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カルマパ17世 チベットから逃走
- チベット人の忠誠心分断への中国の試みは精神的指導者の
逃亡で挫かれる -

 
「チベタン・ブルタン」
2000年1月〜4月号

まさに1959年のダライ・ラマの劇的な脱出を思い起こさせる事件である。まだ10代のチベット仏教カルマ・カギュー派の長が、中国に占拠されたチベットからヒマラヤ山脈を横断する逃避行を経て今年1月初めにダラムサラにたどり着いたのである。

カルマパ17世(14歳)は、今、凄惨な体験から回復しつつある。カルマパのダラムサラ到着を確認したところ、チベット亡命政権のスポークスマンは、少年ラマの逃亡を1月5日の朝まで何も知らなかったと断言。

「私でさえ非常に驚いた」 チベット亡命政権宗教・文化相のタシ・ワンディはこう述べた。
「我々が現在もっとも考慮しているのは、カルマパの健康状態だ。長くて困難な旅をしてきた。今は、十分に静養してもらいたい」と大臣は説明。

1月17日付のタイム誌によると、カルマパは、中国により自由を拘束されていたことに苛立っていたようだ。また、ダライ・ラマを非難するよう強く圧力をかけられていたことも明らかだ。さらに中国政府は、「信教の自由がある中国」とカルマパに公言して欲しかったらしい。ところが実情は、カルマパの仏教教育は完全に止まったままであった。中国がカルマパのチベット仏教黒帽派またはカルマ・カギュー派3人の摂政(全員インド在住)の訪問を許さなかったからである。そしてついに、昨年12月末、カルマパは首都ラサの北西50kmほどにあるツルプ寺での公の地位から逃げ出すことに決めたのである。

逃亡を準備するため、カルマパは中国側の番人に瞑想修行に入り寝室から出ない旨を伝えた。こうした修行の間、専属の料理人と教師のみ面会が許され、番人たちは外でテレビを見ているのが普通である。こうして番人たちの注意がそれるとすぐ、カルマパは寝室の窓から脱出。12月28日の夜10時30分のことだ。車1台、運転手2人、侍従の僧2人、お付きの召使1人、そしてカルマパの姉で24歳になる尼僧が共にカルマパを待っていた。

1959年にダライ・ラマが馬で脱出したのとほぼ同じルートで、カルマパ一行はネパール国境に向け車を走らせた。そのころ寺院では、カルマパの料理人と教師が誰もいないカルマパの部屋に日課の訪問をし、カルマパが中にいるように見せかけていた。

カルマパは僧衣を捨て一般人の格好をし、一行は昼夜を問わず車を走らせチベットを渡っていった。検問所などに車が近づくと、カルマパは車を降り、警察の詰め所を迂回、反対側で合流した。カルマパ一行は、ネパール国境を徒歩で越え、それから馬と公共の交通機関でカトマンズに到着した。そこで一行は、計画に加わった前述の料理人と教師に無事に国境を越えた旨を伝えるため、カルマパの寝室にある個人回線に電話をした。しかし、電話に出たのは聞き覚えのない声であった。教師と料理人がどうなったかはわかっていない。

一行はカトマンズからインドに渡り、ラクナウとニューデリーを辿る。電車とタクシーを乗り継ぎ、ついに1月5日、情熱的な歓迎のもと、ダラムサラに辿り着くのである。

「さぞ疲れたことだろう」とダライ・ラマが出迎えて声をかけると、「はい、疲れました」とカルマパは答えた。

若いカルマパの脱走は、数百万人のチベット人とその他仏教徒の喜びの元となったわけだが、一方、チベット人の忠誠心を分断しようとする中国政府の試みが失敗したことが明らかとなった。

ロンドンに拠点を置くチベット・インフォメーション・ネットワーク(TIN)のリチャード・オッペンハイマーの次の言葉が、イギリスの日刊紙「ガーディアン」に引用されている。

「中国政府は常に、カルマパ17世を中国寄りの愛国的な存在として奨励していたし、彼とダライ・ラマを分裂させようとしていた」

カルマパ17世は、92年に厳格な宗教伝統に基づいてカルマ・カギュー派の傑出した僧たちによって見つけ出され、ダライ・ラマ法王によっても真正であることが認められた。転生捜索の一行は、カルマパ16世が81年の死の前に転生の場所を予言し手渡した手紙を使った。無神論を公然と放つ中国政府も真正なカルマパ17世であると認めた。

カギュー派の長であるカルマパ17世は、1985年、東チベットのカム地方で誕生した。両親は放牧民であった。彼の姉は、「アポガガ(幸福な弟)」と言うニックネームを付けた。幼少期は家族と寺院と2つに分けて育てられ、寺院では高僧の転生者として特別な教育が与えられた。

カギュー派の系譜はマルパから仏陀まで遡る。マルパとは、本物の教えをチベットに導入するためインドまで遊学し仏教の翻訳に携った偉大な人物である。チベット仏教最古の転生の宗派として、カギュー系譜はギャルワ・カルマパの転生者によって継承され率いられている。
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