横澤彪さんを悼む 山藤章二、嵐山光三郎、タモリが語った秘話

★「夜の番組しか出せないと言われていた私を、いきなり昼の真ん中に起用しました」

2011.01.11


当時は夜の芸風だったタモリ(右)を横澤さん(左)は大胆に昼の司会に据えて「いいとも!」をスタートさせた=1986年3月、東京・新宿のスタジオアルタ【拡大】

 8日に肺炎のため、73歳で死去した元フジテレビのゼネラルプロデューサー、横澤彪(よこざわ・たけし)さん。名物バラエティーを数多く手掛けた奇才を惜しみ、芸能界から追悼の声が寄せられた。

 10日夜。NHKラジオ「新・話の泉スペシャル〜早春編〜」(2月11日午後8時5分放送)の収録現場では、同世代の出演者の間で横澤さんの話で持ちきりだった。

 漫画家の山藤章二氏(73)は、「年末に一緒にフグを食べたばかり。元気にコンディションをととのえられていたのに…」と絶句。これに、落語家の立川談志(75)は、「放送のときまでに、ここにいるヤツも死んじゃったりしてるんじゃねえか」とブラックジョークを交えながら他人事ではない様子。

 “テレビ界への苦言”がテーマになると、最近の視聴率優先を批判しながら、作家の嵐山光三郎氏(69)が「横澤さんは違った。『嫌われ者を探せ』と言いながら、タモリ、(ビート)たけし、所(ジョージ)、(島田)紳助を起用してきた」と、先見性を称えた。

 そのタモリは(65)は同じ日、フジテレビ系「スーパーニュース」に追悼コメントを寄せた。1982年から司会を務める「笑っていいとも!」に触れ、「横澤さんは初代『いいとも!』のプロデューサーで、それまで夜の番組しか出せないと言われていた私を、いきなり昼の真ん中に起用しました」と“生みの親”に感謝した。

 75年にデビューしたタモリは、深夜番組で披露したイグアナの形態模写でブレーク。80年代始めに人気を博した昼の帯番組「笑ってる場合ですよ!」のプロデューサーだった横澤さんが、後番組の「いいとも!」を任された際、サングラスにもみあげのタモリを大胆に昼の顔に抜てきした。

 タモリは「私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと聞いたことがありました。その時の答えは『番組はもちろん、ライブまでリサーチした結果いけると確信しました』とのことでした。『いいとも!』は今秋30年目を迎えます。大変お世話になりました」と恩人亡き後も続く番組の継続へ、決意を新たにした。

 

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