国立大学法人 一橋大学
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学長メッセージ

平成20年度学部入学式における式辞

春爛漫の今日、平成20年度の入学式の日を迎えました。本学卒業生の組織である如水会の方々をはじめとするご来賓各位のご列席、また、会場が別になってはおりますが新入生のご両親などご家族の方々にもご参集をいただいて、このように盛大な式典を催すことができ、まことに喜びにたえません。今日から一橋大学の伝統を受け継いで未来へとつなげていただくこととなる新入生の皆さんを、本学の諸先輩とともに、教職員一同、心から歓迎いたします。
新入生の皆さんは、厳しい受験生活を終えて一橋大学に入学されました。たいへんおめでとうございます。また、その努力を支えて来られたご両親をはじめとするご家族の方々にも、今日の日をお慶び申し上げます。

すべての新入生と向き合うこの機会に、私は、皆さんの母校となるこの一橋大学がこれまでいかなる道を歩んで発展してきたかをまずお話しし、それを踏まえて、皆さんにこれからどのような学生生活を送っていただくことを期待しているのか、ということを申し上げたいと思います。

一橋大学の起源は、いまから133年を遡る明治8年の商法講習所の設立であります。この商法講習所は、近代日本の黎明期において、経済社会を担う実業人を養成することを目的として、民間人によって設立された商業教育の塾でありました。
その設立には、次に挙げるような人物が深く関わっておりました。まず幕末に欧米に留学し後に文部大臣となる森有礼。その森有礼が講習所の設立に伴う財政上の支援と協力を求めた明治の大実業家である渋沢栄一。また森有礼に頼まれて商法講習所設立趣意書を起草した福沢諭吉。いうまでもなく、これらの立役者はいずれも、日本の歴史に名の残る著名な人物です。この3人のほかに、森有礼とともに設立の計画を立てた、後に日銀総裁ともなる富田鉄之助と、その富田鉄之助の提案によって招かれた米国ニュージャージー州ニューアークのビジネス・カレッジの校長であったウィリアム・ホイットニー、そしてホイットニーの日本における生活に便宜を供与することによって側面から講習所設立を支援した幕末・明治の政治家である勝海舟、これら3人の人物を加えると、設立時の主要な関係人物の名前がほぼ勢揃いすることとなります。初年度の生徒数わずか26名の小さな一私塾から、私たち一橋大学の歴史が始まったのであります。
商法講習所はその後の変遷の中で、東京商業学校、ついで高等商業学校、さらに東京高等商業学校と名称の変更を重ねました。この間、明治18年に、発祥の地である東京銀座尾張町から神田区一ツ橋通りに移転し、その後の約40年間の歴史をその神田一ツ橋の地に刻みます。今日の一橋大学の名称は、いうまでもなくこれに由来しております。

大正12年の関東大震災によって校舎が焼けて失われたことを機に本学はここ国立へ移転をするのですが、それに先立って、学内に高等商業学校から大学への昇格運動が起こりました。それには、むろん背景があります。明治末期から大正初期にかけての本学には多数の卓越した研究者が育ち、実務的知識の教育をはるかに超えて、商業、経済、法律、哲学、歴史、文学などの研究が広く進められていました。ほどなく本学は我が国におけるこれらの分野の学問研究の一大拠点を形成するに至り、その結果として、大正9年、東京商科大学への昇格が実現したのでした。

このように述べてしまいますと、大学への昇格がごく簡単に実現したように聞こえますが、事実はまったく逆であります。詳細には触れませんが、その過程においては幾多の試練のみならず、存亡の危機さえありました。本学は、今日に至るまで語り伝えられていることですが、そのいずれの場合においても教員と学生が強く結束し、場合によっては敢然と国や文部省の意向に抗いながら数々の苦難を乗り越え、社会科学の総合大学としての今日の姿の基を築いたのでありました。一橋大学は、国立大学でありながらも、時の権力に屈することのない自由と自治の伝統を尊ぶリベラルな校風を強くいまに保っています。それも、こうした過去の歩みにその源を見出すことができるように思われます。

本学の歴史に絡めて皆さんに紹介しておきたいのが、キャプテンズ・オブ・インダストリーという言葉であります。この言葉は、高等商業学校の時代から現在に至るまで、本学の拠って立つ基本精神を表すものとして、私たちの間で広く用いられています。皆さんもこれからいろいろな機会にこのキャプテンズ・オブ・インダストリーという言葉に接することになるかと思います。これは、19世紀にイギリスの歴史家また思想家であるトマス・カーライルという人がその著書の中で用いた言葉であり、いわば騎士道精神を胸の裡に持つ産業界の清廉なリーダーを表現するものでありました。

