ナノテクノロジー研究センター センター長
理化学研究所フロンティア研究システム
時空間機能材料研究グループ
散逸階層構造研究チーム チームリーダー
下村 政嗣 氏
自己組織化によるパターン化フィルムの作製
〜自然にゆだねたボトムアップ手法を用いて〜
熱いみそ汁に浮かび上がる渦模様(ベナール対流)、ワイングラスの縁に付着するしずく(フィンガリングインスタビリティー)、放置したコーヒーカップにできた同心円状のしみ(スティックスリップモーション)、気圧配置による季節風によって生じる渦状の雲(カルマン渦)・・・これらはいずれもひとりでに出来上がり独特のパターンを示す。下村氏が着目したのは、こうしたいわゆる複雑系と呼ばれる非平衡熱力学に支配された自己組織化的な構造形成だ。「自己組織化は、液体に限らず気体でも固体でも起こります。スケールにもとらわれません。このことから一般的に物質をパターン化する方法として、この現象が使えるのではないかと考えました。リソグラフィーを使わなくても、いろいろな物質系で規則的な形ができるのではないか、ということです」。そこで下村氏は、高分子溶液を基板上で蒸発させてフィルムを作る実験を開始した。溶液が蒸発していく過程は、溶液の温度や濃度が刻々と変化していく複雑系の世界だ。溶液を蛍光顕微鏡で観察すると、すでに蒸発した部分ではスティックスリップモーション、界面付近ではワインのしずく現象、中央部ではベナール対流が起きていることが確認される。
下村氏は、溶液を蒸発させるだけで、ドット、ライン、ハニカムといった規則的な構造をもつフィルム(膜)の作製に成功した。2枚のガラス板を上下に重ね、そのすき間に常に同じ濃度の高分子溶液を供給することで、均一な模様を作り出す。「溶液を蒸発させて、規則的な構造をもつフィルムを作製するという話をすると、いろいろな会社の人からおもしろいからやりたいという話をいただきます。でも実際に実験をやってみせると原始的で驚かれるんです」。ランダムな対流の中から形成される規則的なパターンは、散逸構造とよばれる自己組織化によるパターン形成の一つである。この散逸構造形成プロセスは、分子構造に依存することが少ないため、多様な高分子材料系を利用することができる。湿度や温度などを変えることなどにより、模様の大きさも自在に調節できる。この手法の最大のメリットは、リソグラフィーによる手法に比べ、作製工程を大幅に簡略化できることだ。省エネルギーやコストダウンも期待できる。現在、こうして作り出されるフィルムのパターンは最小で200〜300nm。下村氏の目標は100nm以下のパターンの作製だ。「100nmを切ると、応用範囲が格段に広がります」。模様の完全な均一化を図ること、作製の再現性を高めることと併せ、さらなる微細化という課題に取り組んでいる。
ハニカム構造を持つフィルムには、再生医療分野での応用が期待されている。「肝移植の外科医と肝臓の細胞を培養する共同研究を行っています。同じ材質でも平坦なフィルムの上で肝臓の細胞を培養すると、細胞が平坦に吸着してしまいます。この状態だと肝臓としての機能はほとんど現れません。それに対し、自己組織化を用いて、ハニカム構造を形成したフィルム上では、何個かの肝細胞が集まって球状の形態が現れ、細胞が肝臓の機能を持つようになるのです」。同じ物質を使っても、フィルムの構造が違うと、その上で培養される細胞の形態も機能も変わるのだ。さらに、フィルムの裏側に種類の違う細胞を培養し、それぞれ異なった機能を持たせるco-cultureも可能だ。たとえば、肝細胞を培養したフィルムの裏側に、血管細胞を培養して栄養の補給をすることも考えられる。 ハニカム孔は、中空の六角形の柱が2枚のフィルムを支える構造になっている。この1枚をひきはがすことで、柱壁と六角形の細孔をもつ1枚のフィルムとなる。この形状と細孔に導入する物質の組み合わせによって、超撥水・超親水の新材質への応用も検討されている。そして下村氏の究極の目標は、自己組織化を利用した『台所でコンピュータ』。「どこでもできる実験なので、本当に、実験室のビーカーや台所の片隅でもコンピュータを作るみたいな話ができたら、革命的ですね」。
昨年度、北海道大学にナノテクノロジー研究センターが設立された。下村氏は同センターの開設に奔走し、現在センター長を務める。「ナノテクノロジーというのは、世界的な視野で、分野間の領域を越えたコラボレーションをやらないといけない。そのしくみ作りが必要です」と開設に尽力した理由を語る。センターの母体である電子科学研究所は、戦前からの超短波研究所を改組したものである。超短波研究所時代から、生物、物理、化学、電気、医学といった部門が集まり、領域を超えた共同研究を行っていたという素地がある。平成15年秋には、北海道大学北キャンパスに同センターの施設が落成する予定である。北キャンパスは、もともと産学官連携プロジェクトを進めていた地区であったが、学部横断的な先端研究を担う創成科学研究機構、次世代ポストゲノム研究実験棟、ナノテクノロジー研究センターが新設されることで、新産業創成を目指す知の拠点としての整備が進みつつある。また、ナノテクノロジー研究センターは、21世紀COE「バイオとナノを融合する新生命科学拠点形成」の主力メンバーでもあり、若い研究者を育成する環境も整いつつある。
「ナノテクは流行りじゃない」と下村氏は言う。「流行じゃない、必然だと思っています。ヨーロッパの研究者たちは、ナノテクというのはルネサンスだと表現しています」。ルネサンスとは宗教のくびきから解き放たれて、自分の目でものをみる風潮のなか、科学精神が目覚めた時代である。このナノテク・ルネサンスとでも呼ぶべき時代において、下村氏は用語の定義の厳密化も主張する。「サイエンスにはもともとディシプリンはなかったが、細分化されてきた。ナノの世界では、ディシプリンの壁を越えて話をするわけです。ところが同じ言葉を使っているのに、両者で意味合いが違うことがあります。たとえば僕が使う『自己組織化』と、物理の方が使う『自己組織化』にはニュアンスの違いがある。どこが違うのかを明らかにすることで、新しい発想や発見がでてくるはず」。下村氏は、若い力が壁を乗り越え新たな地平を切り拓くと期待している。「若い方には、柔らかい頭で各分野のインタープリターになっていただきたいですね」。