作戦部副部長。民族統一戦線首都プノムペン市委員会の構成は次の通り。議長ノロドム・フリサラ殿下,副議長チウン・チェウン博士,同キュー・ポナリー夫人。
3
25
象牙海岸と大使級の外交関係樹立。
3
25
カンポト東30キロ,Kg.Trachで越境作戦を行なっている南ベトナム政府軍機甲部隊に解放勢力は122ミリロケット砲200発を撃ち込み,地上攻撃をかけた。政府軍死者15人,負傷者20人。解放勢力死者15人。
3
24
プノムペンのトンレサップ川にかかるチュルイチャンワル橋でプラスチック爆弾が爆発。
3
24
南ベトナム政府軍3,000人がクレクを目ざして越境。
3
25
政府軍,コンポンスプー州Kg.Tram東で“Prey Khlar”作戦開始。
3
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解放軍,プノムペン空港の軍民両基地にロケット弾を撃ち込む。
3
26
情報省発表:ロンノル大統領はプオン・トン・プノムペン大学長を長とする委員会に新憲法草案の作成を指示,メンバーには草案作成に重要な役割を果たしたロン・ボレット情報相も参加。
3
26
カンポト州Kg.Trachの政府軍陣地,ロケット砲攻撃をうける。同地で作戦中のカンボジア・南ベトナム合同軍は23~27日の間に49人の死者を出し解放勢力75人を戦死させた。
3
28
政府当局は,プノムペン市民に対し,解放勢力側の首都攻撃に備えて自ら武装し,家屋の下にざんごうを掘るよう指示した。
3
28
大統領顧問にPho Proeung,Au Chheun,Laau Bounpa氏任命。
3
28
特別軍区(R.M.S)司令官Nou Tho准将からDeng Layom准将に交代。
3
28
計画,青年,スポーツ,戦争犠牲者,薬品生産,ラジオ・テレビに関する6つのCommissariat general廃止。
3
29
ロンノル大統領は,ラジオを通じ,最近の解放勢力の攻勢について国民向けのメッセージを発表し,次のように述べた。「法と慣習を尊重せねばならぬ。自由が他人の自由を侵害するものであってはならぬ。民主主義はよいが,無政府主義になってはいけない。私は北ベトナムベトコンに勝利するパルチザンである。あるクメール集団が他のクメール集団を踏みつぶしてはならぬ。総動員に従って,政府が援助し,人民が実現し,技術者が補佐するとの方式で国家を建設しよう。」
3
29
政府軍司令部はプノムペン全市に特別布告を出し,4月3日前後に共産軍がプノムペン市内に地上攻撃か大規模なロケット砲撃をかけてくるとみて,首都市民に「ナイフ,ライフル銃,剣などをとり,ざんごうを掘って徹底抗戦する」よう要請した。首都周辺には政府軍2万人が防衛線を築いている。
3
29
ネアクルン,122ミリロケット砲撃を受ける。
4
1
学生連合のイム・ユー・ハイ議長は3週間にわたった反政府行動の終結を宣言し,政府機構の改組を求めた今回の闘争は勝利を収めたと述べた。この日の集会には急進派の指導者達は欠席した。
4
1
プレイベン市,砲撃さる。
4
1
プノムペン西北30キロのバットデンで戦闘,同地区では数千人がこの3日間掃討作戦を続けている。
4
2
憲法委員会,新憲法草案の作成終了(委員長プオン・トン・プノムペン大学長)。
4
4
国債発行令発令。償還期限1年以内,額面は5,000から1億リエルまで7種,年利は3カ月物で5.5%,6カ月が6.5%,1年が10%。
4
5
シアヌーク殿下,北朝鮮訪問。5月6日金日成首相と共同声明調印。
4
7
解放勢力は国道1号と15号をスベイリエン市周辺とプレイベン地区で切断戦闘はなお続行中,Kg.Trachでも戦闘が続いている。
4
8
政府軍,Tuol Leap北で“sud de Phnom Baset”作戦開始。
4
12
非常事態宣言(71年10月18日発令)を更に6カ月延長。
4
14
Kg.Trachで戦闘続く。1週間で南ベトナム政府軍の死者70人,解放勢力死者100人。
4
16
解放勢力,プノムペン空港,カンボール弾薬集積基地などを砲撃。
4
19
解放勢力はプノムペン南東80キロ,国道1号上のKg.Trabekをほぼ占領,国道1号はChiphou,Prey Phdau,Prasauth,Kg.Trabekなどで解放勢力側に占拠されている。
4
19
タケオ市南9キロで戦闘,解放勢力死者35人,政府軍死者5人,負傷13人。
4
20
Oudong Meanchey州を新設する法令発布。州都はOudong。
4
20
解放勢力,国道1号上のKg.Trabek他6拠点を占領。Kg.Trabekの政府軍1個大隊は孤立し,大隊司令官が捕虜になった。
4
20
Angkor Chey作戦中の政府軍はSvay Thom-Pradek間で戦闘,死者52人,負傷250人を出した。
4
21
保健・福祉相にUng Su Hai Kim Teng氏任命さる。
4
22
3月の全学連によるシリク・マタク不信任決議の際,運動の原動力となった法学部のクイ・ペックはテレビで「今回の憲法草案には言論,政党の自由がない」と批判。
4
24
プノムペンの法経学部で憲法批判集会が行なわれ,2,000人の学生が参加したが,野戦警察部隊は戦車4台を動員してこれを包囲,法学部内には小銃,手投げ弾で武装した100人の学生がたてこもっている。学部前には集会の開催を要求する学生2,000人が集まって警察側とにらみあっている。
4
24
ソン・ゴク・タン首相発表「クイ・ペックは国民を扇動しており,彼には逮捕状が出ている」。
4
24
スベイリエン市西10キロ,スペアントラムの政府軍前進基地で戦闘。
4
26
法学部前で学生は憲兵隊の封鎖を突破しようとしたが,憲兵隊は催涙ガスを発射,学生はライフルで応戦し,銃撃戦となり,学生2人が負傷した。
4
27
法学部に集まった1,000人の学生は26日の発砲事件に抗議して警戒中の憲兵のジープに投石,このためジープに乗っていた憲兵少佐が学生の解散を命じたが,憲兵隊はライフル銃,催涙ガスを突然発射し,学生3人を死亡させた。
4
30
新憲法についての国民投票─内務省は投票総数を180万とふんでいる。政府支配地域の総有権者は220万人。 5月10日内務省発表によると,投票総数165万0331,賛成160万8293(97.45%),反対4万1172,無効866。
4
30
国道1号上の要衝バベトは解放勢力の攻撃をうけ,カンボジア政府軍はバベトを撤収して南ベトナム領に避難した。また政府軍はKg.Trachからも撤収した。解放勢力は戦車,ロケット,対空兵器で装備されている。
5
5
カンボジア学生連合は,27日の学生射殺事件に抗議して反政府デモを行なった。1万人の学生が参加。
5
6
解放勢力,プノムペン市西部をロケット砲撃,市民37人が死亡,192人が負傷。さらにプノムペン市内のサイゴン橋の西側地区を奇襲攻撃,プノムペン中心部から5キロ南,国道2号上のタクマウとの中間にあるチヤクアングレで100人の解放勢力と政府軍が戦闘,チャクアングレ発電所に被害。
5
9
ロンノル大統領は5月8日のニクソン演説を歓迎して次のように言明。「クメール政府は米大統領の提案した全面的停戦と国際監視がわが地域における平和回復のために不可欠の第一歩であると考える。クメール政府としては,停戦に続いてクメール領土にいる北ベトナムとベトコンの侵入勢力の撤退が必要であると考える。」
5
9
解放勢力,コンポンチュナン市南15キロのSandan政府軍陣地を攻撃,政府軍負傷19人。
5
10
ロンノル大統領は,4月30日の国民投票で多数の信任を受けて新憲法を公布し,12日から発効するとの政令に署名。
5
10
シリク・マタク中将,大統領特別顧問に任命さる(首相格)。
5
11
米B52,プノムペン北方50キロの軍事目標を爆撃。
5
12
大統領選挙法公布,立候補者は生来カンボジア国籍であること,カンボジア国籍をもつ両親から出生していること,既婚者であれば配偶者は生来カンボジア国籍であること,選挙日に満40歳以上の年齢をもつことなどの条件を満たさねばならぬ。また公務員・軍人は特別休暇をとらぬ限り立候補できない。
5
12
臨時憲法裁判所メンバーにAu Chheun,Lim Kry,Touch Kim,Ray Lomuth,Say Boran,Hem Ketsana氏任命。議長はAu Chheun氏。7月1日,Ray Lomuth氏に代わりTan Bien氏任命。
