昭和55年8月14日午後1時40分富士山で落石が発生した。この落石により、死者12名負傷者31名の人的被害が生じた。
富士山の北側にある吉田大沢の最上部の久須志岳の崖を構成する岩石が崩壊し、崩壊した岩石が5合目付近まで吉田大沢の内部を転がり落ちた。この時の落石の数は50〜60個、落石の大きさは大きいもので直径1〜2mといわれている。この落石事故以後、吉田大沢内を通過していた下山道が付け替えられた。(「富士山−地質と変貌−、浜野一彦、昭和63年」)
落石直後、当時山梨大学の浜野一彦を中心とした調査団が落石事故を調査した。この調査時に多数の写真が撮影されている。この時の写真は、崩壊場所の状況が詳細に撮影されているが、ほとんどは未公開である。浜野一彦は山梨大学を退官後山梨学院大学に移ったが、山梨学院大学の研究室にこの時の写真が残されている。貴重な写真が多いので、公開することにした。
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富士山の北側から 吉田大沢谷頭部の久須志岳で崩壊が発生し、 崩壊した岩石は谷の中を落下した。 |
富士山の北側から カシミールで作成 |
崩壊が発生した久須志岳 左側の平坦面は頂上である。 崖の崩壊がかなり進んでいる。 崖の下には多数の崩壊した岩石が堆積している。 |
崩壊が発生した久須志岳の遠景 9合目付近から見た久須志岳の崖。 崖の下はかなりの急斜面である。 |