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「アホの坂田」バカ売れだったが1本の電話で…

大阪の小学生の間で大ヒットした「アホの坂田」
大阪の小学生の間で大ヒットした「アホの坂田」
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 「コメディNO.1」坂田利夫(67)の“究極のメッセージソング”といえる「アホの坂田」は1972年に発売された。当時は山本リンダの「どうにもとまらない」が大ヒットを飛ばしていた時代。なのに大阪の小学生は誰かれ構わず「♪アホ、アホ、アホの坂田、アホのさ〜か〜た〜」一色だった。

 「舞台を見に来た人に優越感を与えるため吉本はアホだらけ。そこで一番アホそうやった坂田を“アホの坂田”にしたんです」。作詞を担当した竹本浩三氏(現吉本興業文芸顧問)は、アホで売り出しかけの坂田のイメージアップ?に貢献した。

 基本的には「アホ、アホ」を連呼するだけ。そこに“浪速のモーツァルト”キダ・タローが曲をつけて誕生した。NHKの児童放送合唱団に協力してもらって録音した。簡単なフレーズなのに終了するまで8時間もかかったという。

 「メーンの歌詞の裏側でも、みんなが声を揃え、別のパートでアホ、アホと歌っている。それがだんだんとアホらしくなって録音にならん。休憩を入れないと仕方がなかった」(竹本氏)

 マイクが良すぎてありとあらゆる「アホ」という声を拾った。指揮している合唱団の偉いさんも「今のアホの歌い方はアカン、やり直し」とダメ出し。3分間で52回の「アホ」を繰り返す名曲は笑いと涙の結晶だった。

 ミリオンセラーにならんばかりの勢いで売れに売れたが、6万枚のヒットで止まってしまったのは1本の電話からだった。大阪の教育委員会から「小学校で坂田という名前の子どもがアホ呼ばわりされて、いじめられるので廃盤にしてください」と抗議が来たのだった。一時はテレビでの放送も禁止となった。

 「歌はボクは歌ってない。セリフだけですわ。ボクが音痴やったから相方の前田五郎が歌ってますねん。甲子園のセンバツ行進曲に選ばれかけたと聞きましたわ」。レコード会社からヒット賞のトロフィーをもらったという坂田はそう振り返る。吉本の元祖アホ・アホPR作戦は偉大だった。

[ 2009年04月01日 18:53]

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