<文化環境研究所 News> 第41号
2002.5.31発行

今号の話題では、前号に引き続き
開園120周年記念催事の一環で行われた
「上野動物園の歴史ツアー」についての紹介です。

−お知らせ−

■□京都橘女子大学文化政策研究センター公開セミナー
  「関西女性アーティストファイルvol.2」

公開参加授業型で、1日だけ大学校舎内を使った現代美術展覧会。
池田朗子・古厩久子のインスタレーション作品を、
美術ライターである山下里加、
グラフィックデザイナーの納谷衣美が関わりながら、
アートコーディネーター役の中西美穂が展示を構成します。
大学内外で文化政策を学ぶ人々へ実際の「アートの現場」を提示し、
芸術文化振興の社会的意義を探ります。
また、14:00よりアーティストと
本学文化政策学部教員によるセミナーが開かれます。

◎日時:2002年6月2日(日)14:00〜16:00
◎定員:50名
◎会場:京都橘女子大学 清風館
◎講師:小暮宣雄(京都橘女子大学文化政策学部助教授)
    池田朗子(インスタレーション)
    古厩久子(インスタレーション )
    納谷衣美(グラフィックデザイナー)
    山下里加(美術ライター)
    中西美穂(アートコーディネーター)
◎料金:セミナーのみ有料(500円・税込)
◎お問い合わせと申し込み先:
 展示見学のみを希望の場合は事前申込不要です。
 展示は10:00〜17:00間、公開されています。
 セミナーへ参加される方は、電話・FAX・メールにて申込み下さい。
 TEL.075−574−4146
 Fax:075-574-4149
 E-mail:icps@tachibana-u.ac.jp

[関連サイト]:
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/icps/seminar_2.html#art2


■□科学交流記念講演会 北極圏とオーロラ(神奈川県横浜市)

日本ではなかなか目にできないオーロラ。
その原理と仕組みについて、
50年間にわたりアラスカでオーロラの研究活動をしている
赤祖父俊一先生による講演が横浜で行われます。

◎日時:平成14年6月15日(土曜日)13:30-15:30
◎会場:横浜市教育会館 4階ホール
 会場地図 → http://www.ski.or.jp/miyuki/concert/map_kyou.html
◎定員:540名
◎参加費:無料
◎申込み先:学校法人国際学園湘南事務局 担当:倉地
 0463-70-3038

[星槎国際学園] http://www.seisa.ed.jp/
[講演会に関連するサイト] http://www.seisa.ed.jp/kouenkai.htm


■□図書の紹介
  『動物園で撮った家族の写真』

昭和12年から現代まで、上野動物園で写された思い出の写真のかずかずが、
一冊の本として発行されました。

『動物園で撮った家族の写真』上野動物園120周年記念行事実行委員会 編
 平凡社発行 税別1,000円 A5変型判 64頁

[関連するサイト]
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=831011


−今号の話題−

■□動物園におけるインタープリテーション
  上野動物園の歴史ツアーと動物解説員によるガイドツアー(後編)

「動物園の歴史ガイドツアー」は、
明治15年の開園から今日までの上野動物園の歴史について、
園内に点在する史跡や動物にまつわるエピソードからたどるもので、
東園を中心に約1時間実施されるものです。
毎年3回程度実施されるこのガイドツアーは、
普段、動物たちの生態をわかりやすく来園者に解説する
「動物解説員」により進行されます。
聞くところによると、「動物園の歴史ガイドツアー」は
動物解説員のなかでも
ベテランと言われている解説員が担当するそうです。

■寛永寺五重塔とタンチョウ

ガイドツアーは集合場所に指定された寛永寺五重塔前から始まりです。
寛永8年(1631)
下総国佐倉城主、土井利勝の寄進によって建立された五重塔は、
花見客の失火により焼失してしまいます。
しかし利勝により再び造営、
戊辰戦争の戦火も免れ、今日に至っています。

平成に入ってから、この景観を活かした展示「日本の動物」が計画、
タンチョウなど日本の動物を配した整備が行われました。
桜の咲くシーズンには、
桜と五重塔をバックにタンチョウを撮影しようと
カメラを手にした多くの人々が詰め掛けています。

■ゾウに関わるエピソード

明治21年、始めてのゾウが来園して以来、
上野動物園では14頭のアジアゾウが飼育されています。
このガイドツアーで唯一、動物舎の前で実施されたゾウ舎での解説は、
(1)関東大震災後に、浅草花屋敷に下賜されたオスのインドゾウ、
(2)昭和29年、日本橋高島屋デパートの屋上で飼われていた
   ゾウ「たかこ」の上野動物園引越しの顛末、
(3)昭和42年のインディラ脱走と当時療養中だったにもかかわらず
   収容に協力し、後日死亡した飼育係
などについてのエピソードが紹介されました。

このようにゾウに関わる思い出やエピソードに事欠かないのは、
概して寿命が長いことも原因にあげられるますが、
動物園での人気の高さと、人々の思い入れの深さが
影響していると改めて感じました。