5
13
プノムペンに5発の122ミリロケット砲弾が撃ち込まれる。また日本人経済専門家自宅前でプラスチック爆弾が爆発。
5
15
ロンノル大統領は北ベトナム・ベトコン兵士あてにラジオで声明を発表し,次のように述べた。「戦争は終結に向かっている。クメール共和国は北ベトナム・ベトコン部隊が戦争をやめるなら,彼等のためにキャンプを作り,捕虜として扱い,帰国させる。北ベトナム・ベトコンに協力したクメール人はわが軍に帰順せよ。集団で武器をもって帰順するものは進級し,わが軍の隊列に統合される。職につきたいものに補償するために,委員会が設立される。」
5
15
政府軍,タケオ州キリボン陣地から撤退,解放勢力の突撃隊はロケット砲,迫撃砲の援護のもとに夜襲をかけた。
5
15
(北京)ペン・ヌート団結政府首相,スアン・トイ代表と会見。
5
16
大統領選立候補届出締切り,内務省に届出を終えたのはロンノル大統領,インタム前制憲議会議長,シンバル駐日大使,ケオアン前法経学部長,フイムオン大佐(復員兵委員会委員長)の5人。
5
16
ロンノル大統領はスイス・テレビとの会見でクメール・ルージュと北京の亡命政府を含めた連合政府を認めるかとの質問に答え「我々はクメール・ルージュを敵と考えていない。共和体制に武力で反対しなければ社会に統合される。しかしわが人民,青年が廃止した王制を夢見る北京のシアヌークの仲間には席がない」と述べた。またパリでのソ連との交渉について,「パリでソ連と交渉する必要はない。したければプノムペンで出来る」と述べた。
5
20
鉱物資源規制に関する法令適用条項発令。
5
20
解放勢力,コンポントム市南西10キロの政府軍陣地を攻撃,政府軍死者9人,負傷9人。
5
21
内務省発表による大統領選立候補者は次の通り。Keo Ann(41歳),Lon Nol(59歳),In Tam(50歳)。
5
26
ソン・ゴク・タン首相兼外相は,ロジャース米国務長官あての書簡で,68年7月1日調印の核拡散防止条約にクメール共和国が参加する,と述べた。
5
26
解放勢力,スベイリエン市ならびに周辺の政府軍陣地を砲撃。
5
29
シアヌーク殿下,北京に帰る。シアヌーク殿下は4月4日から5月7日まで北朝鮮を公式訪問し,その後中国東北地方を旅行していた。
6
4
大統領選挙─7日発表された開票結果は次の通り。投票総数105万9505,ロンノル54.93%,インタム24.44%,ケオアン20.61%(8日内務省発表)(その後憲法裁判所がIn Tam,Keo An両氏の申立てにより若干修正した結果を15日に発表)。
6
7
7日夜~8日にかけ解放勢力200人,タクマウ市に侵入攻撃。その他Prek Ho,プノムペンも砲撃,政府側死者42人,負傷64人。
6
8
この10日間解放勢力に攻撃されていたタケオ州Paing Kasei政府軍陣地に政府軍増援。これまでの戦闘で政府軍死者25人,負傷62人。
6
9
6日以来解放勢力に攻撃されていたコンポンチャム州Skoun東7キロ国道7号上のWat Thmei陣地に政府軍到達,周辺で戦闘,政府軍死者15人,負傷24人。 同作戦は17日まで続き,17日国道7号開通,解放勢力死者は合計355人,政府軍死者47人,負傷50人。
6
14
プレイベン南東5キロでの戦闘で,政府軍は解放勢力を撃退,政府軍死者2人,負傷17人。
6
19
1月19日調印されたタイ・カンボジア治安・国境漁業協定に基づく両国の漁業委員会がバンコックで開会。
6
21
国銀,リエル平価を切下げ。1ドル買い160.36リエル,売り161.00リエルに設定。23日更に下がり,1ドル買い186.26リエル,売り187.00リエルに設定。23日外国市場の閉鎖により国銀の平価設定を一時停止,26日適用レートを1ドル買い154.38リエル,売り155.00リエルに設定。
6
22
シアヌーク議長は19日から4日間にわたりルーマニアを訪問,22日アルバニアのチラナに到着。同議長はルーマニア滞在中「カンボジアの国土の80%,人口の70%がすでに解放された」ことを強調,チャウシェスク書記長は「ロンノル政権の完全打倒のため援助を惜しまない」と約束。
6
22
キュー・サムファン解放軍司令官,徹底抗戦を呼びかけ。
6
25
ソン・ゴク・タン首相兼外相とEnders米代理,大使は,1650万2000ドルの輸入資金援助協定と575万7000ドル(73年6月まで)の農産物援助協定に調印,これで72年6月末に終る年度に使えるアメリカの経済援助は5630万ドル。
6
27
閣議は政党法案を採択,それによれば政党は25歳以上の100人以上をもって結成されねばならず,政党は共和体制を害するものであってはならぬ,閣議はまたPailin,Banteay Chhmar,Kompong Seilaの3州創設を決定。
6
27
新聞法公布。
6
28
コナリー米大統領特使,ロンノル大統領と会見。
6
28
シアヌーク殿下,アルジェ到着,空港にはブーメデイエン・アルジェリア革命評議会議長が出迎え。7月7日モーリタニアへ。7月14日ユーゴスラビアへ。7月23日アルバニアへ。7月29日北京帰着。
6
28
(北京)王国民族団結政府スポークスマン声明「ニクソン政権またはその他の大国が押しつけようと試みている欺まん的な停戦を断固拒否する」「いかなる大国もカンボジアの意志に反してその運命を決定するのを決して許さない」。
6
29
大蔵省,国債に関する取決めを発表。
6
29
政府軍20個大隊(1万人)は国道1号線の打開作戦を開始,米空軍支援。
7
1
政党法発令。
7
2
解放勢力,カンポト州Pong Tuk地区の政府軍を砲撃,政府軍死者7人,負傷11人。
7
3
ロンノル大統領就任式。
7
4
政府軍はIth Suong大佐指揮のもとに国道1号上,プレイベン州Kg.Trabek奪回を目ざす“Sbyra”作戦を開始,激戦の後,24日同町を奪回,7月4日から22日までの間に政府軍死者27人,負傷者250人,解放勢力死者302人。
7
4
カンポト州Pong Tukで戦闘,政府軍死者7人,負傷11人。
7
5
Richard Sneider米国務省次官補(東アジア担当),ソン・ゴク・タン首相と会見。
7
5
タケオ州Angtassomで解放勢力攻勢,村民等7人死,36人負傷。
7
8
政府軍,タケオ州Angtassom市奪回作戦,政府軍死者10人,負傷者40人。
7
10
Kang Keng商業相辞任,後任にKoch San氏任命。
7
10
商業相,75%砕米白米の輸出許可を停止。
7
10
Angtassom町奪回作戦中の政府軍は,解放勢力の砲撃を受け死者12人,負傷35人の損害。
7
14
国防省通達により,12,13日付けのSangkruos Cheat紙発行停止。同紙は政府が人民をだまし,この2年間,無能力さによって北ベトナム・ベトコンの侵入を許した,と主張した。
7
21
ロンノル大統領,ラジオで言明「7月1日から月収2,500リエル以下のサラリーマン,労働者の給料を2,500リエルに引上げ,最低80リエルの日給を保証する。」
7
23
Bailey橋が修復され国道5号(プノムペン~パタンバン)再開。
7
23
“Angkor Chey”作戦中の政府軍に対し,解放勢力が攻撃,政府軍死者1人,負傷者29人。
7
25
南ベトナム政府軍3万2000人,ゲインフオン,キエンツオン両省からおうむの口ばし地区にかけて掃討作戦開始,北方からはカンボジア政府軍3個旅団がはさみうちにする。
7
25
政府軍5月10日に解放勢力に奪取されたタケオ市南東30キロKoh Andethを奪回。
7
29
シアヌーク殿下は6週間にわたる東欧,北アフリカ訪問旅行を終え,北京に帰着。
7
30
情報相コミュニケ,「最近のコナリー氏とヘイグ准将のカンボジア訪問の際,アメリカはカンボジアに対する支援を続けることを確認した」。
7
31
大統領令により政府は6カ月間(更新可能)大蔵省の提案にもとづき,政府の経済政策に従った価格水準に調整するため,ならびに商工業活動を活発にするため,租税の割当てを変更できる。
7
31
APU総会開会,台湾,インドネシア,日本,カンボジア,韓国,ラオス,フィリピン,南ベトナムが参加。
8
2
ラオス・カンボジア郵便通信協定調印。
8
5
