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2010年8月14日朝日新聞夕刊紙面より
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玉音放送が録音された「玉音盤」(左下)や、昭和天皇が自身の玉音放送を聴いたラジオ(左から2番目)などの資料が展示されている=東京都港区のNHK放送博物館、平出写す

65年前の状態を保つために窒素ガスを満たし気温を4度以下にした密封ケースに「玉音盤」は収められている。さしずめ今日のCDだろうか。

そこには、「朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑(かんが)み……時局を収拾せむ……堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び……」と、1945(昭和20)年8月15日正午すぎに流れた昭和天皇の「玉音放送」が録音されている。展示する東京都港区のNHK放送博物館には、この玉音盤を目当てに訪れる人が多いという。

日本放送協会の技術職員だった玉虫一雄さんは45年8月14日、宮内省へ来るように言われ協会幹部3人と録音担当者5人で赴いた。「天皇の重大放送」と聞かされ、政務室にマイクを立て、隣の拝謁(はいえつ)の間に録音装置2組をセットして待機した。天皇の詔書の語句をめぐり閣議が紛糾し、録音開始は14日深夜になってから。玉虫さんは、ドア越しに天皇が軍装で入室するのを認め、録音を始めた。1度目の後、天皇が「声が低かった。取り直そう」と述べ、録音は2度おこなわれた。

収録後、「不穏な動きがある」と玉音盤を宮内省が一晩預かり、翌日、日本放送協会に届けることになった。帰り際、玉虫さんらは坂下門で近衛兵に呼び止められた。反乱軍が玉音放送阻止に向けて玉音盤を探していて、玉虫さんらを衛兵詰め所に翌朝まで監禁。結局、玉音盤は見つけられないまま鎮圧された。

無事に流れた玉音放送を聞き、玉虫さんは「戦争が終わった」と安堵(あんど)したという。

難解な漢語が連なり、多くの人は「内容がわからなかった」とされる。だが、「歴史に大きな影響を与えた放送」と元昭和女子大教授の竹山昭子さんは見る。天皇の声を初めて耳にする人がほとんどで、衝撃は大きかった。

あのとき

6倍の出力でラジオ放送

1945(昭和20)年8月14日の御前会議で、昭和天皇がポツダム宣言受諾と無条件降伏の断を下し、「この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。私はいつでもマイクの前に立つ」と発言したという。同日深夜、戦争終結を伝える天皇の詔書が録音され、翌15日正午、電波の出力を通常の10キロワットから60キロワットへと上げてラジオ放送された。

「玉音」とは天皇の声のこと。玉音放送は、厳密に言えば、天皇の詔書約4分半の内容をさす。録音盤の収録時間は1枚3分だったため、詔書は2枚に収められた。一方、広義の玉音放送はアナウンサーによる関連ニュースを含めた40分近い内容をいうが、ニュース部分の録音盤はない。

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