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【話の肖像画】サラダ記念日25年(上)歌人・俵万智 石垣島で子育てと創作の日々
〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉。現代的な感性で日常をうたったベストセラー歌集「サラダ記念日」から25年。歌人の俵万智さんは、東日本大震災直後に仙台から移り住んだ沖縄県の石垣島で、小学校3年生になる一人息子の子育てと創作の日々を送っている。折々の喜びと心の揺れを宿してきた「三十一(みそひと)文字」への思いを語ってもらった。(文・海老沢類)
――〈「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり〉(「俵万智3・11短歌集 あれから」今人舎刊)は震災当時の状況を詠んでいます。どんな経緯で石垣島へ?
俵 震災当日は仕事で東京の新聞社にいました。父母と一人息子がいる仙台へ向かおうとしたけれど陸路も空路もだめ。山形空港経由で仙台に入れたのは5日後です。その翌朝には荷物をまとめ子供の手を引き、また山形空港へ向かっていた。とりあえず西へ、より遠くへ、と。空港のカウンターで聞いたら那覇便が空いていたんです。
――「西へ」という決断は、お子さんを守ろうとする一心で?
俵 そうですね。電気もガスも食べ物もない状態で、余震も頻繁にあった。原発の状況も全然わからない。那覇のホテルに2週間ほど泊まったんですが、私は毎日こわい顔してテレビ報道を見る。すると息子が自分の指をしゃぶり始めた。煮詰まってきて石垣島にいる友人のところで2、3日過ごしたら子供は劇的に元気になったんです。自然が豊かで、友人夫婦や近所の子供たちがいる温かい環境もある。息子は母子家庭の一人っ子だから、こんな環境の子育てもいいな、と。
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