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【世界史の遺風】(8)ダービー卿 馬で名を残した英国貴族
2012.5.24 08:12
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□元東大教授・本村凌二
しばしば初体験は思い通りにいかない。自分の愛する相手が期待に応えてくれる、というのは甘い夢。そこそこそのまま、と叫んでも、もはや耐える力はなかったのかもしれない。
昭和48年、私は東京の府中市にある東京競馬場で初めて日本ダービーを観戦した。断然の人気馬ハイセイコーが絶対負けるはずがないと誰もが思っていた。初体験者だったから、なおさらハイセイコーへの信仰心は強かった。
しかし、結果は、最後の直線で、がんばれると思ったのに、あっさりタケホープとイチフジイサミに抜かれてしまい3着だった。たかが競馬と思うだろうが、たいへんな衝撃だった。爾来(じらい)、毎年のように競馬場に足を運んで今年で40回を迎える。
1780年春、若駒(わかごま)の3歳馬のなかで最も強い馬を決めるレースが競馬好きの英国貴族の間で持ち上がっていた。この企画を推進していた2人の貴族はこのレースの名称をつけなければならなかった。永年の友人関係にあるバンベリー卿(40歳)とダービー卿(28歳)は硬貨を投げて裏表で決めることにした。勝ったのはダービー卿。彼はそのレースに自分の名前をつけることになった。
もともと若駒は古馬ほど強くないから、創設初期のダービーはそれほど重要なレースとは見なされていなかった。しかし、ダービーの重みは年々増していき、今日その名を知らぬ者がないほど名高くなった。本場の英国のみならず、ケンタッキー・ダービー(米国)、日本ダービーなど各国の3歳馬の頂点をきわめる競馬の祭典である。そればかりか総裁選ダービー、ホームラン王ダービーなどと転用されることもあり、ダービーという名称は競争の代名詞にもなっている。
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