ロンノル大統領,ソン・ゴク・タン首相他軍幹部,スベイリエン州訪問,スワンク米大使ら各国大使も招かる。難民問題の現状視察。スベイリエン市は今度の攻勢で7日までに4万7000人の難民を受け入れた。
8
6
インタム氏の率いる民主党は,9月3日に行なわれる国会選挙をボイコットし,1週間前に内務省に登録ずみの同党の候補者118人の立候補をとりやめると宣言。
8
6
解放勢力,プレイベン州Kg.Trabekの政府軍陣地を戦車を含む2個連隊で攻撃,政府軍2個中隊が壊滅。 解放勢力はまた,コンポンチャム州の国道7号上の陣地を攻撃,国道7号はTroeungで切断,政府軍死者2人,負傷21人。 また首都近くTrapeang Veng,Pong Toeuk,Angtasekで戦闘,政府軍死者2人,負傷者27人。
8
7
官庁の就業時間を月曜から金曜まで7時半~14時,土曜は7時半から12時に変更,8日から実施。
8
7
解放勢力,戦車でプノムペン南東90キロKg.Trabek町を攻撃,同町への政府軍の補給はヘリのみで行なわれている。
8
8
Kg.Trabekの戦闘続く,解放勢力は政府軍陣地に500発の砲弾をあびせる。 9日も戦闘続く,6日以来政府軍死者98人,負傷者114人,解放勢力死者240人,戦車24台破壊。
8
10
(ジョージタウン)非同盟諸国会議はシアヌーク政権の同会議加盟を承認。
8
11
政府声明「①難民の数は南ベトナムでの北の攻勢以来,スベイリエン,プレイベン,カンダル,タケオ,カンポットなどで特に増大している。②8月6日以来,Kg.Trabek戦で北はソ連製戦車を出動させている」。
8
11
未明,政府軍は解放勢力の反撃にあいアンコール・ワット北西Phnom Bakhenの陣地から撤退。
8
16
解放勢力,プノムペンの空港に122ミリロケット6発を撃ち込む。
8
18
ロンノル大統領はソン・ゴク・タン首相兼外相を外相のポストからはずし,外相の後任にロン・ボレット情報相を任命。
8
18
解放勢力,国道5号沿いの各地で攻勢。プノムペン北西140キロKbal Damrei,Trapeang Chanの2政府軍陣地を奪取。同陣地を守備していた180人の政府軍兵士が戦死し,付近の陣地に逃げたのは30人にすぎなかった。
8
22
アダム・マリク・インドネシア外相,プノンペン訪問,ASEANの平和プランについて討議するため。
8
23
解放勢力,プノムペン南40キロ国道3号上のアンタソムを攻撃。 Kg.Trabekでの政府軍の作戦続く。5日から23日までに政府軍は死者129人,負傷者305人,不明240人,解放勢力は死者254人,戦車破壊31台の損害。 政府軍はエリート部隊の「パラ」を投入してRumchekとKg.Trabekの間の開通作戦。
8
28
太湖周辺国道5号線での政府軍の作戦続く。政府軍はKblal Damrei,Trapeang Chanの奪回とPonley,O Russei Sachでの包囲を解く作戦。 タケオ州国道2号線では,解放勢力がPrsat Neang Khmauに100発の砲撃を加え,Loveaで政府軍と激戦,政府軍に死者15人の損害,解放勢力死者21人。
8
29
ソン・ゴク・タン首相サイゴン訪問─同首相はサイゴン空港で「カンボジア政府はインドシナ全域での停戦を主張する南ベトナム政府の立場を完全に支持する」と述べた。Thappana Nginn内相とPok Sam Anカンボジア・南ベトナム両軍連絡担当が同行。 30日,タン首相はチュー大統領と会談。
8
29
解放勢力,国道5号線Ponley政府軍陣地を奪取,同地の攻防戦はこの10日間続いていたが,政府軍100人は行方不明。
8
30
夜,解放勢力,プノムペン北方国道5号上のPrek Phneou,Prek Toten,Peam Sathaを砲撃,政府軍死者28人,負傷35人。
8
31
サイゴンを訪問していたソン・ゴク・タン首相は帰国に当っての記者会見で次のように語った。「チュー大統領のインドシナ一括停戦案を支持する」「今度の訪問の目的は停戦問題の討議にあり,軍事面の協定には至らなかった。」
8
31
政府軍タケオ州Loveaに対する解放勢力の圧力を排除,これまでの戦闘で政府軍死者35人,負傷者62人。
9
1
解放勢力,プノムペン南方Prey Svar,Put Sarを攻撃。
9
3
国会選挙─126議員選出。
9
6
商務省布告「政府は1等米(50%)を750リエル,2等米(50%)を700リエルで販売,米販売業者は政府に上記価格で6日以降3日以内にストック米を引渡すこと」。
9
6
解放勢力,Kg.Trabek西の政府軍陣地を砲撃,国道1号線は同地西で切断された。7日も同地を攻撃し,政府軍と戦闘,政府軍死者1人,負傷者16人。 6日~9日までの戦闘で政府軍死者数名,負傷者100名,その他1個大隊が行方不明。
9
7
7日夕から8日にかけ,政府軍兵士を含む多数の市民が,華商の穀倉や中央マーケットなどを襲い,米その他を略奪。
9
7
(北京)シアヌーク議長はUPI通信社長と会見し,「我々はロンノルとの政治解決は決して認めない」と述べた。
9
8
ロンノル大統領は国民にメッセージを発表し次のように述べた。「敵はプノムペンにある米を買い集め支配地にかくすよう命じている。また米がプノムペンに着かぬよう国道3,5号の切断を命じている。米のストックは現在十分にあるが,バタンバンからプノムペンへの輸送が,国道5号切断のため不可能である。また9月4日にプノムペンに着くはずだったタイからの購入米が台風のため遅れている。政府は米補給を円滑にするため要員増,バタンバンからの空路輸送などの措置をとった。」
9
8
商業省コミュニケ「5袋以上の米ストックを保有する者は3日以内に区当局に届出るべし」(68年4月12日令)。
9
8
ロン・ボレット情報相,ソン・ゴク・タン氏に代わり外相(兼務)に任命さる。
9
8
国道5号再開,同国道は8月30日,Spean Prek TatenとPeam Satha橋が破壊されて以来不通になっていた。
9
8
解放勢力,プノムペン東90キロ,国道1号沿いの政府軍陣地を攻撃政府軍は陣地8カ所を放棄。
9
8
(北京)シアヌーク殿下,レ・ドク・ト顧問と会見。
9
9
ソン・ゴク・タン首相はEnders米代理大使と会見,米政府は南ベトナムに貯蔵されている米1万トンを貸付ける意向。
9
9
政府,非常事態宣言期間中,食料品,必需品の無許可貯蔵を禁止。
9
9
Khemara Thipadei紙,発行停止に。
9
9
統一戦線最高司令部はすべての反政府勢力に対し,すべての前線で総攻撃をかけるよう指令。
9
10
タケオ市南東20キロKg.Chrey近くで戦闘,政府軍死者5人,負傷者10人。
9
11
スベイリエン,プレイベン,タケオ等の州知事交代。
9
11
Lon Non大佐指揮のもとにネアクルン付近の解放勢力の圧力を除去するための“Baphnom”作戦開始。
9
11
国道5号,O Russei SachとKbal Damrei間の戦闘続く。Phdiekでの戦闘で政府軍死者2人,負傷者12人。
9
11
南ベトナム政府軍,スベイリエン州,国道1号線で作戦開始。
9
12
閣議,プレク・チャト計画・援助担当相は日本政府との協議で日本が80万ドル相当の米を贈与することに同意したと報告,また閣議は輸入米価を2,200リエルに,1°-50%米を1,900リエルに値上げすることを決定。
9
12
ネアクルン近くのKg.Soeung政府軍陣地に対する解放勢力の攻撃続く。政府軍は11日Phnom Chhoeu Kachから撤退,政府軍死者数人,負傷者100人(兵士家族を含む)。
9
13
kang Keng少将,大統領特別顧問の職を解かれる。米不足にも拘らず同将が商業相だった頃,米の輸出を許可した責任をとって。
9
13
大統領府に平定・国家建設局設置。
9
13
Oudong南東数キロで戦闘,政府軍負傷者30人。
9
14
国会開会,126議員出席(社会共和党)。議長選挙では,Tan Kim Huon氏(農大学長)がBuon Hong Keat Tek Lay氏(厚生省の医者)を105票対14票で敗り議長に当選,第1副議長にはPan Sothi氏,第2副議長にはEng Soth氏(いずれもプノムペンのインテリ)が当選。
9
14
米の価格・補給・貯蔵・配給問題委員会設置,委員長にLon Non大佐とハン・ツン・ハク氏。
9
14
Noel Gayler米太平洋軍司令官,プノムペン来訪。
9
15
商業省は次のように米価の最高価格を決めた(100kg袋当り)。1等15%米2,600リエル,1等25%米2,400リエル,1等50%米2,200リエル,2等50%米2,000リエル,輸入米2,200リエル。
9
15
(北京)シアヌーク殿下,グエン・バン・クァン南ベトナム臨時革命政府大使と会見,9月1日の革命政府声明を支持。
9
16
フェルナンデス少将参謀総長就任式。
9
17
上院選挙。
9
17
フェルナンデス参謀総長は最高司令部の第1号特別命令を出し,上官の命令に服従すべきことを強調した。
9
17
国道5号線Kbal Damrei,Trapeang Chan,Cheang Luong,O Russei Sach,Phdiek,Baribaurで作戦中の政府軍(Um Savuth准将指揮)は8月18日以来解放勢力側に占領されていたPonleyまでの同国道を開通させた。 8月18日以来の政府軍側の損害は死者180人,負傷者230人,行方不明125人。
9
18
(プノムペン:AP)政府軍司令部によれば,プノムペン南東60キロ,メコン東岸における24時間の戦闘で政府軍は死者65人,負傷者266人の損害を出した。 メコン東岸での敗北はメコン河を使った政府軍の補給に支障をきたすものと見られる。
9
19
国道5号線,コンポンチュナン州Pong Ro南および北で政府軍パトロール隊襲撃さる。政府軍死者15人,負傷者7人。
9
20
タン首相と杉浦日本大使,日本からの米(2.46億円,80万ドル相当)贈与に関する公文交換。
9
20
Pok Sam An准将,駐南ベトナム大使に任命さる。
9
24
Thappana Nginn代表団,バンコック訪問,国境治安,流通問題について協議。
9
24
(北京)シアヌーク殿下,第37号アピールで,ロンノル軍将兵に反米闘争呼びかけ。
9
26
(サイゴン:UPI)米軍はB52による爆撃の3分の1をカンボジア南東部のコンポンチャム,プレイベン,スベイリエンに向けている。米機30機が昨夜から今日にかけ南ベトナム国境沿いを爆撃,ねらいは解放勢力が米大統領選を目ざした攻勢をかけるのを阻止することにある。
9
27
米大使乗用車がプラスチック爆弾に触れ,エンダース代理大使の護衛官ら2人が死亡。大使は休暇で帰国中。
9
28
フェルナンデス参謀総長第2号特別命令,「プノムペンに駐留する部隊はすべて同市の外に撤退せよ。同市の徴兵支部は廃止され,徴兵センターだけが機能する」。
9
29
9月22日以来国道2号Samrong Yonで政府軍と解放勢力が戦闘,政府軍死者44人,負傷者126人。
10
2
タン首相とEnders米代理公使,米3万トン(555万8000ドル)援助公文交換。
10
2
政府軍司令部は,解放勢力がネアクルン基地周辺の政府軍陣地に全面的な攻撃を開始したと発表。同地区一帯に数百発の砲弾が撃ち込まれた。ネアクルンから7キロ離れたロンチェク陣地は解放勢力の戦車隊の攻撃を受け,近くの前しょう地点が数時間の激戦の後2日午後陥落,解放勢力死者82人,政府軍死者4人,負傷者30人。 政府軍3日発表によればChhoeu Kach,Kg.Soeung,Rumchekでの戦闘で9月30日から10月2日までに政府軍死者13人,負傷者38人,解放勢力死者111人。
10
2
解放勢力,カンポット空港に着陸した旅客機に迫撃砲2発を撃ち込む。
10
3
(ニューヨーク)国連総会一般討論での演説の中で,喬冠華中国外務次官は次のように述べた「シアヌーク殿下のカンボジア王国民族団結政府はクメール人民の唯一の合法代表であり,ロンノル政権は外部勢力の押しつけたものである。国連はこの違法状態をただし,民族団結政府の合法的権利を回復させるべきだ」。
10
4
(朝日)首相側近筋によると,タン首相は大統領に辞表を提出した。大統領は9日に回答する。
10
4
上院開会。議長にSaukham Khoy中将,第1副議長にTep Hun,第2副議長にHem Chiamroeun選出。
10
4
Journal du Parti Republicain発行停止に。
10
5
シアヌーク殿下とペンヌート首相は,カンボジア国民に対してロンノル政権打倒の闘争に立ち上がるよう呼びかけた。
10
6
(AFP)プノムペンの南および南西方地域で軍事行動が急激に活発化。またプノムペン北方50キロでは解放勢力が国道5号線を10キロにわたり引続き制圧。
10
7
解放勢力,プノムペン市内に突入攻撃─政府軍発表によれば侵入したのは2個中隊(1個中隊45人)。戦車10台破壊,6人のベトナム人容疑者逮捕,政府側死者23人,負傷者41人,解放勢力死者81人。
10
7
解放勢力,タケオ南国道2号Ton Loapの政府軍陣地を砲撃,政府軍死者3人,負傷者34人。
10
8
国道5号Sala Lek Pramで戦闘,政府軍死者9人,負傷者19人。
10
9
国道1号切断さる。
10
9
政府軍,タケオ南Kg.Chreyなど3カ所の陣地,トンレアプなど2カ所から撤退。
10
13
カメルーン政府とシナヌーク政権,大使級外交関係樹立で合意。
10
14
国営放送発表:ソン・ゴク・タン首相辞任,ロンノル大統領はハン・ツン・ハク社会共和党書記長に組閣要請。
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14
タン首相・Enders代理公使,2000万ドル援助に関する公文交換。
10
15
ハン・ツン・ハク内閣成立─ロンノル大統領はタン前首相の辞表を受理し,ハン・ツン・ハク新首相を任命。 新内閣陣容は次の通り。 Hang Thun Hak:首相 Mau Say:大統領府付国務相 Chhann Sokhum:法務担当国務相 Thappana Nginn:国防担当国務相 Sar Hor:内務担当国務相 Hem Keth Sana:首相府担当相 Long Boret:外務相 Khy Taing Lim:公共事業通信相 Sor Song:農業相 Ith Thuy:経済・財政問題相 Ung Su Hai Kim Teng:保健相 Thach Chia:労働・社会活動相 Lon Non:解放・建設(農村開発)・総動員・帰順担当内務省付相 Keam Reth:情報相 Sum Chhum:計画・国家開発相 Keo Mong Kry:教育・文化・青年・スポーツ相 Long Botta:青年・スポーツ長官 Khuon Chhiek:工業長官 Um Samuth:文化長官 Saphon Sarasi:商業長官 Kong Orn:解放・建設(農村開発)長官
10
15
(北京)シアヌーク殿下とペン・ヌート殿下,レ・ドク・ト顧問と会見。
10
17
ハク首相施政方針演説「各省を4つのグループに分ける。①国防・外務:戦争勝利,外交手段による領土回復,②内務・国家建設・農村開発:全市民参加による平定,③文部・文化・法務・保健・社会活動・労働:生活改善,④大蔵・情報・心理作戦・農業・公共事業:補佐」。
10
17
ソン・ゴク・タン,大統領特別顧問に任命さる。
10
19
政府は声明を発表し,北ベトナム軍とベトコンが国際監視下で同国領土から撤退することを義務づけなければ,インドシナ問題の解決を最終的なものとは認めないと述べた。
10
20
ハン・ツン・ハク首相は上院議長邸でのパーティーに向かう途中ピストルで撃たれたが難を免れた。
10
21
シアヌーク殿下は北京で声明を発表し,ベトナムあるいはラオスで停戦が実現しても,シアヌーク派の軍隊は「最後の勝利」まで戦い続けるであろう,と述べた。同殿下はその中で,中国と北ベトナムはたとえベトナム停戦後であっても,自分の軍隊に武器弾薬その他軍需物資の供給を続けるだろうと強調,プノムペンのロンノル政権を打倒して自分の政権を回復することが,カンボジアにおける停戦の前提条件であると述べている。
10
22
ハク首相は,キッシンジャー補佐官来訪直前に「政府はクメール・ルージュとの和平会談に原則的に合意に達した」と発表。
10
22
キッシンジャー補佐官プノムペン訪問。
10
22
バタンバンから2,000袋の米を積んだ船がプノムペン到着。
10
23
プノムペンの陸軍参謀本部近くに107ミリロケット弾が撃ち込まれる。夜,タケオ市砲撃さる。
10
24
(北京)民族団結政府スポークスマンは声明を発表し,カンボジアの現状停戦論を米帝国主義の陰謀として非難し,プノムペン売国奴を掃滅する,と述べた。
10
26
シアヌーク議長ハノイ訪問─28日共同声明発表,声明は「ロンノル・シリクマタク・ソンゴクタンを打倒するため,いささかも妥協せず,一歩も後退することなく戦う決意である」と述べている。
10
29
(共同)信頼筋によると,ロンノル平定相は29日,赤色クメールと接触するための評議会を設置,更にキュー・サムファン団結政府副首相の弟を赤色クメール側に派遣した。
10
31
政府軍司令部は,停戦協定調印前に解放勢力が大攻勢をかけることを予測して全土で厳戒体制に入ったと発表。
11
2
民族団結政府国内指導者ならびに武装勢力指導者は解放区で会議を開き,2日声明を発表して次のように述べた。 「交渉,妥協,停戦を受けつけず,完全な勝利をかちとるまで,米帝とその外国の手先およびロンノル,シリク・マタク,ソン・ゴク・タンらを頭とする売国奴との闘争を最後まで進め抜く。」
11
2
シアヌーク殿下,平壌訪問。
11
7
民族統一戦線・民族団結政府友好代表団(団長ペン・ヌート,副団長イエン・サリ)は,朝鮮非公式訪問を終え,平壌を出発。
11
9
(北京)民族団結政府は独立19周年を祝う声明を発表し,「ベトナム和平協定はカンボジアには適用されない。同協定による国際監視委員会はカンボジアで活動する権利がない」と述べた。
11
11
カンボジアに対する米軍需物資の供与,強化さる。
11
11
夜,解放勢力,ウドンに10発の122ミリ砲撃を加える。ウドン市の政府軍は依然包囲されている。夜,プノンペン港へセメントを運ぶ途中の韓国船がトンレサプ川で爆破さる。
11
12
ヘイグ特使プノンペン来訪,ロンノル大統領と会談。
11
16
政府軍,国道4号のTrapeang Kraloeungを奪回。国道5号も開通。
11
19
解放勢力,プノンペン北西56キロ,国道5号線上でトラック50両(うち,30台が米)からなる政府軍輸送部隊を壊滅さす。
11
27
タパナギン国防相,ウエイアンド米援助軍司令官と会見。
11
29
クメール軍事銀行設置。
12
1
プノンペンの首相府庁舎に107ミリロケット砲2発撃ち込まれる。
12
2
政府軍司令部,第44歩兵旅団を員数不正申告で解散。
12
4
シアヌーク殿下は1カ月にわたる平壌訪問を終え,同市を出発。
12
6
プルンジ共和国,民族団結政府承認決定を発表。
12
7
プノンペン港に停泊中のパナマ貨物船,機雷で爆破さる。同船は米国援助物資を積んで6日夜入港。
12
12
サリン・チャク団結政府外相,パキスタン訪問。
12
15
プノンペン港で石油輸送船が爆発で沈没。
12
16
ペン・ヌート団結政府首相,ヌハク・プームサワン・ラオス愛国戦線中央常任委員と会見。
12
21
解放勢力,コンポントム市攻撃,24日も同市から4キロの地点で激戦。
-
-
ラオス
1
2
国民議会選挙。
1
3
バンパオ将軍はロンチェンから司令部をロンチェン南西の飛行場に移した。ホールート爆撃の米機を誘導する米軍の電子機器も同基地から南160キロまで撤収。
1
6
スファヌボン議長,愛国戦線成立16周年にあたりアピール発表。
1
7
日本政府からラオス政府に100万ドルの援助を与える文書を交換。援助は米,ワッタイ空港,タゴン農業開発に使われる。
1
8
パテトラオはロンチェン基地に突入攻撃をかけた。9日も同基地の外郭陣地に攻撃を加え,7,000人の政府軍と近接戦を展開。
1
10
南部ラオスを爆撃していた米機は,チェポン付近で地対空ミサイルの攻撃を受けた。米軍機が南部ラオスに持込まれたSAMミサイルで攻撃されたのは初めて。
1
10
パテトラオ,ロンチェン基地東北12キロにあるサムトン飛行場を攻略,更に,ロンチェンに130ミリ砲70発以上を撃ち込み,同基地北東2キロの政府軍陣地を陥落させた。
1
10
パテトラオ,ビエンチャン北方170キロのサラプクンを砲撃,地上攻撃,政府軍死者9人,負傷者20人。同拠点の北と南で13号線は切断された。
1
10
政府軍,パクセ東方29キロ国道23号上のバンニクを8日からのパテトラオの攻撃のため放棄,政府軍特殊部隊3個大隊はパクセに撤退,政府軍死傷者130人。
1
11
パテトラオ,ロンチェン北東2キロの政府軍陣地を奪取,政府軍死者4人,負傷者30人。バンパオ将軍はロンチェン基地に復帰。
1
12
パテトラオ,ロンチェン基地に侵入。
1
14
ロンチェン基地防衛強化のため,3,000人のタイ政府軍部隊がこの1週間,同地区に空輸された。この増援はさる7日のエーブラムズ司令官とタノム首相との話合いによるもの。
1
18
政府軍は米機の支援爆撃のもとに,ロンチェン北西の尾根スカイラインを再占拠し,同基地一帯を奪回した。
1
20
パテトラオ,ルアンプラバン南東60キロにあるサラプクンの政府軍司令部を占拠。
1
20
人民解放軍最高司令官,建軍23周年にあたり一層大きな勝利をかちとるよう命令。 19日建軍23周年祝賀集会,スファヌボン議長,シトン・コマダム副議長,シパスート軍最高指揮部代表らが出席。
1
23
北ベトナム外務省スポークスマンは声明を発表し,23日,ビエンチャン駐在北ベトナム大使館に手投げ弾が投げこまれたことに抗議。
1
26
パテトラオ,パクセ北東30キロのケンハオを制圧,同地は政府軍2個中隊が守っていた。
1
29
ビエンチャン市で0時から6時まで外出禁止令。
1
29
ルアンプラバン飛行場,砲撃さる。
1
31
米軍機は北ベトナム,ラオス上空で北ベトナムの対空陣地から6回にわたる敵対行動を受け,米軍機はこれに対して5回にわたる北爆で報復した。
2
4
政府軍,ビエンチャン─ルアンプラバン間の拠点ムオンカシを放棄。
2
6
愛国戦線中央委声明,ニクソン大統領の8項目提案を糾弾し,臨時革命政府と北ベトナムの声明を支持。
2
11
政府軍12個大隊3,000人,ロンチェン基地周辺で反撃作戦開始。
2
13
政府軍,ビエンチャン北方40キロのムオンカシを奪回。ムオンカシはビエンチャンとルアンプラバンを結ぶ国道13号線上の要衝,2月3日パテトラオの手におちた。
2
15
ソット・ペトラシ愛国戦線代表によれば,プーマ首相はこのほどスファヌボン議長に書簡を送り,ボンサク特使のビエンチャン派遣を要請した。同書簡は諸大国が頭越しに紛争を解決する恐れがあると述べ建設的話合いを呼びかけている。北ベトナム軍事介入への非難に触れていない。
2
18
(サイゴンUPI)パテトラオ放送言明「今や米国の侵略者およびがん迷な手先をねらう銃火はいたる所に火をふいている。銃火はムオンカシばかりでなく,ビエンチャン,ルアンプラバン,サバナケット,パクセ郊外やその他の地域でも火を吹くことは確実である」。
3
1
医療援助調査のため海外技術協力事業団派遣の調査団がビエンチャンに到着。
3
7
マーシャル・グリーン米国務次官補,プーマ首相と会見。
3
8
政府軍2個大隊は空からの大がかりな支援にも拘らず,4日間の戦闘でパクセとパクソンの間にある拠点ラオンガムを失った。シスク・ナ・チャンパサク国防相代理,マクテパラク陸軍司令官らは8日パタセに急行。
3
11
6日からバンコックで開かれていた第4回ラオス・タイ経済技術協力委終了。ラオス代表団長はPane Rassavong国家開発計画局長。両国の通商拡大について協議,また先にアジア開銀が反対したメコン架橋プランについて修正プランを出すことで合意。
3
12
パテトラオ,ロンチェン飛行場を激しく砲撃。またロンチェン基地を望む尾根にも砲弾を降らす。
3
13
パテトラオ,ジャール平原南部にある政府軍サムトン基地を36時間の激戦の後奪取。サムトン基地はタイ人部隊4,000人が主力となって守っていたが,10日夜からパテトラオの攻撃を受けた。
3
14
パテトラオ,ロンチェン基地周辺の3基地を攻撃,15日,同基地を見おろすスカイライン・リッジを制圧。
3
18
パテトラオ,ロンチェン攻撃を開始,同基地北方の尾根上の政府軍ヘリ発着場2カ所を奪取。同地域の攻撃には解放勢力20個大隊が参加しているといわれる。
3
23
政府,バングラデシュを承認。
3
28
ソット・ペトラシ愛国戦線代表は,ボンサク特使が近くピエンチャンを訪れ,プーマ首相との和平予備交渉を再開すると言明。
3
29
南部ラオスで米空軍AC130攻撃機が3発の地対空ミサイルの攻撃を受けて撃墜さる。
4
1
パテトラオ,ビエンチャン北方160キロの政府軍陣地を攻撃。
4
3
(Xat Lao)プーマ首相は数日前のNew York Times記者との会見で次のように語った。「パテトラオは62年以前に中立派がもっていた地域を奪取しようとしている。敵の攻勢の目標は第2,第4軍区にある。しかし夏までには敵は補給に難をきたし,危機は去るだろう。北ベトナムが侵略活動を減らさぬ限り,爆撃停止には応じられない。これはアメリカと北ベトナムの問題だ。」
4
3
ロンチェン基地を見下ろすスカイライン・リッジの政府軍特殊部隊は,先週奪回した3陣地のうち2つを放棄。
4
4
チャンパサク蔵相は記者会見で次のように語った。「キップ安定基金出資国は昨年と同量ないしそれ以上の出資をすることに同意した。出資額は2500万ドルとなろう。従って1ドル=600キップの平価は維持される。1ドル=240キップの公式レートを廃止したのは大使館・国際機関がヤミで替えるのを防止するためである。」
4
6
ワッタイ空港拡張第2期工事完工式。
4
15
政府軍4個大隊,国道13号上のサラプクンを奪回,同地は1月以来,パテトラオに占拠されていた。
4
17
プーマ首相はビエンチャンの新年を祝う式で次のように述べた。「今年は平和の年であり,昨年までの問題は終った,我々は外国人にもうけさせぬよう全国民が一致してインフレと斗わねばならぬ。生活費の上昇にあわせ,5月1日に公務員給与を引上げる。政府は年間2700~2800万ドルの援助を受けながら,外国人にもうけさせている。」
4
18
大蔵省はインドシナ銀行の為替交換所開設を許可,18日からキップ─ドル交換を開始,レートは605キップが1ドル。
4
18
愛国戦線党中央常務委と愛国中立勢力同盟常務委は声明を発表し,4月16日の北ベトナムに対する米の戦争拡大行為を非難。
4
18
パテトラオ,パクセ東方30キロ,パクセ─パクソン間の国道上のバンニク基地を奪回,同基地は4月8日以来政府軍が占領していた。
4
21
物価委(大蔵省),肉の小売価格を決定。
4
24
パテトラオ,ルアンプラバン北方18キロの政府軍陣地を占拠,同陣地を守っていた200人の政府軍兵士のうち半数が行方不明となった。
5
3
学生が政府の経済政策に抗議してデモ行進を計画しているとの噂にもとづき,治安当局は対策を協議した。
5
8
大蔵省はビエンチャン市に対し,肉の売買を8日から自由にするよう通告した。これは独占的肉屋が小売りを控えているため。
5
11
学生代表はチャンパサク蔵相と会見し,生活費上昇に対する政府の政策をただした。又プーマ首相は学生代表と会見し,三派連合政府を維持するつもりであることを明らかにした。
5
11
フランス大使館で手りゅう弾爆発。
5
12
国会開会,議長にプイ・サナニコン氏,副議長にソプ・サイサナ氏再任。
5
12
愛国戦線党中央委声明,米国の北ベトナム港湾封鎖を非難。
5
16
国会の憲法擁護グループは新内閣組閣動議を決議。
5
17
閣議は憲法擁護グループの内閣改造要求動議について検討し,プーマ首相は現在の三派連合政府形式を変える意志はなく,国会が要求せぬ限り辞任の意志もないことを明らかにした。
5
17
パテトラオ,コンセドンを砲撃の後,地上攻撃,国道13号切断,パクセからきた政府軍救援部隊と12時間戦闘の後パテトラオ撤退,コンセドンは米の豊富な所。
5
18
パテトラオ1個大隊,南部の省都コンセドンを制圧。
5
19
国会,憲法擁護グループは憲法19条に従い王に新首相任命を要請する動議を提出,カムシン・サナニコン議員は首相が十分に活動しておらず,政府の中に腐敗があると批判。
5
22
国会,憲法擁護グループの動議を審議。修正案を35対13で可決。
5
25
パテトラオ,パクセ南方48キロの郡都フィアファイを制圧。
5
26
大蔵省発表:外国旅行者のドル・レート(買い)を公定600キップに税金240キップを加えて1ドル=840キップに変更。
6
1
プーマ首相はシスク・ナ・チャンパサク蔵相に対し,第4軍区の軍事情勢を救うための全権を付与した。
6
14
キップ安定基金1972年度分の調印終了式。各国の出資額は次の通り。アメリカ1600万ドル,日本260万ドル,ラオス200万ドル,イギリス170万ドル,フランス170万ドル,オーストラリア6万5000ドル。
6
15
クープラシト・アバイ将軍指揮のもとに第4軍区の政府軍はコンセドン奪回作戦開始18日同町を奪回。
6
20
愛国戦線と愛国中立勢力同盟委との合同政治会議開会(20~24日)。
6
21
ビエンチャンの消息筋が語ったところによると,中国ラオス両政府はこのほど再び大使を交換することを決めた。両国は62年以来大使級外交関係を結んでいたが,64年ラオスが北京駐在大使を召還したのに続いて中国もビエンチャン駐在大使を召還していた。
6
27
愛国戦線代表団(団長ヌハク・プームサバン中央常務委員)北京訪問。副団長タオ・ムン中央委員,団員カムパイ・ブファ中央委員他。同代表団は7月5日北京を離れソ連に向かう。
7
1
プーマ首相,スファヌボン議長に書簡,全権代表団派遣を要請。
7
2
スファヌボン議長は,プーマ首相に返書を送り,プーマ政権とラオス和平問題について討議するためビエンチャンにボンサク特使を再派遣することに同意した(8日,パテトラオ通信発表)。
7
3
プーマ首相は1日ルアンプラバンに飛んだ。Xat Lao紙3日によれば,プーマ首相は6月末行なわれた国会,政府との話合いの結果,内閣改造を考えている。新内閣には新しい学者・政治専問家5人の入閣,2人の新人次官を大使に,3省次官の移動ないし交代が含まれる。次官が変わる省は,大蔵,経済,青年・スポーツ,公共福祉,村落改善,在郷軍人,大臣が変わるのは宗教,法務。
7
8
Xat Lao紙8日によれば,Phagna Keo Viphakone福祉次官,Phagna Lian Pavongviengkham青年・スポーツ次官がすでに辞任,Chao Boun Oum Na Champassak宗教相も辞任。
7
13
Khao Pachamvan紙13日によれば,プーマ首相は内閣改造を次のように考えている。Chao Boun Oum Na Champassakに代わりPhagna Nouphat Choulamanyが宗教相に,保健相にPhagna Khamphay Abhay,Khamking Souvannarasyが法相代理から法相に就任。その他Phagna Houmphanh Saignasithが首相府次官に,Phagna Soukan Vilaysanが内務次官に,Phan Norindreが在郷軍人次官に,Chao Sykham Sayavongが農村問題次官に,Somphou Oudomvilayが公共福祉次官に,Chao Somsavat Vongkotが首相府次官に,Khamtan Chantharaが文部次官に,Chamsamon Voravongが首相府次官に任命される。
7
14
ペトラシ代表はプーマ首相と会見した後記者会見で,ボンサク殿下がスファヌボン殿下の特使として又ビエンチャン常駐代表として明日到着すること,自分は暫定的代表であることを明らかにした。
7
15
スファヌボン議長の書簡を携行して特使ボンサク殿下がビエンチャンに到着。
7
16
Xat Lao紙19日によれば,Anourom議員は,バッタナ国王がプーマ首相が16日提出した改造内閣名簿に署名することを拒否したことを明らかにした。王は16日のプーマ首相との会見で憲法順守を強調した。
7
18
15日ビエンチャンに着いたボンサク特使は,プーマ首相と会談。
7
22
ペトラシ代表,サムヌアに帰る。
7
24
プーマ首相は特別閣議を開き,愛国戦線の5項目和平提案の討議に同意することを決定した。同閣議が決定した新提案は,①和平交渉を軍事問題と政治問題に分け,第一に軍事問題を解決すること,②軍事問題では「全外国軍隊のラオス領土からの撤退」「国際監視」の2条件のもとで爆撃停止を含むラオス全土での停戦,③停戦実現後の政治解決について話し合う,の3点を提唱している。
8
1
Xat Lao紙2日によれば,Ngone Sananikoneの率いる連合党は改造内閣を支持することを決めた。同党は4つのポジションを与えられている。
8
2
ラオス・カンボジア通信協定調印。
8
12
プーマ首相,ボンサク特使と会見,プーマ首相は全権代表にフォンサワン内相を任命。
8
16
Xat Lao紙16日によれば,8月初,サラバン・アトプ省解放区副議長Khamfeuanは政府側に帰順し,同紙にパテトラオは親北ベトナム派と北ベトナムからの独立派に分裂していると語った。
8
17
愛国戦線代表団(団長ヌハク・プームサバン中央常務委員),北ベトナム訪問,22日まで。
8
19
ラム・南ベトナム外相,ビエンチャン訪問。Ng.nghe Tai上院議員兼国防省高官が同行。
8
19
パテトラオ特使テイングサム大佐,ピエンチャン着,同氏は先月初めプーマ首相からの書簡に対するスファヌボン議長の返書を携行している。
8
22
ラム南ベトナム外相とプーマ首相の共同声明発表─声明によれば双方は,少なくとも効果的な国際監視を伴ったインドシナ全土での停戦と,公正な話合いによる解決の必要を認める点で一致した。ラム外相は空港での記者会見で「プーマ首相に対しラオス,ベトナム,カンボジアの紛争を分離して解決することは不可能であり,ICCによる効果的な国際監視の下での同時解決だけが,インドシナの恒久的な平和の道であるとの南ベトナムの立場を強調した」と語った。
8
22
プーマ首相言明「北ベトナムがベトナム,カンボジアで戦争を続ける限り,ラオスだけの和平は不可能である」「中国政府はラオス・中国間の外交関係を大使レベルに格上げすることに同意した」。
8
22
ラオス人民解放軍最高司令部は声明を発表し,最近米国とビエンチャン政権がジャール平原・シエンカン地区で大作戦を開始したことを告発した。
8
23
スファヌボン議長は,最近プーマ首相にあてた書簡の中で,米軍の爆撃停止が交渉開始の前提条件であることを改めて強調した。同議長は「軍事問題と政治問題を切離してはならぬ」と述べた。
8
25
駐米大使にPhagna Pheng Norindr任命さる。
9
5
パテトラオのボンサク特使は,ビエンチャンからサムネワへ帰る途中ハノイで記者会見を開き,「ラオス問題を解決するに当たり,軍事問題は政治問題と切離すことができない」と言明。
9
10
ソ連大使館員Sorokin氏,米大使館に亡命。
9
16
愛国戦線中央委声明,臨時革命政府声明を支持。
9
16
ペトラシ代表,ビエンチャンに帰任,スファヌボン議長の書簡携行。
9
21
駐北京大使にPhagna Lian Pavong Viengkham任命さる。中国側もすでに承認。
9
22
ペトラシ代表はスファヌボン議長から書簡を受取り,プーマ首相に手渡した。このメッセージでスファヌボン議長は次のように述べている。「①プーマ首相は7月24日の書簡で5項目を受入れながら,8月31日の書簡では考えを変え,政治問題と軍事問題を切離そうとしている。これは解決を遅らすものである。②ビエンチャン側はジャール平原を侵略している。③和平会議とラオス統一について話し合うため代表団を送る。」
9
23
Nguyen Ngap北ベトナム代理大使,ハノイへ帰る。
9
23
新任のビクトル・チャチキン・ソ連大使館1等書記官ビエンチャン到着。
9
28
国会,72/73年度予算を可決。予算総額は230億キップで,昨年度より36億キップ増,赤字は145億キップ。
10
2
プーマ首相は和平交渉政府特使にペン・フォンサバン内相を任命と発表。
10
6
プーマ首相代表フォンサバン内相とペトラシ愛国戦線代表は4日以来3回にわたり会談。愛国戦線代表団への宿舎提供,会談場所は文部省,愛国戦線代表団の安全確保,ICCの協力などについて合意。
10
10
愛国戦線と愛国中立勢力同盟が会議─ラオス問題解決について3点を強調する声明発表。
10
11
ラオス政府,『ワシントン・ポスト』紙特派員ドナルド・ロンクに国外退去令,追放の理由は,プーマ首相が国会議員買収のため金を配ったことを明らかにした記事を書いたため。
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11
青木特使,ビエンチャン到着,12日プーマ首相と会見。
10
12
愛国戦線中央委常任委員会と愛国中立勢力同盟常任委,和平交渉代表団のメンバーを発表。 首席代表general Phoun Sipraseuth,次席代表Tiao Souk Vongsak,次席代表Maha Kou Souvannamethy,次席代表Soth Phetrasy,団員colonel Pradith Thiengtham,団員Cheng Sayavong,団員Boutsabong Souvannavong,団員Phao Bounaphol,団員Khamsone Vannasongkha,団員Somsack Soukhavong。
10
12
愛国戦線側代表団,サムヌア出発,ハノイ到着,3日間ハノイに滞在し,ファン・バン・ドン首相と会見,14日ハノイ出発。
10
12
愛国戦線中央委,独立27周年を記念してアピール発表。
10
13
ソ連の駐ラオス大使にウドビン氏。
10
14
ラオス愛国戦線および愛国中立勢力代表団,ビエンチャン到着。シパスート首席代表は記者会見で,「ハノイに3日間滞在し,その間ドン首相と会見した」と言明。
10
15
人民解放軍最高指揮部は動員令を発し,戦闘を強化して敵に5項目を受け入れさせるようよびかけた。
10
17
ラオス和平会談第1回会談開催─今後毎週火曜日に開くこと,愛国戦線の5項目を基礎に話し合うことで合意,22日の新華社電によると愛国戦線側シパスート団長は5項目を繰返し,その中で政治解決について,①ラオス愛国戦線,②愛国中立勢力および平和独立,中立をとなえる個人,知識人,③ビエンチャン派からなる新臨時民族連合政府と政治諮問評議会を設置することを提案した。政府側フォンサバン団長は現政府への愛国戦線閣僚の復帰を呼びかけた。
10
19
パテトラオ通信によると,パテトラオはラオガム交叉路とサラバン,コンセドン両町のタイ兵・政府軍を攻撃,コンセドン地区を制圧した。
10
20
サリバン国務次官補代理,タイ,ラオスを訪問。
10
20
プーマ首相は訪仏,国連総会出席のため,ビエンチャン出発,バンコック到着,21日パリ到着,25日ニューヨーク到着。
10
20
政府軍非正規軍,サラバン周辺で作戦開始,22日サラバン市に入り,23日,政府軍はサラバンとラオガムを奪回。
10
20
バンパオ将軍特殊部隊,ジャール平原南部と南西部および同平原の南,西方の高地を占領。
10
21
愛国戦線の北ベトナム駐在代表団首席団長カムペン・ブパー,信任状提出。
10
22
プーマ首相は米国に向かう途中パリで「ラオスおよびインドシナ全域での和平について楽観している」と述べた。
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24
第2回ビエンチャン会談開催,愛国戦線側のシパスート団長は,①米国のラオスに対する侵略と介入の即時停止,②新臨時連合政府樹立,③政治協商会議設置を要求する声明を発表,一方政府側のフォンサバン団長は,①愛国戦線のインドシナ統一戦線からの脱退,②国際監視下の全面停戦,③全外国軍隊の撤退,④行政統合,軍隊統合,総選挙の準備などを要求する提案を行なった。
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愛国戦線中央常務委と愛国中立勢力同盟常務委はこのほど会議を開き,ボンビチット書記長をビエンチャン交渉代表団の特別顧問に任命,ボンビチット書記長は25日サムヌアを出発,ハノイ経由で28日ビエンチャン到着。
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パテトラオ通信によると,パテトラオはジャール平原中心部から南方10~15キロのバンフォン,カンセン両地区で,バンパオ特殊部隊と南ラオス特殊部隊,タイ兵の陣地を奇襲,1,200名以上をせん滅。
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愛国戦線中央委声明,北ベトナム政府声明を支持。
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(ワシントン)プーマ首相,ニクソン大統領と会談。
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第3回ビエンチャン会談,フォンサバン団長,ボンピチト顧問欠席。
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チュー大統領の特使グエン・フー・ドック,ビエンチャン到着。
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政府軍,サバナケト南東20キロのケンコクを奪回。
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2
ルアンプラバンに夜間外出禁止令,これはルアンプラバンから6キロ,メコン河沿いのバンダンチョ村で戦闘があり,更に6キロ上流のバンパクサンの政府軍陣地が攻略されたため。
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パテトラオ,4個大隊3,000人がジャール平原南の政府軍陣地を攻撃。
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プドビン・ソ連大使,信任状提出。
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(パリ)プーマ首相,ポンピドー大統領,メスメル首相らを訪問。
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第4回ビエンチャン会談,政府側は手続問題をおいて,基本的問題について討議することを主張。
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9
プーマ首相はバンコックで「インドシナに和平が実現すると,米国がラオスへの軍事援助を打ち切る可能性があるため,フランスに軍事協力を要請した」と言明。
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9
プーマ首相,訪米・訪仏から予定より早く帰国。
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プーマ首相,ボンビチト書記長と会談,スファヌボン議長とルアンプラバンで会談することを提案。
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パテトラオ,ラオガム町を制圧。
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ボンビチト書記長,ビエンチャンを出発,ハノイ経由サムヌアに。
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パテトラオ1個大隊,タケクを攻撃。
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パテトラオ,ルアンプラバン飛行場周辺に50発の122ミリ・ロケット砲を撃ち込む。
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パテトラオ,ジャール平原周辺で攻勢,同平原南方数キロの地点ではバンパオ将軍の特殊部隊を攻撃し,南に後退させた。
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愛国戦線中央委声明。
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愛国中立勢力同盟委声明。
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第5回ビエンチャン会談,政府側は5項目の提案。
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パテトラオ2個大隊,サラバンを奪回。同市は10月27日に政府軍が奪回したばかりだった。
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新任の中国駐在大使リエン・プラボンビエンカム氏,北京到着。
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ボンビット書記長はパテトラオ通信との会見で,10日のプーマ首相との会見で提案されたルアンプラバン会談をスフアヌボン殿下が拒否したことを明らかにした。
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第6回ビエンチャン会談,政府側は①討議の録音中止,②次回から国会オブザーバーを出席させない,③議長の交代制,という点について譲歩。
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(北京)リエン・プラボンビエンカム駐中国大使,朱徳全国人民代表大会常務委委員長に信任状提出。
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第7回ビエンチャン会談。
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2
シパスート団長ら,サムヌアへ。
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第8回ビエンチャン会談。
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政府軍,パクソンを1年ぶりで奪回。5日米軍発表によれば,政府軍はパクソンとサラバンの一部分を奪回。
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シパスート団長ら,ビエンチャン着。
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第9回ビエンチャン会談,シパスート代表は,「愛国勢力代表団とビエンチャン政権代表団との協定草案」を提出,内容は,①米の軍事活動停止と停戦②90日以内に外国軍撤退③30日以内に政治協商議会と新しい臨時民族連合政府樹立,政治協商議会は双方の代表および愛国中立勢力代表,王室代表,ならびに平和,独立,中立,民主に賛成する著名人士から構成。新臨時民族連合政府は愛国戦線,各愛国中立勢力および平和,中立,独立,民主に賛成する著名人士,ビエンチャン側から成る④ビエンチャン中立化。
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愛国戦線代表団(団長ヌハク・プムサワン中央常任委員),ハノイ着,15日北京着,16日モスクワへ。ソ連邦結成50周年記念式に出席。
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解放勢力2個大隊,サラバンに1,000発の砲撃。
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解放勢力,ルアンプラバン飛行場に122ミリ・ロケット33発の砲撃。
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第10回ビエンチャン会談,フオンサワン代表は「臨時連合政府代表と愛国戦線代表との協定案」を提出。内容は①現状停戦,60日以内に62年6月の休戦ラインに復帰②90日以内に外国軍隊撤退③60日以内に臨時民族連合政府樹立,中立派,右派,愛国戦線の3派で構成④憲法第25条に従って国会を拡大⑤停戦と撤退監視のため混合委員会を設置⑥ルアンプラバン中立化。
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ヘイグ米大統領特使,ビエンチャン訪問。
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解放勢力は13日以来,タケク南40キロのセバンフアイ橋を攻撃,22日政府軍陣地を攻略,国道13号線を切断。
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第11回ビエンチャン会談。