“映画界のドン”東映名誉会長、岡田茂氏死去 87歳肺炎で

★「仁義なき戦い」数々ヒットさせ

2011.05.09


岡田茂氏【拡大】

 「仁義なき戦い」などの任侠映画や数々の時代劇をヒットさせ、個性的なキャラクターと強烈なリーダーシップで“映画界のドン”と呼ばれた東映の名誉会長、岡田茂(おかだ・しげる)氏が9日午前5時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳。広島県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。長男は元俳優で東映社長の裕介(ゆうすけ、本名剛=つよし)氏。

 東大在学中、学徒動員のさなかに終戦を迎え、卒業後の1947年に東映の前身である東横映画に入社し、一貫して映画製作の現場を歩んだ。50年、最初の企画作品として「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を送り出し大ヒット。以後は多数のスターを起用し、“時代劇の東映”の名をほしいままにした。

 60年に京都撮影所長、次いで東京撮影所長に就任。鶴田浩二さん主演の「人生劇場・飛車角」や藤純子(現富司純子)の「緋牡丹博徒」などのシリーズもので任侠路線を確立。テレビ番組制作にも積極的に進出し、テレビ時代劇の躍進に貢献した。

 とりわけ、73年に公開された「仁義なき戦い」は、菅原文太(77)らを起用してやくざの抗争を迫力ある映像で描いて大ヒット。映画はシリーズ化され、実録路線として定着させた。

 一時はエログロ路線を打ち出して物議を醸したことも。「映画が当たるなら右も左も関係ない」と、徹底したエンターテインメント路線を追求した。

 71年から93年まで社長を務めた後、会長、相談役を経て2006年に名誉会長。日本映画製作者連盟の会長なども務め、日本映画の発展に尽力した。95年に勲二等瑞宝章を受章した。

 映画評論家、垣井道弘氏の話 「戦後に誕生した東映を躍進させた。撮影所長として辣腕をふるったので現場にも精通していた。映画のためなら右も左も巻き込んでいく絶大なカリスマ。親分肌の豪放な性格で、戦後の映画人やスターでこの人の世話にならなかった人は少ないだろう」

 

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