本学の先人たちは、明治維新以来の日本の国民的課題である産業の発展と国力の向上にとって、外国貿易の知識と外国語を修得し、加えて近代的な商業道徳と私利私欲にとらわれない高い志を持つ産業界の誇り高い指導者の存在が不可欠と考え、そのような人間像の表現にこの英語を当て、かつそのような人材の輩出を本学の社会的な使命と考えたのでした。現在の本学の卒業者には、狭い意味でのインダストリーを超えて、社会のより多様な領域に進出して活躍することが求められるようになっていますが、いずれにせよ、高い志を持って世界に雄飛する人材すなわちキャプテンズ・オブ・インダストリーを育成しようとする思いは、時代を超えて今日まで引き継がれ、一橋大学の精神の基本をかたちづくってまいりました。

実際、本学はこの精神の下に、多くの人材を世の中に送り出しました。すでに明治の末期から大正にかけて、貿易や海運や海上保険など世界を舞台に活動する企業に多数の卒業者が進出し、海外に雄飛して日本の経済の発展の原動力となりました。その後も、産業界だけでなく、活動の対象とする領域を着実に広げながら、皆さんの先輩たちは、内外に活躍し続けています。ちなみに、いま一橋大学は学部教育の目標として「グローバル・リーダーの育成」という表現を掲げて、世界に通用するリーダーシップを身に着けた人材の育成に一層の力を注いでおります。

一つここで付け加えてお話ししておきたいのは、本学出身者の組織する同窓会である如水会についてであります。他に類を見ないこの強固な結束を誇る同窓会から、本学は物心両面にわたる絶大な支援を得ており、このことについて、他大学において大学運営に当たっている人々からは、つねに羨望の眼差しが向けられています。本学のカリキュラムの中には、「社会実践論」という講義科目と「如水ゼミ」という如水会からの寄附講座があり、そこでは、企業において主要な意思決定を担う管理職の方々を講師として、いわば理論と実務の間に橋を架ける授業が展開されています。主要な産業を広くカバーする百名にも及ぶトップ経営陣の講師のほとんどが卒業者によって組織されていますが、これは他大学には容易にできることではありません。
これらの寄附講座を含め、如水会は学生に対してキャリア形成のための強力な支援をも提供し、本学の学生と経済社会とをつなぐ太いパイプともいうべき機能を担っています。皆さんには、如水会という組織の存在を知っていただき、今後大いに頼り大いに活用することをお奨めしておきたいと思います。

話を本学の現在に至る歩みに戻しますと、優れた人材が産業界へ送り出される傍ら、卒業生の中からは研究者となって母校一橋の教壇に立つ人材も数多く誕生しました。先ほども申し上げましたように、本学の研究者は、たんなる実学の領域を越え、さらには経済学、商学、法学などの社会科学の枠をも越え、歴史、哲学、文学、なども包含した学問研究を深め、その活動を通じて一橋大学を社会科学の総合大学たらしめてきたのであります。
大正から昭和の初めにわたって一橋アカデミズムの黄金時代を築いた教授陣、そして、そのあとを継いで再び戦後の黄金時代を築いた教授陣の残した伝統の下に、これまで一橋大学の学問はつねに社会科学の研究教育の世界における先端的な、また指導的な地位を占めてまいりました。現在本学で教鞭をとり研究をしておられる多くの先生方も、この戦後の黄金期を築かれた諸先生の教えを直接あるいは間接に受け、その学問上の伝統を引き継いでおります。
その一方で、現在の本学には、異なる学風や流れを引き継ぐ優れた研究者もまた数多く存在します。伝統を受け継ぐ重厚な研究と異質で清新な研究の両サイドがともに切磋琢磨し、交流しながら、社会科学の総合と創造を進めつつあると私たちは自負をいたしております。

以上に、一橋大学がどのような歴史を持つどのような大学であるかということについて申し上げました。次に、皆さんに対して、大学はどのようなことを望んでいるのかについて、いくつかの要望をお話したいと思います。