■園内の聖域 藤堂家墓地

動物慰霊碑のちょうど真後ろには、
安土桃山から江戸前期に活躍した武将、
藤堂高虎と藤堂家累代のお墓があります。
この場所はもともと高虎の下屋敷の跡に建てられた菩提寺、
寒松院があったところで、
東西約26m、南北約38.5m石塀に囲まれた敷地に、
大小17基の墓が並んでいます。
墓地西側、東に向かって累代当主の墓9基が並んでおり、
高虎はその中央に眠っています。

墓地は園内にあるものの、動物園の敷地面積からは除外され、
普段も人が入れない一種の聖域として扱われています

■動物慰霊碑と猛獣処分

動物園で死んだ動物は、解剖などで死因を調べた後、
国立科学博物館等で標本処理されるもの以外は、
全て焼却処分されます。
ですから慰霊碑付近に動物が埋葬されるわけではないそうです。

解説では慰霊碑の意匠(慰霊碑にあるリボンは平和を象徴し、
碑にとまるフクロウは思慮深い動物として
他の動物を慰める役割を持つ)や、
昭和18年、当時の東京都長官が戦時下の国威高揚を狙って
実施した猛獣処分(14種27頭が対象)など、
動物園が政治に利用された、
最も象徴的な出来事についても触れていきました。

■旧正門と明治29年当時の上野公園動物園之図

樹齢300年の大ケヤキを過ぎたあたりに、
明治40年代に建設された旧正門が今もなお保存されています。
ちなみに正門の名称は、この門だけにしか使われていないそうで、
チケットを販売している上野公園に面した門は「表門」、
不忍通りに面した門は「池之端門」と呼ばれます。

旧正門の対面には、明治29年当時の動物園の敷地を俯瞰的に描いた
『上野公園動物園之図』を複製した屋外パネルが設置されています。
明治29年は、日清戦争が終結した翌年にあたり、
絵図の中にも時代の空気が読み取れる動物「しふぞう」が
しっかり描かれています。

「尻尾はロバ、角はシカ、体はラクダ、ひずめは牛」
と言った風体の「しふぞう」は、
中国の清王朝で密かに飼われていたものが
日清戦争の戦利品として日本に持ち込まれたものです。
この「しふぞう」の影響で、
当時、年間30万人程度の来園者が50万人に膨れ上がったそうです。

■閑々亭(かんかんてい)とクロヒョウ事件

藤堂高虎の屋敷跡に建立された東照宮に将軍が参詣する際、
休憩する場所として建てられた閑々亭。
皇室のお休み所としても利用された、この由緒ある場所は、
昭和11年の三大事件のひとつ「クロヒョウ事件」の舞台として
一躍有名になりました。

「クロヒョウ事件」は、
シャム(現在のタイ)から連れてこられたメスのクロヒョウが、
人に不慣れで全く運動場に出ないため、
夜間、寝室と運動場の仕切りを開け放しにしておいたところ、
わずかな隙間から脱走してしまった事件です。
閑々亭裏の仙川(せんがわ)上水の排水溝に逃げ込んだクロヒョウを
700人もの人間が様々な方法で捕獲を試みたものの、
ことごとく失敗に終わり。
最終的には、一人の人間がところてんのように
クロヒョウを押し出す形で捕獲に成功しました。

ちなみにクロヒョウ事件以外の三大ニュースは
2.26事件と阿部定事件です。

■黒川翁記念碑と初代園長について

ガイドツアーは、
こもれびの小径の付近にある黒川翁記念碑で終了します。
黒川義太郎は昭和8年までの40年以上の間、
上野動物園の獣医を勤めた人物で、
記念碑でも動物園事業の祖として称えられています。
この周辺は開園当初の面影を色濃く残している場所で、
何気なく敷かれているレンガも120年前のままだそうです。

上野動物園の正式な職制として園長おかれたのは
クロヒョウ事件の翌年にあたる昭和12年、
古賀忠道がその任にあたったことが始まりとされていますが、
博物館の天蚕部長が動物園長を兼務していたことや
動物園監督という職が園長とも解釈できることから
初代園長が誰であったのか定義するのは難しいのだそうです。

■おわりに

最近、博物館と政治の関わりについて
歴史的なアプローチによる研究が盛んです。
上野動物園100周年を契機に編纂した『上野動物園百年史』の中でも、
動物園と政治に関連した記述を多く見ることができます。
上野動物園では、この過去を歴史研究だけにとどめるのではなく、
動物園が政治の道具として二度と使われないよう、
来園者へのメッセージとして
ガイドツアーの中で積極的に活用しています。

生きものを扱う難しさや、
一歩間違えると生命の危険と隣り合わせている状況。
120年を経過した現在においても
同じ博物館と定義されている他の施設と比べ、
あきらかに動物園はシビアな状況下で、運営されています。

上野動物園では120年の歴史があるから
エピソードがたくさんあるわけでなく、
失敗や負の遺産を含め、積極的な人の関わりがあるからこそ
人々の心をうつようなエピソードが生まれると感じました。

■参考文献

恩賜上野動物園編(1982):上野動物園百年史:第一法規出版


皆さんの「おススメ」情報がありましたらご紹介ください。
info@bunkanken.comまでお送り下さい。
ご紹介した行事等のお問い合わせは各連絡先まで、直接お願いいたします。