近年の大学改革の中で私たちの間に広く行き渡った認識は、大学は社会の知的活動の中心として機能し、その活動の成果を広く社会に還元する存在でなければならないということです。とりわけ一橋大学は、たんに現在の社会に適合した能力を持つ人材を育成するということを超えて、今後の社会のあり方そのものを考え、より良い社会の実現に挑む、質の高いチャレンジ精神を持つ人材を社会へ送り出す高い使命を帯びた大学であると私たちは考えています。この一橋大学の役割について、皆さんも認識を深めて欲しいと思います。
本学には、本学の研究教育の理念を示した「一橋大学研究教育憲章」というものがあり、そこには「構想力ある専門人、理性ある革新者、指導力ある政治経済人の育成」ということが謳われています。新入生の皆さんもまた、今日から、学生として本学の理念の実現の努力を分担する責務を帯びていることを意識していただきたい。新入生の皆さんには、私たち教職員と、そしてまた在学生とともに、一橋大学の目標や理念を共有しその実現に向かって努力する仲間になるのだ、ということを肝に銘じて欲しいのです。

さて、高校と大学の大きな違いは、大学には、とりわけ一橋大学には、皆さんが自分を鍛え、自分の持つ可能性を大きく膨らませるための、段違いの環境が整っているということです。
本学には、社会科学の分野における先端の研究が存在します。また、広く内外に誇ることのできる最高水準の図書館が存在します。伝統のゼミナール制度による全人的な教育があります。著名な社会人を学外から招いての講義や講演も定期的にあるいは反復的に行われます。
一方、四大学連合と称して、理工系の大学をも含む他大学との密接な交流と連携の枠組みも構築されており、学際的あるいは複合領域的な学問や職業への学生の関心にも応えることができます。さらには、学生の海外交流を促進し支援するための海外派遣留学生制度も整えられています。学業優秀者に対する奨学金給付の制度もあります。新入生の皆さんには、一橋大学におけるこうした多彩な学びの場や機会あるいは選択肢の存在をよく知り、これから先、それらを存分に活用してもらいたいと思います。

大学生活と高校までの学校生活とのもう一つの決定的な違いは、生活上の自由度の圧倒的な違いにあります。むろん皆さんには、本学のカリキュラムと履修規則に従って、基礎となる一定の授業科目群を完全に征服してもらわなければなりません。そのことに対して、皆さんはかなりの労力を費やすことになると予想されます。しかし、その上でなお皆さんには、十分な時間が残され、その時間の活用における大きな自由度が存在するはずです。そこでは、何を勉強するのかの選択だけでなく、勉学と勉学以外の活動との間の時間の配分も、基本的に学生一人ひとりの自由な選択に委ねられます。そして、まさにその自由な選択の積み重ねの中で、皆さんの個性と力が形成されてゆくこととなります。

いうまでもないことですが、選択における自由度が大きいときには、かえって目的を見失い、学生としての生活が安逸に流れる可能性も存在します。しかし、自由な選択と生活からもたらされる諸々の結果については、あくまでも自分が責任をもたなければなりません。比喩的に言えば、大学というところでは、何事であれ参加や出席を強制されたり不参加を咎められたりすることはありません。欠席は自由です。その代わり、欠席の結果として生じる一切の不利益は誰も償ってくれません。自分で償うしかありません。出席を選ぶか、別のことをするために欠席を選ぶかは、すべては当人の判断次第です。「自由選択」と「自己責任」という組み合わせが大学における学生生活の基本原理であるということを、常に忘れないようにしてほしいと思います。

最後に申し上げておきたいのは、これからの4年間は瞬く間に過ぎるということです。またとない素晴らしい時間と期間であるだけに、余計に早く過ぎてしまいます。「日は歩き、月は走り、年は飛ぶ」という言葉を、私はかつて人から教わりました。十分に長いはずの「年」は飛ぶように去り、「月」さえも走るように過ぎ去ります。むしろ、ずっと短いはずの「日」がゆったりと歩きます。解釈の仕方はいろいろでしょうが、「年」はたちまちにして過ぎ去る、だからこそ、「日」を大切にしなければならない、ということでしょう。短い4年間であればこそ、皆さんはどうかこれからの一日一日を大切に使っていただきたい。大いに書を読み、思索に耽り、また身体を鍛え、友と語り、そして、一生の友人を作って欲しいと思います。

一橋大学は全学を挙げて皆さんを応援します。皆さんがこの4年間に大きく成長し、一橋大学の将来、そして日本の将来を担う素地を持った人材となって社会に出てゆくようになることへの強い期待を表明して、私の歓迎の辞といたします。

(一橋大学長 杉山 武彦)
(2008/04/03